生徒会室から外に出ると、廊下はすでに暗くなっており、グラウンドは太陽ではなく強力な照明が照らしていた。走っているウマ娘もすでにダウンを終え帰る準備をしている。そんな風景を横目に見ながら、私は自分の部屋に向かった。私の様子を心配したトレーナーさんから届いた数件のメールを読み、心配をかけてごめんなさいと一言返事をする。
それから私は、トレーナーさんや数々の三冠ウマ娘の指導の下レースに向けて調子を整えていった。相変わらず体は小さくビッグレッドさんにぶつかるだけで吹き飛ばされてしまうが、その小さな体を前にいるウマ娘の間に潜り込ませる能力も育った。外から仕掛けるしか知らなかった私のレースは、この技術によって作戦の幅が大きく広がった。
いまだに領域に入ることはできずあの日の再現はできないが、もう私の前を走る幻影はいない。
そして三月中旬の一般レースがスタートする。スタートと同時に私は先頭の方につき、ハイペースでレースを動かす。私がこのレースでやりたいのはただ勝つことじゃない。
一緒に走ってくれている皆には悪いが、私はここで存分に領域の練習をするつもりだった。第三コーナーに差し掛かったあたりで、私は足に力を入れ姿勢を低く倒す。低い姿勢の取り方はアドミラルさんに教わった。さすがに彼女ほどうまくはできないが、それでも一つの作戦とできる程度には練度は上がってきていた。
姿勢を倒したためか、私の存在に気づかなかったウマ娘が私の体に当たる。普通の背丈を持つウマ娘であればこの程度の刺激でレースに影響が出ることはないが私としては致命的だ。やはり本番のレースはうまくいかない。
後方に下がりブロックされる形となってしまった私は、なんとか間を抜けようとする。が、前では壮絶な位置取り争いが行われ、下手に入れば怪我をしてしまうような状況だった。外に回るも、もう第四コーナーを抜け直線に入るところだ。今から行っても間に合わない。
この状況、以前の私であれば、がむしゃらに前に行こうとしただろう。だが、今の私には余裕がある。変に焦って集中を切らすのは悪手だ。私はさらに姿勢を低くする。観客の声援は一層大きくなるが、レース中のウマ娘たちの目に私は映っていないだろう。
(視界もぼやけてきた。……行ける‼)
その瞬間、レースの主導権は確実に私に移った。そして、意識が戻った時にはレースは終わってしまっていた。異様な感覚に包まれたのは一秒にも満たないのではないだろうか。それでも、私にとっては大躍進であった。結果は四着とまずまずの成績であったが、得たものはそれ以上に大きい。
レース後、ふと振り返ると一緒に走ったウマ娘たちは私を畏怖の目で見ていた。ただの四着であった私をだ。
「四着か。でも後半の走りは今までで一番良かったぞ。この調子で頑張ろうな」
ライブも終わり、控え室に戻った私にトレーナーさんが話しかけてくる。ここまで私を支えて、育ててくれたのは間違いなく彼だ。これからも彼に成長を見てほしい。
クールダウンも終え、体の調子を整えるように軽くジョギングをする。今の私には一つ引っかかっていることがあった。それはビッグレッドさんが言っていた『まだ神髄に至れていない』という言葉だ。この感覚が領域に入るということで、それが神髄ではないのだろうか。
とりあえず今はこれでいいかと、私は思考を放棄する。まずはレースで勝つところからだ。おそらく領域に入らない状態でも今なら勝利できる。
◇ ◇ ◇
その日の夜。フォンセミラージュのトレーナーは先輩のベテラントレーナーと飲みにきていた。
「珍しいな。お前から誘ってくるなんて。相談したいことでもあるのか?」
「はい、先輩はなんでもお見通しですね」
トレーナーは運ばれてきたお酒を一口飲むと、先輩の方に向き直る。
「今、俺が担当しているフォンセミラージュについてです」
「おお、最近調子いいらしいな。俺の周りでも噂を聞くよ。あんな小さい体ですごいよな」
「そうなんですけど……」
トレーナーはポツポツと語り出す。彼女の体は周知の通り小さい。それはすなわち、骨も、それに付いてくる筋肉も少ないことを意味していた。筋肉が少ないと、十分な加速はできない。
そう、あんな走りが本来できるはずないのだ。トレーナーは最初に担当するとなった時、正直に言うと、重賞を勝てれば大満足と考えていた。あのビッグレッドからの紹介ということで、大きな期待はしていたのだ。
彼女の走りを見ても、その考えが大きく変わることはなかった。小柄ながらもその体を大きく動かし走る様は、重賞の舞台でも彼女を輝かせると確信させた。
だが、今となってはどうだろう。彼女は同世代のウマ娘の中でも傑出している。ウォーアトミックを彷彿とさせる前傾姿勢。アサルトを思い出させる全身全霊の走り。そして何より、レースの全てを支配するかのような蜃気楼を見せるほどの威圧感。
彼女を見縊っていた。あの子は化け物だ。
「彼女、ジュニアの頃にあった焦燥感が無くなって、自由に走ってくれるんです。俺の指導がなくても、どんどん速くなる。怪我の予兆も全くない。でも……いつか遠くへ行ってしまいそうな気がして」
トレーナーは話を一旦止めて隣を見る。先輩は難しい顔をして酒を口に運んでいた。
「うーん、聞いただけではよく分からない話だな。まあ、どうなるにせよ担当の健康が一番だ。お前が心配と思うならレースの予定もいくつか削ったらどうだ?ウマ娘たちの言う領域ってやつも、俺が担当した中で入ったのは1人いただけだ。経験が少なすぎて下手にアドバイスは出来ない」
今の時期少し時間があるからレースを見に行ってやろうか、と先輩は笑いながら言う。願ってもない提案だ。トレーナーは、どうかよろしくお願いしますと頭を下げる。
酒が進む。しかし、トレーナーの心は晴れないままだ。このまま俺があの子の担当をしていてもいいのだろうか。あの子が最近生徒会の面々と関わりだしたのは俺の実力不足が原因なのではないだろうか。そんな考えが常に頭の片隅にちらついて離れない。今嘆いても何も変わらないというのに。
「あんまり落ち込むなよ?トレーナーの仕事ってのは走りの指導だけじゃない。お前が今できることを精一杯やればいい。それは必ず、彼女のためにもなる。ま、その努力の方向性が間違っていたらその時は俺たちが矯正してやるから安心しろ」
次走は今月の下旬。オフシーズンが明け、ついにクラシック期が幕を開ける。
◇ ◇ ◇
「アドミラルさん、私の走りどう思いますか?」
自主練習中、私は遊びに来たアドミラルさんに走りを見てもらっていた。本当はアソールトさんもくる予定だったらしいが体調の悪化により欠席だ。
「うん、良くなってるよ。次はもっと腕を大きく振ってみてごらん。楽に走れるはずだ」
ここ最近、三冠ウマ娘たちに走りを見てもらい分かってきたことが幾つかある。その一つが私の足に負担をかける走り方だ。私は領域に入ることに固執するあまり、フォームが疎かになっていた。
「君のトレーナーが心配するのもよくわかるよ。そんな少量の筋肉と細い骨であのダイナックな走りをするのは相当無茶しているようにしか見えない。いや、見える、というのは正しくないな。実際無茶はしてるんだ。全力を出し続けていたら、君は必ず怪我をする。レースの予定や練習での調整は君とトレーナーの問題だから僕は口を出さないけど、目に余るようならレッドさんも出張ってくるはずさ」
最近トレーナーさんから全力で走るのを控えた方がいいと言われ、その指示通り全力を出していない。何か問題があったわけではないが、ウマ娘が全力で走るというだけでも大きな負担であることは確かだ。気づかないうちに疲労が蓄積して怪我につながり、涙をのんだ選手は少なくない。
「怪我の手当てをするのはアソールトだけで手一杯だ」
「そうですね。トレーナーさんとも相談して、ジュニア期のような無茶なローテはやめて今度の一般競争後は重賞レースに焦点を絞って出走しようと考えています」
アドミラルさんは私の言葉を聞き、意地悪くにやりと笑った。何か変なことを言ったかと私は首をかしげる。
「フフッ、まだ二勝しただけなのに重賞に焦点を絞っていくとは大きく出たね。僕たちばかり見ているから認識が違っているのかもしれないけれど、重賞はGⅠでなくともほとんどのウマ娘は出ることさえかなわない、高い壁だよ。レッドさんはともかく、僕やアソールトでも舐めてかかれば痛い目を見る」
アドミラルさんは相変わらず不敵な笑みを浮かべているが、私のことを心配してくれているようだった。油断はするなということだろう。ありがたいことだが、別に私は重賞を軽視しているわけではない。
「心配ありがとうございます。大丈夫、油断はしていません」
アドミラルさんははっきりと意思を表明した私に何かいいものを感じてくれたらしい。いつの間にかその表情から不敵な笑みは消えている。この時、私はアドミラルさんにとってただの後輩ではなく、親しい友人として認められた気がした。
その後、私とアドミラルさんは一通り談笑すると寮の前で別れた。彼女は私の他にも数人の生徒のトレーニングを見ているらしい。もしかして私だけひいきされているのでは、と不安になっていたことでもあったので、それを聞いて安心した。
それにしてもアドミラルさんは元気だ。学生生活に生徒会の仕事と、並の学生などとは比べ物にならないほどに多忙なはずなのにそれを全く感じさせない。そんな彼女の明るく振る舞う様は私の大きな目標だ。
「私もああなりたいな」
眠りにつく前、未来の学園でアドミラルさんのように後輩の面倒を見る私の姿を想像してみる。しかし、なぜだろう。その光景の隅には黒い影が映っている。何度消そうとしてもその影は消えず、まるで私の夢を憐れんでいるかのようにそこに存在し続けた。
(気味が悪い)
妄想をやめ、布団を深くかぶる。ふと触った左足がなぜか少しだけ震えていた。
◇ ◇ ◇
『上がってきたフォンセミラージュ‼ぐんぐんと加速していきついに先頭に立った!後ろは懸命に前を追うが届かない‼そして今ゴールイン‼一番人気にこたえましたフォンセミラージュ!重賞に向けいい走りを見せてくれました!』
四月の一般競争。私は事前の意気込み通り、危なげなく勝利を収めた。これで三勝、ここまでで多くのファンを獲得し、大抵のレースには問題なく登録できる。
「うん、いい走りだ。予定通りプライオレスSに出走登録しておくよ」
「ありがとうございます!ついに重賞……しかもGⅠ……頑張ります!」
プライオレスS、レースの最高格であるGⅠ、ダート6ハロンのスプリントレースだ。トレーナーさんは最初からGⅠで大丈夫かと心配していたが、私の方から強く希望した。このレースには、ガーデニアSで私に先着していたプレアサントネスや、有望とされているヴィジタールームも出走を予定している。
ティアラ三冠の一つ目であるエイコーンSと同じ距離。ここで伸び悩むようでは、三冠達成はかなり厳しいものとなる。私としては落とすわけにはいかないレースだ。
「それにしても今日はあの領域?ってのを使わなかったのか?」
「ええ、私のあれは負担が大きすぎるとアドミラルさんたちに言われてしまって……。それに狙って入ることのできるものでもないんですよね」
確かにそうか、とトレーナーさんは彼なりに納得したのか、軽くメモを取ってその場を離れた。先輩のトレーナーと話しに行くらしい。最近、トレーナーさんは多くの先輩トレーナーにアドバイスをもらいに行っている。頑張りすぎているのではないかと心配だが、私がしてあげられることも少ない。
「頑張りに応えないと……」
◇ ◇ ◇
『さあ、間もなくティアラ路線に挑むウマ娘たちが鎬を削るプライオレスSがスタートします。注目を集めるのはもちろんこのウマ娘!プレアサントネス!さらにブルーヘンS・ジャスミンSで二着と優勝には届きませんでしたが、実力は疑いようはありません!ヴィジタールーム!』
私の名前は呼ばれない。まあ、世間から見れば私はまだ三勝しかしていないGⅠ初挑戦の格下だ。人気が低いわけではないが、特別高いわけでもない。
(足の調子はいい……大丈夫。私は負けない)
『スタートしました!いいスタートを切りましたプレアサントネス、ヴィジタールームもいい位置です。すーと上がっていきます、フォンセミラージュ。短い直線を抜け、第三コーナーに差し掛かりカーブに入ります!ここでスピードを落としたくないが……っと!フォンセミラージュ、加速!先頭に立ちました!後続はこれに続くか!』
腕を大きく振り、足を延ばす。足にはだんだんと熱が集まってきた。後ろを少し見ると、ヴィジタールームが迫っている。
『第四コーナーを曲がり最後の直線、後続は少し離れたが先頭に追い付けるか!』
息を落ち着け、私はギアを一つ、二つと上げていく。滞空時間もそれに伴って長くなり、まるで飛んでいるかのように体を運んで行った。こうして一度リズムに乗ってしまうと私は強い。
『差が縮まない!このまま逃げ切るか!残り200メートルを過ぎ、プレアサントネスも加速する!ヴィジタールームに迫るプレアサントネス!』
私は足の回転を上げ、最後の加速を行う。今回は領域にまでは至らなかったが、速度は入った時に近しいものが出ているだろう。
それにしても最近、今の領域にあまりこだわるなとアドミラルさんたちから言われるようになった。あの走り方は意識が遠くなるとは言え速く走れるのだから、私としては本番で使っていきたいが、専門家である彼女たちが言うのであればそれが正解なのだろう。それに私には内緒にしておきたい話もあるようだ。尋ねても、時が来れば分かるさとはぐらかされてしまう。
『フォンセミラージュ先頭!フォンセミラージュ先頭!そしてそのままゴールイン!前走に続き素晴らしい走りですフォンセミラージュ!その小さな体に何を秘めているのか、今からこのウマ娘が何を見せてくれるのか楽しみです‼』
GⅠ初制覇。その快挙にレース場は沸き立つ。私は小さくガッツポーズを作り、笑顔で観客席の方を見た。歓声が心地いい。これが重賞、これがGⅠ。みんな、私に期待してくれている。観客の熱量、それは私の蜃気楼をより大きく、遠くに届かせる。
◇ ◇ ◇
初GⅠ制覇の翌々日、私たちは大舞台での勝利にまだ浮かれていた……ということはもちろんなく。ファン数、実力ともにティアラ三冠レースに問題なく登録できるレベルに達したため、今後の出走について調整を始めていた。
ティアラ三冠は約一か月毎にレースがあり、クラシック三冠ほどではないが厳しいスケジュールとなっている。足に不安のあるウマ娘は三冠に挑戦すると意気込んでいても、いざそのスケジュールを見てみると怖気づいてしまうこともあるという。
「足の負担を考えると次走はケンタッキーオークスにしたいが……前哨戦であるラトワンヌSには出ておきたいんだよな」
「ええそうですね。私もチャーチルダウンズレース場に慣れておきたいですし、予定はそのままでいいと思います」
レース場への慣れだけではない、この前走ったプライオレスSは6ハロンのスプリントレースだが、ケンタッキーオークスは8.5ハロンと距離がかなり違ってくる。ラトワンヌSでは、マイル程度の距離もしっかり走れることを確かめておきたい。
「ケンタッキーオークス後だが、ついに三冠レース開幕だ。三冠レースの日程は過酷、CCAオークスまで間にレースは入れられない。この辺は変更なしだな」
ホワイトボードに掲げられた大きなカレンダーにトレーナーさんが赤線を引いていく。これで7月までの予定は埋まった。
「この後は……まあ、まだ調整を詰めるべきではないか。俺なりに考えておくよ。まずは目の前のケンタッキーオークス、そして初のティアラ三冠に向けて頑張ろう!」
トレーナーさんは私からの要望が特にないことを確認すると、今日の練習メニューを渡して職員室に帰っていった。自分で言うのも恥ずかしいが、私の活躍もあり彼は今大忙しだ。雑誌の取材、写真撮影、パパラッチへの対処など有名トレーナー故の難題が彼の本来の仕事に加えて発生している。
そして、私もとある悩みを抱えていた。
「はぁ……」
「どうしたの?ミラージュちゃんらしくないわね」
保健室にはもはや定位置と化しているベッドに座るアソールトさんがいる。ビッグレッドさん曰くアソールトさんも定期的に走ったりしているらしいが、いまだに私はその姿を見たことがない。
「何か相談事があったら言ってね。私にできることは少ないけれど、できる限りのことはするから……」
「あ、心配かけてすみません。ちょっと家の方が忙しくて……」
実は最近、両親の調子がちょっと悪いのだ。元々母は耳が悪く苦労している。そんな母を父が支えていたのだが、その父が最近倒れてしまった。命に別状があるわけではないが、もしものことはあるかもしれないとお医者さんに言われている。
ヘルパーを雇うことができたため実家の母は今も暮らせているが、暮らせているだけで稼ぎは全くない。トレセンには事情を説明し私の在学を保証してもらっているが、私が高成績を修められ無くなれば適当なところで打ち切られてしまうかもしれない。
「……その、アソールトさん。ティアラ三冠を達成できたら協会からボーナスが出るって話ありましたよね」
「え、ええ、そうね。トレーナーさんやトレセンに一定額分割されるけど、少なくない額もらえるはずよ」
アソールトさんからその言葉を聞くと、私は心配する彼女に声をかけられないうちに保健室を出る。本当はアソールトさんに色々相談したかったのだが、言葉が出なかった。お金のために走ることが悪いことだとは思わないが、それをよく思わない者も少なくはない。保健室にいたのがアソールトさんだけであれば相談できたかもしれないが、あそこにはほかにも数人の生徒がたむろしていた。どこかからか情報が洩れて孤立してしまうのはとても怖い。
「……あ、三女神様」
そんな私がふらつく足取りでたどり着いたのは、学園の真ん中に位置する三女神像の前だった。ここでは稀に啓示のようなものがあるらしい。科学的な信憑性は全くないが、多くのウマ娘がそう感じているあたり何かあることは確かなのだろう。
「……特になしか」
目を閉じて少しの間じっとしていたが、何の変化も訪れない。まあそんなものだろうとその場を離れようとしたところ、私の目の前にナニカが現れた。私はそれに見覚えがある。私の将来を想像しようとすると邪魔をしてくるあの黒い影だ。
いつも通り、その影は私を憐れむようにじっと見つめている。しかし今回はその影との距離が近いからだろうか。その影の視線が私のある部位に向かっていることに気づいた。
(左足……?)
私は左足を前に出し、変化があるかどうか見守る。しかし特に変わったことはなく、次に顔を上げたとき既にその影は消えており、いつも通りのトレセンがそこにはあった。
(……はぁ、なんか気分悪くなってきちゃった)
学生寮へ向かう私を三女神像は何も言わずに見下ろしている。左足はまた、理由もないのに小さく震えていた。
◇ ◇ ◇
「フォンセミラージュさん」
「ん?ゲイマテリアルさん?」
寮に帰る途中、私は同じクラスのライバルであるゲイマテリアルに出会った。お互いの練習する時間が異なっているため普段教室以外で会うことはないのだが、何かあったのだろうか。
「プライオレスSでの勝利、おめでとうございます」
「あ、ありがとう?」
あまり彼女と……というよりもクラスのみんなと親しくしてこなかった私は何と返してよいか分からず、言葉の最後に疑問符がついてしまう。悪い人でないのは確かだが、共通の話題がないとやはり話は続かない。
「今度ケンタッキーオークスにも出走するそうですね。私も応援しています。ですが!」
びっくりした、急に大きな声を出すのは心臓に悪いのでやめてほしい。周りにいたウマ娘たちも何事かとこっちを見ている。
「ティアラ三冠!これだけは譲れません!初代ティアラ三冠は私がいただきます!」
突然の宣戦布告に近くにいた者だけではなく、寮の中にいたウマ娘たちも寄ってくる。注目されるのはレースで慣れたつもりだったが、こういう形で注目を集めるのは初だ。かなり恥ずかしい。
「え、なになに宣戦布告!?」「誰!?あ、マテルダとミラージュちゃんか!」「ミラージュちゃんいつ見ても小さいなぁ」
寮の入り口に小さな人だかりができる。ゲイマテリアルさんは言いたいことは言ったと、背を向けてその場を去ろうとしていた。
(何かこのままだと負けた気がする)
気が付けば私はゲイマテリアルさんを追ってその歩みを止めていた。驚いた表情を浮かべる彼女に、私は緊張しながらも目をしっかりと見て言葉を放つ。
「三冠を取るのは、私です。そして三冠だけではありません。その後もたくさんのレースで勝って、私は歴代最小にして最強のウマ娘になって見せます」
体に熱が走る。周りで騒いでいたウマ娘たちはいつの間にか静かになってしまっていた。それはそれで恥ずかしいので早くいつものにぎやかさに戻ってほしい。素面に戻った私は、顔を真っ赤にして逃げるように学生寮に入っていった。
顔の熱も冷め始め、私は自分のベッドに寝ころびながらと天井を眺める。ゲイマテリアルさんとの会話で良くも悪くも私の心の中にあった気持ち悪さは和らいだ。まだ心の底にある不安は拭えないが、時間という万能薬は必ずこの不安をさらに緩和してくれる。今は、目の前のレースに集中しよう。