アメリカの最小のウマ娘   作:SKT YKR

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二冠の姫君

 

「……ふぅ」

 

「少し休んだらどうだい?」

 

「それは君もだ」

 

 一方その頃、ビッグレッドとバートン卿……デイムバートンはあわただしい会議を終え、紅茶を飲んでいた。とはいえ、二人ともその眼にゆとりは感じられない。それぞれひっきりなしに送られてくる連絡に目を通し、その度にカップを置いて返信している。折角の紅茶もすでに冷めてしまっているようだ。

 

「とはいえ……よかった。彼女の夢は閉ざされずに済んだようだ」

 

「ニューヨークの委員会が考えた理由が通るかというと少し微妙だが……あの様子を見るに、反対する理事会とコース管理者を説得できずともマザーグースだけは強行するだろう」

 

 会議中盤、ニューヨーク州競争委員会は議員の葬儀の計画を取り上げ、その実行時間について言及した。

 

「葬儀の関係者団体は6月8日、ちょうど正午ごろにニューヨークを出発する予定だ。また大統領などからの発表では翌日の日曜日が公式喪中日となっている。よって6月8日の午後に行われるレースは予定通り行う」

 

 さすがに無理があるんじゃないかとその場にいた多くの者が思った。だがその場ではそれが通ってしまったのだ。

 マザーグースSを強行しようとする委員会が裏で何を考えているかはわからないが、少なくとも今の彼女たちには不利益にはならないだろう。再度理事会とレース場管理者に開催の意思を伝えたとする旨の通知を見て、ビッグレッドはやっと椅子に深く座り冷えた紅茶を流し込んだ。デイムバートンもそれに倣い、手を高く上げて背を伸ばす。

 

(さぁ、私たちができるのはここまでだ)

 

 自分の半分程度の大きさしかないウマ娘を思い浮かべながら、ビッグレッドは息を吐く。ウマ娘は競技者と言っても若く、その精神は不安定なことも多い。それが三冠レースともなればその緊張は常人には計り知れないものだろう。

 マザーグースまで、移動や準備を考えると気持ちを落ち着ける時間は一日もない。例え過去の三冠ウマ娘のような突出した存在であっても、こんな事件の後でいつも通りのパフォーマンスを発揮するのは至難の業だ。

 

「やれやれ、あの子の幻影は君さえ魅了するようだな」

 

「ああ、そうかもしれんな」

 

 そう、だからこそ彼女たちはその小さなウマ娘に期待していた。この困難を跳ね除け、その夢を私たちに見せてくれと。こんな状況だからこそ、人々に夢を見せて欲しいと。

 

「ま、あの子だけでなく、他の子にも頑張ってほしいね。いかにとびぬけた能力であろうとも、アップセットは起こるものだ。そうだろう?」

 

「……嫌味か?」

 

◇  ◇  ◇

 

 迎えた6月8日のマザーグースS。レース場の纏う雰囲気は何とも言えないものとなっている。本当に今日レースがあるかどうか分からないままレース場を訪れるなどそうあることではないだろう。それでもレース場には4万近い観客が集まり、午後を待っている。

 

「どうなると思う?」

 

「どうなるって……俺はやっぱりフォンセミラージュが勝つと思ってるよ」

 

「プライオレスの後ベッツィーロスHを勝ったヴィジタールームも目が離せないと思うわよ」

 

 観客たちはいつものように勝者を予想しあうが、その歯切れはよくない。何せこの緊急事態である。こんな状況に置かれても調子を崩さないかどうかは未知数だ。新聞などによる事前の記事も少なく、パドック出状態を見分けることができるような猛者でもなければ予想は難儀を極める。

 それでも、彼ら、彼女らはウマ娘に夢を見ていた。こんな状況だからこそ、その悲しみのちょっとした隙間に楽しみを与えてくれることを。様々な人の思いの渦巻く、ティアラの2つ目、マザーグースSが幕を開ける。

 

『……開催も危ぶまれましたが、本日はベルモントパークレース場にお集まりいただき、ありがとうございます』

 

 解説の声もいつもより落ち込んで聞こえる。明るい雰囲気が人気の実況者であるため、そのギャップはより目立つ。

 

『圧倒的な一番人気、エイコーンSで圧勝を飾ったフォンセミラージュ。前走エイコーンから距離は3ハロン伸びますが、ここを勝ってティアラ三冠にリーチを掛けたいところです。プライオレスでは敗れはしたもののベツィーロスで勝利、まだ結果はわかりません。ヴィジタールーム、……』

 

 ウマ娘たちの名前が呼ばれ、それぞれがゲートに入っていく。落ち着かない表情をした者がいつも以上に多い。ひどい子は顔が青ざめ、食事もまともに取れていないような様子も見て取れた。

 

(私は……)

 

 胸に手を当て、心臓の鼓動を感じてみる。とくん、とくん、とそのリズムに特におかしいところはない。そう、私は自分でも驚くほどに落ち着いていた。

 その理由は昨日の夜までさかのぼる。

 

 昨日の夕方、おそらく明日は予定通りにレースが行われるという報告を聞いた私は、喜びと混乱で情緒が不安定になっていた。あと1分でも、報告をしてくれたトレーナーさんと電話がつながっていたのなら、そこには嗚咽が入っていただろう。

 夕食もろくに喉を通らず、私に声をかけてくれたルームメイトへの返事もほとんどせずに私はベッドに身をゆだねた。勿論そんな精神状態でまともに眠れるはずがない。消灯時間が過ぎルームメイトの寝息が聞こえてきた後も私は眠ることができず、ぼーっとシーツの皺を数えていた。

 

 明日はしっかり走れるだろうか、もしまた何か起こって中止になったらどうしよう……不安は私を眠りから遠ざけ、それによってさらに不安は蓄積していく。そんな負の循環に陥っていた私の前に現れたのは例によってあの黒い影であった。

 影は横たわるベッドに座ると、少し困ったような仕草を見せてから不意に私の右足をなで始めた。なでるとは言っても、何か感触があるわけではない。ただ手らしきものが私の右足の表面に沿って動いているだけである。

 

(今度は右足なんだ……)

 

 元々彼女は左足に注目していた節があったのでまずそこに疑問を抱く。そして次に、そんなことを考える余裕があるほど落ち着いている自分に驚いた。最初は見られるだけで気分を悪くしていたのだ。その驚きも当然だろう。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は同じ動作を何度も繰り返す。そしてその動作が繰り返されるたびに、不安は少しずつ和らいでいった。誰かがそばにいて、私を落ち着かせようとしてくれるという安心感は考えていた以上に大きいものらしい。

 

 そして次に瞼を開けたとき彼女はそこから消え去っており、部屋の窓からは眩しい6月の朝日が差し込んでいた。

 

『……最後のゲートが締まりました』

 

 意識を目の前のレースに戻す。横を見れば、そこにはいつも通りのヴィジタールームさんの姿があった。彼女は私のように特別な何かがなくともその平常心を保っているのだろう。

 

『今スタートです』

 

 六人のウマ娘たちは特に出遅れることなくゲートから飛び出す。私は5番、少し外からのスタートだが特に問題はない。

 

『アナザーネルが先頭を進みます、シリアンオーシャン、ヴィジタールームが続きフォンセミラージュもこのあたりです』

 

 第三コーナー付近、大きな展開はなくレースは進んでいく。前回の反省も生かし、今回私は外に出ることを選択した。位置取り合戦で変に体力を使うこともないため終盤のスタミナも問題なさそうだ。

 

◇  ◇  ◇

 

(100点のレースをするだけじゃダメだ)

 

 ヴィジタールームは理解していた。その小さなウマ娘の異質さを。

 

(あれとまともには競り合えない、スピードもスタミナも今の私じゃ……)

 

 出会った頃は、本当に同学年なのかと何度も疑うほどだった。正直に言うと、自分と同じレースに出るとさえ思っていなかった。

 あまりに小さな体、周りからの期待も当然されてはいない。体の軽さと効率的な走り方から距離のあるレースには少し向きそうだとも思ったけれど、そもそも長距離寄りのレースがあまりない。

 

 最初にその素質を感じたのは、三月の一般レースの時。結果は四着だったにもかかわらずその存在感は一着のウマ娘にも勝っていた。その後の彼女は正に破竹の勢い。ここまで誰も覚醒した彼女を下せたものはいない。

 私やゲイマテリアル、シリアンオーシャンなどの群雄割拠の時代になると予想されていたティアラ路線は、突如現れた小さな虎に蹂躙されていく。世間も初のティアラ三冠を夢見ていた。

 

 だが、諦めるという選択肢はない。どうしたら勝てるのかを考え、必死で練習を重ねた。その成果は確かに現れ、様々なレースで結果を残すことはできている。だが、どうしてもティアラに手が届かない。

 

(まだ、まだ私は……!)

 

 レースも後半に迫り、息も苦しくなってくる。スピードを上げるため、体制を落とし足に力を入れた。埒に沿ってできる限り消耗を抑えたレース運び、好位置をキープし前に出るタイミングも完璧だ。

 

 だけれど、私の横を走るウマ娘はそんな完璧なレースをしても平気な顔をして超えてくる。

 まるで飛んでいるかのように軽やかなフォーム。足の長さでは勝っているはずなのにストライドは同じかそれ以上。まるで力を入れていないようなその姿に、私は一瞬レースのことも忘れて見惚れてしまった。彼女の勝負服の色が真っ黒に変わったように錯覚する。ああ、こうなったらもうダメだ。

 

『ヴィジタールームとフォンセミラージュが並ぶようにコーナーを抜けてきます、そしてフォンセミラージュ抜けました、緩い足取りで後続を引き離していきます』

 

 必死で足を前に出し、追いつこうとあがく。しかし、無慈悲にもその差は縮まるどころか開く一方だ。実況や観客も分かり切った結果に声さえ出さない。

 

『約10バ身差……二つ目のティアラです』

 

 実況が私の入着も待たずに告げる。いつの間にか元の色に戻った綺麗な勝負服をはためかせ、こちらを顧みる様子さえ見せず、ただ佇んでいる。目の前のあの子は今何を思っているのだろうか。精神的な動揺なども見て取れない。

 まさに孤高、小さき女王。三冠を取るようなウマ娘はきっと、あのような者なのだろう。そう、どこかで思ってしまった。

 

「もう誰も、あの子には敵わない」

 

◇  ◇  ◇

 

(勝てた……)

 

 実感が結果に追いつくのに数秒、そこからさらに数秒遅れて喜びがやってくる。しかし、何かが足りない。いつもはあるはずの何かが。観客席をふと仰ぎ見て、それを嫌でも理解させられた。

 

(……歓声が)

 

 拍手は聞こえる。声も全くないわけではない。だがそれは、私に勝利の感触を与えるには全く足りていない。

 頭では分かっていたはずだ。今日は大々的にお祝いをすべき日ではないのだと。それでも本能の部分で、大歓声を求めている自分がいる。どことなく寂しい気持ちを隠すように小走りで控室へ向かった。

 

 控室に入って最初に目に入ったのは黒い影だ。トレーナーさんはライブの準備だろうか。今日のライブは規模を縮小して行うらしいので普段通りにとはいかないのだろう。

 それにしても少し前に比べて影の濃さが少し濃くなっている。だからと言って害はないし、どちらかというと助かっているところもあるのだが、超常現象のようなものが起こり続けるのはあまりよろしくない気がする。

 

 今まで同級生などはもちろん、トレーナーさんや生徒会のメンバーにもこの影の存在は話してないが、そろそろ相談すべき時が来ているのかもしれない。

 そんなことを思いながら汗を拭くなど身支度をしていると、トレーナーさんが帰ってきた。やはりライブの打ち合わせで時間がかかっていたらしい。

 

「お待たせ。レース後の身体検査に行くから付いてきてくれ」

 

 少し疲れた様子のトレーナーさん。ここ数日であったことを思えば当然だ。

 

「色々あったけど、まずはマザーグース勝利おめでとう!このまま初のティアラ三冠を目指していこう!」

 

 歩きながらトレーナーさんは勝利を祝う。彼のその横顔は本当に嬉しそうだが、やはり疲れは隠せていない。

 

「ありがとうございます。次も、ええ、きっと勝って見せます」

 

 これでリーチ。初の栄冠を頂く日は近い……と信じたい。それに三冠のボーナスが出れば家族の方にも余裕ができるはずだ。少し暇をもらって小旅行などいいかもしれない。

 落ち込んだ気持ちを、明るい未来を想像して心の奥に押し込む。大丈夫、私はまだ頑張れる。勝負服のティアラを握り、私は真っすぐ前を見据えた。

 

◇  ◇  ◇

 

「三冠はほぼ確定……か」

 

 練習をしながら私はつぶやく。最近、新聞の記事では私についてそう書かれることが多くなった。距離、スピード、成長具合への不安がほぼなくなり、私に初のティアラ三冠の夢を見る人が多くなってきている。

 それは確かにとても嬉しいことで、実際喜んでいる。だが私は、はたから見れば贅沢であるだろう悩みを抱えていた。

 

(三冠を取るだけではみんな満足しないんじゃ……)

 

 今更だが、私は自分の目指すものが何なのかぼんやりと分かってきていた。多分、私は期待されたいのだ。かつて私があの幻影に目を奪われたように、皆に見てほしいのだ。かつてアソールトさんが言っていた自分の欲に向き合うというのはこういうことなのだろう。

 とはいえすべきことが大きく変わるわけではない。重ねる勝利は次の期待の呼び水となる。そう信じて今も練習しているわけだが、同時にそれだけでは足りないのではと思い始めてもいた。

 改めて考えても、やはり贅沢な悩みだ。一年前の私が聞けば、呆れた顔でどこかへ行ってしまうだろう。さっさと忘れてしまおうと、私は走ることに集中する。

 

 それから2時間も経っただろうか。時間を忘れ走っていた私に聞きなれた声が聞こえてきた。

 

「おーい、ミラージュ!そろそろやめにしよう!」

 

「あ、もうこんな時間……」

 

 グラウンドの大きなライトが照らす時計は既に21時を回っている。走っているウマ娘は私以外にもう残っていなかった。

 

「もう少し自主練の量を減らそう。走りすぎはよくない」

 

「はい」

 

 クールダウンを終え寮へ帰りながら私は夢想する。初のティアラ三冠ウマ娘となり、皆に迎えられ、その後も活躍をつづける私。ティアラ路線ではないウマ娘とも競う日が来るかもしれない。

 ああ、楽しみだ。もっと活躍して、走っていたい。そう思った矢先、私の夢は急に途絶えた。夢の中にいることを拒まれ、はじき出されたような、そんな感覚だ。

 

(……)

 

 三冠を取ったその先に期待しすぎるな、とどこかであの影が言っているような気がする。いや、これはきっと幻聴だ。あの影は多分そんなことを言うような奴ではない。そう考えながら、足早に帰寮して就寝の準備をする。

 

 ベッドに入ってからも、私の心にはしこりが残っていた。一体このしこりは何なのだろう。考えれば考えるほど焦りが生まれてしまう。マザーグースを勝ってからずっとこんな調子だ。

 きっと私は明日も走りすぎてしまうだろう。この焦りを抑えるため、必死に走ることにしがみついてしまうだろう。

 

(ごめんなさい)

 

 誰にも聞かれぬ謝罪を最後に、私の意識は暗闇に落ちていった。

 

◇  ◇  ◇

 

 翌朝、やっぱり私は走らずにはいられず堤防沿いの坂道を往復していた。傾斜が比較的緩やか、かつアスファルトで舗装もされず芝生で覆われているため、足への負担も少なく練習にもってこいだ。

 

「おはよう!今日も元気だね」

 

 そろそろ切り上げようと荷物をまとめていると、上から大きな声が聞こえてきた。

 

「アドミラルさん、おはようございます」

 

 アドミラルさんは音を立て急斜面を滑り降りてくる。因みに私にこの場所を教えてくれたのは彼女だ。他にもいくつか穴場の練習場所を知っているらしく、各々に合わせた練習場所をこっそりと教えて回っているらしい。

 

「おっと、もう芝が剥がれかけているな。少し走りすぎじゃないか?」

 

「あはは、トレーナーさんからも言われました」

 

 やれやれといった様子の彼女はそれ以上追及しては来なかった。かつて言っていたように、よほどのことがない限り練習に口は出さないつもりらしい。それは信頼されている証拠で、嬉しくもあるがどこか寂しいものでもある。

 アドミラルさんも朝のジョギングからの帰りだったらしく、一緒に帰らせてもらうことにした。近況報告などをして、ゆっくりと帰路を進む。最近お互い忙しくあまり話せてはいないが、いつも噂は耳にしているためあまり久しぶりに会ったという気はしない。

 

「そういえば、ミラージュちゃんは三冠レース後の予定は決めたのかい?新聞ではクラシック組と戦うとかいろいろ言われているけど」

 

「ええ、レースの予定という意味ではまだですが、少し休憩……家族と旅行にでも行こうかなって考えてます。三冠を取れればボーナスも出るし、経済を回さないとですね」

 

「…いいねぇ、僕は君の気弱そうに見えて自信があるところが好きだよ。きっと叶うさ」

 

 一瞬、アドミラルさんがばつの悪そうな顔をしたのは気のせいだろうか。

 その後、彼女は少し用事を思い出したと言って走って行った。私もついていこうと考えたが、走りすぎと言われた手前やめておいたほうがいいかと考え、一人で帰ることにした。

 

「疲れたなぁ。朝食少し多めに食べるか」

 

 最近、家族の調子があまりよろしくない。父親の病状はなかなか好転せず、その心労で母親も疲れてきている。もし三冠を取ることができなかったら、少し無茶をしてでも稼がなければならない。

 生活が困窮しているということはないが、お金はあって困るものではない。レース場への移動や練習道具など何だかんだお金は必要となるし、父親の入院費はそれなりにまとまった金額が必要である。学園に預かってもらっているレース賞金の引き出し上限もその入院費に大半を使わなければいけない。

 遊びに使えるお金は貴重だ。母の心労をねぎらうためにも旅行はいい手だと思う。

 

(うん、弱気になっちゃダメだ。絶対ティアラ三冠は取る。そうすればあんなローテしなくてもいい)

 

 部屋に貼ってあるいくつかの将来設定、その一つを否定しながら、再び湧き出す焦りを無理やり閉じ込める。

 大丈夫だ。トレーナーさんもいるし、最近会うことがほとんどないとはいえ生徒会の皆もいる。クラスメイトは、最近少し距離を置かれている気もするが、きっと大丈夫だ。

 

◇  ◇  ◇

 

「レッドさん。例の件、まだ無理そうなのか?」

 

 いつになく真剣な顔をしたアドミラルの前には、書類とにらめっこしているビッグレッドが座っている。その表情もやはり険しく、いい情報は期待できそうにない。

 

「バートン卿の報告はまだだ。だが、すでに決まっていたこととして処理されているだろうな」

 

「期待はできないってことか」

 

 傍でその話を聞いていたアサルトの眉間のしわがさらに深くなる。いつもはどこか痛んでいるのだろうと予想するところだが、今回ばかりはそうではないらしい。

 

「なんで今年に……!」

 

 ティアラ三冠、それはクラシック三冠に劣らない名誉であり、高い壁である。整備されて以来制覇した者がいないというだけでもその難易度の高さは伝わるだろう。

 そう、壁が高すぎたのだ。達成するものが現れないことを条件にした制度など必要だろうか、そのような意見がいつの間にか広がってしまっていた。達成した者がいないのでは、その価値もわからない。クラシック三冠であれば、制覇したウマ娘はその後も活躍を続けることが多く、そこに投資をしようとする者も多いだろう。

 だが、ティアラ三冠は違う。その価値はまだ誰も知らない。

 

 ビッグレッドたちも知らぬところで、ティアラ三冠のボーナスは廃止されていた。

 

「まだ本人には伝えていないのよね?」

 

「……ああ、確定するまでは控えようと考えている。直前まで粘る予定だ」

 

 少し落ち着いたのか、アサルトは背伸びをしながらビッグレッドに問いかけた。いつもははきはきと話す彼女だが、この件に関しては少し歯切れが悪い。薄々わかってはいるのだ。今から変更するのは厳しいと。

 

 ティアラ三冠の最後のレース、CCAオークスは刻一刻と迫ってきていた。

 

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