アメリカの最小のウマ娘   作:SKT YKR

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見えない重り

 

 軽めの調整を行いつつ私は明日のマンモスオークスのことを考える。トレーナーさんが私の体のことを考え必死で考えてくれたプランのおかげで、今のところ不調もなくむしろCCAオークスの時よりもいいくらいだ。

 当たり前のことだがこの計画を伝えた直後はかなり反対された。レース間隔が短いのは珍しいことではないが、それは無理をしてのことであり私が耐えられるという保証は全くない。その後何度もトレーナーさんと話し合い、自主練を控え練習以外の時間はできる限り休養に努めるという条件でこのスケジュールを押し通した。トレーナーさんは練習メニューだけではなく食事の内容なども毎日考えてくれている。ありがたいことこの上ない。

 

「よし、今日はここまでにしよう。この後はゆっくり休んで明日に備えてくれ。何か変わったことがあれば夜中でもいいから連絡してくれよ」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 トレーナーさんは別の仕事があるからと急いで部屋に戻って行った。最近彼も根を詰めすぎだと私は思う。私以外の担当も最近調子がいいようで、そちらのケアにも気を使う必要がある。本来なら私の調整程度の練習に付き合う時間はないはずなのだ。

 

「しっかり結果を出して応えないと……」

 

 決意を胸に夕日が照らすグラウンドを後にする。まだ練習したくはあるが、さすがに無茶だと自分でも分かっているしトレーナーさんの努力を裏切ることにつながりかねない。走っていないときに感じる焦燥との付き合いにも慣れてきたものだ。

 

「あ、ミラージュちゃん」

 

「レディカードさん、久しぶり」

 

 少し歩いたところで同じく練習終わりのレディカードと出会う。お互い忙しいねぇ、と近況報告したところでレディカードの歩くスピードが少し落ちる。

 

「最近無理してない?レースも間隔短いって聞くし……」

 

「大丈夫だよ。明日が終われば次のレースまでは三週以上空くし、そこで体を休められるよ」

 

 ガッツポーズを作り元気さをアピールするがレディカードの顔は浮かないままだ。そんなに心配されることはしていないはずだが何かあったのだろうか。

 

「精神的なところは……いや、ごめん忘れて。元気ならいいんだ!何か辛いこととかあれば相談乗るからね」

 

「はは、ありがとう。じゃあね、お休み。いい夢を」

 

◇  ◇  ◇

 

 レディカードは自分でも理由の分からない焦りを感じていた。ミラージュに何かしてあげなければいけない気がする。けれど何をすればいいのか、何が起きるのかは全く分からない。

 

(ミラージュちゃんのトレーナーさんも疲れてるみたいだし……)

 

 ミラージュは元々個人主義であるとレディカードは感じていた。だからあまり構うと嫌われそうで今まで積極的に遊びの誘ったりはしなかったのだ。しかし最近その考えが徐々に変わりつつある。

 

(一人でいる時間が多すぎる……気がする)

 

 勿論レディカードはミラージュの生活を全て見ているわけではない。それでも何となく感じ取れることはある。今までミラージュは同級生との付き合いはあまりないにしても、生徒会やトレーナーと話している姿はよく見かけた。しかし最近はそんな姿さえ滅多に見ない。

 孤高と言えば聞こえはいいが、ミラージュは孤高を誇り我が道を見失わず歩いていくタイプであると確信をもっては言えない。

 

「杞憂だといいけどなぁ」

 

 夕日も沈みだしたグラウンドに伸びる影を見ながら、レディカードは呟いた。

 

◇  ◇  ◇

 

「聞いてると思うけど、トレーナーさんは今日別の子のレースを見るから少し遅れるって。ヘリコプターで向かうって言ってたけど、無茶するよね。ま、君の様子を見る限り落ち着いてそうだし、普段通りのパフォーマンスを期待するよ。頑張って!」

 

「はい、行ってきます」

 

 サブトレーナーさんからの激励を貰い、私はレース場に向かう。トレーナーさんがいないのは少し寂しいが仕方のないことだ。できることを精いっぱいやれば彼も喜んでくれるだろう。

 今回警戒すべきはブラックアイドスーザンS・ポストデブSを勝っているプレイングレインだ。三冠レースの時と同じような走りが出来れば負けはしないだろうが、油断はできない。

 

『大本命フォンセミラージュの登場です!』

 

 三冠レースで圧倒的な差を見せつけたこともあり、私の扱いは完全に挑戦者を迎え撃つチャンピオンになっている。皆私を見て、私への対策をしてくる。それに対して私がすることはただ一つ、普通に走るだけだ。

 

『スタートしました』

 

 無難にレースは進んでいく。私はいつも通りの先行策でそれなりのペースを維持しつつレースを動かしていった。このマンモスオークスは9ハロン、私の得意な距離だ。このままいけば問題なく、無理もなく勝利できる。

 そんな慢心からだろうか、カーブの途中で私は少し体のバランスを崩し失速してしまった。

 

「あッ」

 

『おっと、フォンセミラージュ少し足がもつれたか!』

 

『外に大きく出てしまいましたね、この不利がどう響くか……』

 

 失態だ。このままでは満足に前のウマ娘を追えない。

 

(平常心、まだ十分取り返しはつく)

 

 足に力を入れ、地面をしっかりと蹴る。体はそのエネルギーを最大限前に進むように変換し低空飛行するような体制に入った。視界がチカチカと光る。最近耳にしたことだが、私の過度に集中して加速する様……つまり領域に入った状態はファンの間で“闇夜(ホームバイダーク)”とか言われているらしい。恥ずかしいがかっこいいので良しとしよう。

 

『最終直線に入ってフォンセミラージュ速い速い!これがティアラ三冠の実力だ!道中の不利も何のその、プレイングレインを離して今ゴール‼』

 

『次のレースが楽しみですね!先ほどメディックファーガーもサーバンHを勝利したということでしたし、年度代表ウマ娘争いにも注目です!』

 

 レースが終わり、私は控室に向かう。今日の私の担当であるサブトレーナーさんはライブの準備に向かったらしい。入れ替わりでこちらに到着したトレーナーさんがこれからのことは案内してくれるそうだ。

 

(あれ、控室の扉……)

 

 控室の扉が少しだけ空いている。レース後選手かトレーナーが来るまで閉めてあるはずだが、もうトレーナーさんがいるのだろうか。それにしては物音がしない。

 嫌な気配がする。はやる気持ちを抑え、私はゆっくりとドアを開いた。

 

 見慣れた色の頭髪、少し着崩れたシャツ、そして微かな呻き声……

 

「ト、トレーナーさん!」

 

 嫌な予感として想定していたものの一つが当たってしまった。あまりの衝撃に一瞬固まってしまったが、そうしてはいられない。

 

(意識はある、息もしている。頭は打ってなさそう……とりあえずソファーに運んで係の人を呼ばないと)

 

 その後のことはあまり記憶にない。相当焦っていたのだろう。ライブはうまく踊れたらしいが、私の頭の中はトレーナーさんの安否のことでいっぱいだった。

 

「疲労から来る貧血ですって……はぁ~心配した。今日病院に泊まって明日には復帰できるそうよ」

 

「そうですか……」

 

 私はずっと強張っていた肩をなでおろす。諸々の手続きを終えたらしいサブトレーナーさんは私の横にドカッと音を立てて座った。彼女も相当疲れているようですでに眠そうだ。

 

「ミラージュちゃんもお疲れ。先に帰っててくれてもよかったのに、ありがとね」

 

「いえ、私は何も……」

 

 やはり彼は無理しすぎだった。そしてその無理をさせたのは、私だ。

 

「じゃあ、帰ろうか。待ってくれたお礼に送るよ」

 

 コーヒーの良い香りのする車内、車の揺れに身をゆだね、私は今後のことに想いを馳せる。今更、スケジュールの変更はできない。彼が倒れてまでして考案してくれた予定だ。必ず完遂して見せる。

 けれど、今回の件ではっきりした。今の私は十分に実力があること、そして今のスケジュールは私の健康は考慮してあるが、トレーナーさんの健康はその範囲外ということだ。このままでは彼は壊れてしまうかもしれない。

 

(私は大丈夫だ……うん、大丈夫。私の練習はトレーナーさんが見てくれなくてもできる。その分休憩に充ててもらおう)

 

◇  ◇  ◇

 

 デラウェアオークスに向け、私は地道に練習を重ねていた。朝から軽いアップとスタミナトレーニング、朝食を食べ少し休憩してから昼前まで短距離走等スピードトレーニング、昼は気温が上がるので長めの休憩とストレッチなどをメインに、夕方は日によって様々だ。

 今までは主に午後の練習をトレーナーさんに見てもらっていたわけだが、その頻度を減らしてもらった。彼も自分の体力の限界を感じたのかそれに合意し、2日に一回程度、無理のない時間だけ指導をしに来てくれている。

 

 必然的に一人になる時間が増えた。こうして一人でトレーニングしていると、色々考えることも多い。今のスピードはちょうどいいのか、負荷をかけた方がいいのか等々、大まかなことはトレーナーさんが考えてくれるとは言え、その場で判断することもある。

 また、広報系の仕事も請け負うことが増えた。ティアラ三冠を取ってから注目度はさらに高まり、インタビューなどを受ける度寄せられる期待が大きくなるのを感じる。私が多くのレースに出走することを世間は喜んでくれているようだ。

 

「次のメニューはっ、と……」

 

 小走りで別のグラウンドに移動しながら私はメモを見る。

 

「トレーニングルームで筋トレとストレッチか、もう少し走ってもいいと思うけど」

 

 まあトレーナーさんが言うのなら仕方ない。彼に従った方が無難である。

 

◇  ◇  ◇

 

『さあお集りの皆々様!本日の主役が登場します!』

 

 デラウェアオークス当日、会場のデラウェアパークレース場には新記録となる3万335人の大観衆が集まっていた。観客の求めているウマ娘はもちろんフォンセミラージュだ。圧勝に次ぐ圧勝を重ね、今やその実力を疑う者はいない。クラシック路線のウマ娘との対決も今後予定されており、ティアラ路線のウマ娘としてその期待のされ方は異常ともいえる。

 同じく快進撃を続けているメディックファーガーの影に隠れがちとは言え、連勝を重ねていけばその人気に並ぶという見方が強力だ。

 

『連勝を9まで伸ばすか!フォンセミラージュ‼』

 

 歓声が一段と大きくなり、小さな女王が姿を現す。

 

(今日のレース、4人しか出走しないのに盛り上がってるなぁ、頑張らないと)

 

 靴の調子を確かめるようにダートを踏み、軽くジャンプをしてリラックスする。今回もダート9ハロンの得意な距離。特に負ける要素はない。

 

(ん?)

 

 不意に、視界の端に黒い影が映る。いつもと比べ落ち着きがないようにも見えるが今の私にできることはあまりない。

 

(安心して、勝ってくるから)

 

『スタートしました!』

 

 人数が少ないのでまぎれも起こりにくい、戦略もあまり役には立たないだろう。実力がそのまま結果に反映される。

 

『フォンセミラージュは現在三番手、今回のレースはエキシビションとしての開催ですがそれでも彼女見たさに多くの観客が集まっています!』

 

『他の子も気圧されず胸を借りる気持ちで食いついてほしいですね』

 

 向こう正面中盤に入り、そろそろ加速するかと姿勢を低くする。私の加速に反応し周りもスピードを上げるが、その程度では障害物にさえなれはしない。

 スタート前にあの影が心配そうにしていたから警戒していたが、特に何もなくレースは終わりそうだ。コーナーを回り、私は危なげなく先頭に出るとそのまま後続を2バ身ほど離してゴール版を駆け抜けた。

 

『フォンセミラージュ完勝!ティアラ路線にもはや敵なし!』

 

 湧き上がる観客席に向かって手を振る。今回は事前の人気投票もないということで観客も気軽に楽しむことが出来たのだろう。

 そんなことを考えながら観客席を見ていると、栗毛で体格のいいウマ娘がこちらを見ていることに気づいた。今まで直接会ったことはないが、彼女の名前は知っている。

 

(メディックファーガーさん……来てたんだ)

 

 私の一つ上の先輩にして現役最強と謳われるウマ娘である。彼女は私が見ていることに気づくと立ち上がり、建物の中に消えていった。

 私もそろそろライブやインタビューの準備をしなくてはならない。観客からの声援を背に、私は控室に向かった。

 

◇  ◇  ◇

 

「お疲れ、フォンセミラージュ」

 

「こんにちはメディックファーガーさん」

 

 ライブも終わり帰る準備をしているとメディックファーガーさんに会った。いつものように全身に重りを付けそれを感じさせない動きをしている。

 

「重いだろう?」

 

「え、何かありましたか?」

 

「……まあいいさ。君が背負うものは大きく重くなる。私でも難しいほどのものを小さな背に背負うだろう」

 

 意味深だ……何を言いたいのかはわからないけど、何かを伝えようとしてくれている……気がする。

 この後続く話もないのか、彼女は何も言わずにその場を去って行った。以前生徒会の人達から話は聞いていたがそれに輪をかけて不思議な人だ。

 

 気を取り直して控室に戻った私は荷物を整理し鞄に詰める。今日の勝利、皆は満足してくれただろうか。大差で勝つ私を見たかったのではないだろうか。もしそうだったら申し訳ない。

 トレーナーさんが考えてくれた予定の成果もあり、ここまでは順調だ。このまま行けばきっと今後の予定も完遂できる。今日は聞くところによるとレース場の観客動員数新記録らしい。これだけ応援も期待もされているんだ。きっと応えて見せる。いや、家族のためにも応えなければいけないんだ。

 

◇  ◇  ◇

 

「そういえば最近、ミラージュちゃん見ませんね」

 

 いつもの保健室にて、アサルトとアトミックはお茶を飲みながら駄弁っていた。日はまだ高いが早めのティータイムである。

 

「忙しいんじゃない?絶賛活躍中の女王様だ」

 

 お菓子を頬張りながらアトミックは笑う。その辺の出店から適当に選んできたものだが味は良かったらしい。

 しばしの静寂、グラウンドの方から元気のよいウマ娘たちの声が聞こえてくる。ゆったりとしたいつもと変わらぬ日常だ。生徒会に入り競争に少し距離を取ってからしか見えてこなかった景色の一つである。

 

「彼女、ボーナスのこと気に病んでなければいいけど……レースの間隔もかなり厳しいみたいだし、無茶しないように言った方がいいかしら」

 

「心配しすぎだよ」

 

 とは言いつつも、アトミックもミラージュを若干不安視していた。彼女の体が持つ能力を彼女の心が支えられるのか、それなりに付き合いのあるアトミックだがそこまで見通すことはできない。

 

「走る理由……ああ、勿論僕じゃなくてミラージュちゃんね。前に一度聞いたことがあるんだ。あんまり要領を得ない感じだったけど、簡単に言えば期待に応えたい、家族のために頑張りたいってことだった。この二つが今の彼女の心を支えていると僕は思うよ」

 

「いい目標ですね。彼女らしい」

 

 アサルトは静かに笑う。とりあえず生きることが目標の彼女にとっては少しうらやましい目標だ。

 二人はそれ以上ミラージュについての話はしなかった。ビッグレッドが仕事をしろと珍しく保健室まで追ってきたためできなかったともいえる。

 

 ちょっとした騒ぎの後、一人になった保健室でアサルトは皿などを片付けながら先ほどの話を思い出していた。

 

(目標ね……義務になっていなければいいけれど……)

 

◇  ◇  ◇

 

 それは突然起こった。

 

 次のレースのためカリフォルニアに移動し練習していた時、ふと右足に違和感を覚えた。最初はなんてことないと思って練習を続けていたがどうも調子が悪い。

 

 様々な可能性が頭の中を埋め尽くし、記憶として留まる前に消えていった。

 

(どうしようどうしようどうしよう……)

 

 意味もなくその場に立ち尽くし足を抑える。まだ何もできてない。まだ私は……

 

 そっと、私の肩に手が触れた。あの黒い影だ。私はそれにより何とか正気を取り戻すことが出来た。

 

(とりあえずトレーナーさんに報告しないと)

 

 痛む右足をかばいながら彼の居る休憩所に向かう。今のところ歩くことに大きな支障はないが、ここで無理してよりひどい結果を招くのは駄目だ。

 

(遠い……)

 

 道路をうつむきながら歩く。時折通り過ぎる車の運ぶ熱が鬱陶しい。

 

(いつの間にか、距離が開いちゃった気がするな)

 

 クラスメイトとも、生徒会の皆とも、トレーナーさんとも。こう思ってしまうのは私の心が弱っているからだろうか。そう思いたい気持ちを、今一人で道を歩いているという事実が否定してくる。

 右足の痛みが強くなってきた。邪魔にならない場所に座って少し休憩しよう。

 

 疲労のせいか目を閉じると抗えない眠気がやってきた。運がいいことにここは木陰で気温もそこまで高くない。

 

(一人ってこんな気分か……)

 

 遠くから誰かが走ってやってくる。誰だろう、また熱を運んでくる車は嫌だな。

 

◇  ◇  ◇

 

 医者から下されたのは約7か月の休養が必要との判断だった。どんなに経過が良くても今年中の復帰は諦めるべきだ。

 

「ごめん、ミラージュ。俺がもう少し傍で見てやれてれば……」

 

「トレーナーさんのせいじゃないですよ。それに、それをやって倒れちゃったじゃないですか」

 

 学園に帰り治療のための手続きなどを終えた後、トレーナー室で俺とミラージュは向き合っていた。彼女たちウマ娘の全盛期は短い。彼女の全盛は間違いなく今だ。それを奪われた彼女の気持ちは計り知れない。

 

「私は部屋に帰りますね。トレーナーさんもしっかり休んでください。また来年頑張りましょう」

 

「え、あ、ああ」

 

「私は大丈夫ですので」

 

 トレーナー室のドアが閉まり部屋に一人残される。道端で眠りかけているところを助けてから、彼女はどこか上の空だ。一時的なものならいいが、この状態が続くようだと心配である。

 とりあえず今後の予定を組み直さないと。それが今すべきことだ。

 

◇  ◇  ◇

 

「あれ、ミラージュは?」

 

「んー?出かけたみたいよ」

 

 フォンセミラージュのケガが判明して一週間。初代ティアラ三冠ウマ娘のケガということでその話は瞬く間に学園中に広がった。

 

「また?」

 

「散歩かしら、一昨日は河川敷で見かけたって後輩たちが言ってたわね。探してみる?」

 

 シリアンオーシャンとプレアサントネスは肩を落とす。ケガの報を聞き、何度かお見舞いをしようとしているのだが中々本人と会えずにいるようだ。

 

「必要以上に落ち込んでなければいいけど……」

 

「最近今まで以上に付き合いなかったし心配だよね」

 

 シリアンオーシャンはCCAオークスの時の彼女を思い出す。あの時の切羽詰まった顔は今でも鮮明に思い出すことが出来る。レース後、勝利を素直に喜んではいたが、それは一時的なものだったのではないかと思わずにはいられなかった。

 

「トレーナーさんのところにでも行ってみようか」

 

 プレアサントネスの提案にシリアンオーシャンは頷く。何だかんだミラージュが最も信頼を置いているのはトレーナーだ。彼には何か言っているかもしれない。

 トレーナー室のドアを叩き、中から声が聞こえると同時にドアを開ける。

 

「こんにちは、ミラージュさんどこにいるか知ってますか?お見舞いしに部屋に行ったんですけど見当たらなくて……」

 

「気を使ってくれてありがとう。ミラージュなら今日は食料とか日用品の買い出しに行くって言っていたよ」

 

 寮生活をしている学生の身からすると縁遠くなりがちなことに二人は一瞬困惑する。

 

「それって……ああ、本人じゃなくて家族の方か」

 

「うん、詳しくは聞いてないけど家政婦さんが病気に掛かったらしくてね。一応タクシーとか荷物持ちとかはこちらで手配したけど……」

 

 どうにかできないかとトレーナーは腕を組みイスに深く腰掛ける。本当は彼が付いていきたかったのだが、他の担当の練習を見なければならないし外せない会議も入っていたため断念せざるを得なかったのだ。

 

「今日中には帰ってくるらしいし、今週は今日の用事が終われば休養期間だ。また暇なときに来てくれたら彼女も喜ぶよ」

 

「そうすることにします。ミラージュにもお大事にと伝えてください」

 

「トレーナーさんも適度に息抜きしながら頑張ってね!」

 

「ああ、また倒れたら迷惑かけちゃうからな。君たちも何か気づいたことがあれば言ってくれると助かる」

 

 二人は任せて、と言うようにvサインを作りトレーナー室を出た。そろそろ授業の時間だ。いつまでもうろうろとしてはいられない。

 教室へ帰る途中、とあるウマ娘たちが集まって会話しているのが聞こえた。どうやら後輩たちのようだ。

 

「ミラージュ先輩のケガ心配だよね、私も気をつけなきゃ」「今年の年度代表はメディック先輩で決まりかな」「ティアラ路線のウマ娘がここ最近選ばれてないからなぁ」「でもでも、初の三冠だよ!しかもあの着差!」「分かる、期待しちゃうよね。何とか頑張ってくれないかなミラージュ先輩」

 

 ティアラ路線のウマ娘年度代表選出は遥か23年前を最後に途絶えている。それだけにティアラ路線を目指すものにとってミラージュは希望の星であった。

 昨年のプリークネスS、ベルモントSを制覇した二冠の王者にして今年唯一メディックファーガーに勝利したダモクレスを差し置いてフォンセミラージュが推されるのはそのような理由もあるのだろう。

 

 そこに自分たちの名前が上がらないことに少し嫉妬しながら、彼女たちは駆け足で教室に向かった。

 

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