「ありがとうございます。買い物に付き合ってくれて。助かりました」
「いえいえ、今ミラージュちゃんに無理はさせられませんから。遠慮なくこき使ってください」
力こぶを作るサブトレーナーさん。彼女はいつ見ても元気に満ち溢れている。少しうらやましいくらいだ。
「無事に終わったのはいいですけど、順調すぎて迎えのタクシーの時間までかなり空きますね。その辺の個室があるカフェにでも入りますか?」
ベンチに座ってじっと待っているよりもいいと考えたのか、サブトレーナーさんは近くの看板を指さす。彼女は気遣いが上手だ。きっとこの提案も騒ぎを防ぐため変装のようなことをしている私を思ってのことだろう。
確かに願ってもない提案だがその前にやっておきたいことがある。このまま彼女から受け取ってばかりというのもむず痒い。私からも何かしておきたい。
「サブトレーナーさん。この前あの店の化粧品気になるって言っていましたよね。せっかくなので見てきてください。私はここで待ってますので」
「え、覚えててくれたんですか!ならお言葉に甘えて10分……いや、15分だけ行ってきます!」
嬉しそうにかけていく彼女を見て自然に笑みがこぼれる。本当は私もついて回りたかったが歩くのにも苦労する今の体では邪魔になるだけだ。
待っている間暇だなぁと今更になって思いながら私は目を閉じる。レースで受ける応援も心地いいがその騒がしさを忘れるのも悪くは……
「あれ?もしかしてフォンセミラージュ?」
びっくりして目を空ける。サングラスのおかげで今の動揺は伝わっていないようだが、声をかけた少年の目には確信の色が浮かんでいた。
「よく気付いたね。皆には内緒だよ。騒ぎになると困るから」
「やっぱりそうだったんだ!秘密……でもどうしても会ってほしい人がいるんだ。僕のお姉ちゃん、ウマ娘でレースもしてるんだよ!」
少年の後ろの方に少し小柄なウマ娘が立っていた。彼女もこちらに気づいたようで、弟を止めようと手を伸ばす。
「すみません。ご迷惑をおかけしました」
「かまいません。あなたもレースを?」
ビクッと肩を揺らし、弟を制止していた手が緩む。その隙に弟は姉の耳元に寄り、小声で私のことを伝えた。まあ、騒ぎにはならなさそうだからいいか。サブトレーナーさんが返ってくるまでの暇つぶしにしよう。
小声で話すため、私は彼女を隣に座らせる。弟の方はもう満足したらしく、姉の膝の上できょろきょろと周りを見ていた。
「お会いできて光栄です。えっと、レースと言っても私は地区の運動会で走る程度で……幼い頃はプロも目指していましたけど今となっては少し恥ずかしい思い出です」
「ちなみに路線はどちらを?」
「ティアラを目指していました」
私と同じか。それに彼女、謙遜してはいるがその筋肉はなかなかのものだ。そこらのウマ娘より格段に速いだろう。
「フォンセミラージュさんも今はケガで大変だとは思いますが、頑張ってください。応援してます。あなたはティアラを目指す皆の憧れです」
「ありがとうございます。真正面から言われると照れますね」
その後、数分談笑し小さなサインをメモ帳に書いてその兄弟とは別れた。こういう形でのファンとの交流もいい経験かもしれない。
「そう言えば、どうして私に気づいたの?」
別れる直前、私は弟の方に尋ねた。何か致命的な見落としがあればまずいし、今後変装する際の改善点とするためだ。
「僕の友達が言ってたのに似てたからかな。小さな体で自分と同じきれいな黒鹿毛だって。その友達もウマ娘でめちゃくちゃ足が速いんだよ。あだ名は黒い稲妻!」
「へぇ……いつか会えるかもしれないね」
「うん、絶対会うってあいつも言ってたし、きっと会えるよ」
私はベンチに座り少年の言っていたウマ娘を想像する。幼い頃から二つ名がつくとはとんでもない逸材だ。もし中央に来たらビッグレッドさんコースかもしれない。
そうして待つこと数分。サブトレーナーさんが大きな袋をぶら下げて走ってくるのが見えた。お目当てのものは買えたらしい。約束通りその後は近くのカフェで時間を潰し、予定より30分ほど遅れたタクシーに文句を言いながら私たちは学園に戻った。
「じゃ、今日はありがとうねミラージュちゃん。ケガ大変だろうけど、頑張って!また活躍できることを期待してるよ!」
夕日が照らす中、サブトレーナーさんはそう言うと駆け足で職員室に向かった。仕事が溜まっていたことに今気づいたらしい。サブトレーナーという立場も仕事をしながら勉強もしなければならないと大変だ。
(期待してる、ね)
その言葉を耳にしなかった最後の日は一体いつだっただろうか。
今日も疲れた。明日はしっかりと休憩しよう。
◇ ◇ ◇
数か月経ち、グラウンドの砂塵を運ぶ風もかなり冷たくなってきた。私の足もかなり動くようになり、リハビリも兼ねたトレーニングが再開される。
(足りない)
トレーナーさん曰く私の調子は想定していたよりもいいらしい。だがそれは、ここ数か月ため込んだ私の焦りを解消させることに対しほとんど効果がなかった。もっと練習しなければ、クラシック路線の皆には追い付けない。メディックファーガーさんなんて夢のまた夢だ。彼女は私が休んでいる間に不滅のレコードを作り上げてしまった。
「おいミラージュ。聞いてるか?」
「あ、すみません」
トレーナーさんの話に集中しようとしてもそれが長く続かない。彼の話す言葉が段々と周りの雑音と混ざり薄れていく。
帰り際、久しぶりにいつもの生徒会のメンバーに会った。ビッグレッドさんは相変わらず寡黙でアソールトさんは車椅子、アドミラルさんは私の足の調子を気遣い、歩く速度を少し遅らせてくれる。
「せっかくなので、一緒に走りませんか?」
つい口走ってしまった。生徒会の皆はきょとんとした顔をした後笑い出し、私の頭をポンと叩く。
不可能であることは理解していたのに、何となく今でなくてはならない気がした。いつもどこかで夢想していた生徒会の皆と一緒に走っている姿を実現させるには今しかないと。
その後の会話はあまり覚えていない。お大事にということと、復帰したらいつか今日の約束を叶えようといった旨のことは聞いた気がする。
(いつかっていつだろうなぁ)
いつか、というものがとても遠くに感じられる。終わりのない暗闇のトンネルの先にあると言い聞かされているような気分だ。あるのかないのか、今の私には判断がつかない。そしてきっと、こんなことを考えてしまうのは、心の天秤が無いという方向に傾いているからだろう。悲観的になりすぎている気もするがそれを杞憂だとは割り切れない。
もう少しだけリハビリをして帰ろう、そう思った私は夕闇に沈んでいくグラウンドの外周を駆けだした。風を切る音、布の擦れる音、土を蹴る音が入り交じり、走っているという実感を抱く。遠くからウマ娘やトレーナーたちの声が聞こえてきた。これまで何とも思わなかったそれが今では気に障る雑音に聞こえる。理解できる言語なのに脳がそれを受け入れないような、奇妙な感覚だ。
いつまでも走っているわけにはいかないので、私は適当なところで切り上げ寮に帰った。まだ焦りは消えないが、幾分かましになったようだ。神経質になりすぎているのかもしれない。もうすぐクリスマスだし、一度家に帰ってゆっくり過ごしたい。父も家に帰れるかはともかく顔を見せて話す程度はできるはずだ。
そう考えると私の心は少し軽くなった。いつかという暗闇のトンネルの中に、一つの中継地点を見つけた気がする。
眠れないベッドの上で、私はそんなことを考えていた。
◇ ◇ ◇
時は流れ、街にクリスマスソングや聖歌隊の歌声が聞こえる時期となった。ミラージュの足はまだ良くはならないが、予定通り来年2月中旬には復帰できる見通しだ。
もうすぐクリスマスということもあり、学園内もお祝いのムードが溢れている。実家に帰る生徒もいるが、そうでない生徒も多い。そのような生徒たちは各自仲のいい友人と行うパーティーの準備や部屋の飾りつけ、出し物の企画等を行っている。あと一週間もしない内に年越しのお祝いもするのによく元気が持つものだと大人になって実感する。若者の元気は無限大なのではなかろうか。
そんな若い気力に囲まれ自分まで若返ったように感じる。しかし、いい気分に浸ってばかりもいられない。今、頭の中には大きな悩みの種があった。
(ミラージュ今家に着いたくらいかな)
そう、担当しているフォンセミラージュについてだ。調子自体はいい。タイムも順調に伸びており、このままいけば2月に復帰戦でも勝負できるだろう。シニア期に入り周囲も実力を着実に付ける中、ケガを負いながら追従出来ているのは流石だ。
実力は言うことはない。心配しているのは心の方だ。三冠を取って以降、ミラージュはそれまで以上にストイックに練習に打ち込むようになった。渡したプランは守ってくれるのだが、一度の練習にかける熱量が格段に上がっている。同じ練習でも常に頭を回し、練習の意味、どこに負荷をかけているか、次の練習へどうつなげるかなどを意識するかしないかで効果は大きく変わってくる。ミラージュはそれを学生の身でありながら必要以上に行っているように見えるのだ。
以前からミラージュの見ている景色と自分の見ている景色の乖離は感じていた。だからこそ研鑽を積み、それに近づこうとし、少しは追う背中が大きくなってきたように思えた。
しかし、領域のような彼女の最高地点にはまだまだ遠い。恐らく彼女はトレーナーである自分が見聞できる数倍の情報を持ち、それを基に走っている。
勿論それを計算に入れたトレーニングを行いはした。しかし彼女曰く、それでは自分の中にある焦りが消えないらしい。実際、軽いトレーニングの後に行った勉強等の活動はいい結果が出ないことが多い。
そしてケガの後、ミラージュとの間には大きく分厚い壁を感じるようになった。これは完全に個人の感覚であり、証明もできない。会話の頻度もそう変わらないし、連絡もしっかりしてくれる。一つ上げるとすれば会話時に空虚な目をすることが多くなったことか。話を聞き返すことが多くなった……気がする。これは同級生も感じていたようで、レディカードなどミラージュと交流のある生徒が心配して話してくれたこともあった。
どうしたものかと頭を抱えたのは一度や二度ではない。無理矢理休ませるべきだろうか。だがそうすると彼女はまたストレスをため込み活動に支障をきたす。連絡や会話を強制するのも違う気がする。
結局時間が解決するのを待つしかないのか、何度目かの同じ結論に至り机の上の資料に目を戻した。
◇ ◇ ◇
「では、明日面会に行くと父に伝えてください。あ、あとメリークリスマスとも。それでは失礼します」
受話器を置き、窓の外の雪を眺める。ホワイトクリスマスだ。きっと明日の朝は一面の銀世界が広がっている。日光が当たると眩しすぎてあまり好きになれないが、美しいという感情は刺激される。
この後は母と夕食に行く予定だ。二人だけであるが、久しぶりということもあり寂しさは感じない。
(食事会か……)
いつだったか、父に大きな会場でのクリスマスパーティーに連れて行ってもらったことがある。周りには顔も知らない大人たちが大勢いて、それぞれ席を立ったり座ったり、料理を食べたりお酒を飲んだりとせわしなく動いていた。私は見上げても顔が見えない巨人たちに囲まれるのが怖くて、会の前半はずっと母のスカートの端を握っていたことを覚えている。
パーティーも中盤になり、やっと緊張が解けてきて、ジュースを飲んだりもらったお菓子を食べたりしていた。同世代の子はいなかったから話す相手を探すのに苦労したが、そんな私を気遣って何人かの気のいい人たちが相手をしてくれた。
簡単な手品、趣味の話、よく分からないお酒の話など、もうどれもよく覚えていないが、私はかなり楽しんでいたと思う。
そして幼い子供がはしゃいだ後というのはいつも一緒、電池が切れたように眠気が襲ってくる。私も例にもれず、パーティーの終盤には少し離れた椅子で眠気と戦っていた。
その時ふと、半分瞼の落ちた目で盛り上がっている方を見た私は、何とも言えない寂しさに襲われた。人の輪からはじき出されたような孤独感。さっきまであんなに話してくれた人たちが一瞬で私のことを忘れてしまったかのような、そんな不安。
「よっこいしょっと」
そんな私の横に、いつの間にか父がいた。アルコールが回り、その顔は赤く染まっている。
「楽しめたか」
その時の私が何と答えたかは覚えていない。が、否定の意を示す回答はしなかったと思う。
「どうしてパパは私を連れてきたの」
「んー?」
気の抜けた声と斜め上を見て少し考えるようなしぐさをする父。友達がいるわけでも親戚の集まりというわけでもない、父の会社の一部の人間とその家族が集まるような会に誘われた理由が私には分からなかった。
「今年は家でクリスマス会できないからその代わりだな」
私の父はイベントを重視するタイプだ。クリスマスは勿論、年末年始、イースター、ハロウィンなどでは理由がない限り毎年律義に家族でのパーティーを開く。
その場の問答としては完全にこれで終わりという雰囲気で、父はグラスに注がれたワインを少しずつ口に含んでいた。それを見た私は父をこの場にもう少しだけでもつなぎ留めておくため、何となく質問をする。
「イベントってそんなに大事なの?」
それを聞いた父は驚いた後ハハッと笑い、私の視線にまで腰を落として話してくれた。
「大事だよ。少なくとも俺にとってはね。生きていく上での道標になってくれる」
「へー」
「ミラージュももう少し大きくなったら分かるはずだ」
父はそこまで言うと椅子に座り直し、少し遠くを見るような眼をした。
「ふと、思い出すんだ。目を閉じてね。あの時あんなことがあった、こんな出会いがあった……何となく、詳しくは覚えていないけど幸せだったなぁ、って」
「今日という日がそういう思い出に変わる日を夢見る。何となく懐かしくて、ちょっと寂しいけれど、それ以上に幸せを感じられる」
私にはまだよく分からない話だったけれど、父の幸せそうな顔を見て私まで幸せに感じたことは覚えている。
「そして、何より大事なのは、その思い出を共有できる相手が傍にいることだよ。あんなことがあったって話し合える相手がいるのはとっても素敵な事なんだ。毎日をそんな風にして思い出に閉じ込めたいけど、それはできない。だから俺はイベントという機会を使って、幸せの玉手箱を育てているのさ」
(思い出の共有者ね……)
今なら父の言っていたことも理解できる。実際、私の家族との数々の思い出は今の私を支えてくれている。どれだけ大勢に私の走りを見てもらっいても、そこに家族がいないのだったら私のモチベーションは続かないだろう。
明日は朝から父に会いに行った後、そのまま学園に戻り練習に復帰する予定である。年越しは恐らく学園で迎えるだろう。カウントダウンのイベントも行われるようなので、それを見に行くのも面白いかもしれない。
なんだか久しぶりに頭がすっきりしている気がする。くぐもって聞こえていたテレビやラジオの音声も今はクリアだ。今のうちに学園での出来事を思い出し、明日父に報告しよう。
そう言えば、ここ数日黒い影を見ていない。あいつもクリスマスということでどこかに出かけているのだろうか。そうだとすれば是非その光景を見てみたい。
深々と雪が降り積もる。ひどくならないといいけれど、そう思いながら、私はどんよりとした鉛色の空を見上げた。