今ではすっかり見慣れたトリニティの執務室に入室する。初めて来た当初は何度も通う事になるとは思ってもみなかったが、こうして見ると中々感慨深い様な気がしないでもない。
「えー、本日は大変お日柄も良く、新しい季節の訪れも感じられる素晴らしい日となりました。柔らかな日差しが降り注ぐ今日この頃、貴重なお時間を賜り、恐悦至極にござい……」
「えっと……まずはその無駄に畏まった挨拶をやめてください。 今更トマリさんにそのような態度をとられると、鳥肌が立って仕方ないので。本題は何でしょうか?」
「バイトとかって、辞める事を伝える時が一番楽しいですよね。あ、これ手土産です」
達成感が凄いと言うか。伝えたらもう無敵状態に移行する魔法の言葉とでも言うべきか。万能感が溢れ出てくる気がする。
「……辞める、とは?」
「まあ厳密には契約満了ですが。エデン条約も終わった今が潮時かな、と思いまして」
「…………そうですか。よければ参考までにお聞きしたいのですが、今までに何かご不満な点はありましたか?」
「いやー、週7日労働が続くのは、もうそれ以前の問題じゃないですかねぇ……」
「ま、まあ確かに、ここ最近は特に忙しかったですからね……」
業務内容や人間関係に不満がある訳ではない。ただ、業務なのかプライベートなのか、最早曖昧な部分も出てきている。まあ流石にずっと休みがない訳ではないし、その分追加で多過ぎるぐらいには報酬も貰っているが。何が悪いのかと問われれば、一番はやっぱり治安じゃないかなと。
「あの、契約の更新と言うのは……」
「アーアー聞こえなーい」
「子どもですか……えっと、ひとまず紅茶を淹れますので、トマリさんは持参していただいたお菓子の方の用意をお願いします」
「へーい」
持ち寄ったお茶菓子を一緒に食べるのはままある事なので、ティーセットを用意するのも特に問題なく行える。他人の目もないため、作法も余程ではない限りは気にしなくていいので楽なものである。それ以前にそんなものが必要な場には出ないが。
「あら、このカタラーナ……もしかして手作りですか?」
「そうです。買ってもよかったのですが、気が向いたので自作しました」
「へぇ……トマリさんって、お菓子作りもできたのですね」
「まあ、もっとややこしいものも作りますので、似た様な作業には慣れていますね」
何故か忘れられがちではあるが、寧ろそっちが本業だから。雑用や護衛とかも一応引き受けはするけどさ。正直なところ攻撃性能が高くないので、基本的に荒事方面は向いていないから。
「その辺りのお話は、また後日お聞きするとして」
「そうは言っても、トリニティに暫く居るかと言えば、まだ未定な訳ですが」
「…………あの、私としては切実に契約の更新を望んでいるのですが……」
「えー……正直俺の役割ぐらいなら、大体誰でもできると思いますけど」
「正気ですか?」
「正気ですが?」
そこまで言われることか? 懸念事項だった式典も終了したから、後はもう居ても居なくても変わらないのでは? 一応アリウススクワッドの件は未解決だが、平時のトリニティなら問題なく対応できるとは聞いているが。
「いえ、そう言うことではなく…………救護騎士団とシスターフッドそれぞれのリーダーへの仲介を、ティーパーティーの立場として穏便に済ませられる人なんて、トマリさん以外にいると思っているのですか? あの癖の強い方々から信用を得て、なおかつティーパーティー側の意見の伝達を滞りなく行えると言う曲芸ですよ? 例えるなら、砲撃の雨霰の中を綱渡りしているかのようなものですよ? そんな器用な方が、本当にいらっしゃると思っていますか?」
「多分その砲撃、俺に直撃しまくってますよ」
「でも全部受け流しているじゃないですか」
「受け止めると大爆発するので、そうせざるを得ないだけですが」
お二方とも、普通の会話なら問題ないのだ。ただ、『ティーパーティーの立場』と言う条件が曲者過ぎる。絶対に団長は暴走するし、シスターサクラコは余計な発言で周囲に誤解を生むぞ。余りにも容易に想像できてしまう。信用はともかく、意見のやり取りが鬼門になるだろう。
そもそも本当に受け流せているのか?と言う疑問は置いておくとして、誰かいない? 団長の思い込みを手段はもう何でもいいからある程度対処できて、シスターサクラコの問題発言に勘違いせずに容赦無く突っ込める様な人材。俺? 俺の場合はそのまま巻き込まれているだけだから、どうにかなってないんだよなぁ。
「セイアさんも復帰していないどころかまだまだ本調子でもない上に、ティーパーティーの求心力は依然として低下している状態のままです。更に、今後はシスターフッドも救護騎士団も積極的に動く方針であると言う噂も耳にしています」
「ゲェーー!? マジで大人しくしてろよ!?」
「はあ……滅茶苦茶になったエデン条約の後処理もまだ残っていますし、ミカさんはプライベートではまだ面会拒絶ですし、色々と問題が山積みなんです」
「それは大変ですね」
「ですので、トマリさんも手伝ってください」
「火薬庫の中で火の番をして欲しいという事であってますか?」
「そ、そんなことは思っていませんよ? 私はただ、信頼できる方にしばらく会えなくなるかもしれないのが耐えられないだけで……本当ですよ?」
「うわぁ、薄っぺれぇー……」
この話の流れでその発言は、流石に誰も信用しないだろ。と言うか、まだ面会拒絶してたんだあの我が儘姫。モモトークを見る限りは、相変わらず元気そうだが。飼育員の引き継ぎは……まあ俺が考えることではないな。駄目そうなら複数人であたればいいんじゃないか?
「できれば説得したかったのですが……仕方ありませんね」
「ではそういう事で」
「いえ……契約内容、特に契約期間の記載をよく思い出してください」
「期間はエデン条約が終わるまででは?」
「えっと……あっ、見つけました。こちらの項目ですね。『エデン条約、又はそれに準じる取決めが無事に成立した時』となっています」
「つまり、『無事に』の部分が引っ掛かると?」
「そちらもですが、そもそも私達の契約上ではエデン条約が成立していません。契約上のエデン条約成立の定義としては、対象がトリニティ総合学園のティーパーティーとゲヘナ学園のパンデモニウム・ソサエティーのものですので」
あの騒動では2回もエデン条約が成立しているが、どちらの場合もその2つの組織が主体にはなっていない。まあ一応拡大解釈すれば、問題ないと言えなくもないかもしれないが……。
「うーん……あれ? もしかして、この項目以外に期間について触れている部分って」
「ありません」
「エデン条約が成立しなかった時の項目は」
「見当たりませんね」
「免責とかそう言うのは」
「存在しません」
「…………」
ニコニコしているのが逆に怖い。常日頃から魑魅魍魎を相手取っているお方は違うなぁ。やっぱり俺、契約とか交渉なんかのセンスないわ。期間の延長ぐらいは想定していたけど、エデン条約そのものが破綻するとは、このトマリの目をもってしても読めなかった*1。
「あ、一つだけ例外がありました」
「それは?」
「死亡、もしくは行方不明です」
「死ぬまで働けと?」
却下だ却下。一応、『条約が成立しなかった時の取り決めがないから無効』の様なかなり微妙な主張はできるものの、まずナギサ様に交渉で敵う気がしない。それに加えて、こちらの都合で契約破棄しようものなら、代価として何を要求されるか分かったものではない。手詰まりだ。少なくとも今は何も思い付かないので、引き下がる他ない。
「ちなみにですが、一応私個人としましては、今でもエデン条約のような平和条約を結びたいとは考えていますよ? まあそれがいつになるのかは、存じ上げませんが」
「やるにしても当分先の話でしょうに……」
「それでは、契約は継続と言うことでお願いしますね。それにしても……ふふ、トマリさん。今まで散々醜い姿を見せてしまっているのですから、今更あなたを逃す訳ないじゃないですか。ここまで来たからには一蓮托生、最後まで一緒ですよ」
「その最後は何時来るのですか? 」
ナギサ様は微笑んだまま何も答えない。あの表情は答える気がない時の顔だ。見覚えがあるぞ。死なば諸共で道連れにしてくるの勘弁して欲しい。特に関係ないけど、ナギサ様の翼が普段よりパタついているのが目に留まった。……ふむ。
「今日は手羽先でも食べるか……」
「トマリさん? 今どこを見て言いましたか? 怒らないので正直に答えてください」
「お、虹が架かってる」
「トマリさん??」
この後、紆余曲折あってオムライスを食べに行くことになった。とても美味しかったです。
主人公:一部の場面でデコイ役として非常に優秀。食欲に忠実。
ナギサ:退職を切り出されるとは全く考えていなかったが、土壇場で契約内容を思い出して引き留めに成功した強かな女。でも例の二人への対応は正直ちょっと辛いと思っている。