――???*1
壁と天井が崩れ落ち、外に机が積み上がった青空と水平線の広がる教室のような謎の空間。そんな見たこともない教室で、ひとりの女の子が机の上にうつ伏せで居眠りしていた。
「くううぅぅ……」
空と雲をイメージしているのだろうか。女の子は青いセーラー服と大きな白いプリーツスカートを身に着けている。ヘイローは青い輪の形状をしており、髪の色もほぼ同じトーンの水色。彼女の頭には、白い大きなリボンがカチューシャに結びつけられている。
「むにゃ、カステラにはぁ……いちごミルクより……バナナミルクのほうが……くううう……」
彼女は何者だろう? ここは何処だろう? 次々と疑問が溢れ出る。
「えへっ……まだたくさんありますよぉ……」
その答えを知るとすれば――ハクノは、女の子の頬を指でツンと突いてみる。
「うにゃ……まだですよぉ……しっかり噛まないと……」
ツンツン。
「あぅん、でもぉ……」
ツンツンツン。
「……うぅぅぅんっ」
ガタッ、と椅子ごと身体を揺らし、その女の子はむくりと起き上がる。
「むにゃ……んもう……ありゃ? ありゃ、ありゃりゃ……?」
「おはよう」
「え? あれ? あれれ?」
寝ぼけ眼を擦る女の子に、ハクノはニコリと笑いながら挨拶をする。その姿を視界に収めると、女の子はかぁっと白い頬を真っ赤に染め上げ、わたわたと慌てた様子を見せる。
「せ、先生!? この空間に入ってきたっていうことは、ま、ま、まさかハクノ先生……!?」
「そうだよ」
「う、うわああ!? そ、そうですね!? もうこんな時間!? うわ、わああ? 落ち着いて、落ち着いて……」
深呼吸。スーハースーハー……。
「えっと……その……あっ、そうだ! まず自己紹介から!」
女の子はビシッと姿勢を正し、自己紹介を始めた。
「私はアロナ! この『シッテムの箱』に常駐しているシステム管理者であり、メインOS、そしてこれから先生をアシストする秘書です!」
ニコッとヘイローを赤いハートへと変化させ、女の子ことアロナは輝くような笑顔を見せる。
「やっと会うことができました! 私はここで先生をずっと、ずーっと待っていました!」
「寝てたわけではなくて?」
「あ、あうう……も、もちろんたまに居眠りしたりしたこともあるけど……」
ふふ、とハクノは思わず笑みを零す。
「よろしくね」
「はい! よろしくお願いします! まだ身体のバージョンが低い状態でして、特に声帯周りの調整が必要なのですが……これから先、頑張って色々な面で先生の事をサポートしていきますね!」
「うん、ありがとう。アロナ」
「は、はい……なんだか、先生に名前を呼んでもらえるのは恥ずかしいですね……」
もじもじと体を揺らすアロナの姿からは、どこか子犬のような可愛らしさが感じられた。
「あ、そうだ! ではまず、形式的ではありますが、生体認証を行います♪」
「生体認証? 具体的には、何をすれば……」
「うう……少し恥ずかしいですが、手続きだから仕方ないんです。こちらの方に来てください」
アロナに指示されるままに、ハクノは彼女のすぐ近くまで歩みを進める。
「もう少しです」
よく見れば、髪型が左目を覆っているため分かりにくいが、右目が青で、左目が赤のオッドアイになっている。それが分かるほどに距離を縮めると、アロナは右の人差し指を突き出した。
「さあ、この私の指に、先生の指を当ててください」
「私の指を?」
「うふふ。まるで指切りして約束するみたいでしょう?」
互いの指先をくっつける。その行為は、どちらかというと――
「有名な宇宙人の映画のワンシーンみたいだね」
「へ? そうですか?」
「それでアロナ。これには、どういう意味があるのかな?」
「実は、これで生体情報の指紋を確認するんです! 画面に残った指紋を目視で確認するのですが……すぐ終わります! こう見えて目は良いので」
目視? と疑問を覚えながらも、ハクノはアロナの指先に自らの指を触れ合わせる。
「どれどれ……」
目を細める。今まさに、目視で指紋を認証しているのだろう。
「(うーん……よく見えないかも……。……まあ、これでいいですかね?)」
……本当に? なにか、手抜きをされたような気が……。
「……はい! 確認終わりました♪」
「真面目にやった?」
「も、もちろんです! 先生の指紋はしっかり確認しました!」
『シッテムの箱』――リン曰く、これがあれば、サンクトゥムタワーの制御権を回復できる。連邦生徒会を以ってしても、最終管理者の認証を迂回できる方法は見つからなかった。となれば、この端末には連邦生徒会の最新技術以上の性能があるはずなのだが……。
「最近の機械は指紋認証くらいは自動なんだけど……」
「……え? ほ、本当ですか?」
「うん。認証に1秒もかからないはずだよ」
「わ、私にはそんな最先端の機能はないですが……。そ、そんな能力なくてもアロナは役に立ちますから!? 目でも十分確認できますから!」
本当かなぁ? と訝しげに視線を送るハクノに、アロナはうう……と目の端に涙の粒を溜める。
「……全然信じてないって顔ですね……」
ウルッ、と大きな瞳に溜まった涙がとうとう零れ落ちる。
「だったら、その最先端のナントカさんのところに行ってしまったらどうですか!」
「じょ、冗談だから、信じてるよ!」
「本当ですかぁ……?」
「もちろん! だから、ね? 泣かないで?」
「くすん……」
この後、慰めてどうにか機嫌を直してもらうのに、ハクノは若干の時間を要することになった。
◇ ◇ ◇
「なるほど……先生の事情は大体分かりました。連邦生徒会長が行方不明になって、そのせいでキヴォトスのタワーを制御する手段がなくなった……」
落ち着きを取り戻したアロナに、これまでの経緯と事情をハクノは説明した。
「連邦生徒会長について知ってる?」
「私はキヴォトスの情報の多くを知ってはいますが……連邦生徒会長についてはほとんど知りません。彼女が何者なのか、どうしていなくなったのかも……お役に立てず、すみません」
「ううん、気にしないで。少し、気になっただけだから……」
申し訳なさそうにするアロナに、ハクノは優しい声で気にしないでと伝える。
「……ですが、サンクトゥムタワーの問題は私が何とか解決できそうです」
「じゃあお願い、アロナ」
「はい! 分かりました。それでは、サンクトゥムタワーのアクセス権を修復します! 少々お待ちください!」
ウイィィィィィィン―――――
「サンクトゥムタワーのadmin権限を取得完了……。先生、サンクトゥムタワーの制御権を無事に回収できました。今サンクトゥムタワーは、私アロナの統制下にあります」*2
数秒後、これまでの連邦生徒会の苦労が嘘のようにあっさりと、アロナはサンクトゥムタワーの制御権を取り戻した。これには、然しものハクノも目を丸くしてしまう。
「今のキヴォトスは、先生の支配下にあるも同然です! 先生が承認さえしてくだされば、サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管できます。でも……大丈夫ですか? 連邦生徒会に制御権を渡しても……」
そう問いかけるアロナの目には、微かに不安の色が混じっている。
「大丈夫」
「分かりました。これよりサンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管します!」
――シャーレ・建物の地下
気が付けば、シャーレの地下へとハクノの意識は戻っていた。
「……はい。分かりました」
誰かと通信していたリンが、カチャッと電話を下ろすと、ハクノの方に向き直る。
「サンクトゥムタワーの制御権の確保が確認できました。これからは連邦生徒会長がいた頃と同じように、行政管理を進められますね」
これで一段落。あとは連邦生徒会に任せれば、問題なく解決に導いてくれるはずだ。
「お疲れ様でした、先生。キヴォトスの混乱を防いでくれたことに、連邦生徒会を代表して深く感謝いたします」
「どういたしまして」
「ここを攻撃した不良たちと停学中の生徒たちについては、これから追跡して討伐いたしますので、ご心配なく」
連邦生徒会の次なる一手については、最早ハクノの関与すべき領域ではない。後片付けは連邦生徒会に任せて、自分は自分の仕事をするべきだろう。
「それでは『シッテムの箱』は渡しましたし、私の役目は……いえ、もう一つありましたね」
「?」
「付いてきてください。連邦捜査部『シャーレ』をご紹介いたします」
――シャーレ・執務室*3
シャーレのビルは六角柱を複数連ねた形をしており、一階はエントランスを囲むように図書室、教室、射撃場、実験室、格納庫などが存在する。エントランスに向かわずに右の通路を進むとバスケットコートやテニスコートを備えた体育館がある。
「ここがシャーレのメインロビーです」
最後に案内されたのは、左の通路を進んだ先にある40人以上を収容可能な視聴覚室。そして、
「長い間空っぽでしたけど、ようやく主人を迎えることになりましたね」
その扉には、ヘイローを上部に頂く十字と円を重ね合わせたようなエンブレムと、シャーレの正式名称『
リンは、テープで張り付けられた『空室 近々始業予定』の紙を剥がすと、ハクノに向き直る。
「そして、ここがシャーレの部室です。ここで先生のお仕事を始めると良いでしょう」
「私はこれから何をすればいい?」
「シャーレは、権限だけはありますが目標のない組織なので、特に何かをやらなきゃいけない……という強制力は存在しません。キヴォトスのどんな学園の自治区にも自由に出入りでき、所属に関係なく、先生が希望する生徒たちを部員として加入させることも可能です……」
「それは……逆にどうすればいいか分からないね……」
「ええ。捜査部とは呼んでいますが、その部分に関しては、連邦生徒会長も特に触れていませんでした。つまり、何でも先生がやりたいことをやっていい……ということですね」
組織としては完全に中立、というよりも活動内容を問わない性質の組織だとリンは説明する。
「……本人に聞いてみたくとも、連邦生徒会長は相変わらず行方不明のまま。私たちは彼女を探すのに全力を尽くしているため、キヴォトスのあちこちで起きる問題に対応できるほどの余力がありません。今も連邦生徒会に寄せられてくるあらゆる苦情……支援物資の要請、環境改善、落第生への特別授業、部の支援要請などなど……もしかしたら、時間が有り余っている『シャーレ』なら、この面倒な苦情の数々を解決できるかもしれませんね」
「えっと……つまり、私にその苦情解決の手伝いをして欲しいってこと?」
「その辺りに関する書類は、先生の机の上にたくさん置いておきました。気が向いたらお読みください。すべては、先生の自由ですので」
リンが視線を向けた先には、まるでマンガのように高く積み上げられた書類の山が見える。あれが全部……? あまりの書類と仕事の量に、ハクノはピクピクと頬を引き攣らせる。
「それではごゆっくり。必要な時には、またご連絡いたします」
一礼して去っていくリンの背中を、ただただ見送ることしかハクノにはできなかった。
――D.U.外郭地区・シャーレの部室前
「ええ。サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会が取り戻したことを確認したわ」
「ワカモは自治区に逃げてしまったのですけど……すぐ捕まるでしょう。私たちはここまで。あとは、担当者に任せます」
一先ず、書類仕事を後回しにしたハクノは、今回協力してくれた生徒に感謝を伝えるために、部室の前に戻ってきた。どうやら、既に彼女たちも事の次第を把握しているようだ。
「お疲れ様でした、先生。先生の活躍はキヴォトス全域に広がるでしょう。すぐにSNSで話題になってしまうかもしれませんね?」
「みんなお疲れ様」
互いに労いの言葉を掛け合うと、生徒たちはハクノに別れを告げ、それぞれの帰路につく。
「これでお別れですが、近い内に是非、トリニティ総合学園に立ち寄ってください。先生」
「(ぺこり)」
「私も、風紀委員長に今日のことを報告しに戻ります。ゲヘナ学園にいらっしゃった時は、ぜひ訪ねてください」
「ミレニアムサイエンススクールに来てくだされば、またお会いできるかも? 先生、ではまた!」
「またね、先生。まあとりあえず、これからよろしくってことで!」
手を振りながら去っていく生徒たちにハクノも手を振り返すと、最後の一人が見えなくなるまで見届ける。そうして誰もいなくなったのを確認すると、シャーレのオフィスへと戻っていった。
「ああ……これは困りましたね……。フフ……フフフ。……ウフフフフフ♡」
――シャーレ・執務室*4
「……お疲れ様でした、先生」
「ハル?」
部屋の中に足を踏み入れると、そこには1人の生徒が立っていた。
蒼井ハル。今回の騒動を解決するのに一役買った、無銘生徒会の生徒会長を自称する生徒だ。
「どうしてここに?」
「先生に一つ、大事な事を伝えたくて」
「大事な事?」
「はい。とても大事な事です」
そう言うと、真剣そのものといった様子のハルは、ゆっくりとハクノに歩み寄る。
「これから先生は、キヴォトスの生徒たちが直面している問題を解決していくことになります。それは決して簡単ではありません。先生の選択が、生徒たちの未来を決定することになる」
「選択……」
「ええ。……大事なのは経験ではなく、選択。あなたにしかできない選択の数々」
目の前の生徒から目を離せない。いったい、この生徒は何を伝えようとしているのだろう。
「先生、必ず辿り着いてください。私が信じられる大人である、あなたになら、きっと、あまねく奇跡の始発点に。そこへ繋がる選択肢は……きっと見つかるはずです。だから先生、どうか……」
分からない。けれど、その言葉に込められた祈りのような願いだけは伝わった。
「……君の期待に応えられるかは分からないけど……出来る限りのことはやってみるよ」
「ええ。それではキヴォトスを、自分たちの未来をよろしくお願いしますね、先生」
「こちらこそ。よろしくね、ハル」
ハクノが手を差し出すと、ハルはその手を握り返し、小さく微笑むのだった。
『それではこれより、連邦捜査部『シャーレ』として、最初の公式任務を始めましょう!』
『Vol.0 プロローグ』はこれにて閉幕。
原作の『対策委員会編』に一通り目を通してから『Vol.1』の執筆を開始します。
次章 校境なき生徒会『Vol.1 アビドス■■■■■』お楽しみに。