――アビドス高等学校・生徒会室*1
トリニティ組の3人と共に校舎まで戻ったアビドス生徒会の面々は、全員で回収した書類を確認していた。その内容に目を通していたセリカが、突然、バンッ! と机を叩いて立ち上がる。衝撃で書類がひらひらと舞い上がるが、それにも構わず、興奮した様子で声を張り上げた。
「なっ、なにこれ!? いったいどういうことなのっ!?」
「……!!」
「現金輸送車の集金記録にはアビドスで595万円集金したと記されてる。私たちの学校に来たあのトラックで間違いない」
シロコは書類の束から1枚を抜き取り、その上部に記された金額を指し示す。それは、確かにアビドス高等学校が返済した利息の金額と一致していた。集金記録の入手経路を考えれば、シロコの指摘通り、これはアビドスの借金返済記録と見て間違いないだろう。
「……でも、そのあとすぐにカタカタヘルメット団に対して『任務補助金500万円提供』って記録がある」
「ということは……それって……」
「私たちのお金を受け取ったあとに、ヘルメット団のアジトに直行して任務補助金を渡してたってことだよね!?」
ノノミとアヤネも困惑した表情で書類に目を通す。セリカは興奮を抑えきれず、さらに捲し立てるように大声を上げた。
「ヘルメット団の背後にいるのは、まさか……カイザーローン?」
「ふーん。ちょっと弱いけど……これはこれで、紛れもない違法行為の証拠だね」
「ただ、これだけじゃ決定打には欠けるね。連邦生徒会に通報したところで、せいぜい『違法行為を行った可能性がある』と注意喚起されるだけ。すぐに犯人が捕まるわけじゃない」
無銘生徒会の2人も冷静に情報を分析する。特にハルは、書類に記載された内容と自分たちの経験を照らし合わせ、どこか隙を突ける部分がないかを考えていた。
「ど、どういうことでしょう!? 理解できません! 学校が破産したら、貸し付けたお金も回収できないでしょうに……どうしてそのようなことを……?」
「ふーむ……」
「この件、銀行単独の仕業じゃなさそうだね。カイザーコーポレーション本社の息がかかってるとしか思えない……」
「……はい。そう見るのが妥当ですね」
行く手に立ちはだかる『壁』。事態は、自分たちが考えていたよりも深刻かもしれない。
◇ ◇ ◇*2
「みなさん、色々とありがとうございました」
「うん、私たちも目的を達成できた」
別れの時が来た。校門前で、アビドス生徒会一同はトリニティの友人たちと向き合っている。
「変なことに巻き込んでごめんなさい、みなさん」
「あ、あはは……」
「今度遊びに行くから、その時はよろしくー」
「はいっ、もちろんです」
笑顔で挨拶を交わすホシノとヒフミ。その光景は、ごく普通の女子高生たちのようで……2人のみならず、周囲の生徒たちもどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「まだ詳しいことは明らかになっていませんが……これはカイザーコーポレーションが、犯罪者や反社会勢力と何かしら関連があるという事実上の証拠となり得ます。戻ったら、この事実をティーパーティーに報告します!」
ヒフミは気合を入れるように拳を固く握り、アビドスの友人たちの顔を一人一人見つめてから、最後に最年長のホシノへ視線を向けた。
「それと、アビドスさんの現在の状況についても……」
「まー、ティーパーティーはもう知ってると思うけどねー」
「は、はいっ!?」
「あれほどの規模を持つ学園の首脳部なら、それぐらいはもうとっくに把握してると思うんだよー。みんな、遊んでばかりじゃないだろうしさ」
衝撃を受けたように目を大きく見開くヒフミ。しかし、ホシノはいつものように飄々とした態度で返答する。規模の大小はあれど、どの学園にも諜報活動を担う部署は存在するもの。トリニティほどの規模ともなれば、むしろ情報を掴めていない方が不自然だろう。
「そ、そんな……知っているのに、みなさんのことを……」
「うん、ヒフミちゃんは純真で良い子だねー。でも世の中、そんなに甘くないからさ」
「……」
「ヒフミちゃんの気持ちはありがたいけど、そっちに知らせたところで、これといった打開策が出るわけじゃないし。かえって私たちがパニクることになりそうな気がするんだよねー」
「そ、そうですか……?」
言葉を失ったヒフミに対して、ホシノは優しく、しかしどこか冷静な口調で説明を続ける。
「ほら、今のアビドスって廃校寸前じゃん? トリニティとかゲヘナみたいなマンモス校からのアクションをコントロールできる力がないんだよー。言ってる意味、わかるよね?」
「……サポートするという名目で悪さをされても、それを阻止できない……ってことですよね」
それこそ、今のアビドスを傀儡政権として悪事に加担させられる可能性も考えられる。ヒフミもその危険性に思い至ったのだろう。考え込むように頭を抱え、しばらく悩む素振りを見せた。
「……そうですね、その可能性もなくはありません。あうう……政治って難しいです」
「でも……ホシノ先輩、悲観的に考えすぎなのではないでしょうか? 本当に助けてくれるかもしれませんし……」
「うへ~私は他人の好意を素直に受け取れない、汚れたおじさんになっちゃってねー。それに、」
ホシノは一度そこで言葉を区切ると、ほんの少しだけ険しい表情を覗かせた。
「その『万が一』ってことをスルーしたから、アビドスはこの有様になっちゃったんだよー」
沈黙。それは、これまでアビドスの生徒たちが見て見ぬ振りをしてきた現実。その現実と真正面から向き合ったことで生まれた沈黙だった。
「……確かに、トリニティとして協力するのは難しいだろう」
その沈黙を破るように、アズサがおもむろに口を開く。
「でも、アリウスとしてなら私たちも協力できる」
「……アズサちゃん?」
「……アリウス。……やっぱり、アズサちゃんはあの学園の……」
真剣な表情で話すアズサに対し、ホシノはアズサが口にした『アリウス』の名に反応を示す。
「小鳥遊ホシノ。私たちは……アリウスはあなたたちに対する恩を忘れはしない」
アズサは、ホシノと無銘生徒会の3人に視線を送る。その目は、あまりにも真っ直ぐで。負い目があるとは言い難いが、後ろめたい部分があるホシノは思わず視線を逸らしてしまう。
一方、彼女たちの会話に心当たりがない他のアビドス生たちは、困惑気味に首を傾げていた。
「……うへ、おじさんはお金で雇われただけなんだけどねー」
「それでも私たちは救われた」
「……」
「あなたは確かに、2年前、私たちを救ってくれた」
アズサが珍しく興奮気味に続ける。彼女の脳裏に蘇るのは、2年前、まだトリニティの生徒になる前の記憶。当時1年生のホシノたちが命懸けで自分たちを救い出してくれた光景だった。
「私はそれを忘れない。……だからホシノ、もしも困った時は声をかけてほしい。それがどんな頼みであれ、私たちは必ず力になる」
「……うへ~、なんか照れくさいな~」
ホシノは困ったように苦笑いしながら頬を軽く掻いた。けれども、彼女の瞳は僅かに微笑みを含んでおり、ほんのり嬉しそうに細められていた。
「ま、この件に関してはもう少し私たちだけで調べてみるよー。すぐに結論を出すのも早すぎると思うしねー」
「……分かった。でも、サオリには伝えておく。きっと、力になってくれるから」
「……うん。ありがとう、アズサちゃん」
目を閉じて小さく微笑むと、ホシノは改めてヒフミとアズサに向き直る。
「いやぁー、みんな、今日はお世話になったね」
「……はい。本当に……一日で色んな出来事がありましたね」
「そうだね、すごく楽しかった」
「……楽しかったのはシロコ先輩だけじゃないの?」
「あ、あははは……私も楽しかったです」
ヒフミが笑顔で答える。今日、彼女たちはアビドスの生徒たちと一緒に様々な経験をして、たくさんの思い出を作った。それは確かに大切な時間で……きっと何年経っても、たとえ大人になっても、色褪せない宝物になるのだろう。
一つだけ気がかりなのは、執拗にアビドスを襲い続けるカタカタヘルメット団の裏に、カイザーグループ……黒い噂が絶えない大企業の影がちらついていること。
「……これからも大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。応援してます。それでは……みなさん、またお会いしましょう」
「うん、また会おう」
ヒフミとアズサは手を振りながら校門から去って行く。最後に一度だけ振り返り、自分たちを見送る新しい友人たちに目を向けたあと、2人の姿は完全に見えなくなった。
「……ところで、ミカさんは一緒に行かなくていいんですか?」
「うん、ここに残るよ。……そうしたほうがいいよね、ハルちゃん?」
「そうだね。これからのことを考えると、今は少しでも人手が欲しいからね」
ハルとミカ、無銘生徒会の2人の首元でⅠとⅡを模したバッジがキラリと光を反射する。
「わかりました。では今日はゆっくり休んで、明日改めて集まりましょう」
「解散~」
ホシノの号令でアビドス高等学校の生徒たちは解散し、校舎へと向かって歩き出した。しかし、ハルとミカの2人だけは、しばらくその場に留まって動かなかった。*3
「ここまでは順調……いや、順当に歩みを進めてきた。『全ては虚しいものである』……足掻くことは無意味。今も眠り続けるセイアなら、そんな風に言うかもしれないね」
ハルは空を見上げながら、静かに言葉を紡ぐ。それはまるで独り言のようでありながら、確かにミカの耳には届く声で。ただ1人、ミカだけが彼女の独白を静かに聞いていた。
「ミカ……キヴォトスの、『七つの古則』は覚えているよね?」
「うん、覚えてるよ」
元々、三大学園の一つに数えられるトリニティ総合学園の中等部に在籍していたミカは、その過程で多くのことを学んできた。今は昔ほど優秀とは言えないかもしれないが、それでも一般の生徒に比べれば、蓄えている知識の量は非常に多い。
「その五つ目は、『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』」
「他の古則もそうだけど、相変わらず難しい言い回しだよね」
「あはは……そうだね。ただ、一つの解釈としては、この問いを『楽園の存在証明に対するパラドックス』として見ることができるんだ」
首を傾げるミカに対し、ハルはにっこりと微笑みながら丁寧に説明を始める。
「もし楽園というものが存在するのならば、そこに辿り着いた者は、至上の満足と喜びを抱くが故に、永遠に楽園の外に出ることはない。もし楽園の外に出たとすれば、つまりそこは真の悦楽を得られるような『本当の楽園』ではなかったということ。であれば、楽園に到達した者が、楽園の外で観測されることはない。存在を補足されうるはずがない」
その口調には一切の迷いがなく、まるで準備していた原稿を読み上げているかのように流暢だった。ミカはハルの言いたいことを理解したのか……それとも理解を放棄したのか。ともかく、そのまま黙って耳を傾けていた。ハルもまた、それを承知の上で、なお古則の説明を続ける。
「存在しない者の真実を証明することはできるのか? つまり……この五つ目の古則は、初めから証明することができない『悪魔の証明』なんだよ」
悪魔の証明。証明することが不可能か非常に困難な事象を悪魔に例えたもの。
古くは、中世ヨーロッパのローマ法の下での法学者らが、土地や物品等の所有権が誰に帰属するのか過去に遡って証明することの困難さを、比喩的に表現した言葉。
この古則は「証明することができないことを証明せよ」という悪魔の証明になっている。
「エデン……経典に出てくる
楽園は、人間にとっての理想郷。その認識が故に、多くの人間がそれに辿り着きたいと願う。だがそれは、決して叶うことがない夢物語だ。楽園に辿り着いた者の存在は決して観測されることはなく……その存在は、永遠に空想の中だけに留まるのだから。
「けどそれは本当に存在しないのかな? 夢想家たちが描く、ただの虚像に過ぎないのかな?」
――それでも、と。言葉を紡ぐ。存在しないはずの楽園を、探し求めるように。そこには絶対に存在するであろう楽園を、その目で確かめるように……ハルは語り続ける。
「自分は……私は何度でも声を上げるよ。絶対に諦めない。不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い……そんな世界を認めはしない。それが、私……『この道』を選んだ、私たちの義務だ」
青空を視る。その蒼穹の瞳には、透き通るような強い決意の光が宿っている。
彼女は、自分の選択に後悔はない。それを不幸だと嘆くことも、悲劇の主人公を演じるつもりもない。だがそれでも……今もなお、この胸の中に渦巻く激しい熱情は収まることを知らない。
「さあ、仕事を始めようか。ここからが、
TIPS:
正史。正当なものとして国家的に認められた歴史書。また、国家として編修した歴史。
ここまで、歴史は正史通りの道を歩んできた。
2億の借金返済、死の運命の破却、アリウスの救済……ここまでしても大筋は変わらないのだから、やはり足掻いても無駄さ……君だってそう思わないかい、蒼井ハル?
……思わないよ。たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない。
未来を識る者として、未来を視る者として。ただ、私たちは最善を尽くす。
――さあ、仕事を始めようか。ここからが、無銘生徒会の大仕事の始まりだよ。