――便利屋・オフィス*1
「おはよー」
「おはよう……」
げっそりとやつれた顔つきのアルが、ふらつく足取りでオフィスに入ってくる。いつもの威勢はどこへやら、その姿からは疲労が色濃く滲み出ていた。普段から威厳なんてものはないだろう、というツッコミはさておき。
幼馴染のゾンビのような有り様を目にして、流石のムツキも心配そうな眼差しを向ける。
「うわっ、ビックリした! アルちゃん、徹夜でもした?」
「ううん、ちゃんと寝たわ……」
力なく机の上に突っ伏したアルは、まるで魂が抜け落ちたかのような虚ろな表情をしていた。頬は青白く痩せこけ、目はまるで焦点が合っていないかのようにぼんやりとしたままで、普段の彼女の面影は微塵も感じられない。
「社長、なにか悩みでもあるの?」
「計画はしっかり立てたじゃん? 人をこれまでの2倍雇って、地の利を生かせる戦場にアビドスを誘き出す」
「ハルカは爆弾を設置しに、朝早く出かけた。計画では、爆弾を数十箇所埋設したゾーンでアビドスをコテンパンにするって感じだよね」
カヨコとムツキが、作戦の詳細を再確認するように話し合う。今回の作戦の核心は、爆弾によるアビドスの生徒たちへのダメージと、例の1億の一部を使って雇う大量の傭兵。この二つの要素を巧みに組み合わせることで、アビドスの生徒たちを一気に叩くというものだった。
もちろん、彼女たちはこの作戦に絶対の自信を持っている。だからこそ、再びアビドスと対峙する決意を固めたのだから。
「ただいま戻りました」
「お帰り、ハルカ。お疲れ様」
「主要ポイントに爆弾を埋めておきました。あとは、このボタンを押すだけで……」
「よしよし、頑張ったねー。場所だけは忘れずに、しっかり覚えといて」
「いつでも言ってください。私がこの手で、全部吹っ飛ばしてやりますから……この手で……」
オフィスの扉が開き、まるで狙ったかのようなタイミングでハルカが戻ってくる。彼女は周囲を見渡し、今この場にいるのは自分たちだけだと確認したあと、仲間たちに進捗状況が順調であることを報告する。
「なぁに死にそうな顔してんの? それなら最初から、例のクライアントから手付金を貰って、それを資金に充てれば良かったじゃん」
「……手付金は貰わない。それがうちの鉄則よ」
「手付金を貰うと、クライアントの命令に従わざるを得なくなるから……って理由だったっけ?」
ムツキが軽口を叩くと、アルは疲れた声で応じた。続いて、カヨコが補足の説明を加える。
「そのとおり。華麗に仕事を終えてから依頼料を受け取る。この順番が崩れたら、私たちが追求するビジョンは達成できないの」
「ビジョン? そんなのあったっけ?」
「あるわよ!! 法律と規律に縛られない、ハードボイルドなアウトロー! それが便利屋68のビジョンでしょう!!」
「そうだっけ? ああ、思い出した、思い出した」
反射的に声を荒げるアル。その声はオフィス内にビリビリと響き渡るほどの大きさだった。しかし、ムツキは特に気にしていないのか、ケラケラと笑って返事をする。
「さっきカヨコが言ったように、クライアントの依頼も同じ。それが私たちを縛り付ける足枷になることもあるわ。私たちが望まない行動を強いられるかもしれないのよ。だから依頼料は、絶対に成功報酬として受け取るの」
アルにとって、クライアントからの依頼は単なる仕事の一部であるだけではなく、自分たちのビジョンに対する障害になりうる懸念材料でもあった。故にこそ、仕事を完遂するまでは報酬を受け取らずに活動する方針を貫いている。それこそが便利屋68の鉄則であり、覚悟の証だった。
「そこまでプレッシャーを感じてるなら、全部投げ捨ててゲヘナに帰るのも手だよ、社長」
「はあ!? ぷ、プレッシャーだなんて言ってないわよ! ただ……ちょっとだけ……」
思い違いだとアルは語気を強めて反論するが、その声は次第に小さくなり、遠くから聞こえるような微かな声になっていった。自分でもらしくないと感じているのか、どこか気まずそうに目をそらしながら、椅子の背もたれに沈み込む姿は、彼女の心の揺らぎを如実に表していた。
「うーん、今更帰るのは無理なんじゃ? 風紀委員のやつらが黙っちゃいないよ?」
「風紀委員会……か」
銃弾飛び交うキヴォトス内でも特に治安が悪いゲヘナ学園の秩序維持を一手に担っており、同学園の生徒会である万魔殿よりも遥かに恐れられているのが風紀委員会だ。実態はともかく何かと派手な被害を出すことから、便利屋68の面々は彼女たちから目を付けられている。*2
「確かに風紀委員会は、私たちは目の上のたんこぶみたいに思ってはいるけど……今の私たちは、奴らから逃げてきたわけじゃない。それと、そもそもうちの風紀委員会が時にキヴォトス最強とも言われている理由は……」
一拍の間をおいた後、カヨコは真剣な面持ちで続けた。
「アリウス戦役の英雄の1人。ゲヘナの生徒でありながらもトリニティの六聖徒に名を連ねる《暴君》……風紀委員長、空崎ヒナの存在があるから」
2年前、アリウスという学園がトリニティと無銘生徒会との争いで統合される際、無銘生徒会と共に最前線で戦い、圧倒的な戦闘力により立ち塞がるアリウス生の悉くを殲滅した《暴君》。その実力とトリニティで得た情報が評価され、先代の風紀委員長に推薦される形で、空崎ヒナは新たな風紀委員長となったと聞いている。
「風紀委員会の戦力の大半は、殆ど彼女が担っていると言っても過言じゃない。百人力って言葉を体現しているような人。言い換えるなら、」
彼女の存在こそがゲヘナ学園の風紀委員会が特に不良生徒たちに恐れられる最大の理由。風紀委員会は百人単位で構成されているが、彼女一人でその戦力の半分以上を占めている。これが意味するのは、
「ヒナ以外の風紀委員は、大したことないってこと。計画さえきちんと練れば、十分勝機はある」
カヨコの風紀委員会に関する戦力分析は、非常に精度が高く、信頼性も十分にあると言える。それを聞いたムツキは……*3
「そうなの? カヨコっち、そこまで考えてたんだ?」
「いつか必ず相まみえることになるだろうから。ヒナ抜きの風紀委員会なら今アビドスにかけている労力を考えれば、難なく戦えるよ。逆に言えば、アビドスはそれぐらい侮れない相手ってこと。生徒の数が少ないってことが最大の弱点だけどね」
「え? まあ確かにアビドスの連中、すっごく強かったけど……そこまで?」
「少し調べてみたけど、アビドスの生徒会長……小鳥遊ホシノは、ヒナと同じ六聖徒の1人みたいだよ。あのヒナと並ぶほどの実力を持っているとすれば……この評価でも足りないくらい」
カヨコがアビドスについて調べた情報を共有する。ホシノがヒナと同等の実力者であることは、先日の戦いで明らかだった。小鳥遊ホシノ1人でも十分に厄介な相手なのに、さらに他の生徒たちも加わるとなれば……この評価も決して大げさではないだろう。
「ふーん、なるほどね。だから例のクライアント、こんなものを送り付けてきたのかな……」
「サーモバリック手榴弾……今は生産が禁止されている兵器の一つだね」
オフィスの隅に置かれたダンボール箱へとムツキは目を向ける。箱の中には、依頼主からの贈り物……サーモバリック弾が山のように詰め込まれていた。
サーモバリック弾。大気中に広く拡散させた炸薬を燃焼させることにより、熱と圧力によって敵を殺傷することを目的とした兵器。
爆発後には、大気の燃焼による酸素の欠乏と摂氏約5000度とも言われる熱が襲いかかり、爆発で急性無気肺や肺充血を引き起こした肺に、酸素の少ない空気と一酸化炭素が流れ込むことで酸欠と一酸化炭素中毒を併発させ、窒息死させる極めて残忍かつ非人道的な兵器である。
その高い殺傷能力から、キヴォトスでも生産と使用が厳しく禁止されている違法兵器の一つだ。
「……いえ、今更ゲヘナに戻るっていう選択肢はないわ。かといって……はあ」
「……いったい、何が引っかかってるの?」
オフィスの天井を見上げ、深いため息をつくアル。その姿を見たカヨコが問いかける。
今回の作戦が、これ以上ないほど順調に進んでいるのは間違いない。アビドスの生徒たちに気付かれずに爆弾を設置できたのは大きいし、サーモバリック手榴弾という強力な武器が手に入ったのも朗報と言えるだろう。いざって時の切り札として申し分ない。
そう考えれば……何が彼女の頭を悩ませているのか? カヨコが不審に思うのも無理はない。
「わかったわかった。つまらない話はこれぐらいにして、アルちゃん、ご飯食べに行こうよ。おなか空いたし。ラーメン屋にする? 柴関?」
「また?」
「気にしない気にしない。バイトちゃんは午後から入るみたいだし。鉢合わせなきゃ問題無いじゃん?」
「まあ……美味しかったしね。とにかく、社長を元気付けないと……」
「じゃあ決まりー。行こ行こ♪」
そう言って、ムツキはアルの手を引いてオフィスから出て行く。引っ張られるままに歩くアルの顔には、まだどこか元気がないように見えた。
――柴関ラーメン*4
「来たあ!! いただきまーす!」
「ひ、ひとりにつき1杯……こんなに贅沢してもいいんですか?」
「アビドスさんとこのお友だちだろう。替え玉が欲しけりゃ良いな」
「……!?」
ムツキ、カヨコ、ハルカの3人が運ばれてきた柴関ラーメンに目を輝かせる一方で、昼時の店をひとりで切り盛りしている柴大将の心遣いに、アルははっとしたように大きく目を見開いた。
「こんなに美味しいのにお客さんがいないなんて」
「場所が悪いんじゃない? 廃校寸前の学校の近くだし」
「まあ、美味しいからいいけど。それじゃ、いただ……」
「……じゃない」
「ん?」
「友達なんかじゃないわよぉーーーー!!」*5
アルの叫びが柴関ラーメンの店内に響き渡った。突然の事態に3人の箸が止まり、驚きの表情が一斉にアルへ向けられる。店内の明かりが、彼女の表情をより一層鮮明に浮かび上がらせた。
「わわっ!?」
「分かった!! 何が引っかかってたのか分かったわ! 問題はこの店、この店よっ!!」
「!?」
「どゆこと!?」
ムツキは首を傾げる。彼女には今の状況に何の問題も感じられない。ただ仲間たちと一緒にお気に入りの店で美味しいラーメンを楽しんでいるに過ぎないからだ。
しかし、アルからすれば……
「私たちは仕事しにこの辺りに来てるの! ハードボイルドに!! アウトローっぽく!! なのになんなのよ、この店は! おなかいっぱい食べられるし!! あったかくて親切で! 話しかけてくれて、和気あいあいで、ほんわかしたこの雰囲気!」
矢継ぎ早に飛び出す言葉の数々。やはり問題があるようには思えない。むしろ、褒めているようにも感じられる。一体、何に不満があるというのか? 少なくとも、ムツキにはその答えが思い浮かばなかった。
カヨコとハルカに視線を送ると、2人もまた首を傾げ、困惑の表情を浮かべている。どうやら彼女たちもムツキと同じように、アルの言動に困惑しているらしい。
「ここにいると、みんな仲良しになっちゃう気がするのよ!!」
アルの魂の叫び。ムツキは大きく目と口を開け、ぽかんとした表情になる。
「それになにか問題ある?」
「ダメでしょ!! メチャクチャでグダグダよ! 私が一人前の悪党になるには、こんな店は要らないのよっ!! 私に必要なのは冷酷さと無慈悲さと非情さなの! こんなほっこり感じゃない!!」
「いや、それは考えすぎなんじゃ……」
ムツキがぼそりと呟く。その呟きはアルの耳には届かなかったようで、彼女はますますヒートアップしていく。逆に、アルの発言は彼女を慕う1人の少女には必要以上に響いていた。
「それって……こんなお店はぶっ壊してしまおうってことですよね、アル様?」
「……へ?」
そう言って、ハルカがスッと取り出したもの。それは、
「起爆装置? なんでそれを……」
「ハルカ、ちょ、ちょっと待っ……」
カヨコの静止も間に合わず、ハルカが起爆装置のスイッチを――
「はい、没収」
押そうとした瞬間、背後から伸びた手がハルカの手から起爆装置を取り上げる。思わずアルたちがその手を視線で辿ると、見覚えのある2人の少女がいつの間にか自分たちの近くに立っていた。*6
「やっほー☆ 便利屋のみんな、流石にそれはおいたがすぎるよ?」
「蒼井ハル!? それに、そっちは……!」
「……あはっ。やっぱり、ゲヘナは悪い子が多いみたいだね」
「みっ、聖園ミカ!? どういうことよ!? なんで《殲滅天使》までアビドスに!?」
蒼井ハルと聖園ミカ。アビドスの制服に身を包む無銘生徒会の最高戦力が、にっこりと微笑みながらアルたちを見下ろしていた。ただし、2人の目は明らかに自然の笑いからかけ離れており、薄ら寒い光が宿っているように見える。
「今回はまだ未遂だから見逃してあげるけど……次はないよ。今のうちに覚悟しておいてね」
「……!?」
聖園ミカに《殲滅天使》の二つ名が付けられたのは、それほど昔のことではない。
深い交友関係にある空崎ヒナにゆっくりと休暇を取らせるために、隣に立つハルと共に風紀委員長代理の座に就いた彼女は、ヒナ不在だと調子に乗り騒ぎを起こしたゲヘナ学園の生徒全員を単身で鎮圧、数日間の病院送りにした。その暴力の化身さながらの所業から、彼女は《殲滅天使》と呼ばれるようになったのだ。それを知るカヨコは、自分の全身がぶるりと震えたのが分かった。
「……とはいえ、何もせずに見逃すつもりはないよ。便利屋68、あなたたちには無銘生徒会からの依頼を受注してもらう。もちろん、報酬はしっかり払わせてもらうよ」
「依頼……あなたたちが!?」
「うんうん。というか、これが今回の本題ってわけ。私たちもお仕事なんだよねー!」
そう言って、アルたちと同じ席に腰掛けたハルとミカは、そのまま柴大将に声をかけ、注文を始めた。水を打ったように静かになった店内で、アルがハルに問いかける。
「あ……うう……。そ、それで私たちに何をさせるつもりなの?」
そして、ハルの口から語られる依頼の内容は――
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまー!」
「(……あ、味がまったくしなかったわ)」
生きた心地のしない朝食が終わり、柴席ラーメンをあとにする便利屋一同と依頼人2人。満足げな表情をする依頼人とは裏腹に、便利屋一行は疲れきった顔をしていた。そんな彼女たちへ泣きっ面に蜂と言わんばかりに、さらなる災難が降り注ぐ。
ドゴゴゴゴーーーン!!
ズガガガガーーーーーン!!
ドッカーーーーーーーン!!*7
砲撃音が響き渡り、突如として彼女たちの周囲が爆炎に包まれる。
「うっわ!? 今度は何なのさ!?」
「これは……!」
困惑するムツキとカヨコ。爆炎と土煙が晴れると、そこには1人の少女の姿があった。
「ひぃん……もし私が防ぐのに失敗していたら、柴関ラーメンが吹っ飛んでいたところだよ……」
金字で大きくⅤと刺繍された漆黒の制服に身を包む彼女の名は梔子ユメ。降り注ぐ砲弾を左手の盾で防いだユメは、彼女らしからぬ険しい表情で砲撃を放った集団を睨みつけていた。
「本当に、何を考えているのかな……ゲヘナの風紀委員会は……」
TIPS:
アウトロー。
法律を無視する人。無法者。無頼漢。犯罪等により法の保護を受けられなくなる人物。即ち「法喪失」、「法外放置」、「法外追放」、「平和喪失」の宣告を受けた者のこと。
一般に無法者及びそのような生活スタイル(法の埒外、自分の信念や弱肉強食が正義という世界に自ら好んで身を置く)を示す俗語としても用いられる。
無銘生徒会の在り方、そして陸八魔アルの憧憬は後者の俗語の意味合いに当たるものだね。