E-1-1-1 10年前のアビドス
――シャーレ・執務室*1
『おはようございます、先生!』
「おはよう、アロナ」
『ここ数日間、シャーレに関する噂もたくさん広まってるみたいですし、他の生徒たちから助けを求める手紙も届いています。良い兆候です! 私たちの活躍が始まるということですから!』
先日の一件を皮切りに、大小様々な問題の解決に奔走している先生の情報は、掲示板やSNSなどを通じて少しずつキヴォトス全体に広がりつつある。それも、この数日間で急激にだ。
この調子で行けば、全ての生徒に『先生』の名と存在が広く知れ渡るのも時間の問題だろう。
『ですがその中に……ちょっと不穏な、こんな手紙がありまして。これは先生に一度読んでもらった方が良いかな、と』
机の上に置かれた洋封筒。それを開いたハルは、中にあった便箋の内容に目を走らせる。
『
こんにちは。私はアビドス高等学校の
今回どうしても先生にお願いしたいことがありまして、
こうしてお手紙を書きました。
単刀直入に言いますと、今、私たちの学校は追い詰められています。
それも、地域の暴力組織によってです。
こうなってしまった事情は、かなり複雑ですが……。
どうやら、私たちの学校の校舎が狙われているようです。
今はどうにか食い止めていますが、
そろそろ弾薬などの補給が底を突いてしまいます……。
このままでは、暴力組織に学校を占領されてしまいそうな状況です。
それで、今回先生にお願いできればと思いました。
先生、どうか私たちの力になっていただけませんか?
』
全てを読み終えたハルは、手書きの手紙を封筒にしまい直し、引き出しの中に入れる。
「……ふぅ。アロナ、この世界のアビドス高等学校の情報を教えてくれるかな?」
『分かりました。それでは、アビドス高等学校に関する情報を開示します』
アロナがそう言うと、青空の教室の中にいくつものウィンドウが表示され、様々な情報が羅列されていく。その中にあったひとつへとアロナは視線と指先を向ける。
『昔はとても大きい自治区でしたけど、気候の変化で街が厳しい状況になっているそうです。どれほど大きいかというと、街のど真ん中で道に迷って遭難する人がいるぐらいだとか……』
説明を聞きながら、また別のウィンドウに表示されたアビドス自治区の地図に視線を落とす。自分の記憶にある10年前の地図とほぼ誤差はない。尤も、当時のアビドスは外部の地図など役に立たないほどに、地区全体が砂嵐の影響で酷い有り様になっていたが……。
『あはは、まさか、そんなことあるんでしょうか……? 街のど真ん中で遭難だなんて……流石にちょっとした誇張だと思いますが……』
「誇張でもなんでもないよ。実際に、私もアビドスで遭難したことがあるからね」
『えぇっ!? そ、そうなんですか!?』
「うん。私の世界では、ドリームコーポレーションによる復興が進んだおかげで、もう観光客が遭難するようなことはないけどね。まだ、この世界のアビドスは……」
ドリームコーポレーション。アビドス高等学校の卒業生たちが設立した企業グループだ。
アビドス自治区の復興を主な目的として創立されたこの企業グループは、その設立からわずか数年で急成長を遂げ、現在ではアビドス自治区の中枢を担うほどの勢いを見せている。
そして、そんなドリームコーポレーションは……この世界における現役のアビドス高等学校の生徒たちが立ち上げた企業。当然、この世界にはまだ影も形も存在していない。
「さて、」
立ち上がったハルは、外回り用のコートに袖を通し、アビドスに向かうための準備を整える。
『すぐに出発ですか!? 流石、大人の行動力!』
「アロナ、アビドスまでの道案内をお願い」
『はい、かしこまりました! すぐに出発しましょう!』
――アビドス・住宅街
そうしてアビドス自治区を訪れたものの、肝心の学校が見つからず何日も迷い続け、見事にハルは街のど真ん中で遭難してしまった。建物の壁に寄りかかり、空っぽのペットボトルを握り潰す。
「あっつい……暑くて干からびそう……動いてないのに暑いよ~……」
頭上の太陽は高く昇り、ギラギラと地上を照らしている。持ち込んだ飲み物が空になってしまった今、このままこうしていたら間違いなく熱中症になってしまうだろう。気温の高さに項垂れながら、どうしたものかと考え始めたとき……キキーッとブレーキをかける音が路地に響いた。
「……あの……」*2
突然かけられた声に、思わず振り返るハル。そこには、銀髪をセミロングにした、水色の瞳だが瞳孔の色が左右で異なるオッドアイを持つ非常にミステリアスな雰囲気を醸し出している美少女が立っていた。彼女の制服は、間違いなくアビドス高等学校のものだ。背中には、光学サイトとフォアグリップの付いたアサルトライフルを背負っている。
「(……やっぱり、最初に遭うのはあなたなんだね、シロコちゃん)」
彼女のことはよく知っている。10年前、自分が子供だった頃のアビドス高等学校に通っていた生徒の一人だ。名前は、砂狼シロコ。アビドスで最も関わりの深かった友人の一人でもある。
「……大丈夫?」
「ギリギリ……。飲み物とか、持ってたりしない……?」
「飲み物?」
「用事があって数日前にこの街に来たんだけど、道に迷っちゃって……」
「あ、ただの遭難者だったんだね。道のど真ん中に倒れてるから、死んでるのかと」
どうやら、シロコには自分が死体だと思われていたらしい。確かに、普通の人間だったら熱中症で死んでいてもおかしくなかった。それを考えると、運が良かったとも言える。
「……ちょっと待って」
そう言うと、シロコはゴソゴソと鞄の中を漁る。数秒後、出てきたのは彼女の瞳の色と同じ水色の水筒だ。ちゃぽんという音からして、喉の乾きを潤すには十分すぎる量が入っているようだ。目の前に差し出されたそれを、何の躊躇いもなく受け取る。
「はい、これ。エナジードリンク。ライディング用なんだけど……今はそれぐらいしか持ってなくて。でも、お腹の足しにはなると思う」
「ありがとう、いただくね」
「えっと、コップは……」
続けて、コップを取り出そうと鞄の中に手を突っ込むが……水筒を渡されたハルは、そのまま口をつけると、ゴクゴクと中身を飲み干した。
「……! あ……それ……」
すると、シロコが何やら驚いたような声を上げる。彼女の反応に、どうしたんだろう? と数秒ほど首を傾げるハルだったが、その理由はすぐにわかった。
「あ……ごめん!」
しまった。シロコの飲みかけだった。流石に間接キスは同性相手でも気まずい。慌てて彼女の水筒から口を離すと、ハルは手を合わせ謝罪の言葉を口にした。シロコは目を逸らし、少しだけ頬を赤く染めている。
「……ううん、大丈夫。……気にしないで。私も別に気にしてないから……」
「本当にごめんね。それと、ありがとう。おかげで助かったよ」
「うん」
短く返すと、シロコは次の問いを口にする。
「見た感じ、連邦生徒会から来た大人の人みたいだけど……お疲れ様。学校か何かに用があって来たの? この辺りには、うちの学校しかないけど……もしかして……」
「うん。アビドス高等学校に用事があるんだ」
「……そっか。久しぶりのお客様だ。それじゃあ、私が案内してあげる。すぐそこだから」
ぐぐ、と足に力を入れて、ハルは立ち上がろうとしたが……。
「あはは、ごめん。お腹が空いて力が……」
「うーん……どうしよう」
「そのロードバイクに、一緒に乗れないかな?」
「えっと、これ一人乗りだから……」
「それなら背負ってほしい。本当に申し訳ないんだけど……」
わずかに逡巡したあとに、シロコは首を縦に振る。
「まあ、そのほうがいいか。ロードバイクはここに停めて、と……」
スッと背中を差し出したシロコは、しかし何かに気が付いたようにピタリと動きを止める。
「……あ、待って」
「?」
「えっと……さっきまでロードバイクに乗ってたから……そこまで汗だくってわけじゃないけど、その……普段はシャワー室を使うの。予備の服もそこにあるし……」
と言いながら、シロコは恥ずかしそうに顔をうつむかせる。なるほど。確かに、女の子ならば自分の臭いを気にするのは共感できる。ハルは、そんなシロコの心配にくすりと笑みを零す。
「大丈夫だよ。むしろ、女の子らしいいい匂いがするからね」
「……うーん。ちょ、ちょっとよく分からないけど……気にならないなら、まあいいか。それじゃ……」
掴まりやすいようにシロコが再度身を屈めると、ハルはその背に体重を預ける。
「よいしょっと」
背中に抱き着くような姿勢で、シロコの背中に覆い被さる。制服越しに感じるシロコの汗の匂いは、確かに甘酸っぱいが、不快になるほどではない。別に、自分には先生のように汗の匂いに興奮する趣味はないはずなのだが……。すーっと息を吸うと、妙に頭がクラクラとしてきてしまう。
「しっかり掴まってて」
ハルが背中に掴まったのを感覚で確認したシロコは、アビドス高等学校に向かってゆっくりと歩き出した。
――対策委員会・教室*3
「ただいま」
「おかえり、シロコせんぱ……い?」
その教室では3人の女子生徒が机を囲んで座っていた。彼女たちは、シロコが帰ってきたことを歓迎した直後、正体不明の大人を背負っているのに気が付き、驚きの声を上げた。
「うわっ!? なにっ!? そのおんぶしてるの誰!?」
「わあ、シロコちゃんが大人を拉致してきました!」
「拉致!? もしかして死体!? シロコ先輩がついに犯罪に手を……!」
「みんな落ち着いて、速やかに死体を隠す場所を探すわよ! 体育倉庫にシャベルとツルハシがあるから、それを……」
アビドス高等学校の2年生。十六夜ノノミがなぜか楽しそうな声を上げ、1年生の奥空アヤネが顔を真っ青にする。そして、同じく1年の黒見セリカが死体の処理方法を提案する。
そんな学友3人に対して、トサッとハルの体を教室の床に下ろしたシロコが淡々と告げる。
「いや……普通に生きてる大人だから。うちの学校に用があるんだって」
「えっ? 死体じゃ、なかったんですか……?」
「拉致したんじゃなくて、お客さん?」
「そうみたい……」
「ふふ……」
不測の事態に右往左往する3人の生徒たちを見て、思わずといった様子で笑い声を漏らすハル。
「わぁ、びっくりしました。お客様がいらっしゃるなんて、とっても久しぶりですね」
「そ、それもそうですね……でも来客の予定ってありましたっけ……」
アヤネがノノミに問いかける。だが、その質問に答えたのは初対面の見知らぬ大人だった。
「はじめまして。私は蒼井ハル。『シャーレ』の顧問先生です、よろしくね」
ハルの自己紹介を聞いた生徒たちは、驚いたように目を見開く。
「……え、ええっ!? まさか!?」
「連邦捜査部『シャーレ』の先生!?」
「わあ☆ 支援要請が受理されたのですね! 良かったですね、アヤネちゃん!」
「はい! これで……弾薬や補充品の援助が受けられます」
アヤネは友人たちと喜びを分かち合う。しかし、その喜びの中で、ふとアヤネは首を傾げた。
「あ、早くホシノ先輩にも知らせてあげないと……あれ? ホシノ先輩は?」
「委員長は隣の部屋で寝てるよ。私、起こしてくる」
そう言って、セリカが教室の外に飛び出した――まさに、そのタイミングだった。
ダダダダダダダダッ!
「じゅ、銃声!?」
「!!」
突然、校舎の外から響いてきた銃声に、全員がバッと振り向いた。*4
「ひゃーっはははは!」
「攻撃、攻撃だ!! 奴らは既に弾薬の補給を絶たれている! 襲撃せよ!! 学校を占領するのだ!!」
タタタタタタタタタッ!!
「わわっ!? 武装集団が学校に接近しています! カタカタヘルメット団のようです!」
窓の方に駆け寄ったアヤネが外を確認し、報告する。校門の前には、ヘルメットを被り、銃火器で武装した不良たちが集まっていた。その姿を見て、シロコが怒りの声を上げる。
「あいつら……!! 性懲りもなく!」
「ホシノ先輩を連れてきたよ! 先輩! 寝ぼけてないで、起きて!」
「むにゃ……まだ起きる時間じゃないよー」
両脇に腕を入れて、セリカが1人の少女をズルズルと引き摺ってきた。小鳥遊ホシノ。アビドス高等学校に在籍する唯一の3年生。寝起きの悪い彼女は、まだ寝ぼけ眼でぼーっとしている。
「ホシノ先輩! ヘルメット団が再び襲撃を! こちらの方はシャーレの先生です!」
「ありゃ~そりゃ大変だね……あ、先生? よろしくー、むにゃ」
眠そうに目をこすりながら、ホシノはハルに挨拶する。
「先輩、しっかりして! 出動だよ! 装備持って! 学校を守らないと!」
「ふぁあー……むにゃ。おちおち昼寝もできないじゃないかー、ヘルメット団めー」
ヘルメット団――その名の通り、構成員が様々な形のヘルメットを身に着けた武装不良集団。
この世界の彼女たちもまた、何度も学校への襲撃を繰り返しているようで、アビドスの生徒たちは慣れた様子で出撃準備を完了する。
「すぐに出るよ。先生のおかげで、弾薬と補給品は十分」
「はーい、みんなで出撃です☆」
ドコドコと足音を立てて、アビドス高等学校の生徒たちが飛び出す。
「私がオペレーターを担当します。先生はこちらでサポートをお願いします!」
オペレーターは奥空アヤネ。部隊編成は、それ以外のアビドス高等学校の生徒たち。アビドス自治区を訪れてから、初めての戦いが幕を開けた。
TIPS:
ドリームコーポレーション。10年後のアビドス自治区で様々な事業を展開している大企業。
本社にはアビドス高等学校の卒業生が多数在籍しており、
ユメ社長の下で、アビドス自治区の復興と発展のために働いています。