――アビドス住宅街・45ブロック地区*1
翌朝、過去の記憶を頼りにアビドス自治区を散策していたハルは、まるで予定調和のように街角で見知った生徒と遭遇した。
「うっ……な、何っ……!?」
「おはよう」
昨日の一件が影を落としているのだろう、その生徒、黒見セリカは気まずそうに目を逸らし、どう対処していいのか戸惑っている様子が見て取れた。彼女の微妙な表情と挙動を見て、ハルは心の中で微笑ましく思いながら、あえて穏やかな挨拶の言葉をかけることにした。
「な、なにが『おはよう』よ! なれなれしくしないでくれる? 学校でも言ったけど、私、まだ先生のことなんて認めてないから! 大人ってだけで、私たちの問題に首を突っ込まないで!」
セリカの拒絶の言葉を気にすることなく、ハルは穏やかな表情を崩さずに話しかける。
「セリカちゃんは、これから学校かな?」
「な、なによ! なんでちゃん付けで呼んでんのよ!」
ハルのペースに調子を狂わされながらも、セリカは拒絶する姿勢を崩さない。
しかし、ハルにはセリカの威嚇が全く通用していないようだった。どんな態度を取られても、目の前の生徒と正面から向き合う。先生は生徒の味方だと、自らの恩師から学んだその姿勢を貫くことが、ハルの信じる大人の在り方だった。
「私が何をしようと、別に先生とは関係ないでしょ?」
「あはは、これから学校に行くのなら、私も一緒に行こうかなって」
「なんで私があんたと仲良く学校に行かなきゃならないわけ? それに悪いけど今日は自由登校日だから、学校に行かなくてもいいんだけど?」
「そうなんだ。……それなら、どこに行くつもりなの?」
「そんなの教えるわけないでしょ? じゃあね! せいぜいのんびりしてれば? 私は忙しいの」
砂埃を巻き上げ、セリカは逃げるように走り去っていく。ここで会えたのも何かの縁だろう。先生として生徒との関係を深めたいと思ったハルは、遠ざかるセリカの後ろ姿を追いかける。
「ひゃあっ!? な、なんでついてくるの!?」
「ついて行けば、どこに行くのか分かるかなと思ってね」
「はぁ!? なに言ってんの!? あっち行ってよ! ストーカーじゃないのっ!!」
「私は先生だから、生徒のことを知っておく必要があるだけだよ」
「もーっ!! 分かった! 分かったってば! 行先を教えればいいんでしょ?」
肩をがくりと落とすセリカは、観念したように口を開いた。
「……バイトよ」
「それで、こんな朝早くに?」
「あ、あんたみたいにのんびりしてられないのよ、こっちは。少しでも稼がなきゃ!」
9億円には遠く及ばないが、少しでも借金を返済するために、セリカはアルバイトをしているのだろう。10年前、自分の世界の『黒見セリカ』がそうしていたように。
「そうだね、偉いよセリカちゃんは」
「ば、馬鹿にしないでくれる!? そんな上から目線で褒められても嬉しくもなんともないわ!」
「ごめんね。でも本当に凄いと思うから、素直に尊敬してる」
「……ふんっ! もういいから、ついてこないで!」
口では強い拒絶を見せるセリカだが、ハルが声をかけると、悪態をつきながらも立ち止まり、一緒に歩くことを許してくれる。その姿がとても可愛らしく、自然と口元が綻んでしまう。
「どこでバイトをしているの?」
「……え? バイト先?」
「うん。先生としては、生徒がどんなバイトをしているのか知っておかないとね」
本当は、セリカのバイト先は把握している。それでも、彼女自身の口からそれを聞きたかった。
並行世界の同一人物――目の前の彼女とは別の誰かの経歴から暴き立てるのではなく、彼女自身が語る言葉で、直接聞いておきたいと思ったのだ。
「あのね、なんでそこまであんたに教えなきゃいけないわけ? もういいでしょ? 先生も学校に行って、仕事でもしてれば? じゃあね、バイバイ!」
セリカはそう言い放つと、不機嫌そうにさっさと走り去ってしまう。これ以上追いかけても仕方がないだろうと、ハルはその後ろ姿を見送った。
「……本当は、本人の口から聞きたかったんだけれどね。まあ、仕方がないか……」
そう独り言をこぼしたハルは、セリカの後を追うように、ある場所を目指すのだった。
「……」
建物の陰からちらりと姿を見せた一つの人影……。その人影は、そんなハルの後ろ姿を静かに見つめていた。
――柴関ラーメン*2
「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンです!」
柴関ラーメン。アビドス高等学校の近くに店を構えるラーメン屋だ。『柴関』と店名を刺繍された帆前掛けを身に着けたセリカは、満面の笑みで入店したお客さんをもてなす。
「何名様ですか? 空いてるお席にご案内いたしますね!」
セリカはこのラーメン屋でアルバイトをしている。その働きぶりは実に見事で、彼女の明るい接客に魅了された客たちが続々と来店していた。お昼前のこの時間帯は、特に客足が増えている。
「少々お待ちください! 大将! 3番テーブル、替え玉追加です!」
ガララッ! と戸が開き、新たな客が入ってくる。いち早く来客に反応した柴犬の獣人――店主である大将が「へいらっしゃい!」と威勢よく声を上げる。
「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンで……わわっ!?」
セリカもそれに続いて、笑顔で応対するが……入ってきた人物を見て、彼女の笑顔は固まる。
「やぁ、さっきぶり」
「せ、先生……どうしてここを……!? やっぱストーカー!?」
そこには、今朝別れたはずのハルがいた。セリカが驚くのも無理はない。何故なら、彼女はここでアルバイトしていることを、目の前の大人はおろか対策委員会の仲間にだって教えていないのだから。他の誰にも邪魔されることなく、アルバイトに集中するために。それなのに、なんでここに先生がいるのか? セリカは訳が分からなかった。
……いや、もしかすると、本当にストーカーなのではないか? そんな疑惑が頭をよぎる。
「私は先生だよ? 先生が、生徒の姿を見失わないのは当然のことだと思わない?」
「す、ストーカー……」
「いや、私はストーカーじゃ……。……ま、それでもいっか」
セリカの脳内に『ストーカー』というフレーズが再度点滅する。目の前の大人に対する不信感を隠そうともしない。そんな彼女の態度にやれやれと苦笑いしながら、ハルは会話を続ける。
「ともかく、私たちはお客さんだよ? 席に案内してくれるかな?」
「え、私たち……?」
その疑問に答えるように、入口からもう一人の人物が店に入ってくる。
「ふふっ、こちらがあなた様のオススメのお店ですか?」
「うん、とても美味しいラーメン屋だよ。是非、ワカモにも食べてみてほしいと思ってね」
和傘を畳み、店内に入ってきたのは、華やかな薄桃色の着物を纏った少女だった。そのあまりに上品な佇まいに、ラーメン屋の客たちの視線は自然と彼女に集まる。
「というわけで、2人だけど……空いている席はあるかな?」
「あ、うう……はい。それでは、席にご案内します……こちらへどうぞ……」
先生1人なら露知らず、他に同行者がいるともなれば無下にはできない。セリカは仕方なく2人を席まで案内すると、深々と頭を下げて店の奥へと引っ込んでいく。
「それにしても……今日のワカモ、いつもと雰囲気が違うね? その服、とても似合ってるよ」
「ありがとうございます。こうして着飾るのも、全てはあなた様との大切な時間のため。普段の格好ですと、やはり様々な理由で注目を浴びてしまいますので……先生の後を追う時だけでしたら問題無いのですが、こうやって向き合うからには、はい」
狐坂ワカモ。ハルがこの世界に来た当日、大規模な騒ぎを起こした彼女だが、現在はシャーレに所属し、その優れた能力で様々な仕事を手伝ってくれている。
「せっかくあなた様のお傍でご一緒するのですし、やはりこういったところも気にしなくては、と」
「……ありがとう。やっぱり、ワカモは優しい子だね」
「他の誰でもないあなた様のためですから、これくらいは当然のことです♡ たとえあなた様の特別にはなれずとも、それが諦める理由にはなりませんから……」
「そっか。……本当にありがとう、ワカモ」
ハルが微笑んで感謝の言葉を伝えると、ワカモは一瞬だけ悲しげな表情を見せる。そして、
「こうしてあなた様のお傍にいられるだけで、ワカモは十分幸せです」
と続け、頬を赤らめ、恍惚とした表情を浮かべた。
「ふふっ、では先生、この店のオススメをお聞きしても?」
「アビドス名物の柴関ラーメンがオススメだよ。初めての人には絶対に食べてほしいんだ」
「でしたら、それをいただきましょうか」
ワカモがそう答えたところで、セリカが注文を取りにやってきた。
「ご、ご注文は、お決まりですか……」
「私は大盛柴関ラーメン。炙りチャーシュートッピングでお願い」
「私は柴関ラーメンの並盛を」
セリカは注文を繰り返しながら確認し、再び店の奥へと引っ込んでいく。しばらくして、彼女が熱々のラーメン2杯を運んできた。湯気が立ち上るどんぶりがテーブルに並ぶと、2人は行儀よく手を合わせ、
「「いただきます」」
と、揃って食前の挨拶をした。
◇ ◇ ◇
「うふふっ……ご馳走様でした」
「うん、ごちそうさま」
ラーメンを食べ終えた2人は、セリカに見送られながら店を後にする。
「あうう……ありがとうございました。ま、またのご来店を、お待ちしております」
本当は言いたいことが山ほどあったが、今はアルバイト中だ。ここで私情を挟むわけにはいかないと、セリカはぐっと堪えて顔を引きつらせながらも2人を見送った。
「……で、どうかな? 個人的には、彼女が狙いどころだと思うんだけど……」
店を出て歩きながら、ハルはワカモに問いかけた。
「あなた様の仰るとおりかと。私が事を起こすとしても、最初に狙うとすれば……」
ワカモは少し間を置いてから、静かに続ける。
「黒見セリカ……彼女を起点に、周囲を揺さぶるのが最善かと思われます」
「……そっか。流石だね、ワカモは。やっぱり頼りになるよ」
「お褒めにあずかり光栄です♡」
2人は笑い合い、アビドス高等学校への道を歩き始める。そして……学校に着くまでの間も、ハルとワカモは他愛もない話に花を咲かせるのだった。
◇ ◇ ◇*3
「お疲れ様ー!」
その日の夜。アルバイトを終えたセリカは、疲れた表情で帰り道を歩いていた。
「はあ……やっと終わった。目まぐるしい一日だったわ」
一日の疲れを吐き出すようにため息を漏らすと、ふと立ち止まり、夜空を見上げた。広がるのは満点の星空。しかし、その美しい景色も、セリカの心を晴らすには足りない。その原因は――
「先生、昨日のことがあったからってこんな方法を使うなんて……! ……ふざけないで。私がそう簡単に折れると思ったら大間違いなんだから」
低く呟いたセリカの声には、怨嗟にも似た鋭い怒りが滲んでいた。そして――。
「あいつか?」
「……はい、そうです。アビドス対策委員会のメンバーです」
「準備はいいか? 次のブロックで捕獲するぞ」
彼女を狙う不吉な影。セリカはその気配に気付かぬまま、再び足を動かし、帰路を進み出した。
◇ ◇ ◇
「……そう言えば、この辺も結構人がいなくなったなあ。前はここまでじゃなかったのに。治安も悪くなったみたいだし……」
以前と比べ、この辺りは以前よりも人通りが少なくなっている。もともとあまり人が寄り付かない地区だったが、今ではまるで人の気配が完全に途絶えたかのようだ。ゴーストタウンのように静まり返り、物騒で薄暗い雰囲気が漂っている。
「このままじゃダメだ。私たちが頑張らないと……そして学校を立て直さないと……取り敢えずバイト代が入ったら、利息の返済に充てて……」
その時――セリカの前方を遮るように、突然数人の人影が立ち塞がった。*4
「……!? 何よ、あんたたち」
「黒見セリカ……だな?」
「……カタカタヘルメット団? あんたたち、まだこの辺をうろついてんの?」
人影の正体に、セリカは驚きと呆れの混じった表情で呟いた。昨日、前哨基地を破壊されたというのに、まだ懲りてないのか。
「ちょうど良かった。虫の居所が悪かったの。二度とこの辺りに足を踏み入れられないようにしてやるわっ……!!」
ダダダダダダダダッ!!
「くっ、ううっ!! (背後にも敵!? ……こいつら、最初から私を……)」
挟み撃ち――前後を囲まれたセリカは素早く銃を抜いたが、敵の動きはそれ以上に速かった。彼女は防御や反撃の暇もなく、攻撃を受けてしまう。
「捕らえろ」
ヒュオオオオーーー!!
戦車の砲撃が無慈悲にもセリカに襲いかかる。万事休す――そう思われた瞬間だった。
「可愛い後輩はやらせないよ」*5
その砲撃を、セリカの上から飛び込んできた小柄な少女が防ぎ止めた。
「ほ、ホシノ先輩!?」
「なに!? 小鳥遊ホシノだと!?」
アビドス高等学校3年生。対策委員会の委員長を務める小鳥遊ホシノが、その二色の瞳に怒りを滲ませ、
「うへ~、見事に先生の予想通りだったねー」
「え、先生の……?」
ホシノが漏らした言葉の意味。それは、セリカには理解できない。ただ、目の前にいるのが、普段はだらしがないながらも、頼りになる学校の先輩であることだけははっきりとわかった。
「くっ!! だ、だが、1人増えたところでどうする!? この数の差を覆すなど――」
「うふふ……1人ではありませんよ」
タァン!
「ぐうっ!!」
銃声が響き、ヘルメット団の数人が頭部を撃ち抜かれて崩れ落ちる。彼女たちの背後から現れた少女に、セリカは見覚えがあった。そう、彼女は――。
「あ、あんたは……先生と一緒にいた……!」
「シャーレ所属のワカモと申します。またお会いしましたね……アビドスの生徒さん」
TIPS:
ストーカー。ひそかな追跡や忍び寄りを意味する「ストーキング」を行う人物のこと。
これを規制する法律として、ストーカー行為等の規制等に関する法律、通称『ストーカー規制法』が制定されている。……が、残念ながらキヴォトスではあまり機能していない。
後書き:
0評価……全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。それでも……