――シャーレ・執務室*1
就任当日の夜、気合で書類の山を片付けたハルはある生徒が来るのを執務室で待っていた。電気を点けてあるのがこの部屋に続く通路だけなので、その生徒が来ればすぐに分かるだろう。
執務室の時計をチラリと見ると、ちょうど夜の9時を回ったところだった。その時、執務室の扉からコンコンとノックの音が聞こえてくる。
「入っていいよ、ワカモ」
「……失礼いたします」
丁寧な言葉とともに入室してきたのは、ハルが待っていた生徒。
今後、『七囚人』の名で指名手配されることになる脱獄囚・狐坂ワカモだ。彼女は普段通りの黒い着物に身を包み、先の赤い黒い狐耳をピコピコと動かしながら部屋に入ってきた。
「よく来てくれたね」
「……はい♡ このワカモ、あなた様と約束を交わしたその瞬間から、ずっとずっとあなた様のことばかりを考えて、頭の中はもうずっと……!」
面を外したワカモは頬を赤らめ、胸の前で両手を握りながら、まるで恋する乙女のようなうっとりした眼差しをハルに向ける。その情熱的な視線に思わずハルは目を背けてしまうが、すぐに気を取り直してワカモに視線を戻す。
ワカモの言う約束とは、その日のまだ日の高い時間帯にシャーレの地下室で交わした待ち合わせの約束の件だ。彼女は本当に約束を守り、こうして会いに来てくれた。
「さて、早速本題に……と言いたいところだけど、その前に伝えておきたいことがあるんだ」
「……? 伝えておきたいこと、ですか?」
「うん。私の勘違いとかでなければ、なんだけど……ワカモは私に好意を抱いてくれているんだよね?」
「っ……。はい、そのとおりでございます」
頬を赤くしたワカモはコクリと頷く。ワカモが自分に好意を持ってくれていることは、彼女との会話や反応から察していた。ワカモの気持ちは素直に嬉しい。けれど、その好意に応えられない理由がハルにはあった。
「ごめんね。あなたの気持ちには応えられない」
「っ……! それは、私が子どもだからでしょうか……?」
「違うよ」
真っ直ぐにワカモを見つめ、首を横に振る。そうして、自分の事情を正直に打ち明けた。
「私はね……結婚してるんだ」
「え……?」
左の手袋を外して、ワカモに見せる。そこには小さな指輪がはめられていた。その銀色の指輪を見て、ワカモは目を大きく見開く。そう、これこそがワカモの想いに応えられない最大の理由。ハルが既に結婚しているからだ。
薬指の指輪は、かつて今の伴侶と交換した思い出の結婚指輪である。結婚式で、一緒に生きていくことを誓い、将来を誓い合った証。それは、絶対に捨てることはできない大切な宝物だ。
「そんな……まさか、あなた様が既婚者だったなんて……」
ワカモは悲しみに満ちた瞳で指輪を見つめたまま俯いてしまう。そんな彼女の表情を見ていられなくなり、ハルはそっと視線を外す。しばらく続いた沈黙に終止符を打ったのはワカモだった。
「どうして、私にそのことを……?」
「それは、ワカモを裏切るような真似をしたくなかったからだよ」
「裏切る……?」
「うん。何も言わず頼み事をするっていうのは、あなたの気持ちに付け込むような卑劣な行いだと思ったんだ。だから、私のことを知っておいてほしかった」
確かに、事情を伝えずワカモに協力を要請することもできただろう。でも、それは誠実な対応とはとても言えない。故に、ワカモには事前に全て正直に打ち明けることにしたのだ。
「……」
ワカモは俯いたまま口を閉ざして考える。やがて、ゆっくりと顔を上げると、彼女は力強い瞳でハルを見据えた。
「……やはり、私は諦められません」
「ワカモ……」
「たとえあなた様に愛する人がいたとしても、それで私のあなた様への想いが消え失せるわけではございません。ですので、私は自分の気持ちに正直に……たとえ叶わぬ願いであっても、あなた様に振り向いていただけるように努力したいと存じます」
ハルを見つめるワカモの瞳は真剣そのものだ。諦めないと言った彼女の表情には覚悟のようなものが感じられる。そんな少女の決意に対し、ハルは率直に今の気持ちを吐露する。
「……分かった。なら、正直に言わせてもらうよ。私は先生だ。ワカモにかかわらず、生徒のことをそういう目で見るつもりはない」
「はい」
「でも……あなたの熱意に打たれたことも事実だよ。だから、あなたが大人になってもいい人が見つからなくて、まだ私と一緒にいたいのなら……どんな形であれ、私の傍にいられるように取り計らうことを約束するよ」
そう言うと、ワカモは最初目を丸くして驚いたものの、すぐに口元を緩ませた。そして、目尻に薄っすらと涙を溜めて微笑んだ。
「うふふ……あなた様も本当に意地の悪いお方。そんなことを言われたら……本当に諦められなくなるではありませんか」
「ごめんね、ワカモ。でも、これが私の正直な気持ちだよ」
「……いえ、やはりあなた様は素敵なお方です♡ ますます惚れ込んでしまいました」
目尻に溜まった涙を指で払いながら、ワカモは嬉しそうに言う。彼女の想いに対して応えられるかは別問題として、やはり生徒たちには泣いてほしくない。そんな自分の優柔不断っぷりに内心で自嘲しながら、コホンと咳払いをひとつ。改めて、ワカモと目を合わせる。
「それで、本題に入るけど……今回、私がワカモを呼び出したのは、ワカモにシャーレに入ってもらうためだよ」
「シャーレに、ですか……? ですが、私がお傍にいては、あなた様にもご迷惑を……」
無差別かつ大規模な破壊行為を行うことから《災厄の狐》と恐れられる凶悪犯――それが、世に知られるワカモの姿だ。辺り一帯を爆炎で焦土と化してしまう……単純な破壊行為のみならず鹵獲や撹乱、扇動も可能という極めて高度な破壊工作と戦闘能力を持ち合わせている危険な存在。
そんなワカモがシャーレに入れば、おそらく大きな混乱を招くだろう。下手をすれば、シャーレ自体が解体されるかもしれない。それでも、
「迷惑だなんて気にしなくていいよ、ワカモも大切な生徒だから」
「私が、先生の……大切な、生徒……」
ワカモはハルの言葉を噛みしめるように復唱する。それから、自分の胸に手を当てると、頬を赤らめながら、嬉しそうに目を細めた。その仕草と表情は年相応の少女のもの。普通の女の子と変わらないワカモの姿を見て、ハルもまた自然と笑顔になる。
「どうかな? シャーレの部員1号になってもらえるかな?」
「あ、あぁ……も、もちろん、もちろんです! はい! このワカモ、あなた様に身も心も捧げる覚悟でございます……!」
身を乗り出す勢いでワカモは二つ返事で了承する。その勢いに若干気圧されながらも、ハルは彼女に歓迎の言葉を贈った。
「あぁ、先生……私の先生……♡」
「あ、あはは……とりあえず。これからよろしくね、ワカモ」
「はい、何なりと♡ 先生、私は……あなた様のこと、心よりお慕いしておりますので♡」
愛の言葉を囁きながら、ワカモはそっとハルの手を両手で握る。そんな彼女の愛情表現に苦笑しつつ、ハルもまたワカモの手を握り返した。
その後、シャーレに正式所属したワカモと様々な打ち合わせをした。自分が並行世界のキヴォトスから召喚されたこと、このシャーレで行おうとしていることを説明すると、ワカモは真面目に耳を傾けてくれた。
「あらっ……? もうこんな時間……」
気が付けば、既に10時を過ぎていた。そろそろ深夜と言える時間帯だ。時計を見たワカモは名残惜しそうに立ち上がると、もう一度ハルと向き合い……
「それでは先生。今日は、この辺りで失礼させていただくのですが……」
「?」
「またこうしていつでも、会いに来てもよろしいですか……?」
躊躇いがちに尋ねるワカモ。その可愛らしい仕草にまた苦笑しつつ、ハルはこくりと頷いた。
「うん、待ってるね」
「……はいっ! ではまた!」
ワカモは満面の笑みを浮かべると、恭しく頭を下げて執務室を後にした。扉が閉まり、部屋に1人きりになるハル。椅子に深く腰掛けてホッと一息つくと、その口元から自然と笑みを零した。
「……これからまた頑張らないとなぁ」
窓に歩み寄ると静かに開けて空を見上げる。窓から見える白く輝く月は、優しい光を湛えながら仄かな明かりを地上に届けている。その儚くも美しい月を見つめながら、ハルは静かに呟く。
生徒たちが安心して暮らせる未来を作るために。そして、彼女たちが大切な青春を過ごせるように。自分は力を尽くすと心に誓いながら、静かな夜を1人きりで過ごしていくのだった。
――銀行*2
「や、奴らを捕らえろ!! 道路を封鎖! マーケットガードに通報だ! 1人も逃すな!!」
対策委員会……もとい覆面水着団が集金記録を回収している裏で、ひとりワカモは闇銀行の上層階へと侵入を果たしていた。前代未聞の強盗事件に銀行内は大混乱だ。怒号飛び交う中、ワカモは銀行内を駆け回りながら目的の場所を目指す。
「……あらら。覆面水着団のおかげで随分と警備が手薄ですね。フフッ、まあ助かりますが……」
事前に聞いていたとおり、銀行内部にトラップの類はない。監視カメラも覆面水着団が襲撃したことでまともに機能していない。これなら目標に辿り着くのも容易いだろう。そう考えたワカモは、軽やかに階段を駆け上がり目的の階を目指すと、すぐにその階に辿り着いた。
目的の部屋が見えた時、ワカモはその扉の前でピタリと足を止めた。何故なら扉の内側から何者かの声が聞こえていたからだ。
「ふぅ……中にいるのは2人ですか。さて、どうしましょうか?」
ワカモは目を閉じて、耳を澄ます。中にいる人間の呼吸音、衣擦れの音、それから何を話しているのかは聞き取れないが言葉の響き方から察するに2人の人間が会話しているようだ。
「(…………なるほど)」
聞こえてきた情報を整理したワカモは静かに微笑むと……腰の鞘から愛用の短刀を引き抜き扉の鍵に突き立てた。そして、2秒にも満たない速さでピッキングし扉を解錠する。そのまま扉を蹴破って突入すると、部屋の中にいた2人の人間に向けて
パシュ! パシュ!
反応すら許さない速度で発射された針状の射出体が、室内の人間の身体に着弾する。その瞬間、バチバチバチィ!! と強烈な電撃音が響き、悲鳴を上げる暇もなくその場に崩れ落ちた。
ワカモが使ったのは、SRTが使用する特製のテーザー銃である。頑丈な肉体を持つ生徒たちの意識をも容易に奪い去るほどの出力を誇り、その威力は連邦生徒会に使用を制限されるほど。電撃に貫かれた2人は、白目を剝いて床に転がっている。
「うーん……先生の情報によれば、この部屋に例の物があるはずですが……」
床に倒れた2人を気にも留めず、ワカモは部屋の中を探索する。やがて、壁一面に余すことなく並んでいる本棚の中から、目当ての物を発見。中身を念入りにチェックしてから、肩にかけた鞄の中へと仕舞い込む。
「ふふっ、これがカイザーローンの裏帳簿ですか。先生の世界では、アビ……覆面水着団が回収したのでしたか? 《暁のホルス》の名は伊達ではありませんね」
ポツリと独り言を漏らすと、颯爽とその場をあとにする。銀行内はいまだに大混乱の様相を呈しており、ワカモの行く手を阻むものは何もない。
あっさりと銀行から脱出したワカモは、手に入れた帳簿を鞄の中から取り出してその中身を改めて確認する。帳簿の内容を見て、満足そうに頷いた彼女はそのまま雑踏に紛れ込み……あっという間に姿を消したのだった。
「あの子ウサギたちも、うまくやっているといいのですが……」
TIPS:
シャーレ部員No.Ⅰ《シャーレ部長》狐坂ワカモ。
彼女の恋心で行動の自由を縛ることを卑劣な行いだと思ったハルが誠心誠意対応した結果、その誠実な姿勢から逆に好感度がバグ上がりしました。
おそらく、この世界線ではワカモのメモロビがチュートリアルで解放されています。