――対策委員会・教室*1
「ヘルメット団の件ですが、直近の拠点は潰せたのでしばらくは大人しくなるでしょう」
「これも先生のおかげ」
「私は大したことはしてないよ」
先生はシロコの言葉に首を左右に振った。自分は生徒たちの戦いを見守っていただけで、実際にヘルメット団と戦ったのは、あくまでも彼女たち自身に他ならない。自分がいなくても対策委員会のみんななら問題なく勝てたはずだ。
実際、自分がここに来る以前はアビドスの生徒だけで学校を防衛していたのだから……と、先生は謙遜する。そんな先生の言葉を聞いて、ホシノはどこか楽しげに頬を緩ませた。
「またまた~、流石はシャーレの大先生だねー」
「あはは……」
ホシノの冗談交じりの称賛に、先生は肩を竦めつつもどこか居心地悪そうに苦笑いを返す。
「これで、借金返済に集中できる」
「……そう言えば、借金ってどのくらいの額なんだい?」
「うーん、ざっと9億ぐらい」
「きゅ、9億!?」
「9億かぁ……」
「正確には、9億6235万です」*2
あまりにも途方のない金額に先生は顔を引き攣らせる。沢山の借金があるとは聞いていたが、まさかそこまでの額だったとは……。何があれば、それほどの借金を背負うことになるのか、思わず疑問が口を衝いて出た。
「なんでまた、そんな額の借金が……?」
「数十年前、アビドス郊外にある砂漠で大規模な砂嵐が起きたんです。その砂嵐は想像を絶するもので、アビドス自治区の至るところが砂に埋れました」
「復旧するには多額の資金が必要……ですが、融資をしてくれる銀行は見つからず……」
「結局、カイザーローンっていう悪徳な金融業者に頼るしかなかった」
ホシノは呟きながら、窓の外に視線を向ける。彼女の視線の先には、アビドス自治区の街並みが広がっていた。……しかし、その街並みも今は砂漠化の影響を色濃く受けている。かつての面影は消え去り、ただ荒れ果てた土地があるだけ。もっとも、かつての姿など知らないのだが……。
「最初は、すぐに返済できる算段だったんだと思います。しかし……その後も巨大な砂嵐は幾度となくアビドスを襲い続け、遂にはアビドスの半分以上が砂に飲まれてしまったのです。生徒たちは絶望し、その結果、膨れ上がった借金だけが残されました」
一度そこで言葉を切り、アヤネは続ける。
「……借金が返済できないと、この学校は銀行の手に渡り、廃校手続きを取らざるを得なくなるんです。ですが、実際に完済できる可能性は0%に近く……」
「殆どの生徒は諦めて、この学校を去っていった。……そして、私たちだけが残った」
「……まあ、そういうつまらない話だよ」
アヤネが悲しげな表情で語り、シロコは淡々とその説明を補い、ホシノはどこか投げやりな口調で言い放つ。それぞれの言葉を通じて、先生とハルはアビドスの事情を知ることになった。
「話を聞かせてくれてありがとう。……みんなの背負っているものが、私にも少し分かったよ」
先生はそう言うと、軽く息を吸ってから言葉を紡ぎ始める。
「確かに借金の額は大きい。だけど、ただ諦めるわけにもいかない。どうだろう、みんな? これから君たちの先生として、私にも協力させてくれないか?」
「そ、それって……! あ、はいっ! よろしくお願いします!」
アビドスの生徒たちの瞳に希望の光が宿る。それは絶望の中で苦しみ続けていた彼女たちが、ようやく掴んだ小さな希望。どれほど努力しても行き詰まる現状を誰よりも深く理解していたからこそ、その現状を変え得る一筋の光に、彼女たちは大きな希望を見出したのだ。
「それでいいの?」
ただ一人、
「だって、先生は結局部外者だよ?」
黒見セリカを除いて。
「……でも、だからこそ、私たちと違う視点で助けてくれるかもしれませんよ?」
「それでもっ! これまで学校の問題は、私たちだけでなんとかしてきたじゃない! なのに、突然やって来た大人に従うなんて……」
「私は、みんなのことを手伝いたいだけで……」
先生の声には、真摯な気持ちが込められていた。彼は心から生徒を支えたいと願っており、その気持ちは紛れもなく本物だった。……だが、それもセリカには届かず、むしろ余計に彼女の不審や怒りを煽ってしまった。
「なに、その上から目線……!」
「……っ」
「私は、認めない!!」
「セリカちゃん!?」
セリカは憤りを抑えきれず、ガタ! と扉を力任せに開け、教室を飛び出していく。残された先生は、飛び出した扉の方を見つめたまま立ち尽くす。彼の瞳には、どこか悲しげな色が宿っているようにも見えた……。
「(みんなの馬鹿! 先生、先生って……!)」
◇ ◇ ◇*3
「はあぁぁぁぁぁぁ……」
翌日、教室に足を踏み入れると、先生が机に突っ伏して長いため息を吐いていた。肩は力なく下がり、見るからに意気消沈している様子だ。顔は見えないが、沈んだ雰囲気が漂っている。そんな姿を見たシロコは、眉を寄せて静かに先生へと近づき、心配そうに声をかけた。
「先生、どうしたの?」
「それが、昨日の放課後……」
◇ ◇ ◇
「やぁ、セリカ。今、帰り?」
何も言わず、見向きもせずに自らの横を通り過ぎるセリカに、先生は笑顔で声をかける。学校の玄関から帰路の道中に、電信柱の影からと三度に亘って声をかけたものの、彼女の反応は皆無。仕方なく追いかける先生だったが……仏の顔も三度まで。元々短気な性格のセリカは、しつこく声をかけてくる先生にとうとう限界を迎えてしまう。
「や、やぁ、セリカ。ちょっと話を……」
「しつこいわよ、このストーカー!」
怒りに満ちた目で振り返り、声を荒げるセリカ。彼女の声には、忍耐の限界に達した苛立ちが込められていた。思わず足を止めた先生を背に、セリカは砂埃を立てながら走り去っていった。
◇ ◇ ◇
シロコの疑問に答えたのはアヤネだった。彼女は先程、先生から聞いた放課後の出来事の一部始終を、そのままシロコに伝える。すると、それまで黙っていたホシノが口を開いた。
「それは、ツンデレ娘のセリカちゃんじゃなくても怒るってー!」
ホシノが苦笑気味にツッコミを入れる。彼女の言う通り、セリカはただのツンデレ……というには些か過剰にツンツンしていたかもしれないが、その反応も理解できる話だった。誰だって、そこまでしつこく付き纏われたら、怒りを覚えるのも無理はないだろう。
「うーん……それはそうなんだろうけど……先生の粘り強さが全然足りないのも問題かなぁ……」
「へ!?」
「一度や二度、三度拒絶された程度で諦めるのはね。……自分の尊敬する人は、『私たちは、あなたのような大人が一番嫌いです』って言ってきた生徒たちを追い回し、食料提供を拒絶したその子たちの前でカップ麺を食べて匂いで釣ったり、目の前で温泉卵を入れてみせたり……割とアレなくらいにはしつこかったよ」
「そ、そんな人いるんですか!?」
「うん。……まあ、それは置いといて……せめて、追いかけ回すくらいのことはしないと」
自分の――元の世界の『先生』の所業を、まるで武勇伝のように語るハル。彼女が尊敬しているという人物の奇行に、先生やアビドスの生徒たちは驚きを隠せない。どう聞いても、奇人変人の類のような……いや、もはや完全に不審人物そのものだった。
「そう言えば、セリカって放課後すぐに帰るけど、どこに行ってるんだろう?」
「言われてみれば、モモトークの返信も遅いですよね」
「確かに……」
「あっ! じゃあ、みなさん。放課後、セリカちゃんのあとをつけてみるのはどうですか?」
「「「え?」」」
シロコがふと思い出したようにセリカの不審な行動について言及すると、ノノミが大胆な提案を持ち出した。確かに、セリカの隠し事を探るためには尾行するのが確実かもしれないが……。顔を見合わせる他の面々とは対照的に、ホシノだけは「さんせーい!」と手を挙げた。
「おはよう」
ちょうどその時、件のセリカが教室に入ってきた。直前まで話していた内容が内容だけに、全員の視線が一斉に彼女に注がれる。セリカは怪訝そうに眉を顰めるが、一同は「あ、あはは……」とぎこちない笑いで誤魔化すしかなかった。
――アビドス市街地*4
「――ターゲット、ポイントAを通過」
一際高いビルの屋上から双眼鏡を覗くシロコの声が静かに響く。彼女は、セリカが学校から出るのを待ってから尾行を開始。そして、見失わないように高い位置から彼女を追跡していた。
とはいえ、それだけでは建物の中まで追うことはできない。そこで、セリカの後ろを歩く残りの面々の出番である。彼女たちは交代交代で休みながら、セリカを追いかけつつ、その位置情報を逐一報告していた。
『ターゲット、追跡中。このまま尾行を続けます』
『ハウンド、交代』
「了解しました。引き続き、追跡をお願いします」
情報処理を担当するアヤネはタブレット端末の画面に赤と青の点で表示される3人、ターゲットこと黒見セリカ、追跡班のHOUND1『小鳥遊ホシノ』、HOUND2『十六夜ノノミ』の位置情報を確認しながら、彼女たちに指示を出していく。
横断歩道を渡る老人を助けたり、コンビニで買い物をしたり、幅を利かせる不良たちを一掃したりと、キヴォトスらしい日常を送りつつ、最終的にセリカが行き着いた先は……。
「ここは……柴関ラーメン?」
「(……まぁ、それはそうだろうね)」
経験則からこの展開を予測していたハルは心の中で呟いた。彼女の世界でもセリカは柴関ラーメンでアルバイトをしていた。全ての事象が完全に一致する訳では無いが、根源の因果が共通しているならば、同じ道を辿るのは当然と言えるだろう。
これまでの出来事もそうだったように、この世界もまた、自分の知る
「そう言えば……」
一方でシロコは、先生とハルがアビドスに来る数日前の出来事をふと思い出す。あれはそう、対策委員会の定例会議で『連邦生徒会長の行方不明』が話題に上がった直後のことだった。
◇ ◇ ◇
「そう言えば……ねえ、アヤネちゃん! カタカタヘルメット団が近所でまた暴れてるって、柴関ラーメンの大将が言ってた!」
「……あそこのラーメン、美味しいよね」
「シ、シロコ先輩、よく行くの?」
「たまに。……どうしたの?」
「べ、別に……」
◇ ◇ ◇
あの時、セリカが妙な反応を見せたのが気になっていたが、追求する間もなく話が別の方向に流れてしまった。心の何処かでそのことが引っかかっていたシロコだったが、今になってようやくその謎が解けたような気がした。
「セリカ、出て来ないね」
「大食いチャレンジでもしてるのかな?」
「おなかも空きましたし、私たちも入ってみましょうか」
満場一致で賛成意見が固まり、アビドス一行はセリカの後を追って店内に足を踏み入れた。
TIPS:
蒼井ハルの『先生』の奇行。
詳しくは、原作の『Vol.4 カルバノグの兎』1章を閲覧してみよう!