ブルーアーカイブ 校境なき生徒会   作:ゲーマーN

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E-1-2-6 悪人の戦い

 ――キヴォトス・某所*1

 

「ここが……」

 

「……うん、その通りだよ。黒服との交渉に使ってる建物。ただ、今あいつが中にいるかどうかまでは分からないけどね」

 

 その夜、ホシノの案内でハルはとある建物の前にやって来ていた。一見すると平凡なビルだが、注意深く目を凝らせば、全フロアに人の気配が一切なく、不自然な静けさが漂っていることに気付ける。それもそのはず――この建物全体がカイザーグループによって買収されており、今ではあの黒服が活動拠点として利用しているのだから。

 

「……じゃあ、行こうか」

 

「うへ、ちょっと緊張してきたかも……」

 

「大丈夫だよ、私がいるから」

 

「うへ~、先生って本当に頼もしいね~」

 

 太陽が沈み、街明かりが作る影がゆらゆらと揺れている。2人は互いに顔を見合わせると、深呼吸一つしてからビルの中へと足を踏み入れた。この先で待つ黒服――厄介な大人と話を付けるために、未熟者ながらも先生として、自らの信念を胸に、ハルは決意を固め挑んでいた。

 

「……お待ちしておりました、ホシノさん。そして――」

 

 階段を上り、目指していた階層へと辿り着いたハルは、扉を押し開ける。その先には、既に待ち構えている件の人物の姿があった。黒いスーツに身を包み、顔全体に亀裂が走る異形の大人。その異様な外見と相まった丁寧で達観した口調が、周囲に不気味な空気を漂わせている。

 黒服――元の世界では、なんだかんだで腐れ縁のような関係になってしまった相手。しかし、今目の前にいるのはハルが知る彼ではない。

 

「はじめまして。自分は蒼井ハル、知っての通り『シャーレの先生』を務めている者だよ」

 

「ええ、存じ上げていますよ。連邦生徒会長が呼び出した不可解な存在。あのオーパーツ『シッテムの箱』の主であり、連邦捜査部『シャーレ』の先生。……あなたを過小評価する者もいるようですが、私たちは違います」

 

 黒服はそう言うと、ハルに右目と思しき発光部を向けた。その瞳からは何の感情も読み取れないが……まるで何もかもを見透かされているかのような錯覚を抱かせる。

 この視線には覚えがある――ああ、そうだ。あの時と同じだ。かつてハルが、2人の友人と共にある先輩の窮地を救った後のこと。初めて黒服と対峙した時と同じ目だ。興味深い、或いは稀少なサンプルを観察するような……そんな目だ。

 

「……まず、はっきりさせておきましょう」

 

「何をかな?」

 

「私たちは、あなたと敵対するつもりはありません。むしろ、協力したいと考えています。私たちの計画において、一番の障害になりうるのはあなただと考えているのです。私たちにとってアビドスなんて小さな学校は、全くもって大した問題ではありません。ですが先生、あなたの存在は決して些事とは言えない。敵対することは避けたいのですよ」

 

 おそらく黒服の言葉に嘘はないだろう。自分が当時の先生ほど大人だとは思えないが、それでも『先生』であることに変わりはない。この世界の黒服が自分を警戒するのも無理のない話だ。

 

「大人なら、まずは自己紹介をするべきじゃないかな?」

 

「……おっと、これは失礼。そうですね……私のことは、『黒服』とでも。この名前が気に入ってましてね」

 

「……それはどうも」

 

 正体不明の異形の大人に「黒服」と名付けたのは、2年前のホシノだった。彼の異様な外見を見て即興で付けた仮称に過ぎなかったが、どうやら本人は意外にもこの呼び名を気に入っているらしい。……とはいえ、それはさておき黒服は淡々と自己紹介を続ける。

 

「私たちはあなたと同じ、キヴォトスの外部の者……ですが、あなたとはまた違った領域の存在です。適切な名前がありましたので、今はそれを拝借して使っております。私たちのことは『ゲマトリア』、そうお呼びください」

 

「ゲマトリア……」

 

私たち(ゲマトリア)は、観察者であり、探求者であり、研究者です。あなたと同じ、『不可解な存在』だと考えていただいて問題ございません。一応お聞きしますが、ゲマトリア(私たち)と協力するつもりはありませんか?」

 

「悪いけど、生徒たちを傷付けるような大人と協力はできないかな。……ま、個人的な付き合いであれば、飲みに行くくらいは構わないけどね?」

 

「……左様ですか」

 

 黒服は肩を軽くすくめるだけで、相変わらず得体の知れない微笑を浮かべていた。正体も意図も見えぬ薄気味悪い余裕が、より一層不気味さを引き立てている。対するハルも、そんな黒服をあくまで冷静に見据える。並行世界の同一存在とはいえ、付き合いは既に10年以上に及ぶ相手だ。今更、この程度で動揺するはずもない。

 

「真理と秘義を手に入れられるこの提案を断ってまで、あなたはキヴォトスで何を追求するおつもりなのですか?」

 

「そうだね。今日のところは、私の生徒を誑かす悪い大人に話を付けに来たってところかな? これ以上、ホシノに関わるのを止めてくれれば、それで十分だよ」

 

 ハルの言葉を受け、黒服は可笑しそうに目を細めた。その笑みには相手を小馬鹿にしたような含みがあったが、ハルは不快に感じるどころか、むしろ奇妙な安心感を覚えていた。それは目の前の男が、自分の知る黒服と大きくは変わらないと確信させる仕草だったからだ。

 

「……クックックッ。あなたの行動に正当性がないことにお気づきですか、先生? あなたに一体何の権利があって、そんな要求をされているのでしょう? 私たちは、ホシノに取引を持ちかけているだけ。あなたが口を挟む余地など、どこにもないのですよ」

 

「書類を確認していないのかな? よく見れば、口を挟む余地があると分かると思うけどね」

 

「……ほう?」

 

 と黒服が興味深げに、亀裂だらけの顔をわずかに傾けてハルに向けた。

 

「――ホシノ」

 

「うん」

 

 ハルの合図に応え、ホシノが1枚の紙を黒服に差し出した。それはアビドス高等学校の退部・退会届であり、左下には「担当教諭」の四文字と判子を押すための欄が設けられている。

 

「見ての通り、『顧問』である私がサインしない限り退部届は受理されない。担当生徒の去就には先生の――つまり、私のサインが必要不可欠なんだ。だから、ホシノを退部させるには私を説得する必要があるってことだよ」

 

「……なるほど」

 

 大人として生徒を教え導くのが先生の役目。ならば、怪しげな取引を持ちかける不審な大人を追い払うのも、当然の責務だ。これを聞いて黒服は、しばし思案するような素振りを見せた後、静かに言葉を返した。

 

「なるほどなるほど……学校の生徒、そして先生……ふむ。中々に厄介な概念ですね」

 

「目先の利益ばかりを追いかけているから、こんな初歩的ミスにも気付けない。子供たちを騙し、踏みにじり、その苦しみに付け入ることしか能がない情けない大人には相応しい失態だね」

 

「これは手厳しい。確かに仰るとおりです。他人の不幸よりも、私たちは自分たちの利益を優先しました。それを否定はしません。私たちの行動は、善か悪かと問われればきっと悪でしょう」

 

 一瞬の沈黙の後、黒服は再び口を開いた。

 

「――しかし、ルールの範疇です。そこは誤解はしないでいただきましょうか」*2

 

 自分たちはルールに則って行動している――その一点を強調し、ハルからの言葉の槍をするりと受け流す。それから、まるで他愛のない世間話を始めるかのように、飄々と彼は続けた。

 

「アビドスに降りかかった災難は、私たちのせいではありません。アビドスを襲ったあの砂嵐は、大変珍しいこととはいえ、一定の確率で起こり得る現象です。誰か明確な悪役がいるわけではない、天変地異とはそういうものでしょう。私たちはあくまで、その機会を利用しただけ」

 

 都合の悪いことが起こると、それを誰かの悪意によるものだと考える者は少なくない。確かに、砂嵐の発生はアビドスにとって不幸な出来事だった。だが、それ自体は誰かの悪意が引き起こしたものではない。ただ、自分たちはその機会を利用し、利益を得ただけに過ぎない――そう、悪びれる様子もなく断言する。

 

「砂漠で水を求めて死にゆく者に、水を提供する……ただし、一生奴隷として働いても返済できない額で。ただそれだけのことです。さして珍しくもない、世の中にはありふれた話でしょう」

 

「……そうだね。悲しいことだけど、そういう現実はきっとどこにでもある」

 

「そう、全てはこのキヴォトスに限ったことではないのです。――持つ者が、持たざる者から搾取する。知識の多い者が、そうでない者から搾取する。大人なら誰もが知っている、厳然たる世の中の事実です」

 

 黒服の思想には一定の理がある。世の中の仕組みには、そのような側面があるのも事実だ。それはハルも理解している。だが、それでも――たとえそうだとしても……。

 

「そういうことですから……アビドスから手を引いていただけないでしょうか、先生。ホシノさえ渡していただければ、あの学校については守って差し上げましょう。カイザーグループのことについても、私たちの方で解決致します。あの子たちもどうにか、アビドス高等学校に通い続けることができるはずです。悪い提案ではないと思うのですが?」

 

「断る」

 

 一言、冷たく断じた。その提案を受け入れることは、大人/先生としての信念を放棄し、生徒たちの未来を売り渡すに等しい。たとえどれほど合理的な選択であったとしても、それだけは絶対に許されない――ハルは迷うことなく、黒服の提案を跳ね除ける。

 

「……どうして? どうあっても、私たちと敵対するおつもりですか? あなたは無力です、戦う手段など無いでしょうに!」

 

 黒服は声を荒げ、言葉を叩きつけるように投げかけた。しかし、ハルの答えは初めから揺るぎない。毅然とした態度で黒服を真っ直ぐに見据える。為すべきことは既に明白――不退の決意と覚悟を胸に、彼女は堂々と宣言した。

 

「これがある」

 

 そう言って、ハルは大人のカードを取り出す。彼女が握るそれは、一見すると何の変哲もないただの紙切れに過ぎない――だが、黒服はそれを見た瞬間、右目にあたる箇所を激しく明滅させた。

 

「それは……ッ!?」

 

 黒いカードには、重なり合う三つの光輪と、10の円、22の直線で描かれた木のような黄金の紋様が刻まれている。その二つの図形が示す意味を、黒服は理解していた。

 一方、何も知らないホシノもまた、黒服が動揺している――その事実だけで、ハルが取り出したカードがただならぬ代物であることを悟る。これほどの反応を目の前の大人が見せたのは、彼女にとって初めてのことだった。

 

「大人と言うのは、いざという時の切り札を1枚は用意しておくものだよ」

 

「……そうですか……そんな切り札を用意していましたか。ククッ、ククククッ……ええ、まったくもって予想外ですよ……」

 

 黒服はハルから視線を外し、ゆっくりと天を仰いだ。その亀裂だらけの顔面からは感情を推し量ることは難しいが……それでも彼が今、確実に『笑っている』とホシノにはそう見えた。

 それは決して友好的とは言えない。むしろ、どこか嗤っているような――だが奇妙に愉快そうな雰囲気も同時に醸し出していた。一体、あの不気味な笑みの真意は何なのだろう――そう考えていたホシノの前で、黒服は唐突にその表情を消した。

 

「――しかし。ならば、なおさら放っておいても良いではありませんか。元々、あなたの与り知るところではないのですから」

 

「もう一度言うよ。断る。生徒たちの幸せ以上に大事なものなんて、私には存在しないよ」

 

 そう言って、ハルは黒服に鋭い視線を据え直した。すると、黒服の頭部に走る亀裂から漏れ出していたモヤのようなものが、黒い炎のように揺らめきながら勢いを増し――

 

「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? 理解できません、なぜ? なぜ断るのですか? どうして? 先生、それは一体何のためですか?」

 

「あの子たちの苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった」

 

 心底から理解できないといった様子で、黒服は幾度も疑問の言葉を繰り返した。ハルは困惑と疑念が綯い交ぜになったその視線を真正面から受け止め、それに応じるように自らの意志を表明する。それでも黒服は納得せず、なおも疑問を投げかけ続けた。

 

「……何が言いたいのですか? だから、あなたが責任を取るとでも? あなたはあの子たちの保護者でも、家族でもありません。あなたは偶然アビドスに呼ばれ、偶然あの子たちと会っただけの他人です。一体どうして、そんなことをするのですか? なぜ、取る必要のない責任を取ろうとするのですか?」

 

「それに答える前に、一つだけ聞いてもいいかな?」

 

「ええ、構いませんよ。どうぞ」

 

「あなたは、自分の部屋にゴキブリが這っていたら、どうする?」

 

「は……? 一体、何を言って……?」

 

「……私ならね。間違いなく、気分が悪くなるよ」

 

 黒服はハルの質問の意図を計りかねていた。だがそれでも、彼は律儀にその問いに対する答えを返す。それは、彼にとってはごく当たり前の回答だった。

 

「当然です……駆除しますとも」

 

「うん。私もそうする。――私にとって、誰かの不幸はゴキブリみたいなものなんだ。生理的に受け付けない、視界に入れたくもない気持ちの悪いモノ。……だから私は、幸福な未来(ハッピーエンド)のためなら手段を選ばない。この子たちの幸せのためなら、私は真っ赤な罪だって被ってみせる」

 

 それは、ハルの覚悟そのものだった。生徒たちへの想いを胸に、自らの信念に従い、この道を選ぶという確固たる宣言だった。黒服は、そんなハルの決意を嘲笑うかのように、炎のようなモヤを再び揺らめかせる。

 

「なるほど。つまりあなたは、自分のために生徒たちの不幸を取り除きたいだけだと?」

 

「まさにその通り。私の求める『美しい絵』が『生徒のハッピーエンド』だっただけ。言ってしまえば、生徒たちという画材で『自分の望む絵画』を描いているようなもの。本質的にはゲマトリア(あなたたち)と何も変わらない、自分の利益のために生徒たちの味方をしている悪い大人だよ」

 

 ハルは軽い調子でそう言い放ち、肩を竦めてみせた。けれども、態度の軽さに反して、彼女の眼差しは真剣な輝きを秘めており……黒服もまた、それに応えるように静かに言葉を紡ぎ始める。

 

「……良いでしょう。交渉は決裂です、先生。私はあなたのことを気に入っていたのですが……仕方ありませんね。どうやら今回は諦めるしかないようです」

 

 黒服は目を閉じ、わざとらしく息を吐き出す。だが、その表情には諦めの色は見えなかった。また別の機会に、同じことをする――そんな意志がひしひしと伝わってきた。

 

「『ミメシス』で観測した神秘の裏側、つまり恐怖。それを生きている生徒に適応することができるか、彼女を実験体にして確かめたかったのですがね。交渉に応じていただけない以上、私に打つ手はない。……不本意ですが、手を引くしかありません」

 

「……じゃ、ホシノは連れて帰らせてもらうよ」

 

「どうぞお好きに。精々頑張って生徒を助けると良いでしょう。微力ながら、幸運を祈ります」

 

 黒服は最後に、ハルに別れの言葉を告げる。

 

「――ハル先生。……ゲマトリアは、あなたのことをずっと見ていますよ」

 

 そして、次の瞬間には――もうそこには誰もいなかった。まるで最初から存在しなかったかのように、彼は忽然と姿を消していた。

 

「ホシノ。それじゃあ、アビドスに一緒に帰ろうか」

 

「……そうだね」

 

 黒服が去った後、ハルはホシノにそっと手を差し伸べた。その手をホシノが少し迷った後、力強く握り返す。2人は無言のまま、その場を立ち去った。黒服が何者なのか、彼がどんな意図を秘めていたのか――ホシノには何も分からない。けれど、道に迷っていた自分に差し伸べられたその手だけは、嘘ではないと信じたかった。

 荒れ果てた校舎や、ひび割れた道路。アビドスには、相変わらず厳しい現実が待ち構えている。それでも、後輩たちの笑顔を思い浮かべると、ホシノの歩みは自然と軽やかになっていった。

*1
【推奨BGM:叡智への誘い】英雄伝説 零の軌跡より

*2
【推奨BGM:Black Suit】ブルーアーカイブより




TIPS:
蒼井ハル。
生徒のためでなく、あくまで自分のために「生徒を救う」のだと豪語してならない悪い大人。
実際、『先生』よりも『黒服』の方が思考回路は似ており、根本の部分ではどこまでも現実的/合理的に物事を捉えている。
だから、彼女は先生の器ではないし、彼女の行動原理は善ですらない。
しかし、それでも彼女は生徒を救ってきたし、これからも救っていくだろう。
それは彼女が悪い大人であると同時に、どうしようもなく善い大人でもあるからだ。
よって、蒼井ハルを「善人」と見るか「悪人」と見るかは人それぞれであろう。
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