――便利屋・リムジン
「せ、先生が撃たれた……!?」
「……はい。奇跡的に急所は避けたようですが……状態はかなり深刻です」
「そんな……!」
車内の空気が重苦しいものに変わる。それもそのはず。アビドス対策委員会の面々は、先生を守れずに敵から逃げてきたのだから。しかし、今は後悔している暇はない。一刻も早く対策を講じなければ、このまま本当に命を落としかねないのだ。
そんな張り詰めた沈黙の中、一人居心地が悪そうな表情をしていたホシノが、おずおずとした様子で口を開く。
「あ~、そのことなんだけどさ。先生、そろそろ死んだふりをやめて、起きたらどうかな~?」
「……へ?」
ホシノの言葉の意味が分からず、思わず素っ頓狂な声を上げる一同だったが――直後、死人のように青白かったハルの顔にみるみる生気が戻り、苦しげに閉じていた瞼がゆっくりと開かれる。
そして、彼女は何事もなかったかのように上半身を起こし、気怠げに蒼色の双眸を開いてざっと車内を見渡した。軽く伸びをする所作からは、瀕死だった痕跡は微塵も感じられず、本当に撃たれたのかどうかすら疑わしくなるほどだ。*1
「……ふぅ。久しぶりの衝撃だったなぁ……みんな、心配かけてごめんね」
「せ、先生!? 無事だったの!?」
『大丈夫……なんですか?』
平然と佇むハルの姿に、生徒たち――特に、目の前で狙撃の瞬間を目撃したアビドス生は動揺を隠せない。確かに銃弾を受けたはずの彼女がケロッとした顔をしているのだから無理もないだろうが……まるで、あの出来事が夢だったかのような錯覚すら覚えてしまう。
だが、それは決して夢などではない。申し訳なさそうに眉根を下げて謝罪の言葉を口にするハルの胸元には、彼女自身の血がべっとりと付着している。
「うん……ほら、この通り。撃たれたのは本当だけど、防弾ベストを着ていたから命に別状はないよ。流石にちょっと危なかったけど」
「防弾……ベスト?」
「え、でも……」
ならば、その血は一体何なのか。誰もがその疑問に行き着くのは必然だった。本当に防弾ベストで銃撃を防いだのなら、血が流れる理由はないはずだ。生徒たちの困惑に応じるように、血で赤く染まったそれを脱いだハルは、その内側に隠されていたものを取り出した。
「ミレニアム製の血糊入り防弾ベストだよ。本来は映画撮影とかで使われるものだけど、防弾性能は本物。……まあ、流石に撃たれた衝撃までは殺せなかったけどね」
「はぁ~、驚かせないでよ~」
「でも、これでようやく一安心ですね」
セリカが安堵したように呟き、ノノミは胸を撫で下ろしながら深く息を吐く。他の生徒たちも緊張の糸が切れたようで、疲労を滲ませた表情を浮かべていた。脱力する生徒たちを横目に、ハルはもう一度グッと伸びをし、それから改めて口を開く。
「敵を欺くにはまず味方から……なんてね。撃たれたのが胸で良かったよ。こっちを撃たれてたら死んでただろうし」
トントンと自分のこめかみ辺りを人差し指で叩いてみせるハル。心臓と頭部、同じ急所でも、撃たれる箇所によって死の確率は大きく異なる。今回の場合、剥き出しの頭部を狙われていれば一巻の終わりだったが、防弾ベストに守られた心臓を狙われたのは不幸中の幸いだった。
「(……うへ、本当に先生は面の皮が厚いなあ。
――尤も、それは表向きの話であって。事の裏側を知っているホシノだけは、内心でそんな感想を抱いていたのだが。
◇ ◇ ◇*2
時は遡ること数日前の夜。黒服との交渉を終え、寝泊まりするアビドス高等学校の校舎の一室へと戻ったハルは、ホシノと二人きりで今後の作戦について話し合っていた。
「率直に言って、カイザーローンの理事の捕縛自体はそれほど難しくはないんだよね」
「……うへ、そうなの?」
アビドス高等学校を借金漬けにしたカイザーローンの理事。カイザーPMCの代表取締役を務めているほか、カイザーコンストラクションの幹部をも務めており、アビドスが借金を返済するにあたって最大の障壁となっている人物だ。
そんな大物を捕まえられると言い切られたホシノは思わず首を傾げる。どう考えても、そう簡単にいくとは思えないのだが……。
「うん。……まあ、正確に言えば、『捕まえるだけなら』ってところだけど」
「……どういうこと?」
「PMCのトップに君臨しているだけあって、あの男は自ら前線に立つことが多いからね。その隙を突けば、拘束するのはそこまで難しいことじゃない。何なら、アビドスの生徒だけでも十分対処は可能だろうね。……でも、その後が問題なんだ」
思い出されるのは、人馬型の有人機動兵器『ストームブリンガー』。アビドス高等学校の旧本館地下で発見されたというその機体は、アビドスの生徒だけでは太刀打ちできないほどのスペックを誇り、現状の戦力ではまず勝ち目がない
しかし、それはあくまで機体の話であり――操縦するカイザーPMC理事そのものは、さほど脅威とはならない。そもそも、機体を起動される前に速やかに身柄を抑えれば、それで終わりだ。
「理事……と言っても、所詮はトカゲの尻尾の末端なんだよ。都合が悪くなれば、全ての責任を押し付けられて、切り捨てられるだけの
「じゃあ、どうするの?」
「……簡単だよ。二度と新しい尻尾を生やせないほどに根こそぎ刈り取ってしまえばいい」
そう口にするハルの表情は、どこか不気味な威圧感に満ちていた。そこにいつもの優しい先生の面影はなく、常日頃から自称する通り――自らの利益のために他者を食い物にする”悪い大人”の貌を垣間見たホシノは、ごくりと喉を鳴らして息を呑んだ。
「つまり、今から私が言う作戦は……」
◇ ◇ ◇
「(……カイザーグループのオートマタに変装したワカモに自分を撃たせて、さらに迫撃させることで罪を負わせる――呆れるほどに効果的で、悪魔より悪魔じみた姑息で卑怯な手。……正直、カイザーの理事がこの策に嵌まった時には少し罪悪感を覚えたよね)」
罪を着せる――ではなく、自らの意思で罪を犯させるという、正道とは対極にある倫理的に見れば決して許されるものではない行為。だが、そのおかげでカイザーを切り崩す糸口ができたのも事実であり、一概に否定もできないのが悩ましいところだ。
長年、カイザーグループに苦汁を嘗めさせられてきたホシノからしても、この策の悪辣さには眉を顰めざるを得ないが……それでも、今回ばかりは必要な手段だと割り切るしかない。
「ところで、アルたちはどうしてここに?」
内心の複雑な感情を取り繕うホシノに気付かぬまま、彼女の後輩たちは便利屋一行との会話に興じていた。何気ない会話の流れで、ふとシロコが思い出したように一つの疑問を投げかける。
「……あそこのラーメンが美味しかったから、それだけよ」
「え……?」
アルの端的な答えに、アビドスの生徒たちは意表を突かれたように目を丸くする。そんな反応が面白かったのか、ムツキは「くふふっ」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「よく見てみなよ。アルちゃんのこの顔を見れば分かるでしょ? 『これくらい、私たちにラーメンを奢ってくれたお礼として当然でしょ』って今にも言い出しそうじゃん!」
「な、なるほど! 流石アル様です! 多くは語らず、一杯のラーメンで地獄へと赴くその姿、まさにハードボイルドです! わ、私も真のアウトローになるために頑張ります!」
「……ふふっ」
部下たちの称賛を、アルは腕を組んで鼻を鳴らすことで受け止めた。
「……本当に美味しかった、から」
アルはぼそりと、まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。普段よりも少し小さな彼女の声には、僅かな照れが混じっているようにも感じられる。その頬はほんのり赤らみ、視線もやや下を向いている。
しかし、アルの呟きはアビドスの生徒たちにもしっかりと聞こえており……彼女たちの顔には自然と笑みが浮かんでくる。
「……ありがとう」
「うんうん! 今日は本当に助かりました! この車、防弾と言ってましたが……」
「ええ、特注品よ。ガラスも防弾だから簡単には破れないわ」
「くふふっ、すっごく高かったもんね!」
顧客の信用を得ようと見栄を張るアルの悪癖で、無駄に高い金を注ぎ込んだだけあって、このリムジンの装甲は通常の車両とは比べ物にならないほど頑丈だ。その辺りの不良の銃撃程度なら、まず問題にならない。
『ミレニアム製の最新の防弾リムジンですね』
「なるほどねぇ……」
「でも、流石に砲撃までは耐えられないだろうし……急いで、この砂漠を抜けないとね。あのヒナが抜かれるとは思えないけど、念には念を入れておいたほうがいいだろうし」
ヒナの実力を考えれば、ゴリアテの改良型1機程度には遅れを取らないだろうが、それでも万が一ということもある。それに、あの理事がこの程度で諦めるはずもない。何せ、10年前にはアビドスとの全面戦争に打って出たほどなのだ。
おそらく、この世界でも同じように武力行使へと踏み切るだろう。その前に、少しでも早く手を打たなければ――
『……せい、聞こえますか? 砂嵐で……が不安定……早く……退却……が……接近……』
不意に、強風が鳴り響いた。防弾ガラスを容赦なく叩く砂粒の音が車内に響き、視界はたちまち淡い黄土色に染まる。先程まで照りつけていた日差しが嘘のように、外は混沌とした嵐の只中へと変貌していた。異様なまでに強まる風の音が、まるで怪物の唸り声のようにも聞こえる。
窓の向こうでは、激しく渦を巻く砂塵が視界を奪い、状況を把握することすらままならない。おかしい。こんなにも突然、何の前触れもなく天候が荒れるなんて――。
「……!? せ、先生! 見て!!」*3
セリカの声に導かれ、窓の外を覗き見た直後……ハルは絶句する。それは、普段は冷静沈着な便利屋のカヨコも同様だった。砂の幕の裂け目から見えた光景に、震える唇を動かす。
「な、何あれ……?」
砂嵐の中に蠢く巨大な影。視界の悪さからその全貌は計り知れないが、少なくとも数十メートルはくだらないであろう何かが砂の海を悠然と泳いでいた。微かに見える白い体表には、オレンジ色の光が雷霆のように駆け巡っている。
「(あれは……まさか!?)」
その姿を視認すると同時に、ハルは12年前の記憶を思い出す。確かにアレは、この世界ではまだ破壊されていない。もしそうだとすれば……この異常な砂嵐も納得できる。
「……総員警戒態勢! みんな、すぐに車に捕まって!」
ハルの指示に従い、生徒たちが慌てて車内の何処かにしがみつく。直後、凄まじい振動と衝撃が走り、リムジンが激しく揺れた。砂の下から突き上げられた車体が勢いよく宙へ跳ね上がり、重力に引かれるようにして地面へと叩きつけられる。
「うわわ!? な、何々!?」
「い、一体何が起きたんですか……!?」
生徒たちが動揺した声を上げる中、ハルは鋭い眼差しで砂塵の先を睨みつける。彼女の推測を裏付けるように、砂嵐の中からゆっくりとその巨大な影が鎌首をもたげた。
「あれは……!」
「……ッ!」
「……聞いたことがあります。アビドス砂漠の地下には巨大な機械怪獣が眠っていると……」
蛇と鯨が合わさったような巨大な外観。砂嵐を纏い、砂漠を悠々と泳ぎ回る巨いなる威容は、まさしく神話に語られる怪物そのもの。ハルは、その怪物に見覚えがあった。……12年前、初めて死を覚悟させられた、あの戦い。
「ビナー……!」
砂漠の災厄――《違いを痛感する静観の理解者》ビナー。かつて、3人の仲間と共に命を賭して討ち果たした化け物の片割れを前にして、ハルは息を詰まらせるように、その名を絞り出した。
TIPS:
ビナー。
違いを痛感する静観の理解者。
アビドス周辺の砂漠を拠点とするデカグラマトンの第3預言者。数十年前にアビドス自治区の砂漠にて初めて目撃され、現在に至るまでたびたび目撃例と交戦が続いている。
12年前、蒼井ハルと梔子ユメの両名を死の淵に追い込み、『蒼井ハルの世界』の小鳥遊ホシノが暁の力に覚醒する切っ掛けとなった砂漠の災厄。