E1-1 風のように 炎のように
ブルルルルル!
「ん? 電話?」
いつものようにシャーレで仕事をしていたハクノの元に、突然一本の電話が入る。少し首を傾げながら、彼は机の上の受話器を手に取った。
「もしもし?」
『あっ、本当に出ちゃった! ど、どうしよう!?』
『落ち着いて深呼吸デス委員長! スー! ハー!』
『わ、分かった。すぅ、はぁ……』
電話の向こうからは、賑やかな2人の少女の声が絶え間なく聞こえてくる。1人は焦り気味で、もう1人はその友人を落ち着かせようと深呼吸を促している。ハクノは受話器を耳に当てたまま、思わず笑みを浮かべ、少しだけ気を抜いた。電話越しのやり取りがどこか微笑ましく、彼の心に小さな安らぎを与えてくれた。
『えっと、もしもし! その、こちらは……シャーレのハクノ先生のお電話番号で、お間違いないでしょうか?』
「はい、シャーレの先生です」
『あっ、合ってた! 良かった……!』
電話越しの少女の声が少しだけホッとしたように柔らかくなる。彼女の声音からは、緊張の糸が僅かにほどけたような雰囲気が感じられた。短い沈黙のあと、彼女は再び声を発し、言葉を続けようとした。
『……じゃなくて! すみません、その……』
しかし、その声には依然として焦りと緊張が混じり、言葉がなかなか続かない様子だった。まずは事情を聞くところから始めようと、ハクノは電話の相手に優しく声をかける。
「初めまして、どういった用件かな?」
『あ、えっと……んんっ、よし……。あらためて……初めまして、シャーレのハクノ先生! 私、シズコって言います! シズコ実は、百鬼夜行連合学院に所属してる『お祭り運営委員会』の委員長で、なんと! 同時に、百夜堂の看板娘だったりします☆』
「百夜堂……?」
「百鬼夜行自地区の伝統的な喫茶店ですね。自分もミカと一緒によく行きます。あそこの和菓子、とっても美味しいので」
「へぇ……」
電話の相手の自己紹介に、隣で話を聞いていたハルが補足を加える。
『そ、それで、今回お電話させていただいたのは……私たちの百鬼夜行連合学院で開かれる春のお祭り、「
「百夜ノ春ノ桜花祭……?」
『はい! お忙しいかと思うのですが、よろしければお越しいただけませんか? 今回の「百夜ノ春ノ桜花祭」……通称『桜花祭』では、以前には無かった新しい試みも行う予定なんです!』
シズコの口調は次第に明るくなり、説明も熱を帯びていく。百夜ノ春ノ桜花祭……どんなお祭りなのだろうか、ハクノも自然と興味を惹かれつつあった。また、これまでにはない新しい試みというのも気になるところだ。
『それからちょーっとだけ、大したことではないのですが、先生にご相談したいこともありまして。来てくれると、シズコとっても嬉しいです! ではでは!』
ピロン! 電話が切れるや否や、ハクノのタブレットに1枚の写真が届いた。華やかに咲き誇る桜の花が鮮やかに映し出され、春のお祭りの雰囲気が色濃く漂っている。それは、中央に『百夜ノ春ノ桜花祭』と大きく記された宣伝用ポスターだった。
『会場までの案内図も兼ねているので、桜花祭のポスターをお送りします。では、シズコは先生が来てくれるのをすっごく、す~っごく楽しみにしてますね! では、百夜堂でお待ちしておりますので! にゃんにゃん♪』
「桜花祭に、百夜堂か……」
ポスターに描かれた満開の桜の下で繰り広げられるであろう祭りの様子を思い浮かべる。きっと楽しいお祭りになるだろう。その光景を心に思い描きながら、ハクノは画面のポスターに再び目を落とし、心の奥から湧き上がる興味と期待がじわじわと広がるのを感じていた。
そして、その想いを胸に抱きつつ、桜花祭が開催される百鬼夜行の自地区へと向かうのだった。
――百鬼夜行・第七商店街*3
「あっ、あっ! 危ないですーーっっっ!?」
春の日差しが降り注ぐ午後の昼下がり、熱気溢れるお祭り独特の雰囲気と、それを楽しむ人たちの歓声に包まれた街の中で、どこからか可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。
反応する間もなく、ドンッ! と正面から衝突してしまう。狐耳の小柄な少女が勢い余って突っ込んできたのだ。お互いによろめきながらも、ハクノは反射的に手を伸ばして彼女を支えた。
「いたた……」
「大丈夫?」
「はっ! ああっ、すみません! えっと、大丈夫ですか? お怪我はありませんか!?」
今の状況に気が付いた少女が慌てて身を引き離し、息を整えながら謝罪の言葉を繰り返す。
ノースリーブのセーラー服の上から片肌脱ぎに着た暖色の鮮やかな花柄の着物と赤いマフラーが目を引く。右足は黒ハイソックス、左足は網タイツと非対称だが、靴は両足ともローファーを履いており、太腿のホルスターには拳銃……ではなく、細長い両刃の短剣が収められている。
あれは創作でよく見る苦無という武器ではないだろうか? と、ハクノは内心で首を傾げる。
「私は大丈夫。よそ見しててごめんね」
「そ、そうですか。それは良かったです……!」
少女はホッと胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべた。
「待てー! 逃がさないんだから!」
「か、カエデちゃんもちょっと待ってください……はあ、はあ……は、速すぎます……」
「はっ、もうこんなところにまで! えっと、えぇっと! ど、どうすれば!?」
落ち着いて話を聞こうとした矢先、再び喧騒の中から新たな声が上がる。今度は2人分の少女の声だ。すると、狐耳の少女は右往左往しながら、焦った様子で視線をあちこちに彷徨わせる。
「……手助けした方が良い感じかな?」
「へ? そ、それは、その……」
困っている生徒を放っておけないのがハクノの性分だ。彼は目の前の少女を安心させようと、優しく微笑みながら声をかける。突然の申し出に、狐耳の少女は戸惑いの色を隠せず、迷うように言葉を詰まらせた。
「見つけた! ミモリ先輩、あっち!」
「先生はその子を! 自分はちょっと追っ手を足止めしてきます!」
「お願い!」
百鬼夜行連合学院の制服――セーラー服を和服風にアレンジした制服に身を包んだハルが、人混みの間を縫うように駆け抜けていく。今のうちに、とハクノは狐耳の少女の手を引き、混雑した街中を急いで走り始めた。
「さぁ、走って!」
「あっ……!」
◇ ◇ ◇*4
ハルの足止めもあって、しばらく2人は必死に走り続けた。群衆を掻き分け、狭い路地を駆け抜けるうちに、ようやく追手の気配が遠のいていく。息を切らしながらも、狐耳の少女は安堵の息を漏らし、ハクノに感謝の気持ちを伝えた。
「ふぅ……ここまで来れば大丈夫そうですね。えっと、イズナを助けてくれてありがとうございました!」
「どういたしまして」
「ところで、あなたは……? 百鬼夜行の生徒ではなさそうですし、大人の方……?」
「初めまして、私の名前は岸波ハクノ。シャーレで先生をしている者です」
「シャーレ、先生……? あ、もしかして……!」
狐耳の少女――イズナは、ハクノの名乗りに少し首を傾げたものの、すぐに何かを思い出したような表情に変わり、顔をぱあっと明るく輝かせた。彼女の目には驚きと喜びが入り混じり、今までにないほどの興奮が溢れている。
「イズナ、聞いたことあります! シャーレには、キヴォトスの色々な事件をズバッと解決してくれる、すごい大人の人がいるって! どこにでも現れて即座に解決……まるで忍者みたいです!」
「……忍者?」
「まさか噂の先生にお会いできるなんて……!」
ハクノの周りをくるくる回りながら、イズナは目を輝かせて興奮気味に続ける。忍者みたい、という表現にはピンと来ないが、どうやら彼女の中で自分はかなり尊敬されているようだ。イズナの勢いに押されるように、ハクノは思わず少し仰け反ってしまう。
「すごい、本物なんですね! ですが、シャーレの先生がどうしてここに?」
「この、百夜ノ春ノ桜花祭を見に来たんだ」
「なるほど……そうだったんですね!」
イズナが笑顔で相槌を打つ。桜花祭では、多くの人が思い思いの屋台や花見、祭りの空気を楽しんでいる。その賑わいは、まるでお祭りの会場そのものがひとつの巨大な自治区であるかのように感じられるほどだ。
百鬼夜行連合学院の生徒の一人として、イズナもまたその活気を誇りに思っているのだろう。彼女の顔には誇らしげな笑顔が浮かび、目の中に輝く喜びが溢れていた。
「せっかくの桜花祭ですし……よろしければイズナに、このお祭りを案内させてください!」*5
「それなら、お言葉に甘えて」
「はい! じゃあ、イズナのあとを付いて来てくださいね!」
イズナはニコッと微笑み、先導するように元気よく駆け出した。そんな無邪気な姿を微笑ましく思いながらも、ハクノは彼女を見失わないように少し後ろから付いて行く。彼女の足取りは非常に軽快で、混雑した通りを巧みにすり抜ける様子は見事と言うほかない。
「見てください、あそこ! 屋台で百鬼夜行の名物、キツネせんべいを売ってます! あ、あっちには桜花祭と言えば外せない、タヌキ印のお好み焼きも売っていますし! あとは、桜の花びらで作ったサクラ大福も、とっても美味しいんですよ! 桜花祭の名物なんです、えへへっ!」
道行く人々や屋台を眺めながら、イズナが案内するまま百夜ノ春ノ桜花祭を見て回る。百鬼夜行連合学院の生徒たちが、地元の人たちと一緒に屋台を出したり、桜花祭を盛り上げる様々なイベントを行っていたりと、街全体がお祭りで活気づいている。
「そうだ、せっかくですし……百夜ノ春ノ桜花祭と言えば、あれを見に行かなくては!」
「あれ?」
「はい! こっち、こっちです先生!」
――百鬼夜行・展望台
イズナに案内されてハクノが辿り着いたのは、桜花祭の会場全体を見渡せる展望台だった。高台に立ち、祭りの喧騒を背に、眼下に広がる賑わいを見下ろすと、その先には圧倒的な存在感を放つ巨大な桜の木がそびえている。遠くの山かと見紛うほどのその大樹は、満開の花を咲かせ、淡いピンクの雲のように空を彩っていた。ハクノは、その壮大な光景に思わず息を呑んだ。
「……すごいね。あんなに大きい木が……」
「えへへっ、ですよね? ちょうどこの時期に一番綺麗に咲く、百鬼夜行の自慢です! イズナは、御神木と百鬼夜行の街並みが同時に見渡せるこの場所が、大好きなんです!」
ハクノが感嘆の声を漏らすと、イズナは得意気に胸を張った。この展望台は地元でも有名な絶景スポットで、桜花祭の時期には毎年多くの観光客や生徒たちが訪れるのだ。
彼女は嬉しそうに笑いながら、慣れた様子で展望台の端にある手すりの方へと歩いていく。そして、柵から身を乗り出すように景色を眺め始めた。彼女の後ろ姿を、ハクノも隣から覗き込むようにして見守る。
「ここでこうしていると、イズナも夢のためにまだまだ頑張らなきゃって気持ちになります」
「夢?」
「はい! イズナには夢があるんです! キヴォトスで、一番の忍者になるという夢が……!」
視線を景色からハクノへと移したイズナは、楽しそうに目を輝かせながら続けた。
「今日も今日とて、そのために日々……!」
「……忍者?」
「……はっ!? す、すみません、その、こんな夢を持ってる人なんて今どきいないことは知っているのですが……で、でも……!」
イズナはハクノの反応にハッとすると、途端にあわあわと焦りだす。バツが悪そうに視線を彷徨わせながら、頬を赤らめて言葉を探している。言葉がうまく出てこずに俯いた彼女の頭を優しく撫でつつ、ハクノは穏やかに語りかけた。
「ううん、かっこいいと思う。夢があるのは良いことだよ、応援してる」
「あ……イズナの夢を、応援……それがその、たとえ、忍者になりたいという……そんな、あまり普通の学生は言わないような夢でも、ですか?」
「どんな夢でも、生徒の夢は応援したいな」
「……っ!」
驚いた表情でハクノを見上げるイズナ。自分の瞳に映る優しい微笑みに、その真剣な表情に、じんわりと暖かいものが胸に広がる。イズナの鼓動はドキドキと早まり、心の奥底から湧き上がる嬉しさが全身を駆け巡っていく。彼女は思わず顔をほころばせた。
「そ、そう言っていただけたのは先生が初めてです! え、えへへへっ、そ、そうですか……! イズナの夢を応援してくれるなんて……! まだ色々と失敗も多い身ではありますが、改めて、イズナは立派な忍者なってみせます!」
力強く頷きながら、イズナは桜の花のような満開の笑顔を見せる。その笑顔は未来への希望と期待に溢れており、キラキラと眩しく輝いているようだった。
「……あっ! 雇い主の依頼を終えていないのを思い出しました……! すみません、イズナはお先に失礼します! では先生、また! 依頼が終わったあと、また一緒に桜花祭を楽しめたら嬉しいです!」
そうしてイズナは、現れた時と同じように風のように、或いは炎のように駆け抜けていった。
TIPS:
久田イズナ。
百鬼夜行連合学院の1年生。
「キヴォトス最強の忍者」を目指している少女。しかし、キヴォトスで忍者はフィクションに近い存在の様であり、その夢は周囲からあまり理解されていない。
……実は、正史世界より少しだけ実力が高い。詳しくは、次回以降をお楽しみに。