◆3◆
"そこ"を家という者がいた。私たちを家族と呼ぶ者がいた。
同じ仕事をする者が集まり生活をする。他の者がコロッセウムで死なないよう訓練をする。
知らず知らず連帯感が生まれ、仲間にパトロンが出来れば喜び、死ねば悲しむ。
しかし、"ここ"はそんな生易しい所ではない。
人間の家畜小屋である。剣闘士は商品だ。客に血を見せて、喜ばせるための商品だ。
その日が来るまで肥え太らされ、売られていく家畜だ。
家畜の家族に意味はあるのであろうか?
◆◆◆
ルードゥス(剣闘士養成所)は各地に点在している。
訓練生と剣闘士が同居し、最大で70名程の所帯を持つところもあった。
パトロン持ちの者以外の出入りは基本的には自由に出来ない。
パトロン持ちになった者とて安泰ではなかった。
彼らの所有権はあくまでラニスタが持つ。
ラニスタの胸ひとつで試合が組まれることに変わりはない。
これにパトロンの"胸"も加わる。寧ろ、危険な試合に挑む可能性は増えた。
仮初の自由。当然、彼らはそんなことを知る由もない。
◆◆◆
「お帰りなさい、みなさん」
ルードゥスの出入り口を兼ねる管理棟の外で、興行時の不在を預かっていた小さき家令が
ラニスタとその一行を出迎える。出発の時よりも一行の人数は減っていた。
「補充は何人必要ですか?」目敏い家令が尋ねる。
「5人だ。次の春までに用意しろ」「かしこまりました。使えるようにする必要は?」
「お仲間(剣闘士)がどうにかするだろう。お前は何もしなくて良い」
「分かりました、旦那様」
剣闘士たちは横の繋がり《仲間意識》が強い。
観客を盛り上げて試合を成立させ、尚且つ、両方とも生き残る。
一方が強すぎてもいけない。一方が弱すぎてもいけない。
剣闘士"同士"の戦いはそういったものである。
決して技量不確かな者同士を戦わせてはならない。
日常に戦争が組み込まれているこの時代、人間《商品》の調達は容易い。
奴隷、志願者、戦争捕虜、孤児、剣闘士になれる者は掃いて捨てる程いる。
商品を釣るには餌がいる。幸い、このルードゥスは餌には困らなかった。
興行から帰って来たばかりの"人受けの良さそうな者"を連れて、家令は近くの町に向かった。
◆◆◆
この侏儒《こびと》の家令は、異様な面貌の男は、自身をネイベルンゲンの出身だと言った。
ヴァルトにとってネイベルンゲンの者は譚話の世界の者だ。
巨万の富を持ちながら、我らの英雄に敗れ、支配された弱き者。
それがヴァルトのネイベルンゲンに対しての認識である。
しかし、こいつは何故ネイベルンゲンを知っている。
この国の者はヴァルトの事なぞ知らなかったのに……だ。
本当にネイベルンゲンの者なのか。
ある戦争捕虜は家令の話に混乱していた。
対照的に"ヘルマプロディトス"と呼ばれる者は別の感情を燃やしていた。
それは殺意と呼ばれるものであった。
彼、彼女は、決して知的で温厚な者ではない。
寧ろ獣の方が近い、典型的なヴァルト的人間である。
殺意を燃やしたのは英雄的行為《侏儒の殺害》をすれば、
存在があやふやな自分が英雄に近付けるという理解できない理由からであった。
ヴァルトの英雄、ジグフリート。ネイベルンゲンの侏儒共を支配し、
ネイベルランドの王になった勇者。
数々の魔法の武具を持ち、氷に閉ざされた炎の城の強き女王を屈服させた勇者……。
栄光を前に獣が牙を収めている理由は無かった。
◆◆◆
猿轡をされた中性的な顔立ちの者が虚空を見つめ立っている。
足元には頭と胴体が引き裂かれた小さな死体。
小さな体であるが血は人並みに流れるようであった。
もう一人いた金髪の男は既にこの場に居ない。
逃げたのではない。いや、ある意味逃げではあるが、ルードゥスに応援を呼びに行っていた。
間もなくして、ルードゥスからラニスタと剣闘士たちが現場にやって来た。
総数20名、かなりの大所帯である。
しかし人数を用意したことは空振りに終わった。
然して抵抗もなく、凄惨な事件の当事者は捕らえられたからだ。
ほとんどの者は素手での凶行に恐れ戦いていたが、
数少ない典型的なヴァルト的人間はベルゼルケルの復活を喜んでいた。
◆◆◆
侏儒(こびと)を殺す英雄的行為《蛮行》の後、私はルードゥスの牢獄に入れられた。
手枷、足枷、目隠しに猿轡。身動きと目を縛られた状態で。
ここに入れられるのは初めてだ。外から見ていたことはある。
その者は勇気ある者《臆病者》だった。
剣闘士《見世物》にならず、ただ傷つけられることを選んだ。
誰が殺したのだろう。私が殺したのだろうか。
目も見えず、手足を封じられた私に出来ることは少ない。
周りの音を聞くか、眠るかだ。
私は眠るのが怖い。眠りが断続的な死だからだ。
寝ている間、意識は闇に包まれる。
その間、私は生きているのか、死んでいるのか。
目覚めは産まれ直し。私は毎日、新しい私になっている。
中途半端なまま、私は産まれ直す。
◆3終◆