北の最果て、吹雪の止まない白銀の大地エンデ。かつての魔王城の上階が目も眩むような閃光とともに内側から弾け飛び、瓦礫が宙を舞う。吹雪の舞う夜空が灼熱に焼かれ、瞬く星の間にいく筋もの魔力が輝き消えていった。途切れなく続いた破壊は唐突に終わりを告げた。
城の最上階、十字架が掲げられた祭壇の前で1人の魔族が倒れ、その周りを3人の人間が取り囲んでいる。魔族は醜悪な顔を歪めながら忌々しげに口を紡いだ。
「おのれ、口惜しや……。このハーゴンが貴様らごときにやられるとは」
「しかし、儂を倒しても世界を救う事はできぬ!わが破壊の神シドーよ!今ここに生け贄を捧ぐ!」
「“
魔族が言葉を言い終わる前に、その身体を魔力の奔流が貫き身体の大部分を消滅させた。それを成した人間たちは互いの顔を見合わせ、ほっと一息ついた。
「ついに、やりましたね」
「強かった。これほどの魔族は魔王以来だ」
大魔族『邪神官』ハーゴン。世界各地に夥しい数の魔物を放ち各国を混乱に陥れるとともに、大国の首脳部を丸ごと魔法により洗脳し自らの手駒とした悪辣な大魔族。その魔力は居城丸ごと幻術で包むほどであり、かの魔王にも匹敵する力を持っていた。加えてその居城近辺には他地方では類を見ない程の精強な魔物がひしめき、並の冒険者では近づくことすらままならない。フリーレン達ですら、ゼーリエ達大陸魔法協会の魔法使いの助けを得なければ到底辿り着けなかった。
だがそんな巨悪でさえも、人類の総力の前についに倒された。その立役者となったのはかつて魔王を倒した勇者パーティの魔法使いフリーレンとその弟子フェルン。そして勇者パーティの戦士アイゼンの弟子シュタルクである。見事大魔族を倒した3人であるが、3人とも傷つき呼吸は荒く、体力・気力ともに限界に達している。
残った魔族の肉塊が冷たくなっていく光景を背に、3人は祭壇を後にする。その最中フェルンがふと足を止め、眉根を寄せながら口を開いた。
「気になることを言っていましたね。破壊神がどうとか…」
「そうだね。でも魔力感知には特に反応がない。ブラフだったんじゃないかな」
「なんでもいいから早く帰ろうぜ。もうクタクタだよ」
雑談を交えながら、英雄達は帰路に就く。世界を大混乱に陥れた大魔族もついに倒された。邪神官に操られた人々も正気を取り戻し、各地に放たれた魔物達もゆっくりと駆逐されていくだろう。長く続いた魔なるものとの戦いは人類の勝利に終わり、平和な時代が到来する筈だ。疲労とは裏腹に、3人の心は晴れやかだった。そんな緩やかな雰囲気は、次の瞬間霧散した。
「───っ!?なんて事だ、これは…」
突如としてフリーレンの魔力感知に反応が現れる。それと同時に地響きが鳴り、床が次々と崩れていく。周囲は瞬く間に業火に包まれた。誰も居なくなったはずの祭壇の床が隆起し、途方もない魔力の放出とともに祭壇はその痕跡を残さず吹き飛んだ。
祭壇の破片が宙を舞う中、圧倒的な威圧感とともに新たな魔がその姿を現す。鋭い爪に六本の腕、鱗の生えた身体に蛇腹、2本の角と耳元にヒレを持った異形の存在。異なる世界での呼び名は破壊神、シドー。破壊神は雄叫びとともにその莫大な魔力を解放した。この世のあらゆる不吉を内包したかのような余りに強力で禍々しい魔力の余波により空間は歪み、破壊力をともなった衝撃波がフリーレン達を襲う。
「フリーレン様!」
「っ!」
鍛えた戦士であっても即座に肉塊になる程の攻撃。瞬時に先頭に立ったシュタルクの戦斧が衝撃波を断ち切り、フリーレンとフェルンは防御魔法で余波を防いだ。弟子二人組が驚愕とともに言葉を紡ぐ。
「なんだこいつは!?」
「これが、破壊神なのですか…!?」
満身創痍の3人は突如現れた異形の魔物に対峙する。破壊という概念が物質化したような絶望感を前にして驚き恐怖しつつも、その戦意に翳りは見えない。これまでの過酷な旅路で育んだ胆力と互いへの信頼感が彼らの心を支えていた。
「クソっ、こんなところで死んでたまるか…!」
「気をつけて、来るよ!」
息つく暇もなく破壊神が咆哮とともに襲いかかってくる。フリーレン達が現代に並ぶほどのない英傑といえど、先の戦闘で力はほとんど使い切ってしまっている。一方で破壊神は魔王をも凌ぐ絶対的な力を持っている。
絶望的な戦いが幕を開けた。
♦︎
「今回の実験で使う人間はこやつかのう」
「ああ、そうだ」
大国の首都から数里離れたゲフェングニスの牢獄。1日を通して薄暗く、蠢くものはネズミか虫のみであるはずのこの場において、響き渡る声があった。魔王の腹心である大魔族『腐敗の賢老』クヴァールと、『全知の』シュラハトである。
そんな彼らの前には、薄汚れた老人が膝を抱えて座っている。その手足は痩せ細り、拷問で作られたであろう痛々しい傷跡が身体中を覆い尽くしていた。その口は絶えず呪詛を垂れ流し、目だけが爛々と輝き目の前の魔族達を眺めていた。
人間を家畜としか見ていない魔族がなぜわざわざ牢獄に足を運んでいるのだろうか。それは全知のシュラハトの魔法が魔族の滅びる未来を予見したので、それを回避するための実験的な計画のためである。シュラハトの魔法は『未来を見ることができる魔法』。はるか遠い時間軸まで見通す事ができ、過去の記憶を読み取った人間とも会話することまでできる規格外の魔法である。そんな彼が見通した未来であるのだから、確率は高いものと言えるだろう。そして、彼らの実験の内容とは…。
「幾多の人間で実験してきたが、成功率は3割が精々と言ったところかのう。それに、仮に成功しても我々に歯向かってくるかもしれん」
「仮に敵対したととしても、殺処分して新たな実験台を見つければいい。なにせ、人間は次々に生まれてくる」
そんな会話をする彼らの目の前に、新たな人影が現れる。
「ごめんなさい、遅れてしまったわ」
一見して平民のような質素な服に身を包んだ小柄な少女であるが、戦いに慣れた人間が見たならばあまりの死臭に顔を歪めるであろう。魔王の友人にして人間研究の第一人者、大魔族ソリテールである。シュラハトは彼女に問いかける。
「外の人間どもとの『おはなし』は済んだのか?」
「ええ、それなりに有意義だったわ」
ソリテールは魔王の友人であり、人間の行動原理を「習性」程度にしか考えていない大多数の魔族と異なり、人類と魔族の生物としての違いを研究し、その文化や習俗に強い関心を持って接している。今回の実験に招かれたのはひとえに彼女の人間への理解度の高さゆえのものだ。
「流石は大国の看守長だけあって、囚人の事情には詳しかったわ。握手してくれるだけで、色々と喋ってくれたもの」
そう言ってソリテールは2人に囚人の情報を共有する。看守長曰く、彼の名はハーグ。精神魔法を使い王の精神を惑わせた国賊として収監されているが、40年以上に渡り王室に使え歴代の王族の心を魔法により癒してきた魔法使いであると。また攻撃魔法にも優れ、後進の魔法使いの育成や民間への魔法の普及にも積極的に携わってきた人物でもあり、自分も彼に魔法を習ったことがあったがとても捕まるような罪を犯した人間ではないと。そんな事を嬉しそうに語るソリテールに、クヴァールは問いかけた。
「ソリテールよ、お前はこやつについてどう思う」
そうねえ、ソリテールは小首を傾げ老人を見つめる。老人の口からは変わらず憎悪が垂れ流されている。無名の大魔族は少し考えたのち、おもむろに口を開いた。
「強力な精神魔法と攻撃魔法の使い手。長期間囚われ、人間への憎しみがその言動から読み取れる。冤罪だったのかしら?実験対象として適切だわ」
「毎度、お主の観察眼には驚かされるのう」
「うふふ、ありがとう。私としてもうまくいけば新たな魔族のプロトタイプができるわけだから、興味深いわ」
「そろそろ始めないか?仮にも大国の牢屋だ。騒ぎを起こせば面倒な事になる」
マイペースな魔族2人をシュラハトが諌める。クヴァールは少しばかり肩をすくめると獄中の老人に向き直り、見下ろせるほどの近さまで歩を進めた。
「では、早速始めるとしようかの」
「
クヴァールは魔法を唱えると、老人の頭を掴んだ。膨大な魔力が老いた男の全身を駆け巡り、老人はたまらず声にならない叫びをあげた。
その体は徐々に膨張し、青みを帯びていく。肥大化した肉が服を突き破り、その顔は人間のものとは思えない醜いものへと変わっていった。やがて、変化は終わりを告げた。背丈は常人より数段高く、その肌は血と肉の通った人間を否定するかのように深い青に染まっている。筋肉ははち切れんばかりに隆起し、暴力的なまでの生命力を感じさせるものとなっていた。変化を見届けたクヴァールがその手を離す。
「ひとまず成功といったところかのう」
クヴァールは腕を組みそう言い放つ。今や枯れ木のような老人は精強な魔族へと変貌していた。元老人は自らの肉体の変化に理解が追いつかないようで、しきりに手足を眺め、その感触を確かめている。その様子を見て、にっこりと微笑を浮かべながらソリテールが口を開く。
「誕生日おめでとう、と言ったところね。改めて貴方の名前を教えてもらえないかしら?」
青い肌の魔族は少しの間考えると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「儂の名は…、ハーゴンじゃ」
今、ここに新たな魔族が産声をあげた。後の世を震撼させることになる、『邪神官』ハーゴンの誕生の瞬間である。