この世界は縦に長い形をした大陸がある。
大陸には南から順に王国、中央諸国、北側諸国。そして最北端の魔王領といった具合に勢力が分布している。
大陸の北側諸国のそのまた北、魔王城にほど近い大山脈の中腹に白いローブに身を包んだ邪神官が佇んでいる。そのすぐ側には魔王の友人ソリテール。2人は揃って眼下に広がる光景を眺めていた。
そこには『腐った死体』や『グール』『リビングデッド』といったアンデッド達、そしてそれらに指示を出す魔族が昼夜問わず忙しそうに動き回り、掘った土を交代で捨てていく様子が広がっている。魔王城に続く洞窟とその周辺、ただでさえ数多の魔物や魔族が生息している魔王領を改造し更なる要塞にしようとする試みである。大陸各地で『スライム』を暴れさせているのは、この大改造を人類側に悟らせないためのものであった。
近いうちにハーゴンは中央諸国内に異世界から召喚したアンデッド達をばら撒き、それらがもたらす瘴気や毒と人類の混乱に乗じて更なる計画を進めるつもりだった。
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ハーゴンは魔王領改造の暇を見つけ北部高原のノルム商会領に潜り込んでいた。
道中の旅商人を精神魔法を使って操り商会本部まで案内させると、本部の人間を1人残らず洗脳し手駒に変えた。そして近くにあるだけで魔法を封ずると言われる封魔鉱をあるだけ全部買い占めさせたのである。
(魔法の一切を封ずる封魔鉱…。魔法に頼る魔族や魔法使いにとっては有害にしかならぬ。幸いにも加工が難しく高価なため流通量はごく少ないが、こんなものの流通を野放しにする事はできぬ)
ノルム商会はここ十数年のうち急速に勢力を拡大し、ついには一商会の枠にとどまらず所領まで持つに至った大商会である。
お目付け役であるソリテールから商会の発展を聞きつけたハーゴンは、すぐさま時間を見つけて変身魔法を会得し、こうして犯行に及んだ。勢力の拡大に心血を注ぐ商会ゆえ精神魔法への対策が万全ではなかった事が災いし、こうしてハーゴンの蛮行を許してしまったのである。
(魔族は魔法に頼る者が多い。傲慢で己の力を過信し、人間とその知恵を侮る事をやめぬ。もし封魔鉱でできた武具や魔道具を人が開発すれば、状況は一気に魔族の不利に傾く。いかに不老で魔法に優れていようと、数百年後には衰退しておるかもな)
ハーゴンはそうひとりごち、一人の人間を呼びつける。髭が豊かで貫禄のある、今代のノルム商会筆頭その人である。
「購入した全ての封魔鉱を魔王領近辺に運び出せ」
「…はい、分かりました。ですが、よろしいのですか?北側諸国に不審に思われるかもしれません。」
「それに対する策は練ってある。お主は何も考えず与えられた命令を果たせ」
「かしこまりました…」
そういって出て行った男を尻目に、ハーゴンはクックっと笑い声を上げる。
(全てが順調すぎて退屈に思えてくるのう…。あやつも、もう少しハリのある相手かと思ったんじゃが。ワシの魔法も威力・精度ともに強化されておったのは行幸!ワシもまだまだ役に立つことが証明された訳じゃ)
商会本部に入ったのち、視界に入る者に片っ端から精神魔法をかけていったハーゴンは当初、ある事に懸念を抱いていた。老練で狡猾な手段も厭わない大商人ならば、それ相応の精神の持ち主でもある。対してハーゴンは精神魔法の達人ではあるものの長い獄中生活というブランクがまだあり、十全に魔法を駆使できるとは言い難かった。強い精神の持ち主ならば抵抗は充分に可能だと知っていたハーゴンは、ともすれば商会筆頭を始めとする商人達の殺害も考えていた程である。ハーゴンは予想外の手応えのなさに拍子抜けすると同時にある事に気づいていた。
魔法の出力と精度の向上である。
『
これにより魔族となった男に精神魔法をかけられた商会の住人達は、今後半世紀は精神魔法の効果にかかり続けることになるだろう。実質的な商会の指導者がハーゴン一人になった瞬間である。
(これからもワシのためにその身を粉にして働くが良いぞ。なに、たった数十年の辛抱じゃ。お前が死ねばその子・孫、赤子の代に役目を引き継がせてやるから安心せい。クックック…)
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後の世に語られる事になる北部高原の衰退の一因として、ノルム商会の没落が挙げられる。初代筆頭であり商会拡大の立役者たるノルムは、いつの頃からか散財を繰り返すようになっていったという。
幼き頃から類稀な商才を発揮して二十歳になる頃には身一つで商会を立ち上げ、齢四十になる頃には商会独自の領地を持つまでに至った彼は、何を思ったかある日を境に高価な魔道具や封魔鉱と呼ばれる特殊な鉱石の収集に性を出し始め、商会勢力の拡大が緩慢になっていったとされる。そしてその悪癖は子々孫々に受け継がれていき、遂には領地を買い戻されるまでに没落してしまったとされる。
元来あった素養が顔を出し遺伝していったのか、はたまた何者かにそそのかされたのか真実は定かでは無く、魔王討伐から長い月日が経った今でも学者達の間では議論の種として扱われている。
古来から根強く語り継がれてきた説の一つに、こんなものがある(眉唾物であり、本来ならば書籍に載せるには疑問符が残るのだが)。
幾度となく繰り返された人との戦いで今日ではその姿を減らしつつある。また、昔でこそ一般的でなかった魔道具は、技術革新により一般化するとともにその効果を増し、魔法使いでなくとも誰もが強力な魔法を使用できる日も近い。すでに長旅をするには魔道具が必需品となり、旅先や道中で魔族に出会しこれを滅することのできる機会もままある(今日では、魔族に出会って魔道具を取り出した途端すぐ逃げられてしまうほど警戒されている)。
ノルムとその子孫は人の開発する魔道具の危険性を一番先に認識した、姿を変えた魔族達だったのではないか、と。
(北部高原の隆盛と衰退より)