7日後、彼女は死ぬ。死にたくなかったと呟いて 作:ラスコーリニコフ
良い天気だ。
雲ひとつない、どこまでも広がる真っ青な空。
小高い丘の上、目の前の白亜の建物は燦々と降り注ぐ陽の光に照らされ白く輝き、風はそよいで青々と茂った木々が歌う。
まるで、世界の全てが今日という日を祝福しているようだった。
ふと、視線を自分の装いに落とす。
胸元から足元まで、全身を覆うような真っ白な衣装。
スラリと広がったAラインのシルエットにはチュールレースが施され、この日に相応しい華やかさを与えてくれている。
「……私が、こんな衣装を着てもいいのだろうか」
幾度となく繰り返したそんな問を呟いてみる。
胸の奥底から湧き上がる高揚感と多幸感は、そんな疑問に答えを与えてくれているような気がした。
扉を開け、式場に足を踏み入れる。
両脇から祝福の声が聞こえてくるような気がしたが、私の意識は正面だけに向けられていた。
荘厳なステンドグラスから射し込む光の中、真っ白なタキシードに身を包んだ人物が立っている。
一歩、歩を進めれば、その度に彼との距離が近づいていって。
遂には、彼と同じ場所にまでたどり着く。
ベール越しの景色はモヤがかっていて、彼の顔はよく見えない。けれども、微笑んでいることだけはわかった。
そうして彼のことを見つめていると、ふと近づいてくるのがわかって思わず目を閉じる。
そっとベールが上げられ、肩に暖かな手が触れるのがわかった。
私は……私は、こんな風に幸せになってもいいのだろうか。
こんな、まるで夢みたいなことが──
***
「……くだらない夢だな」
真っ暗な部屋の片隅で、私はそう呟いた。
視界の隅に時計を表示させれば、4:44という数字が並んでいる。どうにも、妙な時間に目覚めてしまったようだ。
いつも通りの手馴れた足取りで仮眠室の入口へ向かうと、壁面のスイッチを手探りで押す。LEDの人工的な光が点灯し、殺風景な部屋は白く照らされた。
本当はもう少し寝ているつもりだったが、あの夢のせいで今更寝る気にもならない。私は寝起きのどこかぼんやりとした頭のまま、壁にかかった服を羽織ると部屋の隅へと向かう。流し台で顔を洗えば、不明瞭だった意識もようやくはっきりと覚醒してきた。ずぶ濡れのまま、顔を上げる。正面に飾られた鏡に映るのは、当然ながら私の姿だ。
傷んだ真っ白な髪。白磁のような……と言えば聞こえはいいが、血色を感じない真っ白な肌。そして、全身を覆う真っ白な衣服……白衣。
「……ふっ」
夢の中の人物との違いに、思わず自嘲の笑みが口をつく。これが私だ。これこそが現実だ。鏡から目を逸らし、取り出した携帯端末に入っていたメッセージを確認する。……どうやら、今日は出張しなければいけないらしい。畳みかけてくるような現実に、私はまた自己を再認識する。このような人間が、幸せになれるはずがないのだと。浮かんだ薄い笑みは、しばらく張り付いたままだった。
***
夜。私は埠頭で拳銃を手にした男と対峙していた。彼は企業から研究データを盗み出した、いわば産業スパイである。
「来るな!こ、これが見えないのか!?」
研究データと引き換えに金と安全を得る。その取引のためにこの場所に来たようだが、おそらくそれが偽のメッセージだったのだろう。私の業務内容は、この場所に来た男を始末することだった。
「う、撃つぞ!わた、私は本気だ!」
何やら喚いているが、関係のないことだ。そもそも、撃つなら撃てばいい。わざわざ口にする必要があるのだろうか。一切聞き入れることなく、私は男に近づいていく。
「……っ、わあああああ!」
その矮小な精神に限界が来たのか、男は目を瞑って引き金を引いた。驚いたことに、銃口はきちんと私の方を向いている。そうして銃弾が発射され、私の身体に吸い込まれていった。
勿論、銃弾程度では何の問題もないのだが。
「……え?」
「……ふむ」
「っ!」
体内のカルシウムカーボネートの濃度勾配を制御して、体表近くで飽和析出させる。ドーパミンを過剰分泌させて、痛覚を遮断する。やっているのは、その程度のことだ。しかし、男にとってはそうは映らなかったらしい。
「ば、化け物……」
「……君は自分が盗んだ物のことも知らないのか?」
盗まれたのは、ナノマシンに関する研究データ。私の担当する部署のものだ。とはいえ、男は私の部下ではない。始末するのには、何もためらう必要はないだろう。……最も、部下だったとしてもやることに変わりはないが。
腕の尺骨の生成速度と分解速度の平衡を崩す。そこに指向性を与えれば、皮膚を突き破って成長した尺骨は、さながらレイピアのような様相を呈した。アドレナリンを分泌させ、筋肉と心肺機能を強化しながら、私は男の心臓に一直線に貫く。
「あ……あ……」
鈍い感触と共に、男は泡を吹いて倒れた。見開かれた目は何も映しておらず、光は失われている。その姿を見たところで、私の心に特に動きは無い。それは決して、これに慣れきってしまった証左などではなく。最初からそうだというだけのことだった。
形成した外骨格とレイピアを分解しながら、取り出した端末を操作する。
「……フロストだ。仕事を終えたので、後始末を頼む」
細胞分裂を促進して傷を再生させれば、私のやることは終わりだ。いつも通りの仕事。幾度となく繰り返してきた行為。今日も全てが同じ。そのはずだった。
「…………っ‼」
突如、激甚な痛みが背中を襲う。まずい、どうにかしなければ。そんなことを考える暇もなく、私の意識は闇に沈んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇
「余命一週間です」
「……そうですか」
私はあの後、後始末をしに来た部隊に発見され、病院に運び込まれたようだ。簡素なベッドで目を覚まし、体調の確認が終わった上で医師からの話があると聞いて来てみれば、私はどうやらもうすぐ死ぬらしい。
説明によると、細胞のがん化が異常な速度で進んでいて、それが全身で起こっているということだ。現状、私の方でもがん細胞の分裂を抑制しているのだが、それでも一週間が限界だという。幸いなのは、ナノマシンのおかげで痛覚を抑え込むことができ、日常生活程度ならできそうだということだろうか。私は早急に退院することを決めた。
病院には見舞客もやってきた。企業からやってきた福祉部門の担当者で、遺産相続や遺族年金などの説明に来たらしい。相続する人も、年金をもらう人もいないと言ったのだが、仕事だと言って一通りの説明と書類だけおいていった。企業ご自慢の福利厚生は、こんなところにまで発揮されるらしい。
続いてやってきたのは所長だ。彼とは私のデータを研究に使ってほしいということ、業務の引継ぎのために明日研究所を訪れるということを話した。
「……君のような優秀な研究者を失ってしまうのは痛恨の極みだ。やはり、私は君を止めるべきだったのかもしれないな」
そういった所長の眼には、深い悔恨が見えた。しかし、彼は知らないのだ。私が一体何をしていたのかということを。もし知ることができたのならば、彼はあんな眼をせずにすんだのかもしれない。
がん化急速に進行したのは、ナノマシンを使ったことが理由なのは間違いない。それは果たして、人体を弄んだ罰なのか、はたまた多くの人を殺めてきた罰なのか。
いや、きっと両方なのだろう。犯した罪ゆえに、私は罰を受けて死ぬのだ。自業自得、因果応報。そう言った言葉が、私には相応しい。
だから、死への恐怖は無かった。どこか、いつかこうなることを私は知っていたのかもしれない。どこかで終わりにしたかったのかもしれない。
余命一週間。私は、後七日間を過ごしたのちにこの世から消える。それまで一体何をすればいいだろうか。友人や家族と過ごす、というのが普通なのかもしれないが、生憎私には友人などいないし、家族もいない。
そうなれば、やはり研究だろう。折角私が被験者をしていたのだ、それを後世に残さないわけにはいかない。それに、いくつかの新理論についても書き残しておきたい。
取りあえずのところ、明日は研究所に行こう。それだけ決めて、私は眠りについた。
私は一人だった。
毎日書物で埋め尽くされた部屋で寝起きして、時折部屋の前においてある食事を口にした。
誰もいなかった。
誰も私を見てはいなかった。
私は孤独だった。
でもある日、誰かが窓を叩いた。