7日後、彼女は死ぬ。死にたくなかったと呟いて   作:ラスコーリニコフ

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三日目

 午前中、私はデスクでただ時間が経過するのを眺めていた。今日も相変わらず、私に向けられる視線は一つとしてない。業務をせずに過ごす数時間は、思った以上に緩慢だった。

 正午を過ぎたあたりになると、業務を一時中断して休憩に入る研究員がぱらぱらと出てくる。弁当を食べたりカフェテリアに向かったりと、過ごし方は様々だ。その流れに乗るかのように、私も席を立った。

 

 

 カートの所属している神経セクションは私の居るナノマシンセクションからかなり離れた位置にある。……結局、どうするかを決めかねたままここまで来てしまった。そもそも、彼が今休憩に入っているかどうかすらわからないのに、本当に私は何をしているのだろう。

 周囲からの異物を見る視線を感じながら、私はオフィスの入口へと近づく。遠目に窺えば、彼は同僚と思しき数人と談笑していた。

 ……やはり、やめておこう。これは何かの気の迷いだ。こんな、私が来たところで、彼としても迷惑に違いない。

 顔に薄く笑みを張り付けて、踵を返す。痛覚を遮断しているはずなのに、なぜか胸がちくりとした。だが、これでいいのだ。そのはずだった。

 

「リリ!」

 

 ……そのはずなのに、どうして君はいつも私のことを見つけるのだろう。

 

「こんなところにいるなんて珍しいな。何か用事でも?」

「……ああ。……君と、少し話がしたかったんだ」

「…………え?」

 

 質問に返事を返すと、カートは間抜けな声を漏らした。何かおかしなことでも言っただろうか、なんて言うつもりはない。自分でも柄にもないことをしている自覚はある。

 

「……あ、いや、済まない。ただ、驚いたな。君がそんなことを言うなんて」

「……自覚はあるさ。それで、今時間はあるか?」

「ああ。そうしたら、どこか静かな場所……屋上にでも行こうか」

 

 

 屋上に来たのは、もしかすると初めてかもしれない。吹き抜ける風が気持ちいい。私たち二人のほかは誰一人おらずしんとしていて、話をするにはいい場所だった。

 

「それでリリ、話っていうのは?」

 

 オブシディアンの瞳が、こちらを覗き込んでくる。……何をどう話せばいいのか、そもそも、私は自分でも何がしたいのかよくわかっていなかった。

 だが、何はともあれ、気にかかったことだけ話してしまえばいいだろう。結局のところ、話すことはそれくらいのはずだ。

 

「……ああ。昨日、君と少しばかり話をした後、またいつか続きをと言われたと思うのだが」

「ああ。確かにそう言ったな。……もしかして、何か進展があったのをわざわざ言いに来てくれたのか?」

「いや、そういうわけではない。ただ、次はもうないということだけ言いたかったんだ」

 

 私がそう告げると、彼は呆けたような顔をした。

 

「次はないって……どういう意味だ?ここをやめるのか?」

 

 私は。ここで、頷けばいいはずだった。わざわざ彼に本当のことを言う必要などない。適当にそれらしい理由をつければいいはずだった。

 だというのに、こちらを見つめる真っ黒な、宇宙色の瞳に、心がなぜか揺れる。こちらの心の内を見透かすような、その視線に。

 

「……医者に、余命一週間と言われた。正確には、あと四日と十数時間というところか。……そういうわけで、もう君と会うことはない。それだけだ」

 

 言うべきことは言い終わった。これで、彼も私がいなくなることを納得してくれるだろう。ナノマシンに興味があるようだが、おそらく私の後任も就くだろうし、部下たちも残っている。人当たりの良い彼のことだし、いくらでも話はできるはずだ。

 

「すまないな、くだらない話につき合わせて。それじゃあ……」

 

 そう言って、私がその場を立ち去ろうとした、その時だった。

 

「急にすまない、リリ。明日、何か用事は入っているかい?……勿論、親しい人と何かあるようならいいんだが……」

 

 彼が突然何やら言い出す。質問の意図が見えないのだが、とりあえず答えることにした。

 

「……いや、用事はない。親しい人とやらもいないしな」

「……すまない」

「いや、本当にいないんだ、気にしなくていい」

「……それなら明日、もし君さえよければ一緒に出掛けないか?」

「……私と?」

「……そうだ」

 

 突然のことに、少しばかり面食らう。

 私のような人間と一緒にいたところで、何も面白くないと思うのだが、彼は何を考えているのだろうか。何か、冗談の類ではないか。

 しかしながら、彼の表情は冗談ではなさそうだ。すると、カートは本当に私と出かけたいと思っているらしい。

 

「……別に、構わないが」

「……本当か!?……ああ、勿論、君の体調にもよるが……」

「それに関しては問題ない。ナノマシンで病状は抑えてある。でないと、ここにいるはずないだろう」

 

 別に、特に断る理由がなかったから受けた。それくらいのことだ。特別の意味があるわけではない。どうせ、もともと何もすることがなかったのだ。死ぬまでの時間を潰せるのならば、それもいいかもしれない。

 彼に言われて連絡先を交換すると、私は屋上を後にする。暫くしてから連絡があり、明日の集合場所と時間が決まった。

 考えてみれば、誰かと出かけるなど、人生で初めての経験かもしれない。これまでそれなりに生きてきたつもりだが、存外経験がないことはたくさんあるものだ。尤も、普通の人は殺しの経験などないだろうが。

 何日かぶりの自宅に帰り、服を脱いでベッドに横たわる。明日は、今日よりかは早く終わるかもしれない。

 




手を引かれるがまま、野原を駆け回る。
繋がれた手が、温かい。
私は、温かさを知った。
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