7日後、彼女は死ぬ。死にたくなかったと呟いて   作:ラスコーリニコフ

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四日目

 指定された時間通りに待ち合わせ場所に行くと、カートらしき人物は既にそこに来ていた。らしき、というのは、服装が見慣れないものだからだ。白衣以外の彼を見たのは、これが初めてだった。

 少し肌寒くなってきた季節に合わせてか、薄手のニット生地にコートを合わせている。やや逡巡していると、こちらに気付いた彼が手を挙げた。

 

「すまない、待たせたか」

「いいや、今来たところだ。それじゃあ、行こうか」

 

 その言葉と共に、彼に連れられるまま歩き始める。

 

「……体調は大丈夫か?」

「ああ。相変わらず問題ない。……ところで、どこへ行くつもりだ?」

「そうだな……まずは……美容室かな」

 

 

 おかしなことになっている。私は、彼に一緒に出掛けたいと言われて来たはずなのに、どうして一人で髪の手入れをされているのだろうか。

 一緒に美容室に来たはずのカートは、美容師と少し会話した後、外で待っていると言って出て行ってしまった。私はと言えば、そのあとされるがままに髪を洗われ、切られ、何やら薬品を塗布され、熱されたり乾かされたりとよくわからない。

 今まで髪は自分で適当に切っていたので、こんなことをされるのは生まれて初めてだ。視界の邪魔にならない長さなら何でもいいと思うのだが。

 美容師はものはいいだとか、手入れをもっとしろだとか言っていたが、適当に相槌を打っていたら完成だと言われた。促されるままに鏡を見る。

 

「…………?」

 

 そこには、見たことがない人物がいた。……いや、正確には私なのだが、こんなのは私ではない。

 白い髪は艶めいていて、白いというよりは光っていると言った方がいいような色合いになっている。毛先は整っており、今までのものとは全く別物になっていた。

 首を傾げながら店から出る。待っていたカートは、私を見るなり口を開いた。

 

「似合ってるよ、リリ」

「本当か?……何か、おかしくないか?」

「そんなことない。すごく、綺麗に見える」

「……そうか」

 

 

 次に彼に連れていかれたのは、服を売っている店だった。ここでも、店員たちに言われるがまま、色々な服を着ては脱いで、また切ることを繰り返す。そうして、これで決まりだと言われてから鏡を見れば、やはり別人がそこにいるのだ。

 彼は、やはり似合っているという。素敵だとも、綺麗だともいう。それに、悪い気はしなかった。

 

 透明な板一枚を隔てた向こう側、水で満たされた水槽で、魚が盛んに動き回っている。

水族館とは、不思議な場所だった。無数の水槽が立ち並び、大小さまざまな魚が展示されている。中には、上が開いていて触れるようなものや、円柱型をしたものまであった。

 カートと館内を歩き回りながら、いたるところにある説明書きを読んだり、魚を眺めたりする。存外、魚を見るのは興味深かった。お互いに生体系の学問を取り扱っているからか、魚独自の神経構造であったり、器官の話であったり、話題は尽きない。それが、少しだけ楽しいと思った。

 結局、水族館を出るころには、日は沈んで夜になっていた。

 

 食前酒として出されたスプリッツァーを口にしながら、周囲の様子を目で窺う。水族館から出て、ディナーでも食べようかという彼に連れられてきたのがこの店だ。落ち着いた暖色の照明と木目調の内装をした店内は、多くの人で賑わっていた。平日ということもあり、仕事終わりと思しき集団や友人どうしの集まりであろう女性達など、客層は様々だ。

 

「僕のお気に入りの店なんだ。賑やかで、料理が美味しくて」

「……それは楽しみだな」

 

 聞こえてきた声に、私は目線を正面に向ける。オブシディアンの瞳を輝かせ、こちらを見つめる彼は、いつもより近くに見えた。早くもアルコールが回ってきたのか、頬に熱を感じる。それが、なぜだか気恥ずかしかった。

 アスパラのサラダに、レバーのパテ、真鯛のカルパッチョといった前菜を口に運びながら、ぽつぽつと話をする。それは先ほどの水族館での話であったり、当たり障りのない範囲での研究の話であったり、色々だ。

 続いてやってきたイチゴの冷製スープには、ミント風味のクリームで装飾が施されている。下に甘みと酸味、それからほのかな清涼感を感じたならば、魚料理でススキのポワレが出てきた。香ばしい皮目と、ホタテを使っているらしいソースがなかなかにおいしい。どれも、普段の私の食生活ではお目にかかれないものだ。

 口直しのレモンのソルベを挟んで、肉料理がテーブルへと運ばれる。分厚いシャトーブリアンのステーキには、揚げたジャガイモでできた筒と焼き野菜が添えられ、赤ワインソースで仕上げられている。ビターなソースの味は、柔らかな肉質のステーキによく合っていた。

 デセールのフォンダンショコラとコーヒーを味わいながら、私はカートに問いかける。

 

「……君は、一体何がしたかったんだ」

 

 美容室に始まった今日一日。私は、今一つ彼が何をしたいのかがわからなかった。ただ私の髪を整え、服をそろえ、魚を見て、食事をする。それらの間に、特にこれといった目的は見当たらなかった。

 ……私個人としては、楽しかった……と思う。彼と並んで話しているだけで楽しかった。少し、胸が高鳴るような錯覚を覚えた。

 ……それだけではない。おぼろげながら、小さい頃、こんな風に彼と出かけたような、そんな気さえしてくる。 

 けれども、それはあくまで私だけの話だ。カートには、カートの目的があるはず。私は、それを知りたかった。

 

「……僕は、リリと出掛けたかった。ただ、それだけだよ。……そうだな、しいて言うなら、君に楽しんで欲しかったんだ。……僕の独りよがりかもしれないけれど……」

 

 そう言って、彼は自嘲気味な笑みを浮かべる。その姿に、嘘ではないと思った。……彼は、本当にただ私に楽しんで欲しかっただけだと、そういうことなのだろうか。

 わからない。彼が、こんなことをしてくれる理由も。

 私が、それをこんなにも嬉しく感じている理由も。

 

「……楽しかったさ。君の独りよがりではない」

「……本当か?……それなら、良かった」

 

 私は、何かを誤魔化す様にカップを口に運ぶ。

 ペルー産の豆だというコーヒーは、コーヒーらしく苦い。けれども、ほのかに甘いような、そんな気がした。

 

 

「……リリ。明日も、一緒に出掛けないか?」

 

 帰り道。二人並んで夜道を歩いていると、ふとカートがそんなことを言う。

 

「……私は大丈夫だが……君は大丈夫なのか?」

「ああ。ちょうど有休をとっているんだ」

「……ならいいが」

 

 口ではそう言ったけれど。少し、嬉しかった。明日も彼と出掛けることができることが。

 

「明日は、少し遠出をしないか?勿論、君の体調次第だけれど……」

「構わないが……行きたい場所でも?」

「ああ。……君と、二人で行きたい場所があるんだ」

 

 そう言うと、カートはどこか遠くを見やる。その瞳には、彼の言う場所が映っているのだろうか。夜風がぞわりとうなじを舐める。昼間は夏の香りを残しているというのに、夜中は暗く、風が吹けば肌寒さを感じるほどだ。けれども、寄り添った肩からは、確かな暖かさが伝わってきた。

 

「……それじゃあ、また明日」

「……ああ。また、明日」

 

 家の前で、そう言って彼と別れる。

 ……明日。私に残された明日は、もうほとんどない。……初めは、惜しくなどなかった。恐怖などなかった。ただ機械的に明日を消費して、それで何事もなく死ぬはずだった。

 けれど、今は少しだけ怖い。我ながら、あまりにも急だと思う。けれども、何かの箍が外れたように、私の中の彼の存在は急激に大きくなっていて。

 私は明日も、カートの声を聞けるだろうか。彼と言葉を交わせるだろうか。暖かさを感じられるだろうか。私は、カートといると楽しくて、暖かくて、どこか懐かしくて。それによって自分自身の冷たさが分かってしまう。罪深い人間だと、分かってしまう。

 ……彼に、嫌われたくない。私のやってきたことを知れば、彼はきっと軽蔑するだろう。でも、それならばこれは、棘のように心に突き刺さったこれは、どうすれば良いのだろうか。

 答えを出せぬまま、私は目を閉じた。

 




繋がれていたはずの手は、いつの間にか離れていた。
温かさはもう、ない。
ただ、寒かった。
冷たかった。
比べてしまうと、冷たかったから。
私は、温かさを忘れた。
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