プロローグ 太刀川シン
青い空。
白い雲。
耳に刺さる怒声。
「――――昨日マコトが念押ししてくれてたのに何でそうなんのよっ! そもそも、新学期初日に寝坊とか、入社式に遅刻するレベルでありえないん――――」
俺は今、嫌々スマホを耳に当てながら中央広場を通って校舎への道を早足で歩いている。
森のド真ん中を切り開いて建てたような自然豊かな学園、海は近いが潮の香りは何故か届かず、改めてありえない環境に身を置いていたことを思い出す。もちろん、入社式に遅刻する新入社員もありえないことは重々承知だ。
「だから……斑鳩先輩に付き合わされたんよ。学生会の上下関係ってヤツ」
日が変わる頃に就寝することを常としている人間が、午前2時までゲームをしていたら寝坊することもある。
「言い訳にもなってない。それに、上下関係で言えばアンタの方が上でしょ? 人間としての格は同レベルだけど」
続け様に毒が吐かれる。折角の綺麗な声を有効に活用してほしい所だが、今その気持ちを伝えても誰もハッピーにはならない。
「そこは年功序列っていうか……その、再三謝っとるやん? マコトにも詫びは入れとくし。それより、俺なんかと話してていいのか? これから収録なんだろ?」
寝ぼけていた頭は罵詈雑言で強制的に起こされたので、とりあえずはさっさとこの電話を終わらせたい。そしてこの怒りを忘れてもらうために二、三日の冷却期間を置かせていただきたい。
「はぁっ? だからこそよ。アンタに対する苛立ちをこのままにして後で思い出すのが嫌なの。別にそんなことでパフォーマンスに影響はないけど。だいたい――」
大きい声での小言は続く。
普段から八方美人しててストレスが溜まっているのかもしれない。
「……ごめん。これからは気を付ける。そっちも頑張って、じゃ――」
「――アンタさぁ……最近、それっぽく静かに謝っておけばいいとか思ってない?」
「えっ?」
鋭い指摘に、つい心臓が跳ねてしまった。どうやら昨年度末から続く同じ対処法の連投がお気に召さなかったご様子。つまり、毎回変わらず火属性に弱いゲーム内のモンスターのようにはいかないのが、現実ということか。
「っと、おかげで間に合ったわ。続きは後で聞くってことで一つ――」
通話が切れる。
こちらが一方的に切断しようという気配を察知してのカウンター。ヤツはもう絶対に俺から切らせることはしない。それに対するモチベーションの高さが異常なのである。
「……」
数分の猶予を確認してスマホをポケットに突っ込み、誰に言われずともせっせと働く目の前の豪華な噴水に視覚的癒しを求めてみる。そしてその先には、目的地である学生会館が見える。
ともあれ、新年度開幕から執念深い鬼電を受けた報酬として、新入生を待たせるという愚は回避できたと切り替えよう。
「――シンっ!」
「って思ったんだけど……」
知らない所で女難の相でも出ていたのか、声のした方へと顔を向ける。
只々爽やかな視覚環境、気象条件の中、待ち伏せていたのは二人、というには距離があって、一人と一人って感じ。そして個性は違えど、両者共にモデルさんみたいだ。休み明けだと、改めてそう感じる。
ギンギンに攻撃的な目を光らせて名を呼んだのは黒髪スレンダー、穂村ナギ。イケメンさを強調するベリーショートにシンプルな白のポロシャツ、ちょっとした段差で事故が起きそうな短さのスカート。需要自体はあるだろうが、外見的には男子より女子からモテそうなのは相変わらず。
「おはよ。今年度もよろしく」
まずは挨拶。近代人類の基本だ。
「おぅ、こちらこそだ」
俺の心境とは対照的に、何が面白いのか笑ってらっしゃる。よく獰猛な肉食獣というフレーズを目にするが、あいにく動物園で穏やかな肉食獣しか見たことがないのでわからない。サファリパークにもあまり関心はない。
「二年になっても変わらず奉仕活動か? 反吐が出るけど、まぁ関係ねぇし構わねぇ。こっちはほんの少しだけ気が乗ったから、副会長様に年度初めの挨拶をって話だ。そのついでにぶっ殺してやんよ」
「ですよねー。朝から物騒な……今日は5分後から新入生へのオリエンテーションだよ」
口に出してみると、正直あまり気は乗らない。再び視覚的癒しを求めてもう一方の女性へ視線を移す。
「碓氷さんも、おはよ。今年度もよろしくお願いします」
碓氷(うすい)ミオ。着用している人の少ない指定制服よりも、綺麗過ぎて人外かと思える長い銀髪が目を引く美少女。ナギ同様のスタイルの良さだが、決定的な違いである胸部からは意識して視線を外しておく。そうしないとナギの攻撃性が一段階高まる恐れがあるためだ。
「おはよう、太刀川君。思ったよりも眠そうではないのね。昨夜は遅かったみたいだから、待ちぼうけするかもってナギには伝えたのだけれど」
「さすがに今日寝坊はヤバいって」
そんな新入社員は、きっと前途多難だろう。
「それより、切りがイイからなんだけど、学生会に入らない? 籍だけ置いてもらって幽霊でも全然問題ないし、最大限の特典も付ける」
先手必勝。
当たって砕けろ。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。
やらない後悔よりやる後悔。
戦わなければ勝てない。
多種多様な先人の言葉に倣い、とりあえず言ってみる。
「三回会う度に一回誘ってくる計算ね。とても魅力的なお誘いだけれど、面倒だから遠慮しておくわ」
秒でフられた。
「そっか………………残念だ」
ホント、どうにかして入ってもらえないものか。
「おいおい。別に学生会なんぞに興味はねぇが、ミオを誘って俺を誘わねぇってのが気に食わねぇ。こんな根暗女よりも、俺の方が役に立つぜ?」
どう考えても集団の輪を乱し倒す未来しか想像がつかない。本人だってきっと本気で言った訳ではないと信じたい。そうでなければ、相当なレベルで自分を客観視できていないということになる。
「…………」
「…………」
とは言え、それらの感想はどうでもよく、碓氷さんのアイコンタクトを受け、無言を貫く。
「…………ちっ」
10秒に届かない沈黙。ナギは気まずそうに舌打ちする。
「いや……根暗女は言い過ぎた。そこまで根暗でもねぇ」
謝罪の言葉としては際どいが、謝罪と取れなくもない雰囲気。
「おぉ……」
「一年間の成長を感じるわね」
これが猛獣使いのソウルか。
軽く頷いた碓氷さんからは、トレーナーというかブリーダーというか、とにかくその種の佇まいが見て取れなくもない。まぁ知らんけど。
「……ぶっ殺す」
その言葉が何かの詠唱と取れるように、ナギの踏みしめていた地面が爆ぜ、陥没と隆起が周囲に土煙を巻き散らす。多少仲良くなってきたことへの反動か。この場でのフィットネスはそれによるものと勝手に理解しておく。
「靴もったいねぇ……」
学生会館二階、多目的ホールは完全なる防音室。加えて、位置的に反対方向であるため、この場を見下ろすことはできないはず。なので、この異常な現象を目にした新入生はいないであろうことはとても喜ばしい。きっと短い地震と認知されるだろう。
そして今後数回の余震が予定されていることを、彼ら彼女らはまだ知らない。
「大分履き古してたからなぁ、助かったぜぇ……」
裸足のスポーツ少女。そんな剣呑な眼光を飛ばしてなかったらの感想だけど。
「……」
何とか戦闘は避けたい。ただ、後々考えればもう絶対無理だったでしょ、という振り返りが透けて見えるのは事実。それでも、対話での解決を諦めたくない。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!」
文字通り地面を爆散させて一足飛びに突っ込んでくる穂村ナギ17才。世間の憧れ、若さの象徴とも言える現役女子高生にしてその足裏に触れたらほぼ死亡確定という超危険人物。
ウィーニードトーク、話し合おうという言葉を掛ける間もなく、学園名物噴水前広場は今年度も戦場と化してしまったとさ。