「――じゃ、今日は終日別行動になる」
「はい」
何か言われた気がしたので返事をしておいたが、私の意識は頭の中に浮かんでいるこの店のメニューで占められていた。
ここは、今の所解放予定リストに名前がない『卵料理区画』の玉子焼き専門店。ただ、次来店することがあっても、私は店の自慢であるらしい玉子焼きを注文することはないだろう。
「そういや、完全に別行動っていうのは、いつ以来になるんだっけ?」
「その意味ならば、先月に先輩が稀崎先輩と外出して以来となります」
ちょうど自分も、今日のスケジュールについて確認した際、同様の疑問に行き着いてはいた。ただ、今となっては非常に些末なことではある。
「マジか……どうりで、今から違和感しかない訳だ……」
それも同様だが、今日という日を考えれば、普段とは違う流れとなるのも当然なように思われる。とは言え、今は7種類あるパターンの中から3つを選定する作業に専念したい。
「よし……ちょうどいいな。んじゃ、出るか。中原は今日、どうすんの?」
「はい。私はまず、ここでパンケーキを再注文します。なので、先輩はご自分のスケジュールへ移って下さい」
木苺を絡めた2種類があまりにも甲乙つけ難い。だが、木苺で2枠の消費は本末転倒。ならば、3つではなく4つ注文してしまうのも手だろうか。
「お前……リアクション薄めだったのに……」
「それは、先輩のドヤ顔があまりにも見苦しかったからです」
あんな顔をされては、こちらとしても口角を緩める訳にはいかなかった。
「何だよそれ……」
とは言え、確かにそこまで意地になる必要はないと、今では思っている。
「まぁいいや。お前もまだ一年なんだから、たまにはダラダラ過ごすべきだ。ここは奢ってやるから、のんびり食ってけ」
「っ……」
己の内に迷いがあったのか、顔を上げた時にはもう先輩の背中は店の外へと向かっていた。
「…………」
払いの設定が先輩になっている以上、この後の注文に関してもそれが適用され続ける。そうなると、7パターン全てのパンケーキを制覇しても、一見問題はなく見えてくる。だが、そもそもがポイントではなく、自分の中に科した外食ルールの問題であったことが思い出される。
「……」
仕方なく、後日また連れてきてもらうこととし、タブレット端末から4つのメニューを選び、画面右下の注文決定をタップする。
「っ……っ!?」
スマートフォンから着信を知らせる振動、そこまでは特に言及するような現象ではない。ただ、その相手が阿僧祇先輩であることは明らかに問題と言えた。
もちろん、この着信を無視するという選択肢を取る程、自分は命知らずではない。
「――はい。どうか、されましたか?」
間違い電話、という可能性はあるのだろうか。彼女の言動から推測するなら、あっても不思議ではない。
「うん。ちょっとサヤと軽くバトろうかなって思って。今何処?」
「っ……はい。『卵料理区画』の、エッグファイア乱です」
「おっ、私もパンケーキ食おっ。すぐ行くね――」
「――は……っ……」
返事をする間も与えられず、通話は切断される。
「…………」
スマートフォンを仕舞う。
何をするかについて、ばとろう、という言葉が耳に残っている。
「……」
これはつまり、バトルを動詞のようにして言い換えた、という理解で問題ないだろう。ただ、聞き間違いや、類似した発音の言葉である可能性についても、検討するべきなのかもしれない。
「――うーわここ久しぶりだぁ……そこの、待ち合わせです。メープルシロップパンケーキ5つ、一度に持ってきちゃって大丈夫でーす。後、ドリンクはホットのストレートティーで」
「……」
早過ぎる。そして速過ぎる。ただ、店員の女性はさすがな対応。きっと、彼女の存在はマニュアルにも記されているのだろう。薄着の印象が強いが、秋服に切り替わったのか、今日は白いシャツに薄手の黒いアウター、下はデニムと、やはりカジュアルな装い。
また当然ながら、心の準備など許されず、燃えるような赤い髪の女性は、先程まで先輩が座っていた所に腰を下ろす。碓氷先輩の凍るようなそれとは違い、業火の如き熱を帯びた圧。ただそれは、飲食店という空間により、大分抑えられているように感じられる。
「おはようございます。阿僧祇先輩」
「はよ。今日も凛々し可愛いね。食べた後って、暇?」
「はい。特に予定は入っていません」
もし入っていたらどうしていたか、とにかく予定がないことを嬉しく思う。
「おけ。ここって、シンの会計んなってる?」
「はい。そう言い残して去っていきました」
この流れの果てはおそらく、厳密には違反行為に当たるが、彼女は例外枠だと理解する。
「んーじゃ、まずはブランチだね。サヤも、追加で頼んだんしょ?」
「はい。あの……バトル、とのことでしたが、私は阿僧祇先輩のエネルゲイアに対抗する手段を持ちません。バトルが戦いを意味するなら、おそらく戦いにはならないかと思われます」
これに関しては、その相手が誰であっても同じようにも感じられる。
「はっけよいのこっただと、そーかもねぇ。その辺は、ちょい調整しよ。別に殺り合いたいんじゃないからさ。えーっとね、一応私的には、ここまで頑張ったサヤへのプレゼントって感じ。ある種の、答え合わせって言ってもイイけどね」
「プレゼント、ですか……」
それに答え合わせ。どうにも接さない二つの言葉。
こうして腰を落ち着けての会話は記憶にないが、顔を合わせた際は毎回声を掛けてはもらっていた。彼女の内心を見通すことなど私には不可能だが、少なくともわざわざ嘘を言うつもりはないだろう。彼女に、そのような手間は似合わない。
「つまり、時折先輩とするように、手合わせをしていただけるということでしょうか?」
もしそうならば、文字通り、その申し出はプレゼントに該当する。
「そんな憂さ晴らしとか、テキトーな感じじゃなくて、もっとちゃんとしっかりヤるよ。急で気まぐれかもだけど、私は今、わりかしサヤとバトりたいって思ってるから」
「…………」
少々振り返ってみると、夏に入った辺りから依頼が忙しく、実戦経験には事欠かないものの、強者との一対一の立ち合いは大分ご無沙汰となってしまってはいる。
それでも、以前程の渇く感覚はないのだが、今の阿僧祇先輩の言葉は、私の奥で燻っていた何かを明確に刺激した。
「――イイじゃん。サヤもやっぱそんな感じなんだよね。ま、まずは食べよ」
ちょうど運ばれてきたパンケーキがテーブルに次々と並べられる。客が我々のみということもあるが、大急ぎで用意したのかもしれない。ただ、深くは考えないでおく。
「……はい」
実物を目の前にして、再び食欲は戻ってくるが、何故か先輩が去る時程の魅力を感じられない。だとしても、残さず食べることに変わりはないのだが。
メープルシロップを豪快に落とし、恐ろしいスピードでホットケーキを平らげていく阿僧祇先輩。こちらも、あまり待たせないよう、少しペースを上げつつ味わう。
「うーん……こういうオールドスタイルパンケーキが好きでさぁ、ここのもイイんだけど、パンケーキに関してはシンが焼いたのも美味いんだよねぇ……何か変な感じに極まっててさ」
「そう、なのですか。初めて聞きました」
たまに朝はパンケーキにするという話はあったが、あの男が好きなスイーツはどら焼きとプリンとパンケーキなため、極まっていたとしても不自然ではない。
そんなことを考えていると、既に阿僧祇先輩の頼んだ分は1皿を残すのみとなっていた。
「そういやさぁ、あんまピンと来ないかもだけど、サヤの感じって、結構私に近いトコあんだよねぇ。はっ? って感じだと思うけど」
「……それは、どのような点について、でしょうか?」
そして正に、阿僧祇先輩が言ったような感想ではあった。
「パッと言えば、バトル漫画って感じ? エネルゲイアがあってもさ、この世界って、全然バトル漫画じゃないじゃん? 皆結局、権力とお金が好きだから、不思議な力も全部それに繋がるかどうかで価値を決めてる。力があれば、大変で面倒な権力とお金の維持も、大分楽だし」
「……」
言っていることはよく分かる。おそらく今日、学園の外で起こるという何かについても、その辺りが全面的に関わってくるのだろう。少なくとも、私自身はそのように捉えている。
「私は今だってガンガンに鍛えてるからねぇ。鍛える、遊ぶ、食べる、寝る、の繰り返しだし。サヤも、根っこのトコはそんなんっしょ?」
「……概ね、そうだとは思います」
ただ、彼女が遊びと称して行っている数々の所業は、とてもその言葉で表現するような内容ではない。しかし、これは価値観の問題であろう。そして私の価値観の中では、彼女と私では余りにもスケールが違い過ぎる。
「だから、たまにはそれっぽいこともって話な訳。実際さぁ、私らみたいなバトル漫画キャラが、不思議能力使って技術革新したり、権力闘争したり、たまにあぶれた人達がちょっと悪さをしたり、んなテンションに巻き込まれると、勝手にやっててよって感じにもなるよねぇ……」
正直、この場に至るまで阿僧祇先輩がそういう方向性だという認識は全くなかった。それでも、言っていることは非常に共感できる。
「ですが、権力闘争と言うならば、阿僧祇先輩の存在は、この世界にとって、否が応でも重要な意味を持っている……それについては、どのように捉えているのですか?」
何となく。そんなレベルの興味だったが、その問は自然と口から漏れた。
「うーん? シンにも何回か言ったけど、知らないよそんなこと。私は、人を傷付けることも、人を殺すことも、世界を征服することも楽しくない。けど、何回言っても信じられない人は信じられないし、ま、そういう人は怖がるしかないんだよね」
予想通りというべきか、嫌悪ではなく、面倒臭いといった様子で、阿僧祇先輩はそう答えた。
「私だって一応、人が嫌がることをしたい性癖は部分的だし、シンにレイカ、マコトにミオとか、色んな皆が頑張って何とかしようとしてるなら、空気を読んで何もしないくらいはしてあげようって。そういう話だね。でもま、シンが調子に乗ったら軽くいたずらしたりはするけど」
「……」
彼女からすればいたずら。きっと、それは間違いないのだろう。ただ、世界を征服できる人間のいたずらは、最早本来の意味を完全に失ってはいる。
「――よしっ、サヤも食べ終わったね。んーじゃ、紅茶飲み終わったら早速行こっか? 折角なら、時間も取れるだけ取りたいよね」
早い。
健啖家であることは、達人の条件だと祖父が嘯いていたが、こうして圧倒的な実例を前にすると、妄言では片付けづらい。
「はい。行く、というは『武道場区画』でしょうか?」
「――うんにゃ。ねねには許可取っといたから。今日は、サヤの全力が見たいし」
「……」
その言葉で、場所については察しが付いた。ただ、その無邪気な笑みから受ける圧に変化はなく、胸中には未だかつてない恐れと期待がせめぎ合っていたが、不思議とこの高まりに後ろ向きな感情を抱くことはなかった。
私は該当しないかもしれないが、多くの隣人にとって、今日は長い一日になるのかもしれない。