九月二十三日、木曜の午後3時。
天気予報は終日快晴。今の所、外れる様子はない。最高気温は34度で、この時期としては珍しい高さだ。そのため、道を行き交う人達の顔も、皆一様にうんざりとした表情が目立つ。一緒に畑仕事をさせてもらったお爺さん、お婆さんは、そんなことなかったけど。
「――ねぇ、最後の予定だった所、こっちが伝える前から、今日はお休みって言ってたよね?」
「うん。そうだよ」
だから、僕とイチルさんは既にアパートへ続くビルの近くまで戻ってきている。
「やっぱり、学園の手回し?」
「いや、これについては国の方だよ」
その方が、スムーズに話が進む。
「何か、私達からしたら、区別する必要ないわよねぇ……どっちも敵って意味で」
「そんなことないよ。学園の方が、何倍も怖いから」
とは言っても、互いに連携しているから、重なっている部分も多い。
「っ……そう、だよね。あの、神崎、大丈夫?」
「えっ? どうしたの? イチルさん。何か、心配事でも?」
とても気まずい顔をしている。そんな顔をさせてはいけない。それに、これから大事な時間が始まる。
「心配事なら沢山あるけど、今聞いたのはこっち。私は、貴方のことを心配してるの」
「ありがとう、イチルさん。僕は大丈夫だよ。カスミさんのことで、とても動揺したし、自分に腹も立っているけど、今日でその一部は取り戻せる」
だから、今からは少し強引になったとしても動く。これは既に決まっていることだ。
「そう、よね……まずはそこからよね。その後のことは、今考えても仕方ないし」
「うん。何とか、イチルさんだけでも学園に戻れたらいいんだけど」
残念ながら、自分がそれを決めることはできない。もちろん最善は尽くすけど。
「学園の外に危険がなくなるなら、別にそれでもイイかな。神崎は……学園には戻りたくないの?」
点滅する青信号に急かされながら横断歩道を渡り、後は真っ直ぐ行けばアパートに着く。
「戻りたいよ。許されるなら、ね」
「……今日が、終われば、許してくれるんじゃないの? その…………太刀川は」
「っ……」
イチルさんが彼の名前を僕へ向けて出すのは、凄く珍しい。いつも、気を遣わせてしまっている。だから、今のは少しだけ嬉しい。
「一方的に守られるんじゃなくて、僕も太刀川君の力になりたかった。その、スタート地点に立ちたい。まずは今日、そこへ辿り着く」
そんなに難しいことじゃない。僕には、頼もしい仲間もいる。
「まずは目の前のこと。基本よね」
頷き合って、ビルに入る。
「――おっ、戻ったか大将……って、姫さんが一緒ってのは……おいおい、どうすんだよ……」
笑顔で出迎えてくれたモリスは、イチルさんの姿を見ると途端にうんざり顔を浮かべる。
「しょうがないじゃない……能力がバレてるかもって、それの一点張りなんだから。神崎が頑固なのは、アンタだって分かってるでしょ?」
「バレてるって、バレてたって関係ねぇだろ。姫さんの能力は、そもそも認識されねぇんだから」
「周囲を無差別に攻撃するという対処法がある。そうでなくても、相手側の能力を全て把握できている訳じゃない」
「っ……ギリギリ筋は通っちゃいるが……そいつならいっそ、姫さんはここに残せばイイんじゃねぇか? 大将」
「それは私が拒否。だから間を取ったのよ」
付け加える点のない返答だった。
「そうかい。今更言っても仕方がねぇ話か。プラスに考えりゃ、野郎だけのむさ苦しい面子にならなくて済んだってことだ。なら、さっさとアリーナに向かおうぜ。織田島の野郎は、今日も元気に単独行動だと」
「うん、聞いてる。織田島から、他には?」
「報告としちゃ、学生会の監視が昼過ぎで途切れたって話位だな」
「っ……やっぱり、そうよね……とは言っても、気配なんて分からないけど」
正直、今日に限って言えば、監視下であってもやることに変化はない。
「それも、状況を裏付ける要因の一つかもしれねぇな。後は、再度大将に確認してくれってよ」
「うん? 何を?」
間違いなく、考えるよりも聞いた方が早い。
「アリーナが陽動である可能性の検討、もし外れた時の対処について、だとよ」
「変わらないよ。それは考慮しない。ハイネの狙いは大量殺人、洗脳のどちらかで、彼に裏をかく意図はない。わざわざ日時を教えたのは、計画の失敗を想定していないからだ。後、十日のことは、話からもモルツの独断に間違いない」
「俺も同じだぜ。向こうは俺達を舐めてやがる。連中に一貫性があるなら、今日は逃げも隠れもしねぇはずだ。何より……本人は気にしねぇだろうが、姉さんの落とし前は付けさせてもらわねぇとな……」
当たり前だけど、モリスもカスミさんのことについて、責任を感じている。それがとても、申し訳ない。
「……織田島って見たまんま捻くれてるから、相手が正面から来るとはどうしても思えないのよね。ハイネの存在にしても、学園の外にいる能力者に、そんな求心力を持った人間がいるはずないっていうスタンスで否定してたみたいだし」
「……アイツはどうにも性悪説だからなぁ。あの副会長様が首を傾げる程だから、病気なんだろうな」
「そんなことないよ。織田島は人より少し、慎重なだけだ。そろそろ行こう。そこまで、時間に余裕がある訳じゃないから。イチルさんは、着替えるんだよね?」
「うん。でも、神崎も着替えるんでしょ?」
「えっ? 僕は、別に」
「おい……大将、さすがに農作業したままのジャージじゃ、締まるモンも締まらないぜ……」
その指摘を受け、仕方なく僕も着替えることにした。正直、ジャージでも黒いシャツでも変わりはない。
その後、イチルさんの準備を待ち、僕達三人はビルを出て最寄りの駅まで歩き出す。
「――大将、逆ナンには女だって答えた方が早いぜ。もし相手が同性愛者なら、またそん時考えりゃいい」
「要らないわよ。私が連れだって言うから」
「それだと俺の肩身が急に狭いんだが……」
イチルさんもモリスも、心配しなくていいことを心配している。
「アリーナへの到着は、予定通りの時間になりそうだね」
乗る電車が大きく遅延した場合は、少し強引な移動方法になってしまう。
「5時過ぎって所か。最初から監視がねぇって通達してくれりゃ、昼飯を向こうで食ってのんびり待機でも良かったんだがなぁ」
「そんなお金ないでしょ……」
「おいおい……パチンコが禁止されたって、さすがに牛丼位は食えるぜ……」
「はっ? 何でお金持ってんのよっ? 今回の運賃だって、一宮先輩の財布から断腸の思いで借りたのに……」
「そいつも言葉遊びだぜ、姫さん」
確かに、僕達はカスミさんの財布からお金を盗んだ。また一つ、償わなければならないことが増えてしまった。けれど、カスミさんが何処から金銭を得たのかも、謎に包まれている。
「ハァ……まぁいいわ。今は細かいことを気にしてる場合じゃないわよね。それより、モリスはどう思ってんの? 興味ないって言っても、さすがに相手の出方について、考えてはいるんでしょ?」
イチルさんが再度振り返りながら話し掛ける。モリスは何故か、この三人で行動する時、僕達の少し後を歩く。
「姫さんよぉ……我がレジスタンスは適材適所で回ってんだ。俺は大将の太鼓持ちだぜ。頭脳労働全般は織田島の野郎が仕切ってんだ。仲間の仕事を奪うなんて、そんな非道は俺にゃ似合わねぇよ」
「うぜぇ……」
あまりイチルさんを刺激しないでほしいけど、それよりモリスの役回りについて、僕は初耳だった。それに、タイコモチという役職を、僕は聞いたことがない。
「とは言え、だ。さっきも言った通り、向こうさんは俺達を舐めてやがる。なら、邪魔をするなら勝手にどうぞって構えだろ。手の込んだ出迎えもねぇ以上、謎解きバトルみてぇな展開にはならないと思うぜ」
「っ……つまり、正面から待ち構えてるってこと?」
「知らねぇが、待ち構えてるとしたらあのモルツって野郎じゃねぇのか? 大将にあんだけビビらされたんだ。一人でリベンジに燃えてても違和感はねぇ」
少なくとも、僕は怖がらせるつもりはなかった。それはとても、余計なことだから。
「確かに……ハイネのことは結局何も分からなかったけど、私達のことを気にしてる風には見えないわよね。あのシメイって女の人も、積極的に戦いたいって感じはしなかったし」
「あのデカ女はハイネってヤツにベタ惚れなんだろ。好きな男の我儘に付き合う、健気な女と見たぜ」
「健気な印象は1ミリも抱かなかったけど……」
僕もそうだ。ただそれよりも、彼女の戦闘能力が現状では最も大きな脅威の一つなのは間違いない。もし不意打ちを許せば、モリスや織田島でも負ける可能性がある。
「何にせよ、だ。織田島が調べて、俺らが動く。ここまで来てスタイルを変える理由はねぇ。目的が何であれ、連中は四面楚歌さ。今日死ぬか、捕まって死んだ方がマシな目に遭うか、二つに一つだろうな」
「モリスってそういうトコは容赦ないわよね……」
「何言ってんだよ。俺はまだまだ甘い方だぜ。味方を危険に晒してまで敵の心配をする趣味はねぇが、これでも同情する優しさは忘れてねぇ」
「僕も、モリスの優しさはよく知っているよ」
横断歩道の先にはもう駅の改札が見えている。少し気が逸っているのか、大分早い到着だ。
「……」
「……」
「うん? あ、そういえば、僕、電車に乗るのって、いつ以来になるんだろう。二人は、最後に乗ったのいつだったか憶えてる?」
「……さぁな。学園初日、オリエンテーションの日に乗ったのが最後じゃねぇか。まぁ、途中からの車移動しか記憶にねぇが」
「多分、私もそうだと思う」
きっと、僕も二人とあまり変わらない。ポータルの便利さに慣れてしまうと、公共交通機関のありがたみは半分未満になる。無理もない話だ。
イチルさんが買ってくれた切符を受け取って、改札に通す。これも無理もない話だけど、切符を利用しているのは僕達だけだ。
ホームまで来ると、それなりに人がいる。周りの人達は皆、僕が男なのか女なのか気になっている。他人から見れば絶対にどっちでもいいことだけど、これも価値観という言葉で説明ができる。
「――俺は姫さんも、後五年経ちゃ美人のカテゴリーに含まれると思ってるぜ」
「モリスとしては励ましてるつもりだってことは理解してあげる。ただそれとは別で、アンタは顔も図体も十代には見えないわよ」
「大将には今日も淑女の熱視線、逆に俺は大抵視線を逸らされる。ったく、ままならない世の中だねぇ……」
「言っておくけど、そういう発言も含めてだから」
イチルさんは美人だし、モリスはとても大人に見える。だから、特に言葉を挟む余地はない。
最も乗客の少なそうな先頭車両の方へ歩き、来た電車に乗る。一度ある乗り換えが向かいのホームなのは助かる。僕は、都内の地下鉄で迷子になった経験があるから。
「具体的な話は、また着いてからにした方がいいね」
「ゲームの話をしている体で話せば問題ねぇとは思うが、俺としちゃ構わねぇさ」
「何となくだけど、同じ目的地の人も結構いるかもしれないわね。チケットが取れなかった人の中には、アリーナの周りとか、近くのお店で動画視聴する層もいるらしいし」
僕は動画を観るなら部屋の中でゆっくり観たい。楽しみ方は人それぞれだ。
「そういえば、桐島さんも出演するって、さっきファンだっていうお婆さんから聞いたよ。本当に凄いんだね、彼女は」
「――ちょっ、情報源もそうだけど、そここそ伏字にするべき箇所だと思うんだけど……」
「っ……あ……そうだね」
桐島さんは本名を公開せずに歌手活動をしている。全てイチルさんの言う通りだった。
「学園と斑鳩がバックに付いてる時点で、気にする必要はねぇと思うが、展開によっちゃ、この後出くわすって流れもあんのか」
「ないわよ。彼女、MVでの出演らしいから。アリーナにいるなら、わざわざそんなことしないでしょ。けど、もし生出演だったら、彼女もとんだ災難に巻き込まれる所だったわよね」
申し訳ないけど、自分としても彼女がいないことはありがたい。
張り詰めるのはまだ少し先でいいと頭に言い聞かせ、二人の話に耳を傾けている内に、特別快速の電車は順調に運行していく。この三人のいい所は、基本的に会話がスムーズに流れていくことだ。
逆に、織田島とカスミさんとの三人も、話さなくていいからある意味でスムーズと言える。僕もいつかは、相手を楽しませられるコミュニケーションを身に付けたい。
「――ここで乗り換えて、後二駅だね」
「偉いな大将、完璧な段取りじゃねぇか」
「ありがとう、モリス。乗り換えアプリのおかげだよ」
「……けど実際、そういうのに限って苦手って人もいるのよね……」
ほんの少しだけ気持ち良くなりながら、向かいの電車へ移動する。もし最後尾に乗っていたら、車両数の関係で少し余計に歩くこととなる。そこまで教えてくれるアプリはとても偉大だ。
「……」
見やすい位置にあった時計は午後5時ちょうど。アリーナライブの開始まで、1時間を切った。さっきよりも車内は混んでいて、周りから聞こえる話題も統一されている。
「満員電車って程じゃないけど、こうなると早めに行ってる織田島が羨ましいわね……」
「俺は部屋で寝ていられる一宮姉さんの方が羨ましいけどな」
「アンタね……」
イチルさんは人混みが苦手。モリスは変わらず、場を和ませようと気を遣ってくれる。後、さっきから座席に腰掛けている二人組の女の人が、ずっと僕のことを見ているけど、これは無視した方がいい。
それからまもなく、目的の駅に到着して、僕達は電車を降りる。誰もがモリスを避けるように道を空けてくれる。何だか少し、申し訳ない。それと、ずっと僕のことを見ていた女性が近付いてきたけど、イチルさんが間に入ってくれた。これも申し訳ない。
「――切符を通してくれる改札が一か所しかねぇ……」
「今時普通でしょ」
ここはそれ程大きい駅ではなく、アリーナまではここから普通に歩いて15分程。本気で移動すれば、数分と掛からない距離だ。
「ここからは少し急いだ方がいい。周りの人達も、明確な目的を持ってここに来てる。気配を消せば、僕達を認識する人は少ない」
「今のご時世、オカルトを本気で信じてる人間なんてほぼ絶滅してる。さすがに、大将を逆ナンしようとしてる淑女もいねぇ」
「淑女は逆ナンなんかしないわよ……」
真っ直ぐにアリーナへ向かう人の列から少し外れて、僕達は駅から離れる。幸いにも、ライブ目的の人を除けば、駅周辺に人は少ない。
「気温は30度越えみたいだな。どうりでそろそろ十月だってのに半袖が多い訳だ。地球温暖化ってヤツか」
「そうね。暑さによる不快さがないから、ついつい外気温に無頓着になりがちなのよね」
「まぁ氷山の最高峰でも気合で何とかなる身体だからな」
「それはさすがに嫌だけど……」
僕も嫌だけど、何とかなるのは事実だ。
早歩きで回り込むようにアリーナを目指す。駅から半キロ程離れたこの辺りは、大分空間が開けている。
「――実際に来たのは初めてだが、もっと周りは何もないもんだと思ってたぜ」
「確かに、アリーナを過ぎた反対側は、普通に結構高いビルとか建ってるわね。何となくだけど、競技場とかってそういうイメージよね」
「そうあってほしかったね。でも、さすがにアリーナの周囲はある程度開けてる。住宅街も離れているし、周辺の人達にまで被害が広がる可能性は低い」
それでも、エネルゲイアなら分からない。物理的な距離をゼロにする例も、確かに存在するからだ。
「彼らのターゲットはアリーナの観客、それと関係者。現状で最も確率が高いのは、薬を撒いて殺害、もしくは洗脳すること。本命は舞台装置になるけど、到着次第織田島と情報を共有しよう」
この前は突発的だった。
だから、気付いたら冷静になれていた。
でも、今日は違う。
僕達はこれから、人を殺す。
今ここで、そう決める。
でないと、僕は震え出してしまうから。