『――――じゃあ、緑寮のエリアに入ったらメッセージを頼むよ。すぐ迎えに行かせてもらう』
「はい、了解しました」
通話を終える。
先輩との同道初日は遺憾にも濃い体験であったことは否定できない。その中身の振り返りをしながら帰寮し、夕食を食堂で済ませるか、モールへ買い出しに行くかで葛藤を始めた所、稀崎先輩から夕食に招待されたというのが現状だった。
正直に言えば、葛藤の余地などなく買い出しに行く流れは明らかであったが、気持ちの上では億劫な思いがあった。そういった意味で、他者からの食事提供の誘いは渡りに船と言える。
先達を待たせることは不義に当たるとの摂理から、兎にも角にも寮を出て、先程先輩が去って行った方へと歩き出す。
時刻はもうすぐ午後7時。夕食の時間としては一般的だと思われる。
既に夜の帳が下りた寮区画だが、一定間隔で設置された街灯に照らされ、歩道の周囲は夜道と言うには随分と明るい。気温は快適、夜風は夏に限るが、頬を撫でる春風はそれはそれで心地良い。
「………………っ」
先程検索したゴールデンリボルバー、もし次があるなら夢の中ではあっても借りは返したい所。もう長いことあのゲームからは離れているが、久しぶりにその攻略について頭を巡らせていると、もう二年生の寮が建ち並ぶエリアまで到着していたようだ。
「随分と到着が早いね。もしかして、気を遣わせてしまったかな?」
シャツにジーンズ姿の稀崎先輩。一瞬思考が遅れたのは、やはり普段の男装を見慣れているせいだろうか。
「迎えに来ていただいてしまい、すいません」
「いや、私自身、去年初めて上級生のエリアを一人で歩いた際、少しだけ心細く感じたことがあってね。サヤには不要なことだと思ったのだが、付き合ってもらってすまない」
彼女の気遣いは全て受け入れて気にしないことが最適解。先輩からの数少ない有意義な助言だった。
「ありがとうございます。そういえば、今日の食事というのは、ルームメイトの方も一緒なのでしょうか?」
人それぞれだとは思うが、一年を過ごした結果として、二人部屋が基本の寮内では、どのような形式がスタンダートなのだろうか。今後、佐藤さんと共同生活を送る上での参考として、是非聞きたい所ではあった。
「あぁ……そういえば、言っていなかったか。これは申し訳ないことをした。当人は今日会って、自己紹介は済ませたという言葉に引っ張られてしまった格好か。夕食は、レイカも交えて三人の予定だよ」
「……なるほど、レイカさんがルームメイト……一年の頃から、なのですか?」
副会長補佐と会計監査、学生会の重要ポストを担う二人がルームメイトというのはある意味で有意義な部分もあるのだろうか。稀崎と桐島、前年度までの五十音順の法則から言えば、偶然の産物である可能性も考えられる。
「同じ『き』から始まる苗字だからね。もちろん、初対面の段階では、お互いが学生会で役職を務めることになるとは夢にも思わなかったよ」
「それは、凄い偶然ですね」
端的に、その言葉以外見当たらなかった。
稀崎先輩は言うに及ばず、レイカさんについても、先輩に迷いなく制裁を加えていたことから、友好的な関係を築ける人物だと思われた。研修の間に関わらせていただいた方々がそれに含まれないこともないが、控え目に評して癖の強い人が多いため、現状は挨拶を交わす程度に留まっている。無論、これは自分自身を棚上げしていることは否めないが。
二言三言会話を交わしている内に、建物の中へ案内される。一年はAからDが男子、以降が実質の女子寮だが、二年に関しては緑寮のA棟は女子寮で確定。標準的な考え方で推測すれば、一年とは逆の法則だろうか。つまり先輩がいる寮は、EかF以降かもしれない。
二人の部屋番号は最短距離の101で、想定よりも随分早く室内に到着した恰好だった。やはり通常なら、わざわざ先達が迎えに来る距離ではないだろう。
「あれっ? 超早いじゃない。ねぇシン、もう凸って終わらせない?」
『ないないないない。ここで待ってりゃ勝ち確って言ったの誰だよ? どうせ後5分以内で決着だから』
「ごめんね。すぐ終わるから、寛いでて」
「はい、お邪魔します」
残念ながら、既に大分耳に馴染んでしまった声が聞こえる。
広いリビングスペースは様々な物で溢れており、それでも狭さは感じられず、同様の間取りではあっても、ガランとしている自室とは全く以て趣を異にした空間が出来上がっていた。
向かって右奥は高級そうな黒地のソファ、壁掛けの大画面モニター、手前は大きなホットプレートが置かれたテーブルに椅子が四脚、そして左奥はゲーミングスペースと呼べばよいのか、雑多な機器に囲まれながらプレイ中のレイカさんがこちらへ振り返り、笑顔で迎えてくれる。
「……」
モニターに映る情報から、プレイ中のゲームは今最も流行っているFPSゲーム『アニマルクロニクル7』に相違ない。稀崎先輩も会話するためなのか、今の先輩の声はスピーカーから流れていたと思われる。文句を言う筋合いはないことは重々承知しているが、今し方帰ったばかりでもうオンラインマルチプレイをしているあの男に対し、少々の憤りは禁じ得ない。
『ワンダウン。あの人達はもう反対周るしかない。やり合わせれば終わる』
「戻って。収縮まで25」
『りょ』
トランポリンの派手な効果音と共に、超スピードで真っ赤なウサギが画面右奥から迫ってくる。
「ロップイヤー……」
迷彩という概念から程遠い派手な色よりも、垂れた耳に目が吸い寄せられる。
中学に上がる頃合いからゲームをする時間は加速度的に減り、ある程度興味の持てるタイトルが、軒並みハイスペックPC不可欠なものへと変化していったため、今では時折動画を観る程度となっているが、あの垂れ耳スキンは前シーズンの総合得点世界上位だけに与えられる、ラビット使いトップの証である。
加えて、アサルトライフルを構えているレイカさんのキツネも同種の銀ギツネスキンで、この時点で二人が猛者であることが窺える。
『あれ? 空耳……何か中原的な声がしたんだけど』
「あぁ、これからレイカと三人で広島焼きを食べるんだよ」
ホットプレートの電源をオンにしながら、稀崎先輩が状況を説明する。
『うわ最高かよ……あ、斑鳩先輩、もうすぐポイントがこっちに流れてきます。一回、漫画は休憩しましょ』
『…………あん? 俺もうマックスだから。敵さんも、円がこっちに寄った時点で二位狙いと割り切ってるよ。桐島だってスマホ弄ってるぜ?』
やる気のない時の先輩のそれを凌ぐ無気力な声。件の斑鳩先輩とは、まだ一度も会ったことはないが、世界的に有名で、小学生でも知っている大企業、斑鳩製薬の関係者という情報は耳にしている。
「っ……ログボ貰ってなかったことに気付くと、すぐに開きたくなるわよね」
『ずっと走り回って敵弾いてた俺の負担感よ……』
三者が雑談に興じていると、前述の見立て通り、自由に動ける範囲がどんどん狭くなるというバトロワゲームのシステムに追われながらの戦闘を強いられた敵部隊の方々は、消耗戦の末に自壊、ユーアーキングの文字が画面一杯に表示されてゲームは終了する。
『シン、おでん奢りな』
『えー、何で1キルでそんなダメージ出してんの……』
『んなもんお前、一生チクチク嫌がらせしてたからに決まってんだろ』
「……」
本日は金曜日、佐藤さんの件により失念していたが、来週は自分もおでん屋台とやらを覗きに行ってみようと思う。
「まだ回すなら後でメッセ送って」
ゲームを閉じてイヤホンを外すレイカさん。その綺麗な髪色は、染めているものとは思えない。きっとその道も、日進月歩なのだろう。
「さて、大して時間は掛からないから、座って待っていてくれ」
ピンクのウサギがプリントされたファンシーなエプロンを着けた稀崎先輩が、既にキッチンでほとんどの工程を終えたと見られるお好み焼きをホットプレートに投下、同様に広げられた焼きそばの上に乗せ、コテで切り分けていく。
「重ね焼きの過程が醍醐味ではあるんだが、それはまた大人数での機会としよう」
確か研修の際の会話で、広島風のお好み焼きについて少しだけ話題になり、稀崎先輩はきっとそのことを覚えていてくれたと推測される。正直、胸は高鳴っている。
まずは食事ということで、出されたお好み焼きをいただく。薄い生地、卵と細い麺、豚バラ肉、軽く進むが満足感があり、これまで特に意識していなかったが、好む食事のランキングで、お好み焼きは大きくその地位を上げる結果となった。
そして、いまいち主旨を理解していなかったが、今日は私の研修終了を祝うと同時に、今後先輩と行動を共にする上でのガイダンスも兼ねた場であるとのことだった。
食後に出されたのはメニューに合わせたのか日本茶で、ちゃんと客用の湯呑があることに少々驚く。加えて、どうやら稀崎先輩はコーヒー、紅茶も含めて淹れる練度が高いようだ。無論、勝手に紅茶を想定していた。
「――この学園って、基本個人プレーだから、学生会も必要があれば集まるっていうスタンスなのよね。もし新人歓迎会とか開いたら、どうなのかしら?」
「それはきっと、想像通りの顔ぶれになるんじゃないかな。今、来ないだろうと思ったメンバーは、確実に来ないだろうね」
PC、ソファを背に私とレイカさんが並び、キッチン側には稀崎先輩が座っている。二人共、特に座る位置は決まっていないのだろうか。
「ま、誘うのも断るのも自由っていうのはいいことよね」
「そうだね。繋げて、という訳ではないが、また声を掛けさせてもらってもよいだろうか?」
「はい、是非」
入学してから今日まで、人付き合いの大半は学生会に偏るが、特にネガティブに思う上下関係は感じられず、今回の招待にしても、稀崎先輩、レイカさんの二人とは気兼ねない雰囲気で過ごせているように思える。
「ありがとう。一応、事前に考えていたこともあるんだが、ある意味での初日を終えて、何か思う所があれば聞かせてほしい」
「アイツと一緒に行動して思う所がないなんて、ちょっと考えられないけど」
「……」
副会長である先輩と新人である私が何故行動を共にするのか。これは先輩からの指名とのことだったので、いずれ本人に尋ねようと思うが、それ程気になっていることではない。今聞きたいことはやはり。
「本日は時間の都合もあって、予定を最後まで消化できなかったのですが、『黄泉』という区画について、聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
「「っ…………」」
「っ?」
二人の表情が明らかに強張る。レイカさんはすぐに持ち直したのか苦笑いを浮かべているが、稀崎先輩の方は固まったまま、復旧は儘ならない様子。
「そうね……にしても、アイツは予定を予定と思ってない所があるから、あんまり酷かったら私かマコトに言ってね」
「はい。それについては、度を超えた際は頼らせていただきます。あの……先の質問は、何か不適切だったでしょうか?」
反応を見るに、無知故の粗相があったのかもしれないが、そうであったなら、諸悪の根源である先輩には何かしらの制裁を加えようと心に決める。
「そうじゃ……ないんだけど、ほら、サヤってお化け屋敷とか……後ホラゲーとか映画とかって、大丈夫な方?」
「大、丈夫……あの、特に関心がない、というのが正直な所です」
三者に共通するのはそれが娯楽であること。ただ、自分にとってはその意味を持たないため、今まで興味を持つことも、それについて考えることもなかった。
「関、心がない……サヤ、キミは例えば……もう放棄されて久しい人里離れた廃病院を夜一人で歩くことも問題なく可能、ということかい?」
硬直が解けたのか、稀崎先輩が過去最も早口で質問を投げる。そして、やっと質問の意図を理解する。
「好き好んで行うことはありませんが、可能か不可能かで言えば、可能です」
加えて、エネルゲイアを得るまでは、それに関連する各種超常現象にも、あまり興味はなかった。
「す、凄いな……」
「……それは、頼もしい後輩が入ってきたわね……あ、そうでなくて、『黄泉』の話よね。アイツからは何も聞いてないの?」
「魔物が出る区画だと。後は、行けばわかる、という話でした」
「魔物じゃないわ。アレは化け物よ」
子どもがピーマンやゴキブリといった、何か嫌悪を抱かせる対象を目にした際に浮かべるような、そんな表情で、レイカさんはこちらの言葉を訂正する。
「……は、はい」
そしてそこには、妙な圧力が感じられた。プレッシャーに敗れて肯定を返したが、自分には魔物と化け物の差異がわからない。
「とにかく、グロくてキモくて生理的に無理なの。私も、一回しか行ったことないから、知らないし、知りたくもないけど、あの区画に行くヤツは修行部かポイント債務者か、頭がイカれてるかのどれかよ」
「それは……少々言い過ぎかもしれないが、私も概ね同意する……」
一番伝わってくるのは、二人が『黄泉』について話したくないということだった。
「ありがとうございます。詳しくは、先輩から話を聞きたいと思います」
そしてレイカさんの方程式に先輩を代入すると、修行部でもなく、ポイントに困っている様子は見られないことから、あの男の頭がイカれていることが、数学的に示された。加えて、先輩からもその存在について言及があった修行部への印象にも不穏な何かが足される。
「ごめん、気を遣わせて……ふぅ、他に何か質問はない? 全力で答えるわよ」
湯呑をグイっと傾け、レイカさんは気合を入れ直すように背筋を正す。
「あの、何かアドバイスをいただけると聞きましたが、今日一日だけでも、この学園について全く把握できていないことがわかりました。助言をいただければ幸いです」
「まだ十日だし、それは無理もない話ね。そういえば、マコトは何を用意していたの?」
「あぁ、習うより慣れよの基本原則もあるため、少し悩んだのだが、シンと行動を共にするのであれば、ある程度の例外は認められて然るべきと思ってね。『アンタの制約教えたるわ』を借りてきた」
部分的に何を言っているのかわからないことに加え、稀崎先輩の口から出るはずもないイントネーションも聞こえた。
「それ、いいわね……決めた。私も気に入った子がいたら片っ端から使わせるわ」
「一応、シンに許可は取ることを勧めるよ。その前に、そういえば既に地下へは行ったのだったね。何か良いエイドスは排出されたのかい?」
言いながら、稀崎先輩はソファの方へ。
「はい。『どこでも刀』という名前は、どうにかしようと思っているのですが、念じることで刃を出すことができ、携帯型の刀として非常に有用な品です」
「剣とは、キミにはお誂え向きだね。他者と比較するまでもなく、良き結果と言えるだろう」
「ふぅん……サヤがそっち系だったから良かったものを、そうじゃなかったらどうする気だったのかしらね、アイツ」
「そこはおそらく、我々の領分を超える話なんだろうね」
「あの、お二人もエイドスをお持ちなのですか?」
エネルゲイア同様、このエイドスについても厳重な個人情報として扱われているのか。気軽に尋ねることではないことも十分考えられたが、他にどのようなものがあるのかは気になった。
「うん、持ってるわよ。ちなみにだけど、能力のこともアイテムのことも、知りたければ本人に聞けっていうのが基本だから、別に直接聞く分には気にしなくていいわよ。私はコレ。まぁまぁ当たり枠ね。実際SSRだし、しかも専用」
レイカさんは左手首に付けていた金色のシュシュを取る。
「今日はもう使って戻しちゃったんだけど、このシュシュは大抵の物に変化させることができるの。使えるのは一日一回で、日が変われば勝手に戻るし、戻したければすぐに戻せる。微妙なのは、曜日で色が変わることと、やっぱシュシュってとこかなぁ。気分じゃない日もあるし」
聞いた通り、第一印象で当たりであることには同意できる。
「それは、単純に便利ですね。大抵の物、というのはどの位の幅があるのですか?」
「食べ物以外なら何でもって感じね。家電にもなるし、好きなライフルとかRPG――ロケットランチャーなんかにもなるわ」
武器にもなるならば、間違いなく『どこでも刀』の上位互換でもあり、SSRは伊達ではないことがよくわかる。加えて、自分もこれから他者に説明する時は『刀』とだけ言及すればよいという学びを得た。
「ちなみにだが、私のものは専用ではなく、学生会の備品とさせてもらった。形状としてはよくある丸いマグネットなのだが、冷蔵庫に付けると消費電力が著しく抑えられるという地球に優しい一品だ。現在は、会長室の冷蔵庫に使用されているらしい」
「……やはり、エネルゲイア同様に効果は様々なのですね」
今日の経験が無ければ、もっと驚きは深かったと思われる。
「レイカのシュシュもそうだが、他者を羨み出したら終わりが見えないことも、能力と同義だろう。いずれにせよ、たまにしか使用しない調理器具を気まぐれに使える生活は、レイカとルームメイトであることの特権の一つだね」
「でも結局、たこ焼き器だけは買ったのよね」
「その必要性に気付けたのも、レイカとそのシュシュのおかげさ」
食事をいただいている間も含めて、この少しの時間内でも、二人のルームメイトとしての無理のない距離感が見て取れる。
「そういえば、サヤの能力って、あまり人に教えない方がいいタイプのものなの?」
「……あ、いえ。自分としては、隠す利点の少ないエネルゲイアだと自覚しているのですが、どうなんでしょうか?」
てっきり稀崎先輩も含め、誰かしらから耳にしていると思っていたが、先程のレイカさんの言葉通り、本当に他者からは漏れないのだろうか。何かが引っ掛かるが、ただおそらく、それはさすがに性善説的過ぎるだろう。
「うん、そうだね。自分で考えた末に結論を出すことを勧めたいが、私もそう思う。ただ、能力の詳細を伝えるのではなく、大雑把に言っておくことが、長い目で見ると利が多いかもしれない」
「……それは、そうかもしれません」
実際、先輩のエネルゲイアにしても、相手を吹き飛ばす、動きを止める。その全容はわからず、一部分だけがわかっているというのは、時として何も情報がない以上に相手を警戒させることもある。
「私はそこそこ知れ渡っちゃってるし、教えておくわね。私のは『弾を真っ直ぐ飛ばす』っていう能力よ。それだけではそうはならないんだけど、まぁ今となっては撃った弾は絶対に狙った所へ着弾するっていう理解で問題ないわ」
「……凄い、エネルゲイアですね」
FPSをやっていなくてもわかる。銃で発射された弾は距離を経て失速し、落ちる、だけでなく、風などの様々な影響も受ける。それがないことで、結果として必ず狙った的に当たる。つまり、非現実的な長距離射撃も、レイカさんには通常のレベルで可能ということになる。
「私のエネルゲイアは『精神集中によって身体能力を上げる』という効果で、練度の向上が当面の課題です」
「へぇ、随分シンプルね……身体能力の強化……バフが二重に乗る、ってことか……極めれば相手に気付かれる前に全部終わらせられるわね。それにもしかしたら、私が知っている中で一番わかりやすい能力かもしれないわ」
本人に伝えることは絶対にないが、一連の感想がほぼ先輩のそれと重なっている。
「そして、借りてきたエイドスというのが、これだ」
それはソファの上に置いてあったのか、ビジュアルとしては、手持ちサイズの黒板と形容するのが最も近いと思われる。
「少し、補足をした方がいいだろう。話のテーマとしては、私がこの学園で一年を過ごして最も下級生に伝えておきたいことだ。そんな話を、レイカともしたことがあった」
「最近だと、春休み中だったわね。振り返るとかしないけど、結構考え方は変わったのかしら」
「……」
稀崎先輩がそう言うのだから、きっと有益な情報であることが考えられる。
「サヤの卒業した中学って、いじめとか、SNSのトラブルとか、そういうダルいのってあった? ま、あったとしても、絶対サヤは関わってないと思うけど……」
「はい。概ねその通りです。ありましたし、私はほとんど関わっていませんでした」
比較対象はない。だとしても、私の周囲も一般のそれと大きな差異はないだろうと捉えている。中学からは上京し、祖父の門下である女性と二人暮らしの三年間だったが、いじめとSNSによるトラブルは、分けて考えるというよりは相補的に存在しており、学校が把握している例から水面下のものまで記憶に残る程度には散見された。
特にSNSによるトラブルは小さい不和を含めればそれこそ日常茶飯事であり、万人が利用できるという意味では、誰しもが関わっていると言えるのかもしれない。
「なら、その部分はいいわね。サヤは、能力の制約については聞いた?」
「……制約、ですか?」
初耳な言葉だ。
字義的に受け取れば、エネルゲイアを使用することによる制約、制限、代償のようなものだろうか。ただ、少なくとも、現状の自分にはその自覚はなかった。
「この制約という概念も、エネルゲイアの多様性に含まれる。覚醒して間もない新入生の中でも、既に気付いている者もいるかもしれないね」
「制約の内容にも個人差がある……それは、エネルゲイアの行使に制限が掛かるという理解でよいのでしょうか?」
「いいえ、そうじゃないの。例えば、私の能力は一日に100発まで、101発目からは真っ直ぐ飛ばない。でも、それは制約ではなくて、それも含めて能力ってこと。制約と呼ばれているものは、本人の精神に干渉してくる……」
「精神に……干渉?」
「とは言っても、そこはエネルゲイアというヤツさ。制約についても、日常生活に制限が掛かるものから、ほとんど発生しない例も多い。ただ、客観的に見て有用性が高い能力には、もれなくと言っていい程の割合で、強い制約がセットで付いてくる」
「……」
つまり、自分には大した制約は課されていないのではないか、逆にレイカさんには。
「そのミニ黒板に氏名を自分で書けば、制約が言語的にわかるってわけ。学生会の備品には、それと同じ効果のアイテムがまだ幾つかあるけど、一番わかりやすいのがその黒板なの」
「あくまで個人的な意見なんだが、能力よりも、むしろこの制約こそ、私は吹聴するものではないと考えている。だが、今後生活を送る上で、知っておくことはきっと助けになるだろう。少し、私達から離れて使用してみるといい」
そっと差し出されたエイドスを受け取ると、二人はソファの方へゆっくりと距離を取る。
「……わかりました」
見た目以上に軽い黒板に、付属されたペンで名前を書く。チョークではない点については、疑問というより使いやすいと思った。
「……っ」
切り替わった瞬間がわからなかった。黒板に最後の文字を書き終わった時には、既に効果が現れた後だったということだろうか。
『私が元々興味を持っていなかった対象への興味が更に薄れる』
着目する必要のないことだが、表示された文字の筆跡は自分のそれだった。
「……なるほど」
確かに、それについてどうでもよいと感じる。加えて、確かに興味のないことが殊更にそうであるように感じることが、最近は多かったことを、曖昧ながら自覚する。ただ、それ自体にも関心がすぐに薄れていく。
正直、不快な要素はなく、むしろ思考自体が円滑になっているとも感じられる。少なくとも、私にとってこの制約は、最適化の方向に近い効果をもたらしているのかもしれなかった。
「どう? サヤって、全然表情に出ないから、全然伝わってこないけど」
「そうでもないさ。慣れてくると、微妙な変化に気付けることも増えてくるはずだ」
「自分としては、厳しい制約ではなかったようです」
興味のないことが重要だった場合の対処は課題だが、それにこそ興味がない。逆に、レイカさんの制約については、知りたい気持ちもある。このように、自然と興味を抱くことについては何の悪影響もないため、やはり実害の少ない制約と言えるだろう。
ただそれでも、きっとこれは、自分だけが知っておけばよいと思う。そういう意味で、私も稀崎先輩の意見に賛成だった。
「……この制約が、先程のいじめ、SNSのトラブルについての話と繋がるんですね」
「あぁ。統計的に最も多いのが『自身にとって重要でない他者からの評価を気にしなくなる』という制約であることも含め、大半の学生が、自身や他者を貶めるのではなく、自らが前へ進むことを求めるようになる。但し、それによってまた新たな問題が起こる。やはり、恒久的平和は遠いということなのだろう。それらを未然に防ぐことも、学生会の存在意義となる」
「とは言うけど、私もマコトも自分のやりたいことを最優先にしてるから、それがある程度交わる範囲でってことよ」
「はい、それが学生会に所属する学生の基本姿勢だと、最初に聞きました」
「サヤは既に明確な目的を持って学園生活を送っているように見える。そして、シンと行動を共にすることはそれを達成する有効な手段の一つとなるだろう。道が違わぬ限りにおいて、我が友をよろしく頼むよ」
「……私は別にどうでもいいわ。殺せるなら、存分に殺っちゃいなさい」
「それは、急に物騒だね……」
「……っ……了解しました」
不意に再度黒板へ目を向けると、表示が更に切り替わっているのがわかる。
『私が抱く最も思い入れの強い気持ちが更に強くなる』
いずれにせよ、レイカさんから言質が取れたことは大きい。そう思いつつ、強さへと焦がれる気持ちの更なる滾りについて、腑に落ちた。