天津神学園高等学校。
東京駅から車で一時間と少し。専用道路に入った後、現在地を示す情報は皆無だったが、移動した方角は北西で間違いない。
森を抜け、厳重に閉ざされた門を過ぎた先は海の見える学園。そこは高校の校舎というよりは、複数の館に別れる大学を連想させる建物群だった。
今までの常識を覆す生活が始まることは昨日聞いていたものの、早朝から今までの短い時間の中で、その曖昧な予感が具体的な形を成した格好だ。
いずれにせよ、後数分程で目的地に着くことは理解できた。
「……」
「動揺が表に出にくい方だという印象だが、内心も落ち着いているように見える。個人的には不必要に思えるが、こちらも業務なのでな。重要な点のみ今一度確認させてもらう」
運転席に座る女性はこの学校の教員、杉浦先生。下の名前は知らない。駅からここまでの案内と、必要な説明を担当してくれている。印象は先生というよりも、軍人の方に近い。
「はい、お願いします」
「中原サヤ。エネルゲイアを得たため、君にはこの天津神学園高等学校へ入学してもらう。既に了承を得ているが、拒否することは認められず、これは超法規的措置と同等を意味する」
法律として定められない事情からか、法を超えた強制力によって、私の進学先は決定されたらしい。社会の時間にこの言葉について説明された時は、自分に向けられることなど想像もできなかった。
「敷地外へ出ることは例外を除いて認められない。カリキュラムについては、普通科以外にも希望があればそれに沿って進められる。持ち込む所持品について……いや、この項目については省略する」
物が少ないことについては自覚がある。この話を聞いた際も、特に質問することはなかった。
「次に……いや、やはりどうにも面倒だな。まぁいいだろう。後は……我が身可愛さで言うようで気が進まないが、絶対の禁止事項は教職員及び各種施設職員に対して危害を加えること、それのみだ。つまり…………車を降りた瞬間から十分に気を付けろということだ。まもなく到着するが、何か質問はあるか?」
左手で操作しているタブレット端末の指の動きから、少なくとも10ページ分は飛ばしたと思われる。タブレットの表示を切った杉浦先生は、約一時間振りに助手席の方を向いた。
「……この学園で最も強い人の名前を、教えてもらえますか?」
自分で探せばよいし、本当は聞く必要はないが、強いて言えばこの質問になる。
「……何だその質問は」
先生の表情から読み取れる感情は驚きと不快。特に彼女と友好的な関係を築く必要性は感じないため、大きな問題はない。
「……強さとは何だ? 暴力か?」
「はい、暴力でお願いします」
祖父から聞いた本当の強さ。実体のない物については、実体のある物を得てから考えようと、今は思っている。
「君は、いやお前は生まれる時代か世界を間違えた手合いということか。いずれにせよ、面倒な質問だ……候補は五人、いや六人か。だとしても、その六人を秒殺できる輩もいる。その暴力は、リング上で開始のゴングを聞いてから殺し合うのか? それとも、今この瞬間から好きに殺し合うのか?」
怒られるか呆れられるか流されるか。結果は二番目だった。
「リング上で開始のゴングを聞いてから、でお願いします」
「……まだ続けるか、面倒な…………私はエネルゲイアをよく知っているが、今は持っていない。故に、自分の目で見て確かめろ。それが一番確実だ」
想定内の答えを得る。それでも、そこに至るやり取りには一定の価値が感じられた。
「では、その候補の方から一人だけ、名前を教えてください」
歩き方、座り方でその体幹の強さ、所作からは武人としての強さが感じられる。先生から見た意見は、間違いなく参考になるはずだと思われた。
「……なるほど。それなら…………ふっ」
初めて見た先生の笑顔は、少なくとも友好的なものではなかった。車は最も近くに見えていた大きな講堂のような建物の駐車スペースに停まる。
「……太刀川シン。学生会の副会長を務めている男だ。奴に勝てないなら話にもならん。強者を探すなら、まずはソイツを殺してからにするといい」
言葉を返す前に目で促され、シートベルトを外して車から降りる。予想された潮の香りがないことに、内心で違和感を覚える。
「あまり時間に余裕がないな。まぁあの愚図が時間よりも早く始めることなど万に一つもないだろう。付いてこい」
淀みのない一定のリズムと歩幅で歩くその背中に従って、建物の中へ入る。当然、土足厳禁ではなく、下駄箱も見当たらない。どうやら、こちら側が建物の裏手に当たるようだ。
常識的な価値観と照らし合わせれば、かなり逸脱した質問をしてしまったせいか、先生の発する言葉が攻撃的になった印象を受ける。ただ、そちらの方が素に近いように感じられた。
「既に全ての新入生が詰めているだろう……今時、黒のセーラーは目立つだろうが、お前なら別に構わんだろう。トイレはそこだ。行っておくか――」
「――っ」
不意に起きた微弱な揺れに、言葉が遮られる。
地震とは違う、少なくとも今までに経験したどの揺れにも該当しない。足は自然と向かい側の大きな窓へと向かっており、外の開けた空間には人が三人。
「早々に絡まれるとは……春休みは静かにしていたが、結局は学年が一つ上がった程度では、何も変わらんか」
「…………」
繰り広げられているのは戦い。それは組み手、スパーリング、試合という言葉とは、あまりに離れた光景だった。
人間の身体の駆動、その限界を優に凌ぐ速さと力強さ。
スカートを着用しているため、女性だと思われるが、態勢など関係なしに裸足で蹴りを放ち続ける姿は、武術としては荒くも、その動きは美しい。彼女が揺れを起こしている張本人で間違いない。きっとそれが、彼女のエネルゲイアなのだろう。
「……全て、躱している……」
10秒の観察で蹴りは67発、それを超えて尚、彼は避け続けている。
ジーンズにパーカーという恰好でもわかるしなやかな体躯は、鍛錬を日常化しなければ得られない。加えて、躱し方にはまだ余裕がある。
「……」
後方で見に回っている女性、おそらく外国籍の方だと思われるが、銀色の長い髪を左手で梳きながら――――
「……鋏?」
――――右手に持っているのは髪色とは違えど銀色の鋏。美容師が使っている物かもしれない。
彼女は左手で梳いた毛先の部分に鋏を当て、宙に投げ出された数本の髪の毛が光を反射させる。何故気付かなかったのか、そこで初めて、大きな噴水の存在が認識された。
「っ……」
息が漏れる。
風に吹かれて散り散りになるはずの銀色の光が、鋭利な杭のような何かへ姿を変え、弾丸の如き速さで空気を切り裂いて飛ぶ。
困り顔だった彼の表情に、微量な緊迫感が混ざるも、高速で迫る杭を月面宙返りで豪快にやり過ごし、そのまま大きく距離を取った。
「時間だ」
「……」
肩に手が置かれる。外の光景に集中し過ぎていた。
「安心しろ。あんなものが見たければ明日以降幾らでも機会はある。オリエンテーションは確かにつまらんが、配布物やこの後の流れについての説明もある。それらの機会は一度だけだ」
「……」
揺れも意に介さず、杉浦先生は階段を上がっていく。だが私の心臓は、明らかに早鐘を打っている。
最初は、降って湧いた話だと思った。
ただそれが何であれ、私は望んでいた世界へ来たようだった。