「…………」
頭の中を切り替える。
歩きながらと言っていたが、それは一号館までの約300メートルを歩いていくということだろうか。建物の外は危険という認識だったので、てっきり全力で走り抜けるか、何かしらの対策を施すものと思っていたが。
「二号館の方は?」
「うん。今日の日替わりがメンチカツか生姜焼き定食だったのがちょっと痛かったけど。まぁ俺らが頑張れば何とかなりそう」
「煮干しで煙幕?」
「だな。とりあえず一応挟む感じで行くから。既にタモっちゃんは二号館側でスタンバってる」
一号館へ近い、西側の昇降口まで来ると、先輩の差し出した右手をレイカさんが握る。
「えっ?」
つい声が漏れてしまった。
「サヤ、シンの左手を掴んで。そうすれば、誰からも認識されなくなるから」
「……」
つまり、エイドスによる効果ということだろう。指示通り、先輩と手を繋ぐと、引っ張られるように曇天の下、小雨の中を歩き出す。
「この雨は後一時間は続く。その間は俺と、俺が触れてる人間はそれ以外の人間から認識されなくなる。ただまぁ、声を掛けたり、殴ったりしたらバレて認識されるようになるけど」
「……」
ではこの雨も先輩の仕業ということか。加えて、雨に触れているのに全く濡れない。
「けど、リスク高くない? 視界を遮れたとしても、相手の正確な人数も分からないし、激しく抵抗してくるんじゃないかしら」
「だから、援護を足そうかなって思ってる。で、中原はリーサルウェポン的起用法でいくから、とりあえずここは待機ね。近接戦闘特化みたいなの出てきたら迷わず投入するから、気持ちだけ作っといて」
「わかりました」
所謂脳筋のような扱いは不服に思えたが、特に反論する余地もないので、肯定で通しておく。
「で、細かいことは後日談で説明するから。とりあえず、タモっちゃんの能力は、直に触れた魚を武器に変える。で、今日のメインはカタクチイワシとカンパチ。イワシが高性能の煙玉で、カンパチが銃と剣が一体になってるガンソード。外れ枠だけど、まぁ十分強いから」
「……」
他の魚なら何になるのか若干の興味がそそられるエネルゲイアの内容ではあったが、TPOを弁えて口を噤む。
そして本当に何の問題もなく、私達は一号館南側の入口付近に辿り着く。
「ちょっと相手の人数だけ調べよう」
先輩はポケットから午前中に見た時計を取り出す。
「あ、それY軸判定死んでるやつでしょ?」
「だから跳びます。んじゃ、せーのって言っ――でぇっ!」
「――ちょっ!」
指示に従って跳躍したつもりが、どうやら早とちりをしてしまったらしい。二人を引っ張って跳ぶ形になってしまったが、やはり練度が高いのか、先輩もレイカさんも手を掴んだまま問題なく空中で態勢を立て直し、着地を決める。
「……察しがいいサヤへの理解が低いアンタのせいね」
「いや……丁寧な説明を心掛けたんだけど、まぁちゃんと押せたし結果オーライだ。ナイス、中原」
「いえ、すいません。今のは私が責められて然るべきかと」
単純にそう思った。
「まぁまぁまぁ。で……一階が10引く4で6、二階が5、三階と四階が2で合計は切りよく15だな。もしかしたら、戦闘不能メンバーもいるかもしれない」
「ま、やることは変わらないわ」
レイカさんは右脚に巻いたホルスターからハンドガンを抜く。間違いなく、通常の銃器ではないだろう。
「流れとしては、合図と同時にタモっちゃんが煙幕大量ばら撒きで侵入、俺とレイカが捌いてくって感じ……うーおっ! ヤバい。この人平日昼間の同接人数じゃねぇ……」
「最初は斑鳩の社員が興味本位でって話を聞いてたけど、相当数が沼にハマったってことかもしれないわね」
「絶、大企業による数の暴力……」
どういう訳か、先輩はスマートフォンで動画視聴を始めており、それを右から覗き込むレイカさんは、いつの間にか先輩の耳を掴んでいる。
「さて……」
先輩は物凄いスピードでフリック入力。動画は生配信、斑鳩先輩のチャンネルで、私も知っている大分古いRPGをプレイしている。
【ちょっとだけ援護お願いしていいですか?】
先輩がコメントを打つ。
『……あん? んだよ、おいここ何処だよっ』
荒廃した村の中、進行に迷っているのか、斑鳩先輩が面倒そうに悪態をついている。
【一号館おなしゃす】
『っと、もう初めて二時間か、早ぇな』
【一分後に五分間、耳で】
『ったく、しょうがねぇ、この村を救ってやるとするか』
先輩はアプリを閉じ、素早く通話に切り替える。
「1分後にGOで。煙幕優先で一気に四階まで上がっちゃって。撃破はなるべくでいいから」
『りょ』
先輩はスマートフォンをポケットの中へ押し込む。
「五号館の方がテンパってこっちか学生会館の方へ攻めてくれるといいけど、さすがにないよな。ちなみに、斑鳩先輩の能力は、範囲内の人間の五感を奪って、しかも滅茶苦茶融通が利く。突然聴覚を奪われた上にモク責めを喰らう彼らには同情するが、喧嘩売ったのはそっちって話だ」
先程から、入口の前で見張りをするも、全くこちらを認識できない男子学生に目をやる先輩。
「中原は、暇だったら共有フォルダ見ててもいい。多分、3分以内に制圧できると思うから」
「はっ? 絶対1分でイケるでしょ。ほら」
「ぶっ! ギリギリだっつの……一声掛けようぜ……」
レイカさんはいつの間にか手にしていた見た目赤外線ゴーグル的な何かを先輩に被せる。やや遅れて、手首のシュシュが消失していることに気付く。
「――っ!」
見張りの男子学生が右耳を抑えた瞬間、彼は先輩に顔面を掴まれて強引に壁へ叩き付けられると、意識を失ってズルズルと倒れ伏す。その時にはもう、二人は建物内へ踏み込んでいた。
「っ……」
もう煙が反対方向であるはずのこちらまで達している。加えて、あのハンドガンはサイレンサーも付いているのか、銃声はしないが、短い悲鳴や人が倒れたと思われる衝撃音が微かに耳へ届く。
「……」
先輩が判断したということは、一方的な展開にできる確信を持っている。そうでなければ、あの男は自分から攻めない。
猶予を与えられた私は、スマートフォンを開いて共有フォルダをタップする。きっと、もうゆっくり閲覧できる時間は、30秒を切っているのだろう。
名前、顔に関しては記憶になく、関わったことがない学生であることは、個人的には都合がよい。次に能力の記述へ目を移すが、やはり何の規則性も認められない。
『マウンテンゴリラに変身する』
追記:詳細は不明。変身後、特に何をするでもなく座り込む。桐島レイカの銃撃により無力化。
『任意の場所に第三の腕が生える』
追記:詳細は不明。腹部より腕が出現。接近戦においては有効な点もあると思われる。桐島レイカの銃撃により無力化。
『化粧水を自在に操る』
追記:詳細は不明。用意した10リットルの化粧水を自在に操る。化粧水の質により効果が変容する可能性あり。練度が上がれば戦闘も含め応用が可能と思われる。桐島レイカの銃撃により無力化。
『自身で回した独楽を手に乗せ、止まるまで飛行できる』
追記:詳細は不明だが、電動の独楽ではおそらく不可能。飛行時の速度は申し分なく、練度の向上により評価が変わる可能性あり。桐島レイカの銃撃により無力化。
『触れた複数の電球の間に電撃を流す』
追記:細かいルールがあると予想される。二つから能力は発動。触れてから数秒は効果が有効。自滅の危険性も高いが、トラップも含め、強力な能力だと思われる。桐島レイカの銃撃により無力化。
『投げた斧が手元に戻ってくる』
追記:ルールはシンプルだと思われる。能力者のコントロールに難あり。練度向上で化ける能力だと思われる。桐島レイカの銃撃により無力化。
『バタフライのフォームにより飛行、建物や地面の中にも潜れる』
追記:詳細は不明。見る限り、消耗は非常に激しく、飛行速度は鈍足。建物、地面に潜っている際は呼吸ができない様子。桐島レイカの銃撃により無力化。
『自分に火を付けることで、炎を身に纏える』
追記:詳細は不明。熱さは感じないが視界は劣悪な様子。炎を纏っている状態だと身体能力強化が消失する可能性あり。桐島レイカの銃撃により無力化。
『任意の必殺技の名前を叫ぶことで該当の効果を発生させる』
「……」
とにかく桐島無双だった。そして三人が涼しい顔で戻ってくる。目が合った先輩は、スマホを耳に当てている。
「無事制圧。マコト? 飯島と八重樫連れてきて」
『了解だ。10秒待ってくれ』
「こっからはちょっと巻きでいきたい。とりあえずタモっちゃんお疲れ」
「おつっす。もう二人って仕事人みたいだよねぇ。1キルしか取れんかったよぉ」
「っ……」
学生会館からは先程名前が上がった両名を涼しげな顔で抱えた稀崎先輩が、エネルゲイアで出したと思われる見えない何かを足場に細かく連続でジャンプして高速でこちらへ。実際は10秒も掛かっていない。
「よし、学生会庶務が誇る捕縛のスペシャリストコンビよ、ちょっと煙いけどはりきってどうぞ」
「「りょ」」
挨拶をする程度の関係性だが、スタイルの良い男女ペア、飯島先輩と八重樫先輩は荒縄を全身に巻き付けた状態で一号館の中へと走り去っていく。
「タモっちゃん。申し訳ないけど、学生会館の守りお願い。多分仕事ないから」
「大丈夫。スマホゲーやってるから」
「よろしくね。橋口君」
「橋口君、足場のパターンはいつも通りなんだが、わかるかい?」
「でーじょぶ。今見てたし。んじゃ、後詰めりまーっす」
橋口先輩も嵐のように学生会館へ戻っていく。
「……君?」
それについて、無視できない程度には気になってしまった。
「うん? 見ての通り、タモっちゃんは女装男子だ」
「タモツって、本名で名乗ったでしょ? 去年まではタツコって名乗って遊んでたけど」
「……そうですか」
こういう時、下級生一人というのは肩身が狭いのかもしれない。少なくとも、柿沼君が一緒にいる際は、こういうことは起こらない。
「悪いけど、マコトも終わったらなる早で戻って」
「あぁ、最速を目指そう。そちらも、気を付けて」
「助かる。んじゃ、二号館に」
差し出された手に、やや逡巡してしまったが、ほんの少し濡れていることですぐに気付き、走り出しながら先輩の左手を取る。
「もう一人って誰? 新海君じゃないわよね?」
レイカさんの口調には、明確な嫌悪が込められている。
「候補だったんだけど、ちょうど授業なくて寮だったらしい。で、着替えて外出るの嫌だって。もう一人は三条さん」
「えっ? それって……あ、今日って……」
「二十八日。ちなみに、本人結構乗り気で、何とロハです」
「へぇ……ま、あの子はアンタに結構好意的だしね」
「さすがに悪いから、後で何か送るよ。オススメあったら教えて」
「はいはい」
「……あの、ロハとは?」
ハワイで使う言葉だろうか。
「ノーギャラってこと。珍しいでしょ?」
「確かに、そうですね」
学生会に所属していない学生の力を借りる際、先輩は金銭によって一時的に雇う形を取っている。これがおそらく、先輩が不動産関係の仕事をしているという噂の根源だと考えられる。
二号館へ入ると、階段を上がって二階の食堂スペースまでやってくる。
「あ、副会長?」
「お疲れ様、副会長」
「桐島さんもおつかれー」
静かだった食堂が、二人の登場で一気に騒がしくなる。先輩とレイカさんは謝罪と安全が確認され次第一斉メールを送るという説明を重ねると、二、三年と思われる学生の皆さんは、私に対しても労いの言葉を掛けてくる。それらは決して事務的という訳ではなく、それでいてまるで二人の邪魔をしないように、統制された動きで彼らは各々の席へと戻っていった。
「太刀川君」
「おっ、ごめん、待たせた。で、早速行動開始させてもらってもいい?」
控え目に声を掛けてきたのは長身の女子学生。ジーンズに薄桃色のセーターというシンプルな服装ながら、どう表現すべきか、女性的、肉感的、いずれにせよ、自分に欠如している魅力を備えた女性に見えた。特に胸部は、刀を振る際の妨げになりそうだ。
「うん、もちろん。あの、中原さん、だよね? 二年の三条オトメです。修行部っていう、ちょっと変わったクラブなんだけど、副部長を務めています。よろしくね」
「はい。一年の中原サヤです、よろしくお願いします」
噂の修行部。そこで副部長ということは、かなりの手練れであることは間違いないだろう。実際、おっとりとした口調とは対照的に、姿勢が真っ直ぐで、身体の歪みが感じられない。
「言われた通りのやり方で、いいんだよね?」
「変更はなしで。ただ、一応念押しなんだけど、いいん、だよね?」
「大丈夫、まかせて。自信はあります」
胸を張る三条さんに、周囲からは、「かわいい……」「やっべ……」という声と溜息が聞こえてくる。
「いやそっちじゃなくて。えっと、コンビネーション上の不可抗力と言いますか……」
急いでいるはずの先輩が何故か意味不明なことを言って言葉を詰まらせている。
「はっ? アンタ目隠しするんでしょ?」
「えっ? いや、それだと俺危なくね?」
「…………はっ?」
「いや、そんなんもちろん、目隠しするに決まってるだろ、何言ってんの。ほら、三条さん、行きましょ」
レイカさんから発せられる、その不可視の黒い闘気に、主に周囲の男子学生は目を逸らし、背筋を正してそれぞれの世界へと戻っていく。
「えーっと……私は別に構わないって……言わない方が良さそうだね」
「助かります」
逃げ出すように食堂を後にする先輩を追い込むように、レイカさんがその背中に続く。
「中原さんの能力は別に教えなくていいからね。私の能力は『月の日数と同じ数だけ身体の大きさが倍化する』っていうので、今日は二十八日だから、大体身長は50メートル位になるのかな。細かく言うと、もうちょっと大きくなるんだけど、大体そんな感じなの」
「……月末は、特に強力なエネルゲイアですね」
何故彼女は修行部に入れたのか。先輩は部の代表者が気に入ればと言っていたが、そういうことなのか。
「っ……」
そして、先輩の考えていることがわかってしまう。
「サヤ、悪いんだけど、コイツが変なことしないか見張ってて。貴女の判断で突き落としていいから」
「了解しました」
「スムーズに返事をするなっ! っていうかヤバい、これ絶対怖いって」
「アンタ別に絶叫系平気でしょ。三条さん、お願いね」
「系とかじゃねぇだろコレ――うぉっ!」
三条先輩がエネルゲイアを発動すると、その効果は服には及ばず、つまり28倍の大きさになった時点で裸になってしまうという致命的問題が発生する。例によって三条さんのパワフルな右肩に乗せられた先輩は、先程食堂でレイカさんが知り合いの方から借りていた厚手のタオルを頭部に強く巻かれており、その視界は完全に塞がれている。そして反対の肩に乗せられた私は、割と楽しみな気持ちを抱えて先輩に右手を強く掴まれていた。
エネルゲイアにより三条先輩の倍化が始まった瞬間、仕方なく先輩のいる右肩の方へ素早く移り、アトラクションを全身で味わう。
絵面としては、周囲からすれば透明状態な巨大女子高生が、三号館という建物をそのまま引っこ抜くように持ち上げ、海へ投げるというスペクタクルだった。
「うおぉぉぉっ怖いっ! 風が気持ち冷たいっ! 中原っ! 実況っ! 実況中継してっ!」
心から面倒だと感じるも、確かに今の先輩の身に起こっていることは重篤な心的外傷になってもおかしくない。加えて、当然ながら、常人のバランス感覚なら、間違いなく既に落下死しているだろう。
「三条先輩が三号館校舎へ手を伸ばし、入念に持ち易い位置を探っています。例えるなら、ボルダリングに近い競技を見ているような感覚です」
三条先輩には集中してもらうよう言い含んでいるため、肩に乗っているこちらのことはお構いなしに身体は揺れる。彼女にとっては単純な運動でも、羽虫のような大きさの我々二人には直下型大地震を凌ぐ横揺れと衝撃であった。
「やべ、普通に見たいんだけど……」
そして信じられないことに、この男は明らかに内心で余裕を保っている。ゲームをしている時、全然問題ない状況に限ってうるさく騒ぐ祖父の姿が重なってしまう。
「一度だけ警告しますが、故意でなくともタオルが解かれる、ズレる等あった場合は問答無用で突き落としますので、注意して下さい」
「故意でなくとも、の箇所はどう考えても鬼畜だろ……」
「なっ……凄い……構造上、こんなことが可能なのでしょうか。一階の床から建物全てを根こそぎ持ち上げることに、成功しています。初めてオオスズメバチの駆除動画を見た際の衝撃に近い、こちらの期待値を大きく超えた規模です」
「いや……中原、淡々プラス独特のリポートだな……って、うぉ――」
「っ……」
三条先輩はラグビーのパスのように低い姿勢から三号館を海に向けて放る。その勢いに従って先輩の身体が一気に肩から浮き上がるが、反射的に腕を引き寄せて何とか抱き留める。
「ぶっ――って、今もしかして投げた? どう?」
「っ、そこで喋らないで下さい」
突き落とさないことだけに注意して先輩を突き放す。
「……あ……」
加速度的に距離を広げて小さくなっていく巨大な建物。
海の方へ目を向け続けると、確認できたのは三号館の着水ではなく、地平線での消失だった。
「……目視できる範囲を超えましたが、おそらく着水したと思われます」
「えっ? ヤバくね? それ」
「じゃ、戻るね。太刀川君、中原さん」
三条さんは、こちらに気を遣ったのか、そっと囁くように声を掛け、ゆっくりとその場にしゃがむ。エネルゲイアを解除すると、待機していたレイカさんがすぐに着替えを持って登場、三条さんも素早く服を身に着けていく。
「いつも着替えを持ち歩いてるのね」
「一応、そういう能力だから。それに、服を破って大きくなる感覚が凄く気持ちいいの」
「もう、取っていいっすか」
「あ、ごめんね。大丈夫だった」
三条さんは優しい手付きで先輩の目隠しを取る。
一号館の制圧を呆気ないと感じた先程の感覚は、もはや遥か遠く。
これを制圧と呼んでいいのか、正直に言えば呼んではいけないと思われるが、三号館の制圧戦は、戦わずして幕を閉じたようだった。