「気付くって……えっ? 理事長?」
先輩は手で口を覆いながら、理事長の方を見上げている。その表情に、常に張り付いている余裕はない。
「むっ? 何をいきなり……」
「ナギ、後――っ……ヤバい、マジだ。理事長は隠れてっ! ナギっ!」
「おい一年っ! シンの後ろから離れんなっ! おい僕っ娘っ! うじうじ後悔すんのは後だっ! 魔王が、来やがる……」
「えっ? ちょっと、貴女……」
何かを感じ取った様子の二人は、瞬時に協力体制を取る。引っ張り上げるように速水さんを立ち上がらせた穂村先輩は、こちらの肩も左腕を伸ばしてしっかりと掴み、私と速水さんの身体で麻月さんを挟み込む要領で強引に抱き寄せる。
「おいシンっ! イケんのかよ?」
「えっと……非常に言いにくいんだけど、超絶にくっついてくんないと無理」
「ならくっつきゃイイだろーがっ馬鹿がっ! おらっ根暗虫嫌い女、この野郎のことがムカついてて嫌いで生理的に受け付けねぇのはわかってるから、死にたくなきゃ全力で引っ付けっ!」
「萎えさすなって……ヤバい、10秒切ってる。理事長は全く感知できないんだった。っていうかナギ、その鼻の良さって能力なの?」
「てめぇが鈍いだけだろハゲがっ!」
「……」
先輩の毛髪は顕在なのだが。
「ぬっ……お、おいシンっ! どうするつもりじゃっ! これでは――」
「――いいから離脱っ! 理事長やられ再起動コースは避けたいっ!」
「くっ――」
音も無く、着物姿の幼女は虚空から姿を消す。
「おー、相変わらずのゆるキャラっぽさ……」
「こっちに気付いてやがるぜ……」
「「「…………」」」
本能的に危険を察知し、先輩の左腕に身を寄せる。右腕の方にいる速水さんの顔はわからないが、隣で上を見上げている麻月さんの表情は明確な恐怖により凍り付いていた。それに倣い、空を見上げる。
「…………あれは何ですか?」
「魔王……リゥだけは何故かポチョムキンと呼んでいる」
怪獣。
目の前の物を認識する場合に用いられる概念として、それが最も近かった。
三条さんの倍、もしくはそれ以上。おそらく自分の身体の大きさとかけ離れ過ぎているため、よくわからない。先輩はゆるキャラと称したが、あまり共感はできない。
歪な人型。アンバランスな二足歩行。
上半身が身体の七割を占めるか、それに比べれば細い両腕、太い下半身に短い脚。比率としては申し訳程度の大きさと言える頭は、単体で見ればロボットのよう。この場では全てが紅黒く見えるが、魔王とやらも例外ではなく、血の赤と焦げ付いたような黒が、一見して子どもの落書きのようなフォルムを不気味に染め上げている。
「おい、阿僧祇は呼べねぇのかよ? お前ら以心伝心なんだろ?」
「碓氷さんと一緒にスイーツバイキング。にしても、戻ってくるの早いなぁ……あの三号館破壊が止めになった説は濃厚っぽいし……いや、まだ全然大丈夫って抜かしてた理事長責任がデカいだろ……」
「……火が来るぜ? てめぇだけ助かって女四人が黒焦げなんてオチはねぇだろーなぁ」
黒焦げ、という言葉に反応したのか、横の二人はビクッと身体を震わせた。
「冗談じゃなくて、ナギ……もっと強く抱き締めて」
「っ、他に言い方あんだろっがっ!」
「「「―――っ!」」」
程度で表せば極限までその身体をくっつけ、これ以上は呼吸困難になるレベルまで密着度を高める。
「っ……っ! これは……」
身体の左側が少しだけ熱い。ただ、それで済んでいることに、大きな違和感を覚える。数十センチの空間を隔てて、周囲の全てが炎で包まれている。
赤と熱の牢獄、今自分が何処にいるのかもわからない。身を寄せ合っている五人だけが、見える世界の全てだった。
「生きてる人返事。ふざけてないっすよ。はい1」
「2」
「3」
「4」
「……5」
最後の数字を、麻月さんは不服そうに漏らした。
「炎は3分続くから、とりあえずちょっと落ち着こ……まず外からの援護は期待できない。会長が描く緊急事態に該当しない点はしょうがないとして……ちょっとすまん。前置きとして、この状況でふざけたことが言える程俺は大物じゃない。で、三人共、もう少し胸を押し付けずに今の引っ付きレベルを維持できない? 思考が割とマジで遮られる」
「だってよ、一年」
「あっ、あの……お、お見苦しいものを……その、押し付けてしまって……ごめんなさい……でも、押し付けずにって……どうすれば……」
「アオイ、この男の言うことなんて聞かなくていい。そんなことは物理的に不可能……ここからなら喉笛を嚙み千切れるけど、そうすれば少しは雑念も薄れるんじゃない?」
「わかった俺が悪かった。中原」
「いえ、私のサイズはCなので、そもそも押し付ける程の起伏ではないかと」
「謎に謙虚だが、実はお前が一番ヤバい。ちょっと、腕を挟む感じじゃなくて、押し付ける感じの方が助かるかも」
確かに、指摘される程度にはちょうど良いフィット感ではある。離れる方向は危険と判断し、麻月さんを押さないように接着点をずらす。
「よし……些か喪失感もあるが、やむを得ないな」
「それで、アレ、何なの?」
さすがにその質問に至る麻月さん。
「エネルゲイアだ。理事長の兄さんが考えた悪の親玉。時代にしては結構先取りなデザインらしいよ、知らんけど。で、昔、森林公園的な感じの広場だったここは兄さん諸共全焼、妹の理事長はそのショックで能力覚醒。でなんやかんやで今に至る」
「あれが……エネルゲイア……」
「……先輩、つまり、理事長が探しているエネルゲイアというのは」
「死者蘇生、でしょ? アレもそうだし、その攻撃に耐えてる貴方のエネルゲイアを考えれば、存在を仮定するのも不思議じゃない……」
先輩は相当省略したと思われるが、金井先輩も含め、関係者は多数いると考えられる。
「とまぁ、話を目先の問題に戻して……ナギ。アイデアは?」
「てめぇが俺らを守って一生耐える。簡単だろ?」
とても簡単とは思えない策を提案する穂村先輩。
「却下。もうわかってるやん……あの変な門みたいなの出して吸い込んでくるのやられたら守れない。マジで最悪だ。一応聞くけど、さっき爆発とか起こしてたし、麻月さんの能力であのデカいのワンパンとか、無理?」
「無理に決まってる」
「痛い痛い痛いっ、わかったから噛まない。で、結論、選択肢を持ってるのは俺ら二人。俺の方は最悪だ……全員死ぬか、俺だけ生き残るか……どうする? 三人見殺しにしてナギ一人を守るのも……ワンチャンじゃなくて微レ存。いや悪い、無理」
「あん? 決まってんだろ。こんな情けねぇ様晒されて逃げられるかよ。あのデガブツの顔面に蹴り入れてやんなきゃ気がすまねぇ……」
「えっ?」
おそらく、エネルゲイアの発動に集中していると思われる先輩が、驚いて後方を振り返る。
「んだよてめぇ殺すぞ」
「いや……らしくない…………うん? いや違った。俺は決定的な見過ごしをしていた。そうか…………謎は……全て解けた」
「黙れ、今すぐ殺すぞ」
「……何? 方法があるなら早くやって。それとアオイ、もう少し私にくっついて」
「う、うん……もう十分くっついてると思うけど……」
「先輩……今の発言は、十二分にふざけていると思われますが」
現在、2分半が経過している。少なくとも、炎に囲まれている状況で醸し出すべき雰囲気ではない。
「だな。とにかく……だ。ナギは…………………………百合好きだ」
「「「はっ?」」」
意識の外からの言葉に、三人の反応が重なる。
「んだよ、悪りぃかよ。人様の好みに文句垂れんじゃねぇよ」
「だから、穂村先輩は二人に協力を?」
行動原理が通常のそれではないこの人ならあり得る。そう思った。
「――――時間だ。おい一年、口を閉じろ」
いつにも増して爛々とした声。首を掠める吐息は炎に包まれている現状でも明確な熱を持っていた。
「シン、ぶっ込みいくぞ。俺は外さねぇから、てめぇもヘマすんじゃねぇ」
「……わかった。三人は、炎が消えたら後方へ退避。とりあえず、ちょっと落ち着いたらガチで討伐計画を立てることに決めたわ」
「んなの労力の無駄だ。あのクソガキがミスらなきゃいい話だろーが。てめぇが責任持って言って聞かせろ」
「りょ」
「「「――――っ!」」」
炎が止むのと、二人が動き出したのは同時だった。いや、僅かに二人の方が早かったかもしれない。間違いないことは、私は完全に虚を突かれたということだ。
「麻月さんっ! 後ろの方に」
「っ、わかってるっ!」
開けた視界には構わず、とにかく速水さんを抱えて後方へ全力で跳ぶ。それに少し遅れて、麻月さんも地面を蹴る。
「…………」
火照った肌をくすぐる風と浮遊感。
高まった集中が、周囲の音を消す。
スローモーション。それなのに、目の前の現象は桁違いに速過ぎる。
宙を浮いたまま、一部始終を呆然と見つめた。当然、私が地面を踏む時には、全てが終わった後だった。
姿勢を低くして構える穂村先輩。その後ろ、先輩は突きを放つ前段階のような体勢で左手をその背中に押し付けている。
1、2、3というカウントを全くタイミングを合わせる気がないと思われる速度で二人は完全に合わせて叫ぶと、3のコールと同時に両者はエネルゲイアを発動させて穂村先輩が跳躍、それは弾丸、ロケット、いや瞬間移動が最も適切か。とにかく初速が追えず、次の瞬間には目標の顔面へ蹴りを当てた後だった。
僅かに遅れて届いた途方もない衝撃に、魔王の巨体が少し揺らぐ。
しかし、そこで穂村先輩の姿は消失、続けて既に跳躍していた先輩が力任せに殴りかかるような動作で再びエネルゲイアを発動、音に並ぶような高速で、圧倒的な質量を誇る異形は後方へ姿を消した。
今度は、随分とあっけない。
時計の針が、元の速さで動き出す。
そして、全てを燃やし尽くすような轟音から一転、周囲は静寂に包まれる。
「「…………」」
やっと地面に着地したが、思考は働かず、暫し紅と黒が重なる地平線に目を奪われる。
「……終わったの?」
麻月さんの声で我に返り、速水さんを下ろす。自然と、三人の足は同じ方向へ進む。
「……先輩」
普段なら任務が終わればすぐにでも帰ろうとする先輩は、無言のまま同じ方向を見つめていたが、こちらに気付いて顔だけで振り返るが、すぐに視線を前方へ戻す。
「三人共、特に問題ないな。とっとと出ようって話だけど……まぁもう最低1クール位は問題ないはずだから、別に急いで戻る必要もない、か……あー、ちょっと…………疲れたな」
「……」
怠い、面倒臭い、今のように疲れたと発言したことも、もしかしたらあったかもしれない。けれども、その声色と表情は、初めて見るものだった。
「あの、太刀川先輩? ナギ先輩は……あの、まだ戻って来ないんですか?」
「「…………」」
速水さんが、三者の抱いていた思いを口にする。
「……うん。魔王の体表面の温度はよくわからんけど、超絶に高温なんだ。ダメージを入れた瞬間だけ、それが解除されるっていうからくりなんだけど……それで、ナギは隙を作るために気合で蹴りを入れて、燃え尽きて死んだ」
そう言って、先輩はこちらを振り返る。
「俺達を、守ってくれたんだ」
先輩の口調は淡々としたものだったが、それが逆に、今の心象風景を色濃く浮き上がらせているようだった。
「三人共、優しいな」
「そ、そんな……ナギ、先輩……」
「……」
「……」
速水さんのすすり泣く声と、風の音だけが流れる。
「……」
思えばいつもそうだった。誰かが自分の代わりに泣いてくれるから、周りの中でいち早く冷静さを取り戻せる。後方を振り返ると、いつの間にか戻ってきていた理事長が、先輩と同じように地平線を見つめている。
「…………」
これで全て終わった。そう思った瞬間、それは一秒にも満たない時間だったが、悪寒のような渇きが全身に走り、一度大きく息を吐き出す。
「……」
理由はわかっていた。
顔を上げる。その視線の先には、焦がれた相手の、後ろ姿。
もし、今ここで、一緒に彼女の死を悼み、元へと戻ったならば。
もう、この人と、どれだけ共に歩んでも、戦うことは叶わない。
「……」
ならば。
決意は、握った刀にも現れる。
刀身は二尺七寸、過去には途方もなく長く思えたその刃渡りも、今ではここまで身体に馴染む。成人を待って祖父から譲り受ける一刀。人智の域を出たこれは、もはや再現ではなく、本物を遥かに凌駕する死の刃。
「うん?……ったく……」
目を合わせた先輩は、困ったように笑みを浮かべた。よく見えないが、私はそのように受け取った。
「……理事長、園芸部の二人を先に戻して。マコトに事情説明お願い」
「何を? むっ…………はぁ、相分かった」
理事長と二人は、ほぼ同時にその姿を消す。
場には少し強く、風が吹いている。
「………………」
「………………」
距離は20メートル弱、間合いという言葉は、この一か月で既にその概念を異にしている。
仕掛けるべき時を探り、無意識に歩みを進める。
「…………」
「…………」
表情は見えないが、確信する。相手は待っている。
簡単なことだ。殺気は要らず、ただ反応速度を上回ればいい。
「……」
「……」
強過ぎず、軽過ぎず、入れ過ぎず、抜き過ぎず。
自然に、一歩、駆ける。
「―――――――」
一の太刀。
相手は指先一つ動かしていない。
捉えた。でもそれはどうでもいい。
感覚に任せない。
気配を待つ。
前触れは、必ず存在する。
それを待つ。
「――――っ」
刀を離す。
ここからは雪崩れ込むが如く最速。
後ろ手に、小刀を抜いて刺す。
「ぐっ……つ……」
初めての手応え、刃が人の肉を裂いた感触。
腹部、心の臓のやや下段。
覆い被さるように押し倒す。
刃が少し、肉を上へ抉る、色の見えない鮮血が舞う。
「――――――はぁ……はぁ……はぁ……」
息を吐き、荒く吸う。
苦しい。精神ではない。肉体が酷く消耗している。
負担に足る動き。
そう確信する程に、会心の一手だった。
手放した刀は、止まったように宙で浮いている。
「あ……」
手首を掴まれる。
何がそうさせるのか、先輩は気まずそうに苦笑いを浮かべている。
「……」
刀で斬っても、首を落としても、この男は死なないかもしれない。そんな風に考えたこともあった。
もちろん、そうではなかった。
この人は死ぬ。感触で、そう理解できた。
体内の血液は、時と共に地面を湿らせていく。
「っ……」
もう力は入れていない。なのに、少しずつ、刃の根本は先輩の心臓を目指すように、ゆっくりと上がっていく。
「ナイスプレイ」
その声は、余りにも普段通りだった。
「で、抜く前に聞け。詐欺に掛ける前段階として、俺の個人的な考えを一方的に伝える」
何を言っているのか。小刀を抜いたら血が吹き出し、本当に死んでしまう。
「そもそも、殺すのは簡単だ。不意を突く、騙す、後、わからん殺しは相当簡単だ」
何も考えられず、留めるべく腕に力を入れるが、刃は止まらない。
「今日で終わりっていうなら、命を奪うのもそこそこかもしれない。だけど――」
ピタリと、そこで掴まれた手が動きを緩める。
「――明日からも楽しくやってくんだから、殺す強さは、やっぱ弱いよ」
「――――」
柄を握る両手と一緒に、小刀が一気に抜かれる。
「っ……………………」
力が抜け、音が消える。
どうやら血は、先輩からではなく、私自身から噴き出しているようだ。
「……ん」
少し、安心した。力を入れるのは止めて、そのまま前方へ倒れる。
背中は寒いが、温かい。
目の前には、先輩の苦笑い。何か言っている。
「――――また明日な」
はっ? と言いたかったが、その前に意識は途絶えてしまった。