「おっ……」
性能が必ずしも優位には繋がらないとも聞くが、この専用の網付き熊手は、素人が用いてもその効果を遺憾なく発揮してくれるようだ。
「あ、うーん……佐々木君、これは?」
「っ……いいですね。大き目のシオフキガイです」
「やはり新顔か……食える?」
ピンクっぽいから無理っぽく見える。
「はい。味噌汁か、串焼きですね。少し砂を吐きにくい種類なので、別で処理していますが、とにかく俺は好きですね」
「串焼き美味そうだな……」
だがしかし、未だレア物だという貝はドロップしていない。
まぁ、ほぼ毎日やっている佐々木君にドロップしていないのだから、極稀にプレイする程度の俺では遠過ぎるが。
本日は五月の十八日、火曜日。世の中はGWが終わり、祝日不在の6月を跨いで、夏休みまで5働2休を延々に繰り返すタフな時期へと突入した所だ。とは言っても、俺の暮らしに変化はないのだが。
今日は月に一日勝手に設けている依頼をやらない日。なので徒然なるままに時間を過ごしている。そのために、中原は修行部へレンタルした上、斑鳩の社員の人との顔合わせまで捻じ込んでおいた。少なくとも夜までは、俺の平穏を妨げることはしないだろう。
「うーん……たまにやる分には凄げぇイイんだけどなぁ……」
「この学園では、それでも十分変わってるみたいですよ。実際、今日までここで潮干狩りをしているのは、俺と太刀川先輩だけです」
「たまに参加でもOKって条件なのに部員が増えないのは、結構謎なんだけどなぁ……」
気付けば、部員数が部長一人の部はこの潮干狩り部だけとなってしまった。個人的には納得いかない。もう俺が入ってしまおうかと思ったが、レイカがキレそうだったので秒で翻して難を逃れた。
まぁ、道具一式を用意して副会長室に置いといたら誤解されて結局キレられたのだが。
「そう言ってもらえて嬉しいですけど、もう一人に慣れてしまったっていうのもあるんですよね……正直、今が人生で一番充実していますし」
彼はこうして毎日潮干狩りをし、成果の二割を学生会へ、一割を食用に持ち帰り、少しずつポイントを貯め、潮干狩りが出来そうな区画を解放していくという生活を送っているらしい。確かに、潮干狩りが価値観のトップにあるならば、至福の日々かもしれん。
「それは単純に羨ましいな。それなら……このまま自然体でいこう」
「はい」
お天道様の下、穏やかな波の音を聞きながら、のんびりと手を動かす。やはり、人間にはこういう時間が必要なのかもしれない。
「――あ、マジでいたっ! 太刀川せんぱーいっ!」
「…………」
だというのに、面倒な香りを籠らせた呼び声が背中に掛けられる。斑鳩先輩に頼んで聴覚を遮断してもらうか。
「ちょっと……何で呼んでんのに無視するんすか?」
回り込まれてしゃがみ込まれ、目線の高さまで合わされてしまう。靴に砂が付着することを気にしない系女子、一之瀬キョウコが現れた。
「うん? あぁすまん。あまりにも高い集中状態だったため、外界の音が認識できていなかったようだ」
「いや嘘じゃん? だって最初に声掛けた時、手ぇ止めてたじゃないっすか?」
「下らん洞察だ。手を止めたからといって、何だというのかね?」
「誰っすかそれ? てか佐々木も聞こえたでしょ?」
相方まで巻き込んでくるダル之瀬。
「俺は聞こえたけど、太刀川先輩の集中力は並じゃないからな」
「それは知ってる。でもそんなことはどうでもいいの。太刀川先輩、お願いがあるんです」
駄目だ。自身の欲望をただひたすらに押し通してくる。保護者の柳瀬さんは何処へ行ってしまったのだろう。
「だが見ての通り、今俺は忙しい。また明日声を掛けてくれ。その時はちゃんと対応すると約束しよう」
「絶対明日忙しいっしょ。毎日飛び回ってるから、暇だっていう今に声掛けたんすよ」
「そんなことしてないで、折角正式な部になったんだから、トレジャーをハントしてろって」
何か言いたげな小林を黙殺してまで判子を押したというのに。
「だったらそれに付き合って下さいよ。お宝がありそうな区画を一緒に冒険しましょ」
「間に合ってる。それに、まだ潮干狩りを初めて数分しか経ってない。適当にお茶でもしてもう一回来い」
「えっ? 先輩、一応……もう1時間半経ってます……」
「えぇっ!? 嘘だろ、今何時?」
「後2分で3時っす」
「ガチかよ……」
向けられたスマホが動かぬ証拠。
本当に1時間半経っていやがる。どうなってんだこの世界は。
「つーか、そのバケツ、数分で取れる量じゃねぇっしょ……」
どうやら、ここを退く流れになってしまったらしい。仕方なく立ち上がる。
「あ、佐々木君、それ……」
「はい。俺の方でやっておきます。後で、シオフキガイの串焼き、差し入れますね。一応、濃い味付けと薄いのと用意しておきます」
「何という、完璧……」
涙を堪え、麦わら帽子を手に砂浜を後にする。
「太刀川先輩、そんなに貝好きなんすか?」
愚かな問だ。
「そうか。キミは本当に美味しいハマグリを食ったことがない側の人間だったか。憐れな……」
「絶秒にイラっとする……」
何にせよ、帽子だけでなく、手袋と長靴と愛用予定の熊手を一度置きに戻りたい所だ。
「で、何? ホントにアドベンチャーしに行くのか? 何なら、マジでどうしたって位にデカい虫が多数生息する、暗黒湿地区画にでも連れてくか?」
実際、未開拓でトレジャーが眠ってそうな区画は多少存在するのだが。
「絶対嫌っす……止めて下さいよぉ……あの闇に落とされた時のこと思い出しちゃうじゃないですかぁ……」
「あ、そうだった。今のは洒落にならんかったな。すまん」
二週間程前、未だ潜伏期間中の理事長ストレス一掃シークエンスの序章に巻き込まれた彼女は、諸々あって区画の崩壊に巻き込まれるという稀有な体験をした。
結局、特に害はない監獄区画の牢屋の中にぶっ飛ばされて難を逃れたのだが、その日の夜に様子を見に行ったらガチ泣き状態であったのは記憶に新しい。房にはトイレが備えられていたのは不幸中の幸いだったが、今思えば、夕飯食う前に行ってやればよかった。
「んで、話を戻して本題は?」
新築感の全くない三号館を左手に見上げながら、習慣的に歩みは学生会館へと向いてしまう。
「あっち。ほら、太刀川先輩なら見えますよね?」
「いやダルいて。うーん……園芸部農園? あれ? アオイちゃんとかと仲いいの?」
指差した方角へ一瞬だけ視覚に集中を振ると、活動中の二人の他に、柳瀬さんがいるのを確認できる。約一名、もう少し冷却期間を置きたい人物がいるのだが、まぁまぁ丁度いい頃合いとも言えなくもない。
「最近になって。てか、太刀川先輩繋がりっすね。たまたま話した時、この前の話で盛り上がって、そのままって感じです」
「何をどう盛り上がるんだよって話だけど、俺も共通の知り合い繋がりはよくあるから、この閉鎖的な学園内だと、ポピュラーな打ち解け方なのかもしれないな」
理事長の件がなければ、ボチボチ優秀な人材探しに、一年生と交流を深めていきたいんだけど、ちょっとまだそちらに割く時間と余裕が少ない現状がある。
「つまり、園芸部絡み、か……トレジャーハンター部とコラボとか熱いな。伝説の肥料を求めて、やっぱり暗黒湿地区画へ行くとか」
「ねぇっす」
「当然だ。あんな場所行ったら麻月さんが死ぬか、彼女が俺を殺すかの二択だ」
いずれにせよ、非生産的である。
「配信観ましたけど、何で麻月さんって泣いてたんすか? あれであの人、男子の間で超人気らしいっすよ。知らねっすけど」
「クール系だと思ってたらまさかの守ってあげたい系だったって話か。まぁでも……」
もう心に決めた人がいる訳だしなぁ。多分ノーマルなアオイちゃんに将来彼氏が出来たらどうなるのか。まぁ、そうなった時にはもう今よりも関係性が希薄になっているであろう。
「あ、一之瀬さん、何か飲んでいく? おじさんが何でも奢るよ」
具体的には、こっから急旋回して二号館のカフェスペースでダラダラしたい。
「無駄な足掻きは止めましょ。もうカグヤがこっちに気付いてるし。あ、心配しなくても、今度適当な時に奢ってもらってあげるんで」
こいつもう一回監獄にぶち込むか。
とは言っても、独房で泣きじゃくっていた彼女の第一発見者としては、どうもこの子には庇護補正が掛かってしまう。何なら、それが切っ掛けで若干懐かれた感まである。
「……」
いつもなら大声で挨拶してくるアオイちゃんがやや苦めな笑いで会釈してくる。こりゃもう、麻月さん絡みで確定ではないか。一気にバックレたくなってきた。
「凄い……本当に連れてきた……」
「おぉっと……」
久々に見た柳瀬さんのリアクションから、別に来なくても問題なかったことが窺えてしまった。まぁ例によって覆水は盆に返らんのだが。
「あ、この前は、ありがとうございました。太刀川先輩」
「いや、柳瀬さんも元気そうで何より」
二人共、よく言われるらしいが、結構なレベルで姉妹のように似ている。よく調子に乗る姉と、しっかり者の妹。色は違えど、肩に掛かる程度のシンプルな髪型も、そう思わせる要因の一つとなっている。普通に可愛い一個下の女の子二人。
「で、誤報ならそれで全然イイんだけど、何か問題でもあった? まぁ本音を言えば3時のおやつに繰り出したい所なんだけど、力になれることなら協力できなくもない」
とりあえず、テンパってなければ説明力の高いアオイちゃんに事情を聞いてみる。
「うわ……あ、そう、なんですよね。この学園で副会長やれるような人は、言うこともやることも普通じゃないのは、当然……ですよね」
どうやら、もう少しロールをこなすべきだったかもしれないが、一之瀬さんと行動を共にしている彼女に対しては、既に時間の問題という話であろう。
「あの、太刀川先輩――」
「――待って、アオイ」
何故かアオイちゃんの言葉を遮って前へ出る麻月選手。どういう訳か、儚げ美人度が増している。何だかちょっと、疲れているようにも見えるが、何かようわからんバイアスかもしれない。
「オリエンテーリング大会では、ごめんなさい。純粋に足手纏いだっただけなのに、副賞まで貰って……この借りは、個人的にちゃんと返すから……」
どうした? 偽物か?
「あぶね……じゃなくて、少なくとも、俺とマコトはそういう捉え方はしていない」
「いいえ。あの日の私はお荷物未満だった。私と同じ重さのマネキンの方が余程役に立てたわ。貴方の邪魔をしないという意味で……実際、ビーコンに関しても、全て貴方の読み通り……いえ、ちゃんと状況から最も高い可能性を選択して、大事な局面では大胆な賭けに出て、勝った……私はただ、泣き叫んでいただけ……」
キャラブレが凄い。しかも、これはフォローしてもより自罰を高めるだけな雰囲気。
「……っていうか、もしかして、麻月さんの調子があまり良くないっていう話……だったりする?」
勢いで言葉を続けた感じだったが、周囲の空気感は、それを肯定しているように受け取れる。
「はい……実は、その話をしていて、一之瀬さんが、太刀川先輩なら何か良い方法を知っているんじゃないかって……それで……」
「でも、キョウコ。そういうのは、ちゃんと麻月さんが求めてるのを確認してから行かないと、両方に迷惑になっちゃうよ」
「だって、アタシ達で話しててもどん詰まってるじゃん」
やっぱりこの子は、定期的に懲役を科すべきなのだろうか。いや。
「うん。結構本音な話、アオイちゃんと麻月さん……いや、特に麻月さんは体裁としては先月のクーデターに巻き込まれたっていう感じだから、何か困り事があったら、優先的に動きたいっていうのは、立場上もある」
嫌な話、外からの印象っていうのはしがみ付く程ではないが、価値のあるものではある。
「俺が手を貸すと、麻月さんは借金みたいに感じるのは理解した上で、問題があるならしっかり解決して、バリバリに借りを返してほしい。アオイちゃん、例の、ちょっと元気が出る野菜は、食べてるの?」
「えぇ。そのおかげで、生活に支障はない……少し、不眠症なだけよ……」
「は、はい……大きな問題があるかというと、その……そうでもない、みたいで……はい……」
強がる麻月さん、心配するアオイちゃん。
「言うに及ばず、アオイちゃんにとって麻月さんは大切な存在だ。冗談じゃなくて。アオイちゃんが心配事を抱えると、それが作物に影響を及ぼす可能性が上がる」
クーデター以来、元気を取り戻したアオイちゃんは、その能力を用いて、ほんの少しだけ前向きになれる力を込めた野菜を育てている。
これは、何の薬品でもなく、精神科での服薬治療に近い効果が期待でき、割とマジで世界を平和にする力を秘めているかもしれない。まぁ世界平和は盛り過ぎかもしれんが。
会長自身はノータッチとのことで、今は他の役職持ちと話して様子を見ているが、プラス、マイナス両面で考えていかなければならない能力と見ている。
「それは……はい……その通りだと、思います」
「私は正直、アオイの育てた作物に依存することに抵抗はないけど」
「うわぁ……」
「割とアウトなこと言ってんなぁ……」
俺と柳瀬さんの表情筋運動が被る。
こりゃ駄目だ。長閑な休日の終了は決定した。
「うん……」
周囲に他の人はいない。大抵の学生はポータルで移動する。外ちょっと暑いし。
「麻月さん、困ってることっていうのは、不眠症の他にある?」
「……特に、ないわ」
どうやら、話は拒否られずにできそうだ。
「不眠症の詳しい症状……実際の、睡眠時間や状況は?」
「入眠困難……睡眠時間は、大体5時半から7時頃までが多いわ」
「それはしんどい……いつから?」
「ここまで酷いのは、先週辺りから……けど、中学から慢性的に不眠症はある」
「医者には?」
「薬を飲みたくないの。だから行っていないわ」
気持ちは分かるが、長期的不眠の方がよっぽど身体に悪いという見方もある。それを含めて個人の自由ではあるが。
「市販薬も、飲んでない?」
「えぇ」
「不眠症の原因に心当たりはある? で、もしあるなら、言語化できる?」
「……ある、けど……あまり話したくない……」
「話したくないけど、現象的に話せない訳ではない?」
「えぇ、そう……」
「なるほど……」
てっきりこの前のオリエンテーリング大会でPTSDに近い何か、と思ってたけど、そうでもないかもしれん。メンタルケアを申請して専門家に任せるっていう方向を流しそうめんの最後のザルとして、救える手立てがないか考えてみようと思う。ここはそれが可能な学園だ。
「ねぇ、太刀川先輩って医者なの?」
「キョウコ、先輩の年齢で医師免許は通常取れないよ。でも、現代医療じゃ、エネルゲイアの力には歯が立たないでしょ?」
「それは、うん。だね」
俺も同意。ただ、知れば知るほど、現代医療も凄いけど。
「例えば、今日も夜は寝れない感じ?」
「……でしょうね」
少しイラついている。そんな感じの方が落ち着くとは、俺も結構病んでるかもしれん。
「とにかく一旦ぐっすり寝てみない? 薬もなしで、熟睡できる方法がある」
スマホを出しつつ、提案してみる。
「凄っ! 解決じゃん……」
「そういう感じの言い方じゃないでしょ……」
「そうだね。対処療法だから、解決とは違う。でも多分、その人は、喜んで協力してくれると思うよ」
「っ……その人?」
怪訝な顔で睨まれる。
何かもういいかと思って、表示させていた番号をタップしてしまった。