学園と寮区画には梅雨がないらしい。
四季折々の風情は大切でも、不快な対象は削いでいく。
賛否両論なのだろうが、個人的には梅雨に焦がれる想いはない。
「……」
本日は晴天、微風、温度湿度共に平年並み。
五月の最終週、木曜日。考えてみれば、命を落とし、蘇生されてから一か月が経過する。これに対しても、特に感慨はない。
学生の本分は勉学に集約されるも、知的好奇心の方向性というものはどうにも制御し難い。それでも、授業の質の高さからか、苦痛を感じるような時間ではない。
「……っ」
スマートフォンの振動、便宜的に設定した個別のパターンは、あの男のそれだった。
「――中原さん、太刀川副会長からですか?」
授業を中断した女性教諭から、名指しを受ける。そろそろ慣れてきた流れではある。
「はい。退席させていただきます」
「承りました。どうか気を付けて」
柔らかい笑みで送り出される。この学園で教鞭を執る方々はその領域のエキスパートであり、多くは学園の卒業生だと聞く。大抵の女性教諭は年齢不詳な印象で、あらゆる意味で個性が強い。少なくとも、彼女は非常に穏やかで、品があり、唯一性の高い魅力が感じられる。
「頑張って」
「はい、ありがとうございます」
同じ授業ということで、中旬頃から隣で受講している柳瀬さんが、小声でエールをくれる。
それだけではなく、いつからか受講生全体で温かく送り出してくれるような空気感が定番化したように思え、居心地の良さと悪さ、両方を覚えながら、そそくさと教室を後にする。
「……」
メッセで送られてきた内容は『ちょ』の実質的一文字のみ。意訳すれば、なるべく早く副会長室辺りまで、ということになる。簡略化は結構なことだが、上下関係故にこちらは許されないため、極軽い憤りが過ってはすぐ消える。
要件は分かっている。
先週末に聞いていた、理事長のストレス解消、その後半戦だ。
無人島区画での一件は表向きなそれであり、無意識と捉えられるストレスの具現化は、一月程の時間差があるという話だった。
世話になっている人間からの実体験によれば、プレッシャーの掛かった資格試験に合格した後、二か月後に突然酷い歯痛を覚え、医者に掛かってみると、虫歯などはなく、強いストレスによる咀嚼筋の過緊張が引き起こした痛みであったとか。
今回の話も含めて、精神的ストレスが身体へフィードバックされるまでに時間が掛かるという例は、それなりに一般的であるようだった。
「……」
学生会の先輩方が残した統計データから、先月抱えたようなストレスに対し、理事長がどのような反応を示すのか。どうやら、データと先輩の推測は的中したということなのだろう。
一号館から学生会館まで、そのようなことを考えながら歩いていた。先輩のように3階の窓へ跳び付くようなことはせず、階段を上る。
「…………先輩」
「っ……おぉ、お疲れ」
3階のカフェスペース。スマートフォンを横持ちにして明らかにゲームをしている先輩は、誤魔化すようにアプリを閉じて立ち上がる。軽く苦言を呈しても、隙間時間を有効に使っているなどとうそぶくため、特に触れないでおく。
「……」
昼食直後の授業時間であるためか、フロアには他に誰もいない。
「共有は……別にいいか。状況を軽く説明すると、例のストレス一掃キャンペーン最終章だ。それで、ちょっと微妙なことに、危険区画が出た」
向けられたスマートフォンに目を向ける。
「っ……『霊園区画』ですか」
ともあれ、やや珍しく、予定通りの展開。
霊園。お墓、墓地といった言葉により、聞く機会も使用頻度も少ない印象だった。公園のような墓地、という意味でよかっただろうか。映像などでは観たこともあるだろうが、実際に足を運んだ覚えはない。
「何というか、洋風なのか和風なのかで大分変わるだろうけど、言葉の響き的に、初見はレイカやマコトを連れて行かない方がいいだろう。というか、本人達が全力拒否する可能性の方が高いと思うが」
霊園と言えば墓地、墓地と言えば幽霊、幽霊と言えば化け物、というような流れだろうか。
「では、普段通り、二人で事に当たる、ということですか?」
正直、その方が個人的には都合がよい。よりそう思ってしまうのは、中旬の麻月さんの件を内心で未だ引き摺っているのかもしれない。
「実は、人数がいないと無理なケースも想定される。だから、過剰に危険だったり、人手が要る感じだったら一時退却。ただ、今言ったように、頼るにしても人員が限定されそうだから、今回に関しては俺らで終わらせたいというのが本音だ」
つまり、内容は違えど、狙いは一致している。危険区画と言うならば、危険な戦闘になるのは避けられないだろう。
「……戦い好き過ぎじゃね?」
「否定はしませんが、別に楽しんでいる訳ではありません。修練のためです」
「……まぁ、とりあえず行こう」
納得は得られていないようだが、特にこちらも求めてはいない。その背に続いて、階段を下りていく。
「危険区画……全学生に開示されている区画の中にも、幾つかありますが、何か具体的な基準のようなものがあるのでしょうか?」
初日のオリエンテーションでも言及があった。その際は阿僧祇先輩が漫画を読みながら「行っても死んだりするだけだから、ポイントを無駄にしない方がいいよ」と言っていた。そしてそれを聞いた多くの学生が身を震わせていたように記憶している。
「具体的って言うと、どうだろうな。その区画の中で活動することが、身体的、精神的に重篤な危険となる、っていうのが条件かな。逆に、それ以外については関連性が薄いと思う。財宝が眠ってるって所から、行っても何もにないって所までって感じ」
「財宝……それを求める方は多いのですか?」
「最終的には少ないかな。殺人以外の死因はほとんどこの危険区画での死亡になる。定番は、一年生の頃はチャレンジしても、二年になる頃にはコスパ悪いことに気付くって話だな。現実問題、死にたかないだろ。財宝にしたって、場合によっては宝じゃないかもしれんし」
その口振りから、全く興味がないことが窺える。
「……過去、その財宝とやらを得た例はあるのですか?」
「まぁそれなりに。最近だと、斑鳩先輩が単独で最奥まで行って取ってきた。まぁ、下調べしたの俺とレイカだけど」
「っ……」
それはまた予想外な答えだった。
「あの、財宝というのは、どのような?」
「名前はわからんけど、斑鳩先輩の命名で『痒い所に手が届く石』って呼ばれてる。小さい石で、加工してピアスにして着けてる。その名の通り、手を伸ばしても届かないテーブルのマグカップが手元に来てくれたり、エアコンを遠隔操作できたり、とかだな」
「…………」
斑鳩先輩の自堕落さを助長させるために生まれたようなアイテムだった。
「……そこは、何という名前の区画で、どのような場所だったのですか?」
危険区画は、その核となる概念が取り除かれると消滅する。この核が、度々財宝に当たるらしい。
「巨人区画だ。簡単に言えば、月末の三条さんみたいなデカさで、それでいてキモい化け物が積極的に殺しに来る。タフさがヤバくて倒すのは現実的じゃないし、時間経過でどんどんポップする。中もクソ広くて、分かりやすい高難度だな」
「……巨人の五感を奪い、退けたということですか?」
「そう。でも執念の勝利だったらしい。実際、一か月半帰って来なかったしな。それで、俺ら後輩一同、斑鳩先輩って実は凄い人だったんだって感じになった」
私としても、同じ感想だったが、本気を出せば猛者なのだろうという認識ではあった。
「さて、では……気は進まないが行きますか……」
嘘偽りない本音なのであろうが、気が引けている訳ではなく、やる気がない訳でもない。私は、それを知っている。
学園区画の中での依頼や厄介事もあるが、多くはこうして、中央広場から該当の区画へ行く。先輩には悪いが、やはりどちらかと言えば、ワクワクしている。
「「―――――――」」
光りに包まれ、空間を転移する。
最初に届く情報は、視覚ではなく嗅覚が受け取る。これは、爽やかな緑の匂い。
「……洋風か? まぁ、ねねさん暇過ぎて、一生色んな映像見てるからな」
本人も豪語していたが、無料動画サイトに投稿されている映像を最も多く視聴しているのは彼女であるらしい。その価値はともかく、おそらくそれは本当のことだ。
そこは広く、空は高い、自然溢れる霊園だった。
ポータルが設置されているのは、丘のような少し高い場所で、すぐ横には目印のように立派な大木が、寄り添うように葉を優しく揺らしている。
眼下には無数の十字架が等間隔に並んでおり、死を悼む場でありながら、とても美しい空間なように感じられた。
「……」
だが、そこは本筋ではない。どの辺りに身体、精神を侵害する危険が施されているのだろう。今の所は、それを感じさせる要因は見当たらない。
またちょうど正面に、一際巨大な石碑があり、何かがあるとすれば、一番に挙げられる対象物であろう。
「うん……霊園である意味があるのか、この前の無人島みたいに、意味はあっても気にしなくていいものなのか……正面のデカい石碑の方に行ってみるか」
「はい」
意外にも、寄り道はしないようだ。今日も早く帰りたいという思いが強いのであろう。そろそろ、そう思えば思う程に帰宅が遅くなることを悟るべきだと思われるが。
「風景としては、観光地になりそうだな。十字架、普通にオブジェだしな……」
尤もだが身も蓋もない言葉を聞きつつ、舗装された道を通って真っ直ぐ丘を下る。これだけの十字架に囲まれながら歩くのは新鮮なのかもしれないが、それ以上に周囲を警戒しながら足を進める。
「……」
先輩は暢気に写真を撮っているが、この男にそういった習慣はなく、報告書に必要であるという理由で、内心では渋々スマートフォンをタップし続けていることだろう。実の所、私もスマートフォンであっても写真を撮ることはほとんどしない。
「幽霊系の化け物が出る感じじゃない……とは、まだ言い切れないか……」
「そうですね。この全ての十字架の下から屍の魔物が出てくる可能性もありますし」
「止めろって……」
最も確率の高い展開かと考えていたが、特にそのようなことは起こらず、石碑の前に到着する。横幅は10メートル程、高さは一般的な四階建てと同じ位だろうか。
「先輩、地下へ続く階段があります」
「マジかよ……俺にだけ見えてる幻かと思ったのに……」
それは見落とす方が困難な正面、石碑中央、大量の花が手向けられている献花台の手前。足を止める先輩には構わず、そちらへ進む。
「先輩……水曜は雨、火曜は炎、今日は木曜日です。やはり、木を生やすようなエネルゲイアなのですか?」
他者からの感謝により得られるポイント、それを10消費して引き起こす、曜日毎に異なる現象。
水曜日、インビジブルレイン、周囲に雨を降らせ、それを浴び続けることで、完全に気配を遮断する。
火曜日、フラッシュオーバー、任意の地点に巨大な火柱を生み出し、瞬時に炎は周囲へと燃え広がる。
「そこまで規則的なもんじゃないって。ここから先、中原が期待している通りのバトル展開なら、出番はないと思われる」
「……」
内容は追々とのことだったが、二つ目は自分の関与していないところで使用された。どちらかと言えば、不服な話ではあった。
「スマホの懐中電灯は必要なさそうだな。こういうのって、ボスっぽいのを倒したら崩れて、ガンダッシュで逃げるっていうのが定番だよな」
「先程の意趣返しですか……」
特に疑問を覚えることではないが、この男は逃げ足がめっぽう速い。
慣れたやり取りを交わしながら、灯りのある親切な地下へと進む。道幅は、二人で並んで歩くとちょうどよい程度。
「松明風の灯りがそんな感じの雰囲気を演出してるなぁ……」
「……」
「おっ……少し、広いとこに出るっぽいな」
暫く直進すると、先輩の言葉通り、開けたスペースに突き当たる。
「分かれ道、でしょうか?」
「見た感じは、そうだな……でも……」
おそらく、感想は同じ。
天井も高く、閉塞感はない洞窟のような空間。正面に一か所、そこから等間隔で左右に三か所ずつ奥への入口が見られる。ただ、その内の五か所はスペースと同じ大きさの岩石によって塞がれている。他に目に付く対象物と言えば、中央付近に生えているレバーのような何か。
「左に倒れているレバーを右へ倒すと何かが起きそうだな。シカトして進むのもありだけど……7つの選択肢を2つに絞ってくれてる岩には感謝するべきなのか……色々わからんな」
「そうですね。概ね同じ意見と感想です。どうしますか?」
自分ならどうするだろうか。おそらく、岩のない正面の入口へ進むことだろう。
「ちょっとレバーいってみるわ。周囲の警戒頼む」
「はい」
何となく、先輩ならそうするように思えた。
迷いなく、左に傾いている突起を右手で掴み、反対方向へ。見た限り、そんなに重くはないようだ。
「「っ……」」
すると音もなく、入口を塞ぐ岩石の位置が変化する。正面、右端の二か所から、左端、右から3番目の同じく二か所が、入口として切り替わる。
「ってことでもう一回」
「……」
無警戒に再度レバーを右へ傾ける先輩。今度は正面と左から2番目が開く。
「うーん……正面行ってみよう」
「はい」
面倒臭いと顔に書かれた先輩と共に、正面の入口を通り、奥へと進む。
「……同じ感じか……次はどんなんだろう」
「…………っ」
再び開かれた場に出ると、そこは先程と全く同じ空間に見える。開かれた入口も、正面と左から2番目の二か所で一致している。
「うわぁ……だりぃなぁ……中原、次は俺一人で正面を通るから、少し待っててもらっていい?」
「わかりました。それで、後方に注意すべきでしょうか?」
「止めろ」
苦笑いを見せて遠ざかる背中。例によって、後方を振り返って様子を見るが、予想に反して先輩の姿は見えてこない。
「――っ!」
「やっぱりやん……レトロRPGのやり過ぎだろ……ん? どした?」
「いえ、直前まで先輩は見えず、ここへ入った瞬間に現れたようでした」
今見たことを、端的に説明する。
「そこまで一緒か。確かに俺も、ガン待ちしてるお前のことは見えなかったな」
「言われた通りに待機していただけです」
いずれにせよ、構造の一部は把握できた。ここは、所謂無限回廊と呼ばれるものに酷似しているのであろう。深く考えず、そう理解しておく。
「後は……入口の数か……一回戻って、何人か連れてくるのも手だけど……どうにも面倒だなぁ……色々台無しっていうのもある……」
外部委託の際はかなり慎重、学園内ではやや慎重。そんな印象がある。
「何となくなんだけど、この入口は七人まで。で、俺らは今二人。だから5つは塞がれている。レバーは七人以下の場合のルート選択に使用できる。この場合だと、二人が同時に入らないと無限回廊的何かに引っ掛かって戻される…………お前の仮説を聞きたい」
「同じです。加えて、私も戻って誰かを連れてくるのは面倒に感じます」
特に意思が尊重される訳ではないが、思っていることは伝えるよう常々言われているので、その指示に従う。
「だな。どうせ人数揃えても一人ずつ入らなきゃならん訳だし、7の倍数で大量の人を連れてきて一斉進軍も試したいが、どうにもコスパが悪い……では、中原。その、右隅のでいいや。どこでも刀で真っ二つにカットしてみて」
「……先輩。こういった場面に遭遇する度、私を使って力技での解決を無駄と確信しながら試そうとするのは、単に戯れなのか、軽いハラスメントのような意図があるのか、私はこの件について、レイカさんに相談するべきなのでしょうか?」
「カウンターが重過ぎる……」
レイカさんの名前に、一瞬で青ざめる先輩。
「っていうか何でだよ……遊んでる訳でもないし、パワハラをしているつもりもない。まぁ、パワハラを決めるのはされている側だから何とも言えんが……可能性があるなら、試すべきだろ。多分無理だと思ってるのは否定しないけど、それだって、中原が殴っても無理なら無駄だと諦めが付くって話だ」
必死な言い訳に、悪意がないというのは本当であると判断しておく。
「よし……では、もし岩を排除できたら羊羹を3つ進呈しよう」
「っ……」
ここで思わぬ言質を得る。無駄な話も時に無駄にはならないことの一例か。
「では、やってみます」
「えっ?」
エネルゲイアを少し強めに解放、目標の岩の前に立ち、どこでも刀を威力の高い野太刀にセットして構え、呼吸を合わせる。
定期的に買い占めていると考えていた件の羊羹は、先輩のエネルゲイアによるものであり、それは限りあるポイントを割いて生産される。そう考えると、平時に求めにくくなるのが人情であり、レイカさんともそう話したことがある。
余談だが、レイカさん、稀崎先輩だけでなく、阿僧祇先輩と碓氷先輩までもがあれを凌ぐ羊羹はないかと方々から取り寄せ続けた時期があったらしいが、結果は振るわず。
故に、こういった機会は可能性の大小は置いて挑戦することとする。
「…………っ――ふぅ……無理ですね。これは斬れません」
放つ以前に、斬れぬと感じた。それが答えだった。
雑感では、物理的な問題ではないと見える。
「まぁやっぱそうだよな。んじゃ、参加賞」
「っ……ありがたく、受け取っておきます」
差し出された参加賞とやらを受け取る。杉浦教官から頂いたほうじ茶と合わせようと思う。
「こういうのって、正面は危ない気がするよな……」
「では、私が正面を。先輩は左をお願いします」
「あ、そうなるか……」
先輩はレバーへ向けていた右手を泳がせて戻す。
「ちなみにだけどさ、これを設計した人がいたとしたら、やっぱり七人で参加してほしかったのかな?」
「もしそうであるなら、少なくとも石碑の前にそうとわかるメッセージを残すべきですね」
「確かに」
入口の前で、一度止まる。
「方向性はわからんけど、奥で合流できるはずだ。先だったら、待てる範囲で待ってて」
「はい」
そう返し、正面の入口を進む。
先輩が遅れを取るとは思えない。待ち構えるものに心当たりはないが、あまり逸らず、万全に対処するよう気を引き締める。当然、希望としては先に突破し、先輩を待つ形を取りたいことに変わりはないが。
「…………」
明らかに、先程二人で入った時とは違う。少なくとも、同じ場へ戻されることはないだろう。
視界の先に光、出口が見える。やや勿体付けるような長さの回廊に付き合い、敢えて歩みを変えずに進み、やがて場に出る。
「っ……」
まず胸が高まり、少し遅れて状況の理解が脳裏に到達する。
朽ちた円形闘技場、生きてきた世界にはない概念に、表現の正確さに自信は持てない。
確信を持てることと言えば、先輩も同様のシチュエーションにいるならば、今頃溜息を漏らしている頃合いであろう。