トワイライト・エネルゲイア   作:サムラビ

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食糧支援 2

 思えば、2か月前までは、随分と予定に沿った生活を送っていた。

 

 そのように、振り返ることができる。

 

 中学から都内で生活し、三年間、無遅刻無欠席で卒業を迎えたが、授業がある日は学校へ行き、終われば帰宅、出掛ける用事があれば出掛け、しっかりと用事を済ませる。学校が突然休校になることはなく、用事についても、外へ出てから予定が変更になった例など、正直思い出せもしない。

 

「……」

 

 現在私は、背中にスレッジハンマーを忍ばせた女性と並んで歩き、その後方からは2メートルを優に超える巨漢が付き添っている。少なくとも、このようなことは予定には無かった。

 

 それでも、特に不平不満を感じはしない。私にとって、予定外とは既に日常と化しているからである。人間は順応する生き物であるというのは、どうやら本当らしい。

 

「常室は自分を認識させる相手を選べる。だから気にしなくていい」

「っ……そう、なのですか。わかりました」

 

 少し後方を気にし過ぎたか。一宮先輩から補足を受ける。

 

「……」

 

 常室先輩は、例の連絡会メンバーの一人らしい。

 

 それはつまり、彼が阿僧祇先輩、碓氷先輩と比肩する実力者であることを意味している。

 

 先輩はよく、人を見た目や髪の毛で判断してはいけないと言うが、見た目は3メートル級、体重も200キロを凌ぐだろう。髪の毛の方は存在せず、スキンヘッドである。

 

「……」

 

 3メートル、200キロ超、スキンヘッド。見た目と髪の毛は圧倒的に猛者のそれである。だが、今も極限まで身を縮めて道の隅を歩く姿は、端的に弱々しい。故に、見た目や髪の毛で判断しないのであれば、彼は弱者に思える。やはりあの男の言葉は信用ならない。

 

「ここ」

「っ……」

 

 歩き始めて数分と経たずに一宮先輩は足を止める。そこは、大手のレンタカー店だった。ここからも見えるすぐ裏手の駐車場では、スタッフの方が携帯掃除機で車内を清掃している。一体、ここにはどのような用件があるのだろうか。

 

「常室、5千円。交通費」

「う……あ……は、はい……」

 

 後方で控えていた常室先輩は、妙にファンシーな財布から5千円札を取り出し、献上するように両手で差し出す。

 

「……」

 

 それを無言で受け取り、店内へ入っていく一宮先輩。

 

 本来ならば社会的に許されるやり取りではないが、私が今関わっている場はその本来とは遠くかけ離れていることに加え、ここで私が何か口を挟んでも事態は好転しないことを確信し、見に回る。そもそも、常室先輩は一宮先輩よりも、私を恐れている様子。

 

 そして用件は、本当に車をレンタルすることであったらしい。

 

 都内に住む若者の車離れは深刻であるとの記事を読んだ覚えがある。しかし、どうやら私が縁のある範囲ではそれは当て嵌まらないようだ。

 

「……受講できる年齢になれば、教習所区画で取れるわよ。18万ポイント掛かるけど」

「っ……初めて聞きました」

 

 また、この店舗の利用は初めてではない様子で、スムーズな応対を受けてレンタル手続きは完了、一宮先輩に倣い、最安値の軽自動車、その助手席に乗る。

 

「っ……」

 

 ここで気付きを得る。

 

 このサイズでは、常室先輩の乗車は非常に困難であるかもしれない。

 

 そう思った所で、後部座席へ入ろうと悪戦苦闘している常室先輩の姿が目に映る。少なくとも、助手席よりは望みがあると思われる。

 

「無理なら、上にしがみ付いてて」

「あ……う、うん……ありがとう……」

 

「……」

 

 何がどうなってありがとうなのか、私には理解が難しかったが、常室先輩はホッとした表情を浮かべて指示通り、車の上にしがみ付く。当然だが、かなりの重みが車に掛かる。

 

 スタッフの方に笑顔で見送られながら、車は駐車場を出る。もし常室先輩のことが見えていたら、営業スマイルであってもあの笑顔は不可能であろう。

 

「能力者が出てこない限り、戦いは控えて」

「……わかりました」

 

 必要なことしか口にしない。その部分については、純粋に好感が持てる。

 

 これから向かう場所は、戦闘の可能性はあるものの、その可能性としては小さいことが推測される。

 

 未だに私を同行させた意図は不明であるが、おそらく重要ではないと考えられる。しかし、学生会サイドの人間を伴うことは、彼女にとって必須であったように感じられる。

 

 説明があるなら聞かせてもらうが、予定外のことは常に起こり得る。今回は行きずりであることも含め、流れに任せることとした。

 

「っ……」

 

 運転を初めてまだ10分も経っていないが、車は駐車場に入る。どうやら、個人経営の喫茶店が借りている二か所の内の左に駐車するようだ。短い走行時間の割には、メインの大通りからは少し離れた雰囲気を感じる。

 

「話をして帰るだけ」

「はい」

 

 車を降り、少し離れた喫茶店へ向かう。その際、常室先輩と目が合ったのだが、露骨に逸らされてしまった。ここにいない男への怒りが、また少し高まる。

 

「――いらっしゃいませ、二名様でしょうか?」

「待ち合わせ」

 

 笑顔の男性店員に対し、目も合わせずに入っていく一宮先輩。

 

 その敷地から、やや横に長い、その分広々とした印象の店内、その中央のテーブル席へ。

 

「……来ていただいて、ありがとうございます……」

「……」

 

 20代中盤から後半程だろうか。緊張した面持ちの女性が立ち上がって一礼するが、特に反応を示すことなく、一宮先輩は対面の席に腰を下ろす。自分も会釈し、隣に座る。

 

「……」

 

 やはりというか、常室先輩は精一杯頑張っている様子だが、やや狭いと感じた店の扉を通過することは叶わず、結局外で控える形になるようだ。

 

「……決まったら呼ぶから」

「かしこまりました」

 

 水を置き、先程の男性店員が離れる。店内には他に十人程の姿があるが、皆二人掛けの隅の席を利用しているため、適度な距離はある。

 

「続きからでいい。分かりやすく、短く話して」

「……はい」

 

 女性は一度紅茶に口を付け、話を始める。

 

「あの……やっぱり、どう考えても、おかしくて……もし、詐欺……のような巧妙な手口があったとしても、商品自体が存在しないのに、取引が成立して……しっかりと、金額が振り込まれる……取引先の方に、確認しようとも思ったのですが……それは、怖くて……」

 

「……」

 

 もちろん、話の内容はわからない。ただ、エネルゲイアが関わっていて、この方が一宮先輩に何かを相談している、と理解しておく。

 

「ハァ……それは続きじゃない。あれから、何かわかったのなら言って。それで、私達のことを信じて保護を受けるのかどうか、それだけ話して」

 

 大きな溜息を吐き、本題とされる話を促す一宮先輩。まるで嫌悪を示すように、水の入ったグラスを摘まむように持ち、テーブルの隅に退ける。

 

「す、すみません……わかった、ことは……やっぱり、ソフトの開発、その実態は存在しなくて、それなのに、クライアント側には、ちゃんと納品されている……そもそも、実際に専門の技術を持っている社員自体いなくて……それなのに……」

 

 話す内容もそうだが、彼女は何かに怯えているようで、目線もずっと下を向いている。

 

「……」

 

 違和感を覚える。

 

 一宮先輩は保護と口にしていたが、目の前の彼女から感じるのは、こちらへの申し訳なさと、逃れられない絶望のような、そんな何か。

 

「っ……マジ面倒くせぇ」

「えっ?」

 

 とても小さな声、それでいて明確な悪態。どうやら、常人には聞き取れない声量だったらしい。女性は困惑を深めている。

 

「……もういい。はい、もしくはいいえで答えて。私達の保護を受ける? それとも受けない? 早くして」

 

「あ……あの……それ、は……」

 

 

「――彼女、受けないってさ」

「……」

「……」

 

 男性店員が、真ん中から割り込んでくる。その声には、明らかに嘲るような含みがあった。

 

「――っ!」

 

 その身を震わせ、女性は更に俯き、小声で謝罪の言葉を繰り返している。

 

「……」

 

 正直な話、女性が口を開いた瞬間から、不穏な空気はあった。だが、店内にはエネルゲイアを持つ者はおろか、強者の気配そのものが感じられない。

 

「どっから湧いたのか、嗅ぎまわって、保護するなんてほざいてるアホがいるって呼んでみりゃ、可愛い女の子が二人とか、漫画の世界みたいで驚いちゃったよぉ」

 

 男性店員の声に反応し、笑い声を上げながら立ち上がる数人の男達。年齢は、皆二十代から三十代程だろうか。

 

 前後関係は不明だが、一宮先輩と私は、九人の男性に囲まれている。

 

「金は本業で幾らでも搾れるから、ちょっと脅かせばいいって言われてるけど、こいつはさすがに楽しませてもらうしかねぇよなぁ?」

 

 スーツ姿の男が、勝ち誇るような笑みを浮かべている。確かに、女性二人に対してこの数の差は、本来絶望的な状況だと考えられる。だが、今私が危惧しているのは、一宮先輩が背中の得物に手を伸ばさないかどうかだった。

 

 そう思って場を見ていると、そのスーツの男が一宮先輩に顔を近付け、生理的嫌悪を抱かせる下卑た笑みを向けている。

 

「何? 貴方、私とヤリたいの?」

「マジぃ? 肝据わってるねぇお嬢さん。顔だけじゃなくてマジでタイプだわぁ」

 

「すぐ答えて。受けるの? 受けないの?」

 

 姿勢を崩さず座ったまま、一宮先輩は再度、俯く女性に言葉を投げる。

 

「っ……」

 

「はっはっは、やべぇマジだよ……おい、震えてねぇで、ちゃんと自分の口で答えてやれよ」

 

 大袈裟に顔を押さえて笑い出すスーツの男。何が面白いのか、周りもそれに合わせて声を上げる。これが内輪ノリというものなのだろうか。

 

「…………っ……すいません……保護は、受けません……」

「わかった。常室」

 

「――っ!」

 

 背筋が凍る。だがその原因はわからない。

 

「っ……」

 

 次の瞬間、囲んでいた男達が事切れたように崩れ落ち、それぞれが床に倒れる。一宮先輩は前に倒れ込んできたスーツの男を受け止めると、そっと身体を床に寝かせる。

 

「帰るわよ」

「……はい――っ」

 

 起きた現象を処理できないまま、変わらぬ足取りで扉へ向かう一宮先輩を追う。その際、外から顔を出していた常室先輩の左腕が、何か別の物に見えたが、あまりに一瞬のことで確信は持てない。

 

「……」

 

 最後にもう一度店内を振り返ると、席に座っていた女性も同じように意識を失っていた。

 

 どうやら、場を十全に見れない程の衝撃を受けたようだ。確認を怠ってしまったが、命を奪った訳ではないだろう。

 

 駐車場まで歩く途中、常室先輩に視線を送ってみたが、どうにも対話が望める様子ではなかった。仕方なく、来た時と同じように、助手席へ乗り込む。

 

「……」

 

 それにしても、この距離のためにレンタカーを利用したというのか。私からすれば、5千円もあれば二週間分の食費は賄えると思えてしまう。もちろん、そのような常識が通用するなどという考えは、とうに持ち合わせてはいないのだが。

 

「……」

 

 ともあれ、先程の喫茶店でのやり取りについては、現状自分が関わる話ではなさそうだ。それでも、一つ解消されない疑問があった。

 

「あの、私が同行することで、どのようなメリットがあったのですか?」

 

 無視されるかもしれないと思ったが、気付けば口は開いていた。

 

「貴女が同行していれば、ヤバいのが気まぐれで殺そうとしてこないから」

「……そう、ですか」

 

 つまりは安全を図るため。そして一宮先輩、レジスタンスの方々は、気まぐれで殺されそうになるような状態らしい。確かに、国と学園からある意味で狙われているという立場ともなれば、単純に本当のことなのだろう。

 

 結果的に、とても短い利用時間でレンタカーを返し、例のビルまで戻る。外での行動は常に監視されているということなのか、アパートまで同行した後に、解散となるようだ。

 

 そして、いつの間にか常室先輩は姿を消していた。ただ、一宮先輩がそれを気に掛ける様子も、また見られなかった。

 

「……」

 

 学園の外で活動を続ける、エネルゲイアを悪用しようとする組織。当然ながら、外部委託に同行している自分も、無関係ではない。今後もこのようなケースがあるなら、先輩にもう少し現状の共有を求めた方がいいのかもしれない。

 

「っ……」

 

 ビルの目の前まで来た所で、一宮先輩がスマートフォンを取り出す。どうやら着信のようだ。

 

「…………」

「えっ?」

 

 一宮先輩は、タップして耳に当てたスマートフォンを、すぐ私へ差し出す。その変わらない表情も含めて、驚きに声が漏れてしまう。

 

「……はい」

 

「――あ、イケそう――お疲れ。で、日常に潜む、ほんの小さなトラブルなんだけど、時間がないから手短に。そのまま二人で直進、すると、アパートを出ようと階段を下りてくる女性がいると思うから、全力で攻撃を仕掛けて、1秒でも長く足止めしてほしい。ってことでGO」

 

 口調はこの上なく軽い、それでも、内容はしっかりと頭に入ってくる。

 

「……」

 

 通話を終えたスマートフォンを返す。つまりは、緊急事態ということだ。

 

「……1秒でも長く……ま、1秒なら、足止めできるかもしれないわね」

「っ……」

 

「行くわよ」

 

 いつの間にかスレッジハンマーを右手に握っている一宮先輩に続き、ビルから空間転移する。

 

「っ……階段を下りてくる、女性……」

 

 日中を過ぎても、変わらぬ晴天の場はやや気温が高く、まだまだ明るい。

 

 そして先輩の言った通り、今正に階段を下りようとしている後ろ姿が見える。

 

 長く、真っ直ぐな黒髪、スーツ、ネクタイ、手袋、靴、全てが黒で統一されている、男装の麗人。ここから見る限り、手には何も持っていない。

 

「ハァ……あーマジ鬱なんだけど……」

 

 一宮先輩の呟きが耳に届く。ただ、右の頬がピリピリとする程に、その気配は別人のように研ぎ澄まされている。

 

 麗人はゆっくりと階段を下りる。

 

 半分、右に折れ、その顔が顕になる。

 

「っ――」

 

 寒気と予感が同時に全身を巡る。寒気は、夢の中で先輩に敗れる際の肌感覚に近い。予感は、言わずもがな。捨て置くことは叶わないが、せめて端に寄せる。

 

 レイカさんとは印象が異なる切れ長の瞳、何処に視点を合わせているのか、少なくとも、我々二人のことは見ていない。認識されていないようにも感じられる。

 

 一歩距離が近付く度、端に寄せたはずのイメージが色濃く脳裏を浸食する。

 

「っ……」

 

 不覚。

 

 もはや、刀を取り出す暇はない。

 

 だが、そうではないことにすぐ気付く。

 

「――――」

 

 6メートル、既に間合いの中。それでも、あの相手に対してどう仕掛ければよいのか、彼我の距離が詰まる程に、迷いは深く両脚を沈める。

 

「っ!」

「っ……」

 

 一宮先輩が動く。

 

 それに叱咤され、感覚の朧な両脚を踏み込む。

 

「「―――――――」」

 

 だがそこまでだった。

 

 相手は何をしたのか。殺気、敵意、そもそもの意志を感じない、日常の動作。

 

 彼女は左手でただ、軽く髪を梳いた。それが速かったのか、そうでなかったのか、その疑問は未知の体験によって途絶する。

 

「――あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ぅんっ! っ…………っ…………」

 

 一宮先輩が絶叫しながら倒れ、藻掻いている姿を視覚が捉える。

 

 後方へ跳び退こうした私は、バランスを崩して大きく後退り、石塀に背中を押し付けることで転倒を免れた。それでも、悲鳴を上げないことだけが、私にできる全てだった。

 

 痒い。

 

 全身が痒い。

 

 頭、顔、首、肩、胸、脇、背中、腕、腹、腰、尻、太腿に膝、脹脛、足の甲から裏まで。

 

 自分を形成している全てが激しい痒みで蹂躙されている。

 

 痒い。

 

 それなのに、何処を掻き毟ればよいのかわからない。

 

 そもそも、引っ掻こうとする指が痒い。

 

 冷や汗が垂れる感覚で、ほんの一握りの落ち着きを得た。

 

 とにかく、正気を保つことに注力する。

 

 相手は一度足を止めた。

 

 だが、今目の前で歩みを再開させているのが辛うじて認識できる。

 

 耳に届く一宮先輩の叫びに集中することで、何とか視覚へ意識を押し留める。

 

「――おぉナイスキープ。二人共マジありがとう」

「―――――――っ!」

 

 聞き慣れた声で、何かが決壊した。

 

「―――――――」

「―――――――」

 

 何かやり取りをしているのか。

 

 声は聞こえても、それを言葉として認識できない。

 

 私は壁に寄り掛かりながら崩れ落ちるように座り込み、勝手に流れ込んでくる刺激の濁流から意識を切り離し、ただ少し息を吸い、ゆっくりと吐き出すことを繰り返した。

 

 

「―――――――っ!? っ……あ……先輩?」

 

「おぅ……気分はどうだ?」

 

 唐突に痒みは消え、首を伝っていた汗も引いている。

 

 まるで身体の時間が巻き戻ったようだ。

 

「……夢?」

「うん? あぁ、悪い夢だ」

 

 

「――そんな訳ないでしょ」

 

 先輩の後ろから、一宮先輩が顔を覗かせる。初めて見る、優しい表情だった。

 

「早く行って。待たせたら、気が変わるかもしれない」

 

「ですね。ちょっと任せます。中原、チエっち――杉浦教官が迎えに来るから、それまで休んでて」

 

「っ……」

 

 言葉を返す間もなく、先輩は姿を消す。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 今し方の体験は、何だったのだろうか。

 

 話に聞いていた、学園のトップ層、それを肌で感じられたということか。

 

 敗北感がないのは、阿僧祇先輩の際と同様、戦いにすらなっていないからだろう。

 

 そう思えば、今更ながら初日の先輩との立ち合いも、全く同じかもしれない。

 

「……」

 

 気持ちに連動したのか、右手が強く握られる。

 

 やはり道は険しいようだが、ポカポカと、不思議な熱が、芯から湧いてくる。世界が明るく、自分を照らしてくれているような、心地良くも、何処か焦燥を微量に含んだ、前のめりな活力で、身体と精神が満たされていく。

 

「っ……嬉しそう。貴女も、普通じゃないわね」

 

「あ、すいません……」

 

 手を引かれ、立ち上がる。地面を踏む足の感覚は、もうはっきりしている。

 

「……欧陽ヒカリ。貴女が入学するまでの、太刀川のパートナー」

「っ……」

 

 消去法から、そうだとは思っていた。

 

 先輩が、彼女のことを私に話さないのは、やはり気遣いからなのだろうか。少なくとも、彼女と私では、パートナーとしての質に雲泥という表現では足りない明確な差がある。そしてそれについて、私が何かを言う資格はない。

 

「少し休――」

「――中原さんっ! あ、良かったぁ……大丈夫だったっ!」

 

「あ……はい」

 

 飛び込むような勢いで敷地へ入ってきた穂村先輩に、がっちりと両肩を掴まれる。

 

「あぁもうこんなことなら一緒にいればよかった……一番注意しなきゃいけない存在なのに……ハァ……」

 

「っ……うるせぇよデブ」

 

「っ……」

 

 原始的な悪口により、雰囲気が一変する。

 

「あぁん? はいはいおかげ様で今は体重そんなに変わりませんけどぉ」

「寄るな、臭ぇんだよ」

 

「残念、同じシャンプーとボディソープと洗濯洗剤使ってるんでぇ」

「家畜みたいな体臭のことに決まってんだろ――」

 

「……」

 

 そして何故か唐突に一触即発の二人。

 

 私が属する学園内の人間関係では、ほとんど見られない光景であった。今にも掴み合いを始めそうなその空気は、犬猿の仲を映像表現したような塩梅に仕上がっている。

 

「――大体、何でまたあのシリアルキラーが動いたのよっ! 何処の馬鹿が焚きつけた訳?」

 

「利用されてることも知らねぇ馬鹿が誰かなんてどうでもいいんだよっ。アイツは…………別に間違ってないし、口実があれば一瞬で終わらせられる」

 

「何? その方が良かったって言いたい訳?」

 

「私はそう。でも、私達は違う…………ったく、終わってからノコノコ来やがってピーピーうるせぇんだよ豚女っ」

 

 捨て台詞のように悪口を重ね、一宮先輩は向かって左の103号室へと戻っていく。

 

「豚ぁっ? ざっけっ! こっちは元々BMIギリで痩せ気味だってのっ!」

 

 穂村先輩が叫び返すが返事は無く、代わりに壊れそうな勢いでドアが強く閉められる。

 

「……」

「……」

 

 ある程度共感を得られるのではないかと思うが、二人の先輩が激しく言い合っている様を横で見続けるのは、中々に厳しい体験ではある。どうやら嵐は去ったが、ある種の気まずさは未だ場に居座っている。

 

「……さて、中原さんが届けてくれた物を、回収させてもらおうかな。もう、帰る所?」

 

「はい。杉浦教官が迎えに来てくれるそうです。あの……良ければ手伝わせていただいても、よろしいですか? 一人で持つには、量が多いと思うので」

 

 ここで待つにしても、やることはない。

 

「あ、うん……それじゃあ、お言葉に甘えようかな。っと…………うん、大丈夫そう。一応、監視カメラの死角に出るから……ワープしても大丈夫?」

 

「はい、お願いします」

 

 一日一往復限定の空間転移。他者の同行も可能なようだ。

 

「――――」

 

 コインロッカー付近に転移。前触れ、音、光もない、先程のアパートや佐藤さんの能力に近い感覚か。

 

「……そういえば、あのビルの利用者は、不審には思わないのでしょうか?」

「そう、よね。でも、あのビルは学園のだから安心して」

 

「なるほど」

 

 考えれば当然な話だった。

 

 穂村先輩は鍵を取り出し、コインロッカーの方へ。

 

「……」

 

 予定通りにはいかないことに加え、常に何が起こるかわからないという教訓も、念頭に置いて行動すべきだろう。改めて、それを痛感した一日なのかもしれない。

 

 それに関連して、降り掛かる災難については因果応報ではあるのだが、不測の事態への反応速度に関しては、先輩を少し見習おうとも思い直した。

 

 

 

「中原さん、これ――」

 

「はい」

 

「――何で、無洗米じゃないの?」

 

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