「……よし」
見取り図的に東端である医務室からは東側転移ポータルが激近。今朝は新入生への混乱を考えてポータルはオフになっていたが、既に寮への案内が済んでいる今はしっかりとオンに切り替わっている。さすが、A型思考の会長様、俺なら忘れちゃうね。
各校舎の東西に設置されたポータル、その東側のリング内へ入り、スマホでアプリを開き、四号館西をタップ、本当は不要な演出音と光を経て瞬時に四号館へ辿り着く。やはりポータルの使用は空いている時がよろしい。
食堂があるのは二、四号館の二か所で、四号館のは完全オートメーションなため年中無休で営業しっぱなし。自分の靴音が強調されるように響く無人の廊下をしばらく歩き、食堂の入口を通過する。
「おぉぅ……」
生体反応は一つ。そしてその御仁はたった一人で食堂の最奥、受け取り口から最も近いテーブルに腰掛け、剝き出しの白刃のような殺気立った世界観を形成しているが、そんなものは俺が勝手に陥っている悪い幻想である。っていうか午前中なのにお猪口持ってる。
もはや足を止めることは許されず、色々と諦めてテーブルの方へと足を向ける。
杉浦チエ。当学園の教諭であり、担当は武術全般、誰もが軍人っぽいという感想を抱くがそっち系とは何の縁もないらしい。授業を選択している学生は彼女を教官と呼び、そうでなければ先生と呼ぶ。
今日も漆黒のパンツスーツに身を包み、シックな伊達メガネはその鋭い眼光を全く隠せていない。職員への危害禁止というシステムも手伝って、事実上の学園最強と言っても過言ではない。とは言っても、学園内の治安維持には一切関与しないのだが。
「新年度早々、間の悪い男だ。こっちはこれで最後だぞ」
お猪口を軽く揺らし、一気に呷る。酒を飲めば気は緩むもの。でもこの人には当て嵌まらない。
「いやいや何やってんすか……」
学生食堂で飲酒、しかも日本酒。
「一本つけると言うならそれが空くまではここにいてやってもいいが?」
「……はい」
無駄な足掻きはせず、対話はシンプルに。それがチエっち攻略の基本原則だ。
素人なら食後だろと思う所だが、この人の胃袋は宇宙、肝臓は人外だ。
自販の液晶をタップして熱燗一合に適当なつまみを選択。さっきまで食していたと思われる焼き鳥とたこわさは避ける。未だにどんなオーバーテクノロジーを用いているのかは不明だが、秒で取り出し口から姿を現したホカホカの酒が載ったトレイを持ってテーブルへ戻る。
「温奴に、大根と玉子の煮物か。まぁ及第点をやろう。座れ」
「はい」
許しを得て対面に着席し、背筋を伸ばす。
「何が聞きたい?」
徳利を雑に傾けながら、女帝が問う。因みに、彼女はお酌されるのを煩わしく思う派で、俺も今の所その派に属している。
「はい。新入生を探しています。名前は中原サヤ。学生会に送られているのは名簿のみなので、顔写真などがあればと思ったのですが」
重ねて、一年の寮に言って「中原サヤさんはおりませんかぁ!」と叫ぶ未来は是非とも避けたい所。
「学生会へ取り込むか。確かに、流れを変えるには最適な日ではあるな」
今の質問で会長からの指示であることは伝わった。そもそも初日から特定の入学者を探すのはそれなりに不自然な行為だ。
「えっと、教官は知ってるんですか?」
「知らん。彼らとの顔合わせは三日後だ。私はこれから、外の阿呆共を殴りに行かねばならん」
「それは、また」
ガンガンやっちゃって下さい。俺が言っても聞かんので。
「それよりも、早速一人殺しかけたそうだな」
ペースが速い。大根、超美味そう。
「はい。リゥには困ったものです」
「一応言っておくが、リアルタイムで見ていたぞ」
「オゥマイ……」
何故だ。そんな暇なことをする人ではないはずなのだが。
「本題にしても、随分と主観的な物言いだったな。指定されたページを読むこともできんのか、お前は。絵本の読み聞かせからやり直すべきかもしれん」
「はい……猛省し、次に活かします」
「そんなことはどうでもいい。顔写真だったな」
恐怖で縛られ、凝視することは叶わないその胸元からスマホを取り出すチエっち。何だか今日は優しい。これから人を殴れるから機嫌が良いのかもしれない。
「……ふっ、なるほどな……ハルさんも苦労が絶えんな」
「えっ?」
単純に何言ってるのかわからん。
「見てわからんか?」
「……はい」
「そうか……見ただけではわからんだろうな。顔写真のデータは飲み終わったら送っておいてやる。先に寮へ向かっていろ」
そう言ってスマホを戻し、玉子を口へ運ぶ。
「……はい……では、向かいます」
話がスムーズ過ぎて、違和感が出てしまう。頼み事をする時は決まって後5、6ターンは理不尽なやり取りを繰り返すはずなのだが。とは思いつつも只々歓迎すべき流れなため、身体は勝手に椅子から腰を浮かす。
「あぁ、そうだ――」
なるほど、上げて落とすパターン。希望からの絶望、嫁いびりの基礎ですね。
「――予定よりも多く飲み食いしたからか、程よい甘味がほしい所だな」
「あ…………これ、どうぞ。後、改めまして、今年度もご指導、よろしくお願いします」
何ということでしょう。本日、パワハラは特にないようです。
ということで、後付け感がヤバめだが、羊羹の献上に年度の挨拶を添える。
「ほぅ、有難く貰っておこう。まぁお前に教える手間はもう割かんがな。心許ない限りだが、副会長は要だ、不格好には目を瞑る。結果を出せ」
「はい、失礼します」
浅く礼、回れ右の後急ぎ過ぎずに直進。彼我との距離が離れるに連れて心に圧し掛かるプレッシャーが軽減されていく。
限界まで息を止め水面から顔を出した時のような安全圏へのありがたさに、高揚感にも似た安堵が胸に広がる。そして一つ思うことは、いつかあの場で一緒に朝食を頼んでおいしくいただける強靭な心を身に付けたい。
ポータルへとんぼ返りの方が時間的には早いが、ここは徒歩で中央広場まで行ってしまうことにした。また、若干のタイムロスではあるが、遠目でもいいのでもう一度噴水前で起きた地盤沈下の程度を確認しておくのもよいかもしれない。
座標的に言えば区画の中心点に位置する中央広場には巨大なメインポータルが設置されており、早朝なら寮、それ以外の時間帯なら様々な区画から転移してくる学生や職員でごった返しているのが常だ。きっと明日以降はまたその日常が戻ってくることだろう。
寮へ移動した新入生達は既に投げっぱなしな自由を得ている頃合いだが、自室での荷物整理や、ルームメイトとの自己紹介、唯一開放されている地下ショッピングモール区画での日用品の買い出しなど、明日からの生活に向けてやらなければならないことは結構多い。
それに加えて、先程のオリエンテーションでは一部ショッキングな経験もあったかと思うので、昨年経験済みの上級生目線としては、心配な要素も多い。
「とりあえず時間的ハンデを抱えた柿沼君はモールの買い出しまで付き合おう」
なので、何とか日中の間に意識を取り戻してほしい所。後はルームメイトが穏やかなタイプの人であることも祈りたい。
「…………うん?」
物思いに耽るには良い環境の中、散歩を満喫していると、視界の奥、噴水の影から見覚えのある人物、その正体は現代に生きる侍か、黒セーラーガールが姿を現す。この距離感で目が合っている現状から、無視するのは何か違う気がする。
「えぇっと、ごめん。制服着てないけど、新入生だよね? それとも三年生っすか?」
一つ、あんなダサい制服など着れるかボケ。一つ、ウチは前々から気に食わん副会長をいわしたろ思てぶっこみかましたんや。
どっちだ。
「……はい。新入生です。急遽ここへの入学が決まり、制服を用意する時間が無かったため、元々入学予定だった学校の制服を着ています」
「あ……なるほど」
小さい声量でも何故か聞き取りやすい声、感情に乏しい印象も、先程と何も変わらない。
「つまり……チエっちが送ってきたっていう……へぇ、制服を作る暇もないって。ちなみに、ここに入学が決まったのって、いつ頃?」
「昨日です」
「マジでかっ! それでその落ち着き……いや、それより、ちょっと確認したいんだけど、さっきの、手合わせ? アレって俺に個人的な恨みがある、とかじゃないよね? そもそも、今日が初対面なのは間違いない、ですよね?」
明らかに情報過多な相手だが、こういう顔に出ない系の手合いは小まめな意思確認が吉。とりあえず、もし私怨なら今日の所は全力で逃げようと思う。
「はい、先輩とは先程が初対面です。個人的な恨みについても、それ程はありません」
「それ程? いや待てそれでは矛盾する……初対面だ。俺を生理的に受け付けないという切ない現実があったとしても、恨みは違うだろ。それこそ、キミが恨むべきはあの赤い悪魔の方じゃないのか?」
まぁヤツを恨むなんて只の死亡フラグだが、人が誰かを恨むのを止める趣味もない。
「……阿僧祇先輩から話を聞きました」
「えっ? 嘘っ! あの後話し掛けたって、こと?」
「はい」
それこそ人間のあり方そのものと矛盾する。自己保存の原則とか言わんでも、生殺与奪を握られた相手にその後すぐ話し掛けるなど、入学初日から出来ることではない。
「先程、結果的に袖にされたことは先輩の指示によるものだったとのことでした。加えて、自分では先輩に勝てないとも言っていました」
「嘘だっ! あんなのに俺が勝てるかっ!」
そもそも勝つって何だ。このままでは午前中から哲学の時間が始まってしまう。
「……阿僧祇先輩は間違いないと言っていました。それに、教員の方もこの学園で最も強い人物に、先輩の名前を挙げていました」
「…………えっ? 皆どうした……エイプリルフールは一昨日なのに……」
展開予測が外れることには慣れている。でも慣れると好みは別だ。
教員はチエっちで確定。そして贔屓目とか関係なく学園最強は俺ではないし、その候補に名前が挙がることもない。最も納得できるのは嫌がらせの一人時間差か。何でそこまでパワハラに趣向を凝らすのだろう。大人の考えることはわからない。
「改めて手合わせを、いえ……確かに、先人に倣うは正道、問答無用には慣れていると見受けました」
朝の惨劇により、局地的な液状化現象を彷彿とさせる周囲に目をやりながら、少女の両目が赤く光り、こちらを見据える。
「待て、話し合――」
目にも留まらぬ接近、ノーモーションからの左正拳突き、視界が拳で満たされる。
「――おうっ!」
上体を後方へ反らして避け、追撃の気配を察知して右方へ逃れるべく地面を蹴る。
「……」
習慣化した分析タイム、その間、0.3秒。
まず動きが人外、当然ながらエネルゲイアによるもの。但し、エネルゲイア覚醒者が基本搭載している身体能力強化と捉えるには違和感が残る。彼女は昨日入学が決まった、のでエネルゲイアの練度を高める時間はない。
また、人間の瞳はそんなコロコロと色を変えず、瞬時にカラコンを入れたはずもないしあんなヤバそうな光り方をするカラコンに一般的商品価値はない。つまり、今の動き自体がエネルゲイアによるものとの仮説が成り立つ。
そしてこちらの都合などお構いなしに追って繰り出される超絶高速上段回し蹴りをスウェーでやり過ごす。驚くべきことに、タイツに隠された下着の色が確認できない程のスイングスピード、つまり当たったら人は死ぬレベルの暴力だという話だ。おそらく首の骨が折れるか頭と身体がセパレートされることも考えられる。
「っ……」
ここが7メートル四方のリング上だったら即座にセコンドへタオル投入を懇願する所だが、現実は開けた広場であり、緊急時は唯一の遮蔽物である噴水を生贄にすることも可能であるため、多少の精神的ゆとりが我が手中にはある。
そんな思いを胸に、俺はこの星に生きる生物の限界を優に超えた打撃に対し、一貫して距離を取り続け、格闘技なら間違いなく消極的行動による減点を取られる立ち回りを繰り返す。
「はいっ! 3分経過っ! 一回待とう。ホントに、マジで。一回止まって、頼む。はいっ! オッケィオッケナイス、いやぁもう新入生の動きがじゃないってマジで……」
手元に白旗があったら応援団長のように振り回したい。そんな思いを込めた渾身の命乞いに、少女の追撃が止む。
「まだ2分も経っていませんが」
よし、言語を引き出した。ナギよりは人間に近いことが確定。
「まぁ……うん。さっきの話でもあったし、私闘自体は問題ない。ただ人にはそれぞれ都合があることは理解できると思う。今日はちょっとまだやらなきゃいけないことがあって————そうだよっ! こんなトコいちゃダメだろ。荷解きした? ちゃんとルームメイトに挨拶は? これから嫌でも同じ空間なんだから、最低でもメッセのIDは交換しといた方がいい。それに、日用品の買い出しは? 備え付けの歯ブラシ固くてメッチャ細いから、今日中に買ってくるのがオススメだけど」
とにかく会話を途切れさせると殴りかかってくる。単なる延命でしかないが、今は時間を稼いで光明を待ちたい。
「解く程の荷はありませんし、私は一人部屋です。日用品については、担当の方が前年度不評だったものはメーカーを一新したと話していました」
「仕事早いな小林ぃ……」
できる輩はそれはそれで十分問題だ。なるほど、チエっちの言葉は、後に納得を連れてくる。
「よしわかったわかった。とにかく、だ。改めて日時を設定しよう。学生会副会長として逃げないことを約束する。キミも、闇討ちをしなかったってことは、コンディションの良いタイミングの方が好ましいって話でしょ?」
何だったら、今日の俺は全然調子良くない。だってもうすぐ昼飯の時間なのに朝飯食ってないもん。
「……それよりも、先程室内で見せたエネルゲイアを何故使わないのですか?」
心なしか、瞳の明度が高くなった気がしないでもない。もしかして、それが感情の起伏を示すバロメーターなのだろうか。
「って、いやあれは不意を突かれて……そもそも、覚醒した直後で、しかも後輩の女の子に暴力とか、あり得ないから。あ、ちょっとタイムアウト」
胸に響くバイブレーション、想定通りにデキる教官からの情報を受信、指定のファイルをオープン。
「お………………マ?」
高画質で表示されるのは無表情だが可愛い女の子。ただ一つ、問題がある。
「……ちょっと、名前、聞いてもイイ?」
眼前の少女と、瓜二つなのである。
「……確かに、名乗らないのは失礼でした。野試合未満の場であることは弁えているので、流派は伏せますが……中原サヤと申します」
はい、瞬時に提唱した双子説も綺麗に大破。
「は……謀ったな……」
つい呟きが漏れる。
あの行き遅れアラサーが。ヤツは、全てを、知っていた。
「……」
どうする。
垂直落下式ジャンピング土下座をぶちかまして勧誘するか。いや、興味ありませんの一言で終わる未来しか見えんので却下。
次だ。
書類を捏造して記録上入れてしまえば、会長に言われた条件は満たせる。碓氷さんに対する最終手段として考えていたこの会心の案を、ここで発動させるか。いや、バレたら俺を殺そうとしてくる人物が複数思い当たるので却下。
ならば。
「そうだな。正面から挑んでくる相手に背を向けるなどあるまじき男の恥……たとえそれが年下の女の子であったとしても、向かってくるのであれば全身全霊を以ってコレを撃滅す。中原サヤ、キミもこの場で白黒ハッキリつけることを望んでいるのだろう?」
俺はここで初めて棒立ちから重心をやや下へシフトし、構える。
「……先程の発言との整合性は取れませんが、私としては望むところです」
よし。見立て通り、細かいことはそれ程気にしない系女子であることを確認。
「ただし、条件がある。そもそもそっちは俺をボコしたいのかもしれんが、俺は本音の部分で全く気が進まん。つまり現状、この争いは不平等だ。わかるか?」
そもそも争いに平等などないがな。
「…………言葉の意味として、理解はできますが、ここまで一貫性のない相手と話をするのは初めてです」
「いやいやそんなことはない。一貫して勝負自体は受けると言っている。俺は望み通り喧嘩を買う。で、そっちは俺が勝った場合、学生会に入ってもらう」
恨みも何も面識すらない相手に喧嘩売ってくるヤツの共通点、それは自分が負けることなど全く想定していない所だ。
「……構いません。では――」
「――待った。勝利条件の設定がまだだ。そっちは俺を殺したら勝ち。俺は、キミの耳たぶを指で摘まんだら勝ち。この条件でいこう」
頼むから、命まで奪うつもりはありません、と言ってくれ。
「…………耳たぶ、ですね。わかりました」
左手で自身のそれに触れながら、少女は提案を受ける。命を奪うつもりはありませんが、が抜けているのは何故だろうか。
「――っ!」
「――な」
速ぇ。
ナギにも迫るスピードでの肉薄。
まぁそれは言い過ぎ。
俺は今、普通に油断していた。
そして先程と同じ左の拳。
コンパクトな正拳突きではなく、背負い投げのような豪快なストレート。
「―――――――」
刹那、それがフェイントであると知る。
本命は故意の空振りによる身体の回転を利用した右の肘撃ち。
「――なっ!」
ここで初めて、表情に感情が加わる。
「――対策でフェイントか。十分速かったから、小細工しない方がよかったかもな」
頭を飛ばす勢いで放たれた彼女の右肘は、俺の首から五センチ手前の位置、その隙間は埋まらない。
俺は回り込ませるようにゆっくりと右腕を伸ばし、左の耳たぶを人差し指と親指で摘まむ。
「…………」
驚愕の次は微量な羞恥と計測不能な殺意。
「と、いうことで、中原でいいよな? 天津神学園高等学校学生会へようこそ」
これにて、本日の最優先事項は済。
後は柿沼君への対応、穴が幾つか増えた噴水広場と多目的ホール天井修繕への詫びで必須クエは終了か。
時間があったら新入生の様子を遠くから眺めたい所だが、まずはブランチで許されるだろう。
昼食に誘ったらこの後輩は乗ってくれるだろうか。
それらのことを頭に浮かべつつ、女の子の耳たぶを摘まむというのは、どの程度の変態行為に該当するのか、少し考えてみることにした。