トワイライト・エネルゲイア   作:サムラビ

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6月上旬頃 5

 モリス先輩、天王寺先輩と続く攻撃的な陣形で不法侵入を断行する。殿はレイカさんが務めてくれる。物理的には手厚い安心感、精神的には逃げられない不安感が、均衡を保ったまま胸中を彷徨う。差し当たって、前が全く見えない。

 

「っ……おいお――っ」

「――待てモリス。このソウルの痺れと余韻……今暫く、間を置くべきだ」

 

 天王寺先輩に口を塞がれ、為す術なく右手の洗面スペースへ連行されるモリス先輩。

 

 それによって開けたリビングへの道を進む。

 

 

「――――――」

 

 

 ここに来てまたもやの想定外。

 

 広々としたリビングでは、背を向けてソファに腰掛ける男女が二組。

 

 大画面のテレビが映しているのは、映画のワンシーンか。

 

 明るい青空と海、砂浜。

 

 スーツ姿の男性が波打ち際を笑顔で歩いている。吹く風で帽子が飛ばされても、気にした様子はない。

 

 ここからでも、四人が映像に没入しているのがよくわかる。

 

 それは古いボートか。もう一人の男性はそれを一生懸命に磨いていたが、先程の男性に気付くと、眩しい笑顔で応え、作業を中断、友人の元へ。

 

 綺麗な海と空をバックに、スタッフロールが流れる。

 

 遠目だが、その二人ががっちりと抱き合っている。

 

 わからないが、かなり古い映画ではないだろうか。

 

「――あぁ……良かったぁ……マジで良かった」

「うん……感無量だね……言葉がないよ……」

 

 京都にいるはずの二人が、何故ここにいるのだろう。そしてもう二人はどなたなのだろう。

 

「脱獄モノって言うから、後味どうなんだろって思ったけど、2時間が凄い短かった」

 

「確かに。派手なシーンばっかりじゃないのに、普通に観れたっていうのも凄い……うーん……また時間を置いて、観るかもしれないねぇ」

 

「うん…………たまに入ってくる太刀川と保土ヶ谷のマニアック解説も、不思議と邪魔に感じなかった」

 

「あーごめんねぇ。何か懐かしい所あってさ」

 

 

「つーか、何でレイカまで?」

「っ……その前に何でまったり映画観てんのよ……」

 

 見知らぬ二人がいなかったら、初手は言葉でなく、蹴りか銃弾だったかもしれない。

 

「――っ! レイカ……それにサヤ……天王寺先輩に、モリスも……か……シン、これは一体……」

「えっ? いやほら、言ったじゃん。たまにはのんびりしようって」

 

「えっ? それ、が……答えになって、いるのか……」

 

 絶対になっていない。そしてあの顔から、先輩が少なくともある程度のレベルで、本件の全容を把握していたことがわかる。

 

「っ……」

 

 未だ収拾が見えない中、更に玄関から人が入ってくる。

 

 

「――随分賑やかじゃねぇか。おい保土ヶ谷、黒澤、すぐ撤収だ」

 

 貫禄のある初老の男性は、我々のことは気にせず、ソファの二人に指示を出す。

 

「あー、余韻と混ざっちゃってるなぁ……ホントに、太刀川君の言う通りだったんだねぇ」

「李さん……映画、今ちょうど終わったんだけど、偶然?」

 

「そんな訳ないだろうが。こっちはパーキングで7分も待機だ。お前が運転しろよ」

 

「別にいいけど。じゃ、二人共、元気で。少し、楽しかったよ」

「僕は滅茶苦茶楽しかったよ。ありがとね、二人共。お幸せに」

 

「はい。ありがとうございました。この映画を観る度に、きっと思い出します」

 

「それはそう。あ、マコト、お鍋のレシピ、ありがと」

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。黒澤さん、保土ヶ谷さんも、どうかお元気で」

 

「いいなぁ太刀川君。僕は羨ましいよぉ」

「保土ヶ谷、いつまでも引っ張らない。嘘だって言ってたでしょ」

 

 文脈は不明だが、保土ヶ谷と呼ばれた男性と稀崎先輩は、何やら別れを惜しんでいる。

 

「何だお前ら。妙にスッキリした顔しやがって」

 

「えーっと……イイ映画、観ましたんで」

「李さん、車に煙草ある?」

 

「さぁな。おら行くぞ。坊主、嬢ちゃん。お友達を呼ぶなとは言ってなかったから構わんが……おかしなアベックだな……いや、最後の忠告だ。30分以内にこの敷地を出ろ。じゃあな」

 

「はい、失礼します」

 

「あの……ありがとうございました」

「何で誘拐されて礼を言われてんだ……」

 

「いやいや。これ誘拐じゃないんで」

 

「っ……」

 

 この男は今、何と言ったのか。感情が理解を拒否している。

 

「あぁそうだった……達者でな」

 

 三人は真っ直ぐ玄関から出て、部屋を後にする。とりあえず、警察の方ではない。

 

「よし、お疲れだな……帰るか」

「「はっ?」」

 

 いみじくも、レイカさんと声が重なる。おそらく、感情も。加えて、その表情を見る限り、この場は静観のみで望む未来が手に入るだろう。

 

「――ちょっ! 何そのジーパンみたいな銃――って実弾込めんのは不味いんじゃないっすかねぇ……」

 

「……私とマコトとサヤが納得できるように説明。制限時間は5分よ」

 

 小さな銃口が、先輩の脳天を捉えている。この距離で外すレイカさんではないだろう。

 

「いやそれ、帰ってか――あーはいはい只今っ、えーっと……説明て……あーその前に、天王寺先輩、ご無沙汰してます」

 

「こちらもだ、シン。だが、修羅場において、そのような気遣いは不要だぞ」

 

「てめぇの目論見通りってのは気に食わねぇが、わざわざ俺が手を下すまでもなさそうだな」

 

 同様に、見に回る様子の男性二人。ソファから立った稀崎先輩も、天王寺先輩へ丁寧に挨拶をしている。

 

「そう、だな……じゃあ、質問形式にする?」

「先に説明。その都度、こちらから質問するわ」

 

「あ、そっすか……誘拐されてる時より場面厳しいんだけど……」

 

 つまり、昨日から終始快適な時間を過ごしていたということか。心配するだけ無駄、というのは真実であったことがここに示された。

 

「うーんと、外部委託でターゲットになってた会社っていうのが、マコトの実家を脅してた相手だったんだよ。で、そこは既に解決してて、後は表の警察が調べて収束に向かう。だから、マコトはもう安心していい。おっ、スマホも通るようになった。が、通知……」

 

「なっ……そう、だったのか……また……いや、そうではないな。シン、ありがとう。後日、改めて礼に伺わせてもらうよ」

 

「マコトも、そんなこと気にしなくていいの。どうせコイツ、貴女が身の回りのことをやってくれるこの環境で、ダラダラしたかっただけなんだから」

 

「うん、まぁそれはそう、なんだけど、実際問題、俺が下手に動かない方がスムーズだったのも本当だったんだよ。にしても、意外だったな。リゥがレイカに連絡するなんて」

 

「はっ? する訳ないでしょ。こっちから聞いたのよ」

 

「えっ? アイツ電話出なくね?」

 

「出るまで掛ければそっちの方が面倒臭くなって出るわよ」

「強っ……」

 

「……」

 

 阿僧祇先輩相手にそれが実行できる胆力は、流石の一言に尽きる。

 

「でもまぁ、説明してみるとそんなもんか。後は、さっきまでいたよくわからん業者の人達が割といい人っていうか、ドライなスタンスだったから、条件付きでの説得も楽だった。要は、自分らに不利益が出なけりゃいいって感じ」

 

「その説得っていうのは、特別室の人に頼んだの?」

 

「そゆことやね。あ、っていうか、それ関係で面白い話あったから、今度話すわ。で…………他、何かある?」

 

「そうね……サヤは、どう?」

 

 今の説明で納得した様子のレイカさん。やはり、元々所持している情報に大きな差があるためだろうか。

 

「……今思えば、先輩は京都へ向かう段階で、今ここまでの流れを知っていたようにも見えました。それでも……元々、全てを把握していた、とは考えにくく、どの段階で全容を掴めたのでしょうか?」

 

「何かお前に言われると尋問されてる感が半端ねぇな――じゃなくて、トイレの段階では何も。ただ、想定される可能性を考えて、話はした、かな。気付いたのは、マコトの話を聞いてからで、確信したのは、連れて来られたのがこの辺りって知った時、かな」

 

「……」

「……」

 

 自然と、レイカ先輩と目を合わせる。そして視線は、モリス先輩の絡みにも丁寧に対応していた稀崎先輩へ移る。

 

「シン。話の流れから、稀崎はわかるが、何故お前まで誘拐されたのだ?」

 

「そりゃあ、さっきのビルでも聞いた感じ、あちらさんからしたら、仲睦まじいカップルに見えたからっすよ。中峰だったか、そのロリコン社長、太刀川の前で寝取る気だったんだろーな。いや、そういや何処行きやがったんだ。バックレたにしても、警察に追われてんじゃ、時間の問題なんだが」

 

「っ……」

 

「あの、どうかしましたか? レイカさん」

 

 そう声を掛ける程度には、表情が引き攣っている。

 

「……その社長さん、今、地下で寝てる、かも……」

 

「それって、永遠の眠り――ちょ怖っ!」

 

「実弾を人へ向ける訳ないでしょ。次ふざけたこと言ったら本当に風穴開けるわよ」

 

「なら、太刀川も俺達の仲間だな」

「ふっ、悪くはない繋がりだ」

 

「……」

 

 ここまで同道した身としては、笑えない冗談だった。加えて、レイカさんにとって先輩は人ではないらしい。

 

「ま、そっか……マコトがいるのにレイカをナンパするような人なら、ちょっと……じゃ済まないんだけど、自分を見つめ直す時間を持った方がいいだろ。よし……冗談抜きで、一旦帰ろう。で、モリス」

 

「あぁん? 何だよ?」

 

「本件解決に多大な貢献をしたのは、何とお前。大人しくここで待機してろ。言っておくが、外堀は完全に埋め固めて閉鎖してある。無駄な抵抗はむしろ俺を喜ばせるぞ」

 

「て……てめぇ……ふざけんなよ……」

 

 反射的に腹部を押さえるモリス先輩。どうやら踏み止まってくれたようだ。

 

「まぁまぁまぁまぁ。こっちだって割とふざけんなって話なんだよ。何のために主力を手放してまでお前らを学園の外へ逃がしたと思ってんだ? そろそろ主導権を握ってくれ。言いたかないけど、俺らだって忙しいんだよ。わかるか? 四月から休日のない俺の無念が」

 

「昨日今日ゆっくりしたでしょ」

 

 うんざりした顔で、銃をポケットに戻すレイカさん。

 

「足りねぇよ。せめて土下座でもしろ」

 

「そんなんじゃ満足できないだろ。聞け、モリス……キッチンの冷蔵庫にどういう訳か、良く冷えた斑鳩搾りがある。重ねてどういう訳か、グラスも冷やしてある」

 

「っ……て、てめぇ……」

 

 未成年の飲酒は、法律で禁じられている。

 

「鍋の中には、マコトの作った煮物の残りもある。どうだ? スレッジ先輩と織田島は論外、神崎は馬鹿舌、だからイチルの料理の腕は一生上がらない、毎日鶏むね肉地獄、故にパッサパサ…………抗えるのかぁ? 今のお前にぃ」

 

 その顔は、まごうことなき悪。

 

「っ…………チッ、今回は貸しといてやる……さっさと消えやがれ……」

 

 ふと、テレビの横にあるアニマルクロニクルのパッケージが視界に入る。ゲームと同じで、いくらモリス先輩でも、不利状況からの舌戦では分が悪いということか。

 

「――では、俺も一足先に戻るとしよう。中原、今日は世話になった」

 

「いえ、それはこちらです。ありがとうございました」

「あ、天王寺先輩、今度、飯、お願いします。奢らせてもらうので」

 

「あぁ、期待している。だが、当分は気にしなくてもいいだろう」

 

「えっ?」

 

 首を傾げる先輩には構わず、天王寺先輩は悠然と部屋を出ていく。私自身、少なからず、変わっている、という評価を貰うが、彼と比べればインパクトは人並だという気付きを得ることができた。

 

 そして、既にモリス先輩は冷蔵庫から出した大きな鍋をIHで温めている。諸々考えず、また、見なかったことにしておく。

 

「レイカも、学園に帰る感じ?」

 

「……今呼ぶけど、アンタを乗せるのは無理よ。マネージャー、凄い機嫌悪くなるから」

 

「あぁいや、皆でこっちから帰ろうぜって話」

 

 先輩は、奥に見えるドアの方へ。

 

「えっ? あ……」

 

 察したレイカさんと、取り皿をテーブルに置いてモリス先輩への挨拶を終えた稀崎先輩が後ろに続く。そしてあの男、偶然見えたスマートフォンの画面から、ログインボーナスを貰っているのが確認できた。

 

「……先輩のエネルゲイア、少々便利過ぎませんか?」

 

「いや不便だろ……ポイントなかったら何もできんぞ……」

 

「ま、哀れな能力ではあるわよね」

 

「私は、非常に多彩な能力だと思うが」

 

 そして、普通に考えればあり得ないが、我々はトイレに。当然の如く、便座はむしろ新品よりも輝いて見える。

 

「――――」

 

 前触れのないタイプの転移現象により、学生会館三階、男子トイレ最奥の個室に到着する。時間帯的に、利用者はいない。

 

「終わり良ければってことで。マコトは、いや、言う必要ないか」

「あぁ、すまないが、先に連絡を済ませるよ」

 

「そもそも、一秒でも早くまずはここを出たいわ」

「同感です」

 

 本来なら、必要があっても入るべき場所ではないはずだ。

 

 カフェスペースに戻ってくる。ここは常に点灯しているが、特にエネルギー問題には触れないらしい。稀崎先輩は、階段近くの席の方へ歩きつつ、スマートフォンを耳に当てている。

 

「7時半……まぁ、誰もいるはずもなく。とりあえず、今日は解散だな。中原も、遅くまでお疲れ。詳細は明日聞くわ」

 

「……っ、電話ですか?」

 

 何と言って噛み付こうかと考えていた所、先輩の手にあったスマートフォンが振動、不可抗力で見えてしまった画面により、杉浦教官からの着信であることが露見した。

 

「あぁ、ちょいすまん――はい、今、学生会館に戻ってきた所です」

 

 弛緩した表情から、一気にモードが切り替わる。無理もないことだが。

 

 何となくの流れで、レイカさんの隣に座り、稀崎先輩を待つ形となる。

 

「…………は? あの、そんなはずは……いえ、申し訳ありません。すぐ、確認します……はい、一旦失礼致します」

 

「……」

 

「何? まだ面倒事?」

 

 レイカさんが、スマートフォンを仕舞いながら聞く。

 

「いや、一番ヤバいの来た……リゥが脱柵。国と学園仲良く大パニック」

 

「……私、明日早いから――」

「――いやいやいやいや、頼むよ。協力してくれ、マジで。えっと……どっか、アイツが行きそうなとこ、心当たりない?」

 

「ある訳ないでしょ。アンタの担当よ」

 

「……」

 

 阿僧祇先輩の無断外出。確かに、国が揺らぐのも無理はない事件かもしれない。ただ、私にはまだ、事の深刻さが十全には伝わっていない。

 

「――シン、少し……いいだろうか? いや、最優先事項だ……」

 

 レイカさんに縋り付く先輩へ、今度は緊迫した表情の稀崎先輩がやってくる。

 

「えーそっちもかよ……いきなり地獄……で、どうした?」

 

「落ち着いて聞いてほしい。今、リゥが私の実家にいるようだ」

 

「はっ? いや、つまり場所は確定したってことか」

 

「そ、そうね。最悪の状態からは抜けたわ……でも、何で?」

 

「その……スッポン鍋を、食しているらしい。少々、変わっているんだが、我が家では何かを祝う際、決まってスッポン鍋を囲む習慣がある……いや、とにかく、スピーカーに切り替える」

 

『えっ? スピーカー? え、姉さん、そこに、タケルさん……いたりする?』

「あ、サクラちゃん?」

 

『あっ! レイカさんですか? お久しぶりです。えっと、今、誰がいるんですか? 太刀川さんとか?』

「待てサクラ。とにかく、リゥに代わってくれ。事は急を要する」

 

『えぇでも、何かお母さんと意気投合してて、入りづらいよぉ……』

 

「いや、サクラちゃん、そこを何とか、切り込んでくれ。今度、タケル紹介するから」

「シン……」

 

『ホントですかっ! う、うん……ちょっと、頑張ります』

 

 通話を繋いだまま、一旦会話が中断、足音の後、何やら騒がしい声が漏れ聞こえてくる。

 

「っ……すまない。家の者は皆、酔うと少々厄介で……特に、母が……」

 

『うん? 大丈夫だよ。一応、お酒は遠慮してるから』

 

「よし、それは偉い。で、リゥ、すぐ迎えが行くから、イイ感じの所で学園に帰ろう。今、日本の行政が揺れている」

 

『知らないよそんなこと。大体、シンが言ったんでしょ? マコトの実家に、もう大丈夫だから、二、三日静観するよう伝えろってヤツ。あ、いただきまーす』

 

 声色はいつもと変わらず面倒臭そうに、そして明らかに物を食べながら喋っている。スッポン鍋は栄養価だけでなく、味も美味と聞く。未体験であるが故に、正直羨ましい。

 

「間違っても直で出向くなって、念を押した気がしないでもなくない?」

『いやだから、フリでしょ?』

 

「何でだよっ! とにかく、素直に言うこと聞いて、行儀良く帰って来なさい。OK?」

『わかってるって。別に何もしないのに、皆怯え過ぎだと思わない?』

 

「いやいや、その話、7万回はしただろ。じゃ、頼むぞ」

 

 

 言い終わると、先輩はホッとしたように椅子へ身を預け、大きく息を吐き出している。

 

 

「あの、想像はできるのですが、阿僧祇先輩の脱柵というのは、それ程の緊急事態なのでしょうか?」

 

 落ち着いた所で、レイカさんに尋ねてみる。

 

「うーん……多分、想像通りだと思う。私達は別に、だけど、阿僧祇さんの能力しか知らない人達にとって、彼女は何よりも恐ろしいのよ。実際、彼女がその気になれば、すぐにでも世界を破滅に追い込めるみたいだし」

 

「……確かに」

 

 どうにもスケールが違い過ぎる。

 

「それより、いいの? 国の人達に任せて」

「えっ? 何が? 普通に絶、VIP待遇だし、さすがに文句ないだろ」

 

「そ。なら別にいいけど」

 

「先輩、何故すぐに例のドッグタグを使わなかったのですか?」

 

 二人は電話よりも強固な連絡手段となるエイドスを持っている。

 

「えっ? あぁ、言ってなかったか。あれは、つまり、イメージ的には親機と子機、みたいな感じなんだよ。だから、リゥからは俺の位置と周辺の状況が分かるけど、俺からは連絡できるだけなんだ」

 

「……なるほど」

 

 まるで、両者の関係性の優劣を象徴しているかのようなシステムだった。

 

「前のは……元旦だよな? あの、初日の出を見に行きました的なヤツ」

「そうね。考えてみれば、今年はアレから始まったのね……」

 

 レイカさんが、心なしか遠い目をしている。

 

「そう考えれば、半年に一回の頻度か……まぁ許容範囲と――」

「っ……」

 

 だらしなく背もたれに寄り掛かっていた先輩が、高速で立ち上がり、背筋を正す。それは、常軌を逸した速度であった。

 

「……」

「……」

「……」

「っ……」

 

 通話を終えた稀崎先輩も、沈黙に加わる。

 

「ヤバ……もう逃げられないわね……」

「……」

 

 溜息を漏らし、レイカさんも先輩の後方で背筋を正し、稀崎先輩と私もそれに並ぶ。

 

 響く、聞き覚えのあるヒールの足音。

 

 静まり返ったカフェスペース、一定のリズムを刻む音には、不思議な圧が込められている。

 

 階段を上がってくる足音が、少しずつ近くなり、鋭利な殺気を放った女性が現れる。

 

 

「――優先順位、という言葉を知っているか? 太刀川」

 

 

「はいっ! 申し訳ありません」

 

「謝罪など要らん。教育は、事が済んでから施してやる。すぐに行動を開始しろ」

 

 よく通る声の後、杉浦教官の手から何かが投げられ、それは先輩の足元に落ちる。

 

「えっ? と……これは?」

 

 先輩が膝を着き、その何かを手に取る。

 

「斑鳩のステルスマントだ。開発途中だが、八割方は形になっているらしい。言っておくが、御手洗の身柄は既に拘束している」

 

「…………はい」

 

 その不可視のマントを持ち、先輩は起立する。

 

「20分以内に阿僧祇を回収しろ。復路はバイクだ。用意された物を使え。理論上だが、そのマントは音速に耐えられる。人目に付きにくい経路は既に送った。精々知恵を絞れ」

 

「……は、はい」

 

「歯切れが悪いな。平和ボケが過ぎたということか……優秀な者には神経質が多い。阿僧祇が勝手に学園の外へ出ることは、この国の様々なリソースが著しく割かれることを意味する。外でままごとをしている者達を看過する訳ではないが……言っただろう? 優先順位だ」

 

「はいっ」

「ほら言わんこっちゃない」

 

 レイカさんが、閾値の限界程の音量で苦言を呈しているが、おそらく先輩の耳には届いていない。

 

「レイカ、マコト、後は任せた」

「「了解」」

 

 稀に見る本気な表情で、先輩は見えないマントを広げる。

 

 

「――あぁそうだ。本件に比べれば大した話ではないが、先日付けで例の特別室に着任した者から名指しでお前に面会願いが出されていたぞ。何やら酷い剣幕だったと聞いたが……セクハラでもしたのか?」

 

「はっ?」

 

 今度は横からの圧も足される。

 

「いえ……決して、そういうの、では……よし」

 

「あっ」

 

 そうだ、京都に行こう、と何かのキャッチフレーズのような言葉を呟き、先輩は完全に姿を消した。ステルスマントとやらの効果は、相当なものだ。

 

「……」

 

 この後の過酷な旅路を終えても、先輩の今日はおそらく完了しない。

 

 よくボヤいている始末書。

 

 小林先輩の小言。

 

 杉浦教官からの教育。

 

 レイカさんの折檻。

 

 よくわからない件の面会。

 

 

 学園に戻った後の先輩を考えると、本日感じた些細な不満や怒りは、とりあえず胸に仕舞っておこうと思い直した次第であった。

 

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