本来なら、普段と違うことをして過ごす時間は、少なからず新鮮に感じられるはずだったが、自覚としては、逆に物足りなさを覚えていたのが事実だった。
依頼のない土曜日、熱心に授業を履修している者でなければ、一年生は午前で授業が終了する。その短い時間数ですら、公欠の多い自分であったが、例によって久しぶりに出席することができた。
その後は普段通りに佐藤さんと昼食を取り、逆に普段通りでなく温泉区画で湯に浸かるという贅沢な時間を味わっていた。これについては少なくとも、昼間から温泉を利用する高校生は少数派なのではないだろうか。
この温泉区画は、学生全体での区画解放ランキングにおいて、常に上位をキープし続ける人気区画であり、自分も五月中に解放するに至った。通常の大浴場に加え、一人で利用できる個室浴場が備えられており、それが人気の理由であることは言うまでもない。
「…………」
そこで、やむを得ずも不都合な真実が一つ。
個室浴場で心地良さに身を任せていた際、ふと一月を振り返り、三十日中、二十五日も先輩と行動を共にしていた事実に気付かされた。
それだけ依頼が途切れないと言えばそれまでなのだが、最近までは阿僧祇先輩の無断外出、その後処理も加わり、先輩は普段以上に忙殺されていたようだ。とは言え、今日は久しぶりに、先輩とは顔を合わせずに一日を終える見通しだった。
「……」
そこに物足りなさを覚えたことが、少々悔しくはある。
遺憾ながら、先輩と行動を共にする以上の修練は見当たらないのが現実だった。黄泉や、その他の危険区画へ赴くことも考えたが、単純な戦闘機会のみでは、どうにも成長が見込めないことは、もはや確固たるイメージとして、自明の理だった。
そのため、何かトラブルが起こった際は、必ず連絡するよう先輩には念を押している。特に、先月の立体駐車場の件以降は、何かと重ねて言質を取っていたように思える。
「――あ、サヤちゃん、もしかして、単位関係の書類?」
「はい。小林先輩も、書類ですか?」
「うん。今日は結構ゆったりな日だけど」
学園区画、中央広場のメインポータルで会った小林先輩と、並んで学生会館へ歩く。
さすがに今日は小休止と考えて良さそうだった。昨日の話において、先輩も外出予定があると聞いていたことも、その推測を後押ししていた。
また、小林先輩から指摘された通り、私はこの時間を利用して、依頼解決による単位数の補填に関する書類の作成、提出を済ませてしまおうと考えていた。
「今日は、園芸部は活動してないっぽいね」
「そう、ですね。土曜日のこの時間は、大抵二人の姿がありましたが、何か、買出しに出たりしているのかもしれません」
「うん、私もそう思って。けど、良かったよね。一年生のクーデターはあんまり周囲に悪感情を生まない形で済んだみたいだし、太刀川君も桐島さんも、どこかのタイミングでアオイちゃんと麻月さんを学生会に誘うんじゃないかって、庶務の皆でも話してるし」
それはつまり、学生会メンバーの間でも、二人の評判は悪くないということなのだろう。私にとっても、喜ばしいことだ。
「速水さんからは時折、先輩の力になりたい、との言葉が聞かれますが、麻月さんは、あまり前向きに考えてはいないように見えます」
「あ、そうなんだ。でも、アオイちゃんは結構そんな感じ出してる、よね。なのに、太刀川君が積極的に誘わないのは、麻月さんのことがあるからなのかな。うーん……会う度に誘ってる碓氷さんみたいにとは言わないけど、誘えばいいのに」
「確かに、そうですね」
先輩に何か考えがあることは明白だが、なのに何故碓氷先輩には無策で袖にされ続けているのだろう。本人は単純接触効果と宣っていたが。
大分実りに溢れている農園を横目に、学生会館へ。すれ違う先輩方に挨拶しながら、目的地の二階まで上がる。意外と温泉に長居していたのか、時間は既に昼の3時を過ぎている。
ほぼ小林先輩専用の事務スペースとなっている一室で、記入するだけの書類を手早く済ませてしまう。四月に聞いていた通り、真面目に授業を受け続けている同級生よりも、速いペースで単位が取れてしまう事実に、罪悪感を禁じ得ない。
何故なら、その上に依頼解決のポイントまで貰っているのだから。
一旦部屋を出て、提出窓口で書類を確認していただき、無事受理された所で戻ると、小林先輩はスマートフォンを耳に当て、通話中のようだった。
「――ん、わかった。それじゃ」
ちょうどいいタイミングで通話を終えた小林先輩に声を掛け、事務室を後にする。
「……」
まだ夕食までは時間がある。休息は十分に取った。一瞬、先輩に連絡しそうになったが、既に外出している時間であることを思い出し、内心に僅かな羞恥が広がる。やはり、本日は休息日と捉えた方が生産的かもしれない。
「――中原さんっ」
「……」
声に振り返ると、大変失礼ながら、顔は知っていても、名前を記憶していない男子学生の姿が。頭の中で必死に検索を掛けるも、結果は芳しくない。
同学年である彼は中肉中背、目立った身体的特徴がなく、記憶から再生する材料が見当たらない。エネルゲイアを聞けば、あるいは。
「……どうか、しましたか?」
仕方なく、先を促す。祖父の教え、名前何でしたっけ? え、何々ですよ、忘れちゃったんですか? いや、下の名前。という不誠実なやり取りは、自分には不可能であった。
「あ、ごめん。アプリで、依頼が無かったから、もしかしたらと思って……今、少しだけ大丈夫かな?」
「はい、構いませんが、何か困り事でしょうか?」
私は今、彼の名前が思い出せなくて困っている。
「その、久我谷のことなんだけど、少し、前になっちゃうけど、話をしたの、憶えてないかな?」
「はい、それなら、記憶にあります」
久我谷君は、非常に勉強熱心な学生で、履修している科目が一年生の中でも多い方とのこと。私も必修で教室が同じになることがある、細身で優しい印象の人物だ。
加えて、彼はエネルゲイアも有用性が高く、一年生の中では戦いの面でも実力者と言って相違ないと思われる。
目の前の彼は以前から、久我谷君と共に、様々な区画を攻略していきたいと話しており、ただ当の本人は、エネルゲイアの向上よりも、将来の夢である弁護士になるための勉強に勤しんでいる。しかしそれは、もう一か月以上前に聞いた話ではあったのだが。
「その後、久我谷君の方はどうですか?」
愚問だったが、何となく口を衝いてしまった。彼が今ここにいる時点で、前向きな進展はないと考えるべきだろう。
「そ、それが……あの、ただ、久我谷のやつ、エネルゲイア自体は、強くなってるみたいで……それに、やっぱり、アイツは凄いと思う……このままじゃ、絶対にもったいない……中原さんも、そう思わないか?」
「それには、同意します。ただ、本人の才能と実際に熱を入れたい何かは、必ずしも一致しないのではないかと思います。我々が弁護士を目指そうとしないことと、そう変わらないと考えられます」
加えて、久我谷君は当初、武術系の選択科目を履修していたはずだが、欠席を続けているのか、履修を変更したのか、最近はその時間に姿を見ていない。
「そう……言われてしまうと、返す言葉もない……んだけど――」
「――おーい、何だよ話って……中原も、なのか?」
「いえ、私もよくわかりません」
件の久我谷君が、明らかに面倒そうな表情で現れる。察するに、彼の見切り発車に巻き込まれたのかもしれない。
「ほ、ほらっ、お前も、中原さんと話せば、何か考えが変わるかもしれないだろ? 時間はあるみたいだからさ。なっ?」
「……何がなっ? なんだよ……どう見ても迷惑だろ。普段から忙しいってのに。せめて、依頼として出せよ」
「そ、そうすれば……あ、そうだよ……依頼として出せば、副会長にも聞いてもらえる」
それだと、結局こちらの忙しさに繋がるのだが、特に拒否する権利は持ち合わせていないのは事実。
「……良ければ、この場で話とやらを聞かせていただければ助かるのですが」
「いやいいよ、中原。悪かったな、手間取らせて」
彼の肩を掴み、強引に連れていこうとする久我谷君。
「あの、このような消化不良な形で終われば、結局はまた時間を取ることになります。今、時間が空いているのは事実なので、話だけでも聞かせてはもらえないでしょうか?」
日々愚痴を聞き流してはいるものの、先輩が忙しいのも事実。先日も、命を掛けて20分で京都市街まで辿り着いたあの男には、多少休息が必要な気もする。この場を以て依頼の数を一つ減らせるのなら、そちらを希望したい。
「あ、ありがとうっ、中原さん。えっと、じゃあ、そこのソファに」
ちょうど近くの自動販売機スペースに設置されたソファを勧められる。正直、話とやらの中身にはあまり期待ができない。
「ったく……中原、飲み物くらいは奢らせてくれ。何がいい?」
「……では、コーヒーを」
「えっ、と……ブラックでいいのか?」
「はい、お願いします」
先輩とレイカさんに勧められ、少しずつブラックコーヒーの魅力が分かってきた。そう思うと、周囲の人達は、飲み物の選択が固定化されている人が多い。
「勝手だけど、緑茶のイメージだった」
「ありがとうございます。緑茶も紅茶もコーヒーも好きなので」
真空缶のコーヒーを受け取る。久我谷君はカフェオレ。
「俺のは?」
「馬鹿だろ、お前」
未だ名の分からぬ彼は、ペットボトルのレモンティー。残念ながら、名前に繋がる情報ではなかった。
「それでお前、話って何なんだよ? これが飲み終わるまでもつ話なのか?」
「……」
勝手だが、もたないのではないだろうか。
「そ、それは……中原さん、エネルゲイアを鍛える素晴らしさについて、こいつに語ってやってくれよ」
初手から完全な丸投げ。ただ、既に依頼をこなした数は優に三桁を超えたと思われる中、何がしたいのか分からない話は、かなりの数に及ぶため、驚きはない。
「その投げ方はさすがに迷惑だろ……こうは言いたくなかったんだが、逆に、俺がお前に対して、一緒に弁護士を目指そうって言ったら、お前は応じるのか?」
「あれ? 何か似たような話を聞いた気がする」
「いえ、予感ではなく事実です」
自らに都合の良い方向へと言葉を受け取る処理機能を備えているのだろうか。
「いや、それは違うよ。俺は弁護士にはなれない。そこまでの頭脳がないから。でもお前は俺なんかより強くなれる才能がある。だから誘ってるんだ」
「確かに俺も、お前が弁護士になれるとは到底思えない。けど、そういう話じゃない……」
うんざりはしているが、そのやり取りから、二人の友好関係は決して悪くないことが窺える。そもそも、そこが不成立ならこの場が成立していない。
「あの、久我谷君が誘いを受けない理由は勉強だと思っていたのですが、空いた時間に時折付き合うという形でも、難しいのですか?」
「それは……いや、俺は――うん?」
「っ……速水さん?」
軽く見開いた久我谷君の目に促され、後ろを振り返ると、そこには不安気な表情を浮かべたボーイッシュな少女、園芸部部長の速水さんの姿が。交流の幅から察するに、用があるのは自分に対してだと予想される。
「あ、あの……お話し中に、ごめんなさい……そ、その中原さん、お話が終わったら、連絡してもらっても、いいかな?」
「いや、こっちは大丈夫だ。中原、彼女の話を優先してくれ」
「そ、そうだよな……何か、マズそうな雰囲気だしな……」
久我谷君は言いながら立ち上がり、距離を取る。
「ありがとうございます。それで、何かあったのですか?」
こちらも立ち上がり、両手を胸の前で握り締めている速水さんへ近付く。
「す、すいません……あ、じゃなくて、ありがとう、ございます……その、カエデちゃんと、連絡が繋がらなくて……」
「それは、電話を掛けても応じない、ということですか?」
「あ、その、電波の届かない所って、なっちゃってて……」
「電池切れ?」
「それも、あり得るな……」
去ろうとしていた様子の久我谷君だったが、もう一人の彼の言葉もあり、一旦留まることにした様子。
「ね、寝る時に必ず充電するから、今まで電池切れだったこともないし……それに、あの……昨日の夜と、今朝、ちょっと様子がおかしくて……」
「つまり、電池切れの可能性はない。ですが、電波が繋がらない所となると……」
「特殊指定区画か、危険区画にいるってことになるな……」
脳裏に過ぎったことを久我谷君が口に出してくれた。
「あ、あの……太刀川先輩は……今日、学園の外へ出るって聞いてて……」
「……」
仮に麻月さんが危険区画にいるとすれば、先輩に連絡すべき案件ではある。ただ、現状で先輩を呼び戻すことに、迷いが生じる。本日は、件の面談日であったはず。当人の心情からすれば、鼻歌を歌いながら戻って来そうではあるのだが。
「もう一度確認しますが、電池切れや、電源をオフにしている可能性は、非常に低いということでしょうか?」
「……うん。私は、凄く低いと思う……」
「様子がおかしかったっていうの、もう少し具体的に話せないのか?」
「えっ? あ、はい……今日、この時間は少し用事があるって……その、内容も言わずにっていうのが、珍しいし、何だか、ちょっと思い詰めた感じに見えたから……でも、何かあったら連絡してって言ってくれてて」
「あー、それで連絡して通じなかったら、確かに心配かもね」
「実際、学園の外でも通信は繋がる。電源の問題でないなら、危険区画にいる可能性は十分にある……」
私も、久我谷君と同じ結論ではあった。
「……小林先輩に尋ねてみましょう。私達が見落としている可能性があるかもしれません」
すぐそこの事務室へ、成り行き上、四人で向かう。
「――うん? どしたの? ダブルデート?」
「いえ、少し、よろしいですか?」
私はともかく、麻月さんの前で言えば危険が伴う言葉ではある。
「うん、大丈夫だけど……トラブル系の空気だね……」
さすが、その辺りには敏感な小林先輩。
ここまでの経緯を説明、情報量はそれ程多くないため、すぐに済む。
「……そうだね。特殊指定区画、もしくは危険区画にいることは間違いないと思う……太刀川君には連絡した? あの人なら、秒で探し出せると思うけど」
「ほ、本当ですかっ!」
「さすが副会長……」
「っ……」
そうだった。あの男は副会長権限の特殊アプリで、全学生の学園内での居場所がわかる。
「今、面談中でしょうか?」
「あ、うん。あ――」
そこで、小林先輩の表情が固まる。
「ご、ごめん……そうだった。太刀川君、多分学園内にいると思う。実はさっき連絡があって、トラブルが起きたらしいの」
「――――――」
少し、耳を疑いたくなる情報だった。
「……」
何故、あの男はこちらへ連絡を寄越さない。突発的な荒事が起きた際、自分へ連絡するよう、念を押すという言葉では足りない程度には念押ししたのだが。
「あ、違くて、いつも、依頼が途切れると何かが起こるんだよね。今回もそれっぽくて、太刀川君、さすがにサヤちゃんにも悪いって思ったみたいで、一人で対処するって。もちろん、厳しくなったら連絡するとは言ってたから。あの人、普通に駄目なら誰かを頼るし」
「…………あの、面談とやらに行くのが嫌で、その何かとやらを理由に予定の先送りを狙ったのではないでしょうか?」
それこそが、ごく自然な流れであるように思える。
「いや、さすがにそれは。結構切羽詰まってる感じだったし、それに、他の希望日に移してもらうようにって言ってたから、面談自体は受け入れてるんじゃないかな」
「っ……そう、ですか」
あの男なら、先方が諦めるまで何度でも理由を付け、遠ざけようとしても不思議ではない。だが、実際に話をし、また付き合いも長い小林先輩の言葉の方が、信頼性は高いであろう。
「うん、普通にそんなことはしないと思うけど……」
「そもそも、先送りにすること自体、無意味だ」
「……はい。では、先輩に電話してみます」
頭の中をシンプルに、疑問は直接聞けばいい。
「…………どうやら、先輩も特殊指定区画、もしくは危険区画にいるようです」
無機質な音声案内が、今は只々こちらの感情を逆撫でする。
うっかりスマートフォンを握り潰す所だったが、寸前で踏み止まることに成功した。
「……もしかしたら、副会長と麻月は一緒にいるんじゃないか?」
「えっ? どうだろ……カエデちゃん、何故か太刀川先輩のこと嫌ってて、私が先輩のことを話すと、凄く不機嫌になっちゃうから……」
「……」
それは単なる嫉妬の可能性が高い上に、何故麻月さんが先輩に嫌悪感を覚えることを疑問に思えるのか。それが私には理解困難な話だった。あの男が彼女にした仕打ちを鑑みれば、当然の帰結であるのだが。
「ただ……」
あの佐藤さんのエネルゲイア、立体駐車場での一件から、明らかに麻月さんの先輩への態度は軟化していた。何度か、先輩に話し掛けようとして、タイミングを逸していた場面も目にしている。
故に、私としても、二人が一緒にいる可能性は高いのではないかと考えられる。
「そう、か……麻月のことをよく知っている訳じゃないが、嫌っている相手に自分から近付くようなタイプには見えないな」
「うん……でも、太刀川先輩にも連絡が付かないとなると……どうしたら……」
「……麻月さんのことは、特に注意して、必要があればサポートするようにって、太刀川君からも言われてる。今月の頭にも同じ確認があったから、今も変わらず気に掛けているんだと思う」
小林先輩は、スマートフォンを起動させながら、言葉を続ける。
「太刀川君は不通、阿僧祇さんは論外、稀崎さんは黄泉に同行、桐島さんは外。条件的には大丈夫……凄く危険だと思うけど、実際に足を運べば、区画内の人数をサーチできるアプリが入ってて……えっと……どう、する?」
言いつつ、小林先輩の内心は、きっと遠慮してほしいと激しく思っていることだろう。
「あ、あの、お願いしますっ!」
「では、私も同行します」
「っ……ありがとう、中原さん……」
「あれっ? でもさぁ……区画、解放してる人って、いるのか?」
「「あ……」」
肝心なことを失念しており、速水さんと顔を合わせる。
「……俺は、特殊指定区画も危険区画も、全く解放してないな……」
「あ、俺、海底神殿区画、解放してるよ」
「……えっと、稀崎さんか桐島さんに連絡して、緊急コードを送ってもらえば、遭難救助扱いで転移はできる、はず」
「では、稀崎先輩に連絡してみます」
話せる状況だといいが、とにかく掛けてみる。
「……」
『中原か? 悪ぃな、稀崎は今手が離せねぇ、後で掛け直せ。おいっ! もっとペースを上げろっ! 後2分以内に潰さねぇと、喰われた奴ら全員溶けて死ぬぞっ!』
『わかった。足場のぺーズを上げる。ナギ、すまないが合わせてくれ』
『おぅっ――』
通話が一方的に切られる。
「……レイカさんに掛けてみます」
「一体どんな状況なんだよ……」
「一個深いトコ行くって言ってたからなぁ……きっと地獄みたいな所だよ……」
荒事とは距離を置いている久我谷君が、やや引いているが、今は気にせず発信をタップする。
『サヤ? 今日なら、多分一緒に食べられると思うけど、マコトがちょっと遅くなるかもって言ってたから――』
「――すいません。夕食の方もお願いしたいのですが、別の部分で助力いただきたく、連絡させていただきました」
こちらは平常運転だった。確かに、こちらから連絡する時は、食事の誘いが多いのは事実なのだが。
『えっ? シンは……あ、そっか。それで、どんな困り事なの?』
「実は、麻月さんが特殊指定区画、もしくは危険区画にいる可能性がありまして、救助に向かいたいのですが……」
『とりあえず、緊急コードを小林さんに送ったわ。私も今から戻る。それで、シンには何で繋がらないの?』
話が早過ぎる。
「不明ですが、おそらく先輩も同様の状況だと考えられます」
『…………ま、いいわ。サヤの考える最善でお願い。可能なら、私が戻るまでに終わらせといてね』
「っ……善処します」
正直、レイカさんの帰りを待つのが最適解な気がしてならない。
「おっ、コードいただきました。そ、それじゃあ、行きます、か?」
一見促しているような台詞ではあるが、小林先輩の表情は明らかに同行したくない本音を示していた。