「六時過ぎか……」
終わってみれば、ほぼ定時で自室へと帰還。本日はもう少し早めに帰れる見通しで過ごしていたが、レギュラーシーズンと比べれば上首尾な帰宅時間と言えよう。
そして新入生オリエンテーションは無事終了。新たな門出と言うには異常過ぎる学校環境だが、それでも彼らには頑張っていただきたい。
最優先事項はクリア、死にかけた新入生も無事リカバリーし、ファーストコンタクトで発生してしまった遺恨も、生活必需品購入のポイントと一緒に流れたようで、中原に続く年度第二号の新人となる予定だ。
つまり、もれなくな懸案事項を置いておけば、これについても上首尾と言えるのではなかろうか。
「これで寝坊がなければ……」
通常は朝行う日課のジョギングが未だ未達成、夕飯の後に走るなんて拷問は当然御免被るので、今すぐ消化してしまうことに決定。手早くランニングウェアに着替えて超小型イヤホンマイクを装着、滞在時間三分で再び寮の自室を後にする。
暗くなった寮区画を軽く流し、顔見知りの声掛けを笑顔と無言でやり過ごす。
「ふぅ……」
中央のメインポータルでアプリを起動し『記念公園区画』をタップ、五感の受ける刺激が一瞬で切り替わる。
時間帯もあって、パッと見は完全なる無人。
常に日中、散歩するのに最適という気象環境に固定された公園外周の歩道を一旦外れ、脇の芝生に寝転ぶ。何千回と繰り返した儀式、走る前の補強。軽く、ゆっくりと腕立て、次に腹筋、これから走るという合図を身体に送る。
伸脚、前屈、アキレス腱を経て、ローペースで走り出す。そしてこの後はのんびり飯を食ってゲームをしなければならないので、報告、確認系は今済ませる以外の道はない。
「……」
バグが多く、あまり使用感の良くない思考操作アプリを起動させ、スマホをケツポケットへ戻してマイクの位置を調整する。
まずは会長に電話、多分出てくれるはず。
『はい』
二文字でも癒しボイス。
「すいません、報告です。紆余曲折ありましたが、指示については無事達成しました」
『ありがとうございます。今は、ジョギング中ですか?』
「はい。とは言っても、走り出したばかりですが」
別にどうでもいいが、会長の俺が今何してる当てゲームの的中率は、九割を超える。
『わざわざすいません。他にも連絡が残っていると思うので、今日はこれで失礼致します。明日以降も、よろしくお願い致します』
「あ、はい。失礼します」
気を遣われ、最低限のやり取りで通話は終了する。また、会長は電話で話すのをあまり好まない印象。
恒久の昼下がり、小鳥の鳴き声に耳を傾けながら、続け様に発信。
『もしもし』
無駄に渋い声、先との如実な落差。
「お疲れ。初日の雑感を聞きたい。平和的にはどう?」
『春休み中は多少なりとも平和でした。今日からはまた、平和には程遠い模様ですね。新一年生の中にも、平和を遠ざける者は必ずいます』
今年度も変わらず、口調と声質のミスマッチ。
常室ノリカネ、やや空気詠み人知らずなぽっちゃり庶務、行き過ぎた自己犠牲精神が玉に瑕だが、基本善良な存在である。そして、学園内の雰囲気には超敏感。
「新入生の方はまぁ……好きにやってもらうしかないな。当分はそっち方面か……とりあえず予定通りな感じで了解。後、今シーズンって、結構回す?」
思えば、春休み中はまぁまぁ充実したゲームプレイ時間ではあった。
『あまり時間は取りません。春休みは待機が長かったので、助かりました』
「そっか。まぁ俺も前回程はやらないつもりではある。じゃあまた」
『お疲れ様です、副会長』
通話終了。おそらく食事中だったと思われ、ちょっと悪いことをしたかもしれん。
「次は…………フォローが必要かもしれんが……」
リスクケアの観点から、身に迫る脅威へは早めに対処すべきであることは議論の余地もない。だがしかし、人間は時として、そこまで強くはなれない。先送りという甘味な愚策に縋りたくなるのも人情。明日から気持ち多めに腹筋をしておこう。
ネクスト。
『やぁ、お疲れ様。こっちはこれから食事にする所なんだが、よかったら一緒にどうだい?』
開口一番に魅力的な誘い。マコトの料理スキルは学園トップティアに位置する。
「マジか……でも、朝の失態で今走り始めて……今日は牛丼買って帰るわ。ありがと」
彼女は平気で俺が走り終わるまで待つから悪いし、それに加えて今日はそうしないとゲームの時間が確保できない。
『鍛錬は怠らないのに、食事の管理が杜撰とは不思議だね。だが、あの店が出す牛丼はどういう訳か最低限の栄養バランスは備えているから、時折なら目を瞑るとしよう。さて、食事はまたの機会ということとして、聞いたよ。早速新たな仲間が加わったんだね』
女性をそう評するのは良くないのかもしれないが、ホントにいいヤツ。会長とマコト。変人、苛烈がニュートラルな学園の面子の中、両者が二大サンクチュアリ的存在であることは、もう随分前から確定している。
「話が早い。名前は中原サヤ。多分、じゃなくて間違いなくバトル寄りの人だと思う。で、これは最優先なやつで、マコトに各種研修を任せたい。終わったら俺と組んでもらう感じ」
『それは……なるほど、ある程度は理解した。キミの手を煩わせないよう、丁寧な指導を心掛けるよ。他には、何かあるかい?』
「後は、ノリカネ曰く、色々と不安定らしい。多分、例年通りってことなんだと思う」
『そうか……彼が言うならそうなんだろうね。おそらく、夏には恒例のクーデターがあるだろう。それまでには、少なくとも学園内の環境は穏やかなものにしておきたい所だね』
「完全にその通り。年度の切り替わりってことで、やっぱり皆結構物入りみたいで、庶務の士気も高い。集約は一緒に確認していきたいから、頼む。最後に、討伐系の依頼について、報酬ポイントを期間限定で増やすかもしれないから、何となく考えといてほしい」
『委細了解だ。他にも掛けるのだろう? では、また明日』
いやぁ、気遣うなぁ。もう少し度数を低くして構わないから、余剰分を学園内に振り撒いてほしい。
「あー、いや、逆だろ。食事時に申し訳ない。ちなみに、今日のメニューは?」
『……表か逆かの議論は不毛だね。今日はルームメイトの不在をどうにかしてメリットに変えられないかと思ってね』
「つまり、ルームメイトが普段絶対に食べない系のメニュー? じゃあピンポイントでいこうかな。トムヤムクンっ」
『パクチーという点においてニアピンだ。正解はケフタ。モロッコの家庭料理だよ』
「あー、辞書の中に答えがないパターンか……」
普通に聞いたことがない。ただまぁ、マコトが作るってことは結構有名な料理なのだろう。
『スタンダートなレシピを採用したから、そこまで離れた概念にはならないだろう。良ければ残りを明日持参するが、昼にどうだい?』
「えっ? いいんすか? かなり食べたい」
言質を取り、通話を終える。これで明日の豊かな昼食が約束された。
「よし……」
今日はもういいや。最低限の報連相は済ませた。そう思って、頭の中を放課後モードへと切り替える。
『――うぃっす。練れば練る程みたいなの食ってるから、飯は間に合ってる』
「それお菓子じゃん……」
覇気のない気怠そうな声が、残っていた職務意識を根本から腐らせてくれる。
斑鳩リュウ、世界的超大企業、斑鳩製薬のボンボン、前学生会副会長のご隠居様だ。いざとなることはないがいざとなったら頼りになる偉大な先人、基本はゲーム、飯仲間、長身ロン毛のくたびれたイケメンだ。
「今何故か走ってまして、牛丼買って帰って食って……七時半から回しませんか?」
『しょーがねぇな、んじゃそん時――』
安定の30秒通話。イヤホンとマイクをケースに収納してポケットにイン、ペースを少しだけアップさせる。
と、いうことで、明日のことは、明日の自分に任せよう。