エネルゲイア。
言い換えるなら超能力、魔法、不思議な力。
学園内では、能力という言葉が最も使用されている。
人間にはデュナミス因子と呼ばれる細胞が存在し、因子の発芽により本人のエネルゲイアが覚醒する。現在では発芽に至る因子の解明については進んでおり、それによって私の覚醒も未然に察知されていたとのことだ。
それでも、エネルゲイアに関わる全てについての大半は未解明であり、日々行われている研究についても、その成果は安定していないという。
エネルゲイアの性質は、その内容、制限、使用に伴う代償、練度の上げ方など、全てにおいて多種多様、千差万別であり、共通点こそあれど、法則と呼べる程の一貫性は発見されていない。また、当学園の学生が閲覧できる情報については明確に制限されているという記載があり、オリエンテーションで聞いた話のように、習うより慣れよが基本方針なのだろう。
私の得たエネルゲイアは『精神集中によって身体能力を上げる』という力。他者評価を聞く限り、ここまでシンプルな内容のエネルゲイアは非常に希少であるとのことだ。そして、その間に得た情報では、エネルゲイアは多岐に渡るものの、その力は単一の効果であり、練度の向上はあっても概念に留まることは、膨大な統計データにより科学的に証明されている。
つまり、1+1が2であることと同様に揺るがない。
「……」
では何故、相手を吹き飛ばす力と相手の動きを止める力が共存するのだろうか。二日程前から、その疑問が時折意識に残留し、あらゆる集中を阻害していた。
予定外の入学から今日で十一日目。
周囲の様子を見るに、初日から学生会に所属することとなった私の学園生活は、客観的に見て恵まれている部類に属しており、その内容としては、寮生活やカリキュラムの選択について助言、指導してくれる上級生と、入学直後から交流できたことが大半を占める。
少なくとも、一人部屋であることも含め、入学までの時間的な猶予がなかったことによるデメリットは、今の所感じられていない。
「…………」
現在時刻は午後一時二分。モニターの右下に表示されているそれは、先程見た時からまだ一分しか数字が増えていない。
一号館三階、小教室A、一般的な高校の教室と同じサイズに当たるであろう室内、その窓側最後方に着席し、授業を受けている。内容は文書作成ソフト及び表計算ソフトの使い方について、必修科目である情報処理の基礎B。
教諭の初老男性は清潔感を抱かせる印象、落ち着いた声で授業内容もわかりやすく、本日の進捗を最初に提示してくれるため、話は聞きやすい。それでも、関心がないことに加え、室内の多くの学生と同様、既に全ての内容を把握していることについて丁寧に詳しく説明されるのは、退屈と言わざるを得ない。そのため、授業開始から数分で、件の疑問が頭を過ってしまう。
「――うん? おぉ、太刀川君、しばらくだったねぇ。おっと、何か、あったのかな?」
外から覗く顔に気付いた教諭は、授業を中断して扉を開ける。親しげに言葉を掛けられたその乱入者は、件の男。
「授業中に申し訳ありません。でも、高坂先生で良かったです。ちょっと……」
先輩は既に私の位置を把握していたようで、こちらへ向かって手招きする。
「ある意味、今日からがホントのスタートって感じなんですよね……」
「ほぉ、そうなんだねぇ。未成年の君に、お勤めご苦労様と声を掛けるのは、大人として複雑な思いだよ」
「いえ、そんな。あの、一年生の皆さん、授業を止めてしまい、申し訳ありません。えっと、ほらちょっと、早く早く」
「……」
丁寧と粗雑の酷い落差に不快感を抱きながらも席を立ち、後方の扉から教室を出る。
「失礼します。高坂先生、今年度もよろしくお願いします」
ちょうど先輩も礼をして、音を立てないようにドアを閉める。
「お疲れ。改めて、今日からよろしく」
マイペースで歩き出す後ろ姿に、仕方なく追従する。
「…………何故授業中に?」
雑な、飄々とした、自然体な、どの表現にも落ち着かないズレを感じる。ただ確かなことは、入学して今日まで、他者の言動にここまでの頻度で苛立ちを覚えたことはなかった。
「あれ? マコトから聞いてないのか? 昨日で研修は終了、今日からは俺と組んで行動するって話」
「いえ、何故強制的に授業を離脱させられたのか、という質問です」
「うん? 今のって、ワードエクセル入門だよな? PCの知識と書類作成は優秀評価っていう記載だったから、退屈してると思ったんだけど……あれ? もしかしてあの授業受けたかった? うーん……あぁ……それは、悪いことをしたな。今からでも戻るか?」
何か勝手に納得したような様子に、何故か強い引っ掛かりを覚えてしまう。
「……結構です。不本意ながら、退屈していたことは事実なので」
「そっか……もう少しコミュニケーションが必要だな。まぁそれは追々。とりあえず、指定の書式は後で送るから、必修で受けなくてもイイやってヤツを教えてくれると助かる」
「了解しました」
所謂新人教育を担当してくれた稀崎先輩からも聞いていた。本日から先輩と一緒に行動する。何をするかはその都度先輩に確認、加えて本活動時間は必修科目の単位となる。それこそ、活動の頻度によっては他の同級生よりも早く単位を取り終えることも可能との話。ただ、本項目以外にも通常の高等学校とは異なるシステムは散見されるため、半月も経たない間に自分の中ではそういうもの、という理解が定着しつつある。
「夏までは慣らしって意味で一般の普通科高校に近い授業を必修に組み込んでるらしいけど、まぁ実際の所は選択で取れる授業が万能過ぎて、GW明けには必修へのモチベは下がる傾向だから、そんなに悪い話じゃないとは思うんだけどな。中原は、勉強の方向性決まってる?」
「はい。選択は、武術と体幹トレーニング、栄養学をできる限り履修しています」
「へぇ、偉いな。この時期に仮じゃなくて履修してるってかなり少数派だぞ。研修についても、マコトは太鼓判を押してたし、他の人員からもイイ評判が耳に入ってる」
「……」
裏表なく単純に褒めているのはわかる。なのに、挑発されているように感じられてしまう。これはきっと、この男が同年代で初めて明確に土を付けられた相手だからだろう。十全ではなくとも、今はそれで納得しておくこととする。
「先輩は、何か有意義と感じる授業はありますか?」
階段を下り、一階へ向かう。
「そうだな……ニーズに応えると……武術の、基礎総合って取った?」
「……いえ、目を通した限り、心得が全くない者を対象としているようでしたので」
先輩が万能と称した通り、武道、武術だけに限っても、全てを履修することはできない程の数があり、加えてかなり細分化されている。
「わかる。多過ぎてもうって話。で、俺のオススメは人で選んじゃうこと、かな。良くないかもだけど、武術系は杉浦教官と李教官はハズレがない。その基礎総合は、白兵戦の基本的な間合いの取り方について一生やる感じなんだけど、マジで神授業。教官に目を付けられて殺されそうになることもあるけど、全部の基本がそこにあるって感じ」
間合いの取り方と聞いただけではその全容の把握は困難なものの、思えば先輩の距離の開け方は明確にやりづらさを感じた。それは本当に〇か一かの差であるが、その積み重ねで立ち合いの結果は分かれる。
「李教官は、どの李教官ですか?」
確か三人いたと記憶している。
「えーっとね……名前は、わからん。とにかくハゲの人」
「…………はい、把握しました」
極少量だが、暴言に加担してしまった可能性に罪悪感が芽生えた。
「よし、流れ的には学生会館の三階本部行って依頼確認して現場へ直行直帰って感じ」
一階に着くと、先輩は想定外の方向へ歩き出していた。
「あの、ポータルを使用するのですか?」
「えっ? 使わんの?」
転移ポータル。
新入生にとって最初でありながら最大のカルチャーショックをもたらしたであろう装置。それはスマートフォンのアプリを介し、使用者を任意の目的地まで瞬間移動させることができる。加えて、森の中の海という矛盾に満ちたこの学園区画に対する大きな違和感も、ほぼ同時に解消されたが、それが第二の驚きであったことも記憶に新しい。
エネルゲイアの応用、最終的にはその言葉だけで納得する他なく、何より科学的な説明があったとしても、到底自分には理解できるものではないことが予想された。
私が現在直接把握している区画は三つ。この学園区画と寮区画、地下ショッピングモール区画である。説明では、この区画というのは正確には地球上ではないとのこと。担当の方は所謂ネットは繋がる異世界と考えた方がわかりやすいと表現していた。そう聞いて、私もそのように理解しておくことに決めた。
生活に関わる部分で言えば、学園、寮、ショッピングモールはそれぞれ独立した領域になっており、ポータルを介して行き来する。この理解で、生きていくには事足りる。加えて、寮とショッピングモールには、中央広場のメインポータルでしか移動できず、この区画外へはそのメインポータルを中継しなくてはならない。また二、三年の先輩方は、それを不便だと捉えていることも、自分にとって多少のカルチャーショックではあった。
「ポイントを節約したいので、徒歩での移動を希望します」
「ほぅ……」
ポイント、正確には学生ポイントだが、そう呼ぶ人は皆無だと聞いた。
学園内での食事、買物、移動などは全てポイントを通貨として使用する。これもスマートフォンを介して行われ、授業への出席、試験の成績、奉仕活動、学生会活動により獲得できる。
学生会の先輩方から聞いた話では、転移可能な区画を増やすのにもポイントが必要で、累計獲得ポイントが一定に達すると、様々な区画への入場権限を任意に獲得することもできるとのこと。
私自身、現状でポイントは十分に所持しているが、学園内の移動にポータルを使ったことはまだ一度もない。
「中原って……自炊する?」
「はい、割と」
「……えっと、お菓子とかも作っちゃう?」
「はい、時折」
「…………ゴミの分別ってちゃんとしてる系?」
「はい、規定通りに」
「………………もしかして、ポイントカードとか割引券とかガンガン使っていく人?」
「はい、使えるものは使います」
「っておいっ! 研修も足してそんな普通なのに何で俺に対しての狂気だけはベルセルクなんだよっ!?」
「なるほど、最後のはよくわかりませんが、つまり喧嘩を売っている、ということですね」
「――ちょっ!」
意識を集中し、エネルゲイアを発動させる。
「いやいやいやいやいやっ! 半分以上褒めてるんだって。無益な争いは止めて、とりあえず歩こう。今日はイイ天気だ。噴水を眺めながらゆっくりと歩こうっ!」
その言葉とは裏腹に、先輩は小走りで校舎の外へと去っていく。
「……」
仕方なく集中を散らし、それに続く。おそらく、二日目以降毎日再戦を要求していることに対する苦言だと受け取れるが、学生会の先輩方からも改めて、教職員の方への危害を除いて規則はないとの言葉をいただいている。
「それで、問題なく生活できてるってことで、中原は能力特化というか、バトル漫画方向に時間を割いていく感じ? まぁ聞くまでもないことだろうけど」
「漫画ではありませんが、概ねその理解で正しいかと」
一方的に気を取り直した雰囲気の先輩と並んで、芝生で区切られた広い歩道を歩く。他者と行動を共にする際、常に普段より遅い速度で歩いていたように思えるが、先輩は自分以上に歩くのが速いため、それについて気を遣わなくて済むのは単純にありがたい。
「集中力に比例して身体能力を強化する、つまりバフの上にバフ。かなり汎用性が高いよな。ゲームで言えば、脳死でも強いって感じか。実際、某戦闘民族とか某果実の力で強化された生命体が無手勝流で襲ってきたら単純に脅威だしな」
「……エネルゲイアの練度向上による身体能力の強化というのは、最大でどの程度のものになるか、先輩は知っていますか?」
汎用性が高い、との寸評は学生会の他の先輩方とのそれとほぼ同様であるが、自分としては、元々備わっている身体能力強化を更に底上げする私の能力は、決して対人戦闘において強い能力ではないと認識している。実際、先輩には文字通り手も足も出ずに敗北を喫した。
「まぁ……今日から本番って意味で、ちょっと真面目に言うと、当分俺との再戦はなしだな。現状の中原の能力以上の身体強化を練度向上のおまけで出せる人は、少ないけどいるっちゃいる。だとしても、最終的には能力全開で不意打ちして首の骨折るとかで俺も含めて大抵の相手に楽勝できるようになるから大丈夫」
「……暗殺者を目指している訳ではないのですが」
言葉を返しつつも、内心では焦燥が募る。近接戦闘の技量を疎かにする考えは微塵もないが、能力の優劣を身体能力の差で補うには、それこそ相手に反応を許さないレベルが要求されるだろう。
「いやでも、手っ取り早いのは暗殺だからな。言っておくけど、腕を上げれば上げる程、暗殺対策は重要だぞ。勉強、職業訓練ルート以外を学園生活の基盤にするんだったら、誰もが避けては通れないテーマだ」
「……必要だと感じたら、ご教授願います。今はそれよりも、先輩はこの一年間、どのようにしてエネルゲイアの練度を向上させてきたのですか?」
昨日まで学生会で関わってきた方々は一様に、先輩が言う所の勉強、職業訓練ルートとやらを通っている印象だったため、自然とエネルゲイアの話題になる頻度は少なかった。
「俺は超特殊だから、全く参考にはならないな……でも要は集中だろ? 結構わかりやすい類だと思うんだよな。ヨーガを極めればって話を聞いたことがあるから、とりあえずピラティスかホットヨガを始めてみるのがイイんじゃないか?」
「…………」
先程この男は『真面目に言う』というフレーズを吐いていた。これはつまり真面目に言った結果が今の発言ということになる。優秀との評価を多く耳にする庶務の小林先輩は「太刀川君に聞いても何の参考にもならないから止めといた方がいいよ」と仰っていたが、また一つ、評価への信頼性が証明された。ただそれでも一つ謎が残るのは、学生会内部の先輩の評判が、多少の粗探しをしても概ね好意的だということだ。
「黙って睨むのは止めようぜマジで……と、とりあえず……うん。ちょっと、そこら辺の部分について、底上げできる宛があるから、先に聞いてみる」
加えて、先輩はその気になれば吹き飛ばせる、もしくは動きを止められる相手に対して、何故ここまで低姿勢なのだろうか。そもそもその態度が、こちらの神経を逆撫でしていることに、気付いていないのだろうか。
そんな、一体何を底上げするというのか、既に自然と全く期待する思いが湧かない中、先輩は依然として逃げるようにそそくさと学生会館の階段を早足で上がっていく。
「誰かしらいると思うから、ちょっと奥で待ってて」
「はい」
先輩はそのまま四階へ向かう。会長に用があるのだろう。
何か必要な理由があるのか、四階にある会長室への立ち入りは副会長である先輩と、最近書記であることを知った阿僧祇先輩の二人以外許されないとのことだ。当然、他の先輩方は入室したことはなく、会長と直接会ったこともないという。