「――んっ、にしても、一生晴れてる感じっすねぇ」
両腕を目一杯に伸ばすと、全身がパキポキと鳴る。
「ですねぇ。子ども達の夏休みパワーですかね」
でも、車内は涼しい。これぞ現代。
「それにしても、やっぱり新鮮ですね。園山さんがいないと、車の中の空気も緩いっていうか……ぶっちゃけ快適というか……」
「……もし園山さんがいたら、自分この場にいれないっすからね」
見た目キャリアウーマンの敏腕ジャーマネ園山さん。三度の飯よりレイカのことが大好き。
「えっ? 何でですか?」
「世界で一番嫌われてるからよ」
「いやワールド付ける必要なくね?」
夏休みもまだまだ序盤、八月四日の昼下がり。俺は言われるがままに車に乗せられ、コンビニのコーヒーを飲んでいる。普通に美味い。
「嫌われてる? 何かあったんですか?」
「いや、ちょっとよくわかんないっす」
今日は予定通り、レイカとおでかけ。
ほぼ初対面に近い事務所スタッフの森永さんの疑問に、首を傾げておく。広々としたファミリーカーに乗っているのは四人。寡黙過ぎるドライバー熊野さん、二児の父。助手席にレイカが座り、その後ろに森永さん、隣が俺。彼女はもちろん成人だが、感覚的には同年代な感じ。
普通は助手席には座らないらしいが、色々と目を通す資料があるとのことで、レイカはさっきから一心不乱にレジュメを捲り続けている。
「……何か聞けそうな空気だから聞いちゃうけど、付き合ってはないんですよね?」
数十分も経過しない内に大分距離を縮めた感はあったが、森永姉さんはある種当然の切り込みを仕掛けてくる。
「そりゃもう。そもそもだとしたら園山さんが何かしらのアクションを起こすでしょうし」
暗殺とか。
「確かにぃ……じゃ何で嫌われてるんですか?」
「いや……生理的嫌悪じゃないっすかね」
この上なく目障りだからだと思う。
「うえっ、そんな嫌い方……現実にはある、か……でも、ホントなら傷付くなぁ……」
「森永さん、そいつの言葉は話半分に聞いた方がいいですよ」
「何でだよ……」
「っ…………」
げんなり感をコーヒーで中和していると、顎に手を添えてあからさまに思案顔を見せる森永さん。
「……けど、レイカさんがこんな当たり強いの初めて見たし、気の置けない関係ってことですよね。私としては、それだけでも十分に驚きなんですけど」
「うーん……つまりは、学生会の仲間ですよ。自分が副会長で、レイカが会計監査なんで、予算周りで色々指摘されることもありますし、だから、自然とこんな感じに」
「予算周りなんて、アンタ判子押してるだけでしょ」
レジュメに視線を落としたまま、もはや反射でツッコミを入れてくるレイカ。
「チクチク刺すなって……」
「ほらそういう感じ。あぁ何か……自分も年取ったって思っちゃうなぁ……そういう青春なやり取り、私はする側じゃなくて、見てる側だったなぁ……」
いや、若手でフレッシュな印象が主な構成要素ですが。ただ、自分を若いと思うか年配と思うかは、恐ろしい程に個人差があると聞く。
「あ、そうだ。ホントに帰りは送らなくてもいいの? 全然、私の方で車出せるけど」
「……あー、いえ、帰りに色々買い物してくんで、ありがとうございます」
今何処に向かっているのかすら聞いてないんだけど、スタッフ二人的には伝わってる体なのだろうか。そしてどうやら、俺はその何処かで降ろされるらしい。
「何? アンタ、買う物なんてあるの?」
レイカがこちらへ振り返ったのは、乗車した時以来か。
「えっ? そりゃ…………家電とか?」
俺は、本屋よりも家電量販店の方が時間を潰せる男だ。
「別に揃ってるでしょ。金銭感覚狂ったんじゃないでしょうね?」
「んな訳ないって……あーでも、小さい冷蔵庫欲しいかも。エナドリ専用の」
「絶対要らない。エナジードリンクの消費量が増えるだけ。そう考えたら、デメリットしかないわ」
言いながら、絶対その返しが来るとは思ったが。
「一つわかったのは、今の会話を園山さんが聞いたら、機嫌最悪か激怒の二択ってことですね」
それが真実かは知らんが、俺が園山さんの前でレイカと会話を交わすことはほぼない。
「……後5分程で着きます」
「はい」
運転手の渋い声が響くと、レイカは再びレジュメの世界へ。ちなみに、ダンディ熊野は超イイ人で、ほぼ交流がないにもかかわらず、今日もそうだが毎回コーヒーをくれる。
最後の一口を傾けながら、窓の外を暫くボーっと眺める。今日が平日であることが頭を過ると、やはり曜日感覚を保つのは難しい生活サイクルであることを改めて自覚する。
「ちゃんと来たことがないエリアっぽいな」
見た感じでは、駅や大通りからはそれなりに離れているようだ。
「住んでいたり、友達の家とかがなければ、多分来ないんじゃないですかね」
「…………お寺?」
しかも結構デカい。寺マニアなら絶対に押さえているであろう門構えだった。
「っ……」
レイカは特に寺好きでも歴女でもない。となると、寺を訪れる目的は大分絞られる。そんなことを思っている内に、車はスムーズに駐車スペースで動きを止める。
「何かあったら、連絡して下さいね」
「わかりました」
レイカはこちらへ目配せして車を降りる。俺も笑顔の森永さんに空のカップを奪われ、開かれたスライドドアに従う。
「……お母さんの?」
「うん、こっち」
命日なのか、月命日なのか、はたまた無関係か。よくわからんがとりあえず隣に並ぶ。レイカも俺も普段着の範囲であるため、さすがに法事ではないだろうし、俺が同席してよい道理もない。
「さすがに予想外なんすけど」
「そう? てっきりマップアプリとかで確認されると思ったけど」
「あー、今思えばなヤツだわ。花……あ、そういやお母さん、アンチ花勢だったっけ?」
「よく憶えてたわねって言いたい所だけど、そのフレーズは止めて。ただ単に嫌いなだけだから」
ただそれでも、何の話題から派生してその情報を得たのかが、思い出せなかった。
「うーん……まぁでも、好き嫌いで言ったら好きな方に入るか。何で嫌いだったの?」
「告白された時に貰って、冷やかされるしかさばるしで嫌になったらしいわ」
「モテるが故の現実的な理由だな……」
大きな門の先には広大な敷地、砂利で区切られた横幅のある石畳の左手には、規則正しく並んだ墓石が見える。
「……」
「……線香とライターはあるから大丈夫」
目線で思考を悟られ、そのまま左へ折れる。周囲にはちらほら人が見えるものの、ご高齢の方が大半を占める。これも平日が故か。
「っ……レイカさん、マズくないっすか?」
「何が?」
「っ……」
ここで初めて、その意図について仮説が生まれる。
前方には黒いスーツ姿の男性が三人、この気象条件の中でもしっかりと同色のネクタイを締めている。最も目を引く真ん中の壮年男性がこちらを向くが、視線を合わせても何のリアクションも見られない。俺にはそれが、厄介さを物語っているように感じられる。
「こんにちは、太刀川君……時間が重なるとは、奇遇だな、レイカ」
「えぇ、奇遇ね」
「……こんにちは、桐島さん」
対面するのは、そこまで久しぶりではない。だからご無沙汰しておりますは不適切か。
桐島ソウスケ。元事務次官、政治家を除けば、実質官僚のトップだった御方。現在は件の特別室の室長を務めている。つまり、俺にとっては国側のトップに当たる。若い頃はラグビーをしていたらしく、ガタイもよろしい。関係ないが、顔の彫も深く、髭がよく似合っている。
「ちょうど、話が終わった所だ。時間があれば、何処かで話でもと誘いたい所だが、今日は生憎と予定が詰まっていてね。来週の会議では、幾つか提案をさせてもらいたいと思っている。是非君の意見も聞かせてもらいたい」
「はい……中からの視点で、意見出来ればと思います」
「頼もしい言葉だ。それでは、失礼するよ」
「はい……」
浅く礼を返し、正面から端へ寄ると、レイカの何とも言えない表情が一瞬視界を過ぎった。とりあえず、怖い雰囲気は明確に発せられている。
顔に憶えはないが、多分SPの二人が両サイドを固めている。パッと見は警護対象の方が白兵戦は強そうだ。
「…………」
「…………」
遠ざかる大きな背中を見送り、大分距離が開いた所で、一気に身体が弛緩する。実際、何だかとても、肩が軽い。
「……っ……でもヤバいな……」
「何がヤバいの?」
1デシベルにも満たないはずのツィートをしっかりと拾われ、詰められる。
「いやいや、っていうか圧はもう勘弁してくれって……そっちからしたらダンディな父親でも、こっちは心の準備なしに会う人じゃないから……」
「ずっと仕事でほったらかして亡くなった妻のお墓の前で、仕事の話をし出す男。しかも一人娘には奇遇だなの一言だけ。これってどう?」
だからもう圧は止めようって。
「っ……確かに、俺よりもレイカと話せよとは思う。会うの、いつ振り?」
「顔を合わせるのは、お正月以来かしら」
「そっすか……」
レイカと電話してるのを何度か見たことあるし、連絡は取ってるんだろうとは思う。レイカも大人だし、今のもどっちかっていうと、父親側が避けて切り上げた感じではあった。
「……別にいいわよね。母さんだって、私達が上手くやってるとは思ってないだろうし。で、あの人と、どういう話をするの?」
レイカは線香に火を付け、一振りで消す。坊さんと同じやり方だった気がする。
「……会議では、その時その時かな。それ以外だと、理事長のメンタルとか、リゥの機嫌とか、外部委託のこと、レジスタンス絡みのデリケートなやつ。後は……大抵別れ際に、レイカはどうだって、聞かれるよ」
まぁ、向こうも色々と思う所はあるんだろうなぁ。
「何て返してるの?」
「いつも助けられてますって。それと、学生会の仲間としてっ、仲良くさせてもらってますとか言ってる」
「ハァ……それには、何て返ってくるの?」
「最近は特に、かな」
一年前の初対面では、君は弁えているようだね、って怖い笑みで言われたのが残っている。とても言えないけど、この親子関係は、解けるわだかまりだと思ってはいる。
渡された線香を置かせてもらい、手を合わせる。レイカは特に、話し掛けたりはしない様子。
「…………」
「…………っ、もういいの?」
数秒で終了する墓参り。まぁ長いとか短いとかは無いとは思うけど。
「うん……っていうか、これは小さい声で言う話なんだけど、ここに母さんの骨があって、母さんの霊魂みたいなのがあるにしても、絶対ずっとこんなとこいないでしょって思っちゃうのよねぇ……だから、どうしても生きてる人にとっての場所って感じちゃって」
「あー、わからんでもない。けど、確かに聞く人によっては燃えそうな発言ではあるな」
「でしょ? 行きましょう」
多忙なパパは既に次の予定へと向かった後だろう。行きよりも気持ちゆっくりと歩く。
「今更だけど、一番困ったの俺じゃね?」
「それは知らないけど、アタシの目的は達成されたわ」
「っ……まぁ、今日はそういう日か」
とは言え、レイカの気持ちも分からんでもない。おやっさんと俺が顔を合わせてるのは絶対に知れることだし、どんな空気感なのかは今のである程度は伝わったのではなかろうか。
「……実際、凄ぇ助かってるよ。学園を過剰に危険視する意見を宥めてくれたりするから。立場的に、あの人がそう言えば、それ以上はヒートアップできないし」
「そ。半分嬉しいけど半分ムカつくわ」
「でしょうね。サーセン」
レイカの気持ちよりも、自分の言いたい思いを優先してしまった。
「…………ゴメン盛った。二割嬉しくて八割ムカつくだった」
「あーそれ言わなくてよかったなぁ……」
そこでやっと、蝉が鳴いてるのをちゃんと認識した。やはり不意打ちは身体にも心にもよろしくない。
体感以上に短い時間で戻ると、車はすぐに発進する。
「大分予定よりも早いですね。えっと……言われた所で降ろせばいいんですよね?」
「はい、お願いします」
一言返し、再びレジュメ熟読モードのレイカ。
「うん?」
スケジュールの内容は聞いてないが、レイカが単独で先に降りるパターンがあるって話だろうか。
「あ、太刀川君は、駅の近くがいいですよね? 時間はあるし、問題なさそうです」
「大丈夫。こいつも一緒に降りて、そこからは勝手に帰るので」
「えっ? あー、はいはい……わかりました」
あからさまに何かを察した表情を向けてくる若手スタッフ。そんな顔をされても、俺は何も聞いていないのだが。せめてバスは通ってるトコで降ろしてほしい。
もちろん、そんなことは言い出せず、暫しの車窓モードを挿んで、隣の森永さんが読んでいる音楽雑誌を横目に見る。
「あぁ、っていうかやっぱ神威って超売れてんだ……」
だって普通に表紙を飾ってるし。
「うんっ、人気ですよ。と言っても、ファン層被んないからどうぞって部分も多いですけど。勢いがあるってよりは、もう安定してる感じですよね」
「なるほど……」
流行りと呼ぶには長いと、安定枠に入るということか。ゲーム会社にしても、ヒット作2本出せば社名でとりあえずは人が群がりそうだし。そこら辺は業界が違っても同じか。
「太刀川君も、普段はやっぱり緋乃レイカ?」
「ですね」
「はっ? アンタ普段音楽聴かないでしょ」
「いや、全く聴かない訳でもないから」
そもそも、ゲームをプレイしていれば常にその傍らには音楽がある。だから俺は普段から音楽を聴いていると言っても過言ではない。
「えっ? そんな人いるんですか……」
「おぉ……」
さすが、好きで業界に入ってきている人は違う。森永さんは今日一の驚愕を俺へ向けてくる。
「……着きました」
「はい、ありがとうございます」
片付けたレジュメの入ったファイルなどを助手席に置いたまま、レイカはすぐに車を降りる。
「では、後ほど……あの、それ日傘……じゃない、か……けど、レイカさんのですよね?」
「いえ、森永さんは少し歩くと思うので、よかったら使って下さい」
「えっ?」
早く降りろと目で促してドアを閉めるレイカ、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる森永さん。
「……降水確率10パー、ワンチャンある、か……」
「っ……では、失礼します。今日はありがとうございました」
「……」
「あ、はい。えっと、また、お願いしますっ」
ミラー越しに会釈し合い、森永さんにも軽く礼をして降り、とりあえず車を見送る。どうでもいいが、またお願いしますはちょっとおかしいのではないだろうか。まぁ向こうも何て言ったらいいか咄嗟に出てこなかったんだろうが。
「っ……何故、この地点で……」
降ろされたのは都内では珍しいっぽい並木道。俺らの他には、後方へ遠ざかっていくランナー以外、人も見えない。照り付ける日差しと、がなり立てる蝉があらゆる夏の雰囲気を演出しているが、気温による不快感がカットされた身体には、プラスな季節感のみが染み渡る。
知らない場所でもなければ、景色に意識を割くことを忘れがちな今日この頃。遠くには、高層ビルを呑み込んでしまいそうな入道雲が上空で幅を利かせている。
「……人はいないわね。それじゃ、ここから30分、アンタは黙ってアタシの指示に従うこと」
「っ……あ、ここからスタートなんだ」
異存はないが、何をさせられるのかがノーヒント過ぎる。
「別に、たまには周りを気にせずに歩きたいってだけ。ほら、雨降らせて」
「えっ? っ……あ、今日水曜か。じゃ……うーん……確かに人はいない。では、ちょっと耳を塞いで後ろを向いててもらっ――」
「――早くして。人来たら面倒臭い。折角監視カメラもない場所選んだんだから」
「ハァ…………インビジブルレインっ!」
羞恥を代償に、晴天は狐雨を降らせてくれる。
「あー、これ絶対虹出るなぁ……大丈夫かなぁ……チエっちにバレたら折檻確定なんだけど……」
「普段はもっと派手なことしてるでしょ。ほら、行くわよ」
左手を強引に取られ、日陰の続く並木道を二人で歩く。確かに、30分位真っ直ぐ行けば、大通りに出られそうではある。
「…………」
「…………っ」
やや太陽を背にして歩いていると、早速空には大きな虹が掛かる。学園の中では割と頻繁に出くわす風景だが、この世界では結構レアな現象だ。まぁ頭上のアレはがっつり人工物ではあるのだが。
濡れない雨が視覚的な清涼感を与えてくれる中、落ちてくる湿った葉の匂いに包まれながら、二人でただのんびりと並木道を歩いた。
意外にも、30分の間で要求されたのは、九文字による羞恥プレイと、たこ焼きとドリンクを奢らされた程度の日常的なものだったことは、少々肩透かしではあった。