普段とは少々趣が異なる稀有なスポーツ体験をしてからちょうど一週間が経ち、夏季休業も終盤に入った二十一日の土曜日、私は軽い昼食を済ませた後、例によって学生会館三階のカフェスペースへ向かい、外へ出ている先輩の帰りまで、時間を潰そうと考えていた。
そしてその直後、昼食休憩に入った小林先輩と一緒になり、そのまま同席するという、比較的頻度の多いパターンに収束したのが、つい先程のことだった。
「――この期間の事務仕事というのは、やはり質や量も変わってくるのですか?」
役割上、学生会が普段から処理している書類について、自分はその半分も把握してはいないだろう。
「うん。両方共、大分違うかな。授業がない分、外の人達も色んなスケジュールをこの時期に合わせてくるっていうのもあるし。とは言っても、もう全然……ホント、さすがに今回のは庶務一同、太刀川君に感謝だよぉ……もしかしたら、今までで一番かも」
分かっていたことだが、今月に入ってからの彼女の表情は非常に明るく、時折あった目の下のクマも、見る機会は無くなっていた。
「それは、やはり……」
「アレピちゃんさまさまだよぉ。指示通りってだけじゃなくて、ちゃんと学習した上で判断してくれるし、あれがAIの未来って思うと、もう少し後に生まれたかったって思っちゃう位。でも、食事も水も何にも要らないっていうのも……色んなご褒美を上げたいんだけどなぁ……」
それは贅沢な悩みだけど、と言い足した小林先輩の笑顔からは、これまでの苦労があった上での清々しさを感じ取れる。
ちなみに、巨大な桃に腕と脚が生えている謎の物体アレピは、先月末に先輩が連れて来た学生会の新たな備品であり、現在は小林先輩が管理し、あらゆる事務仕事を補助すると共に、愛玩動物のような存在にもなっている様子。
ただそれよりも、そんな小さなサンドイッチ二つだけで夕食まで大丈夫なのだろうか。自分としてはそちらの方が気になってしまった。
「あれ? もう太刀川君、戻ってくる時間、だよね?」
「多少前後、いえ、後ろになることもあるので、あまり気にする必要はないかと」
おそらく、何処かで昼食を取っていることが予想される。
「そういえばだけど、凄い偶然だよね? 太刀川君、今日の面談って、最初は六月に予定してたのに。最近もそうだけど、今年度に入ってから、また忙しいのが当たり前になっちゃったみたい」
「っ……確かに、今月は先月よりもやや忙しいかもしれません」
だが、その面談とやらが本日になったのは偶然ではない。少なくとも、私はそう確信していた。加えて、今日まで何度理由を作ってキャンセルしたのか、後は、それでも日程調整を続けた先方の執念について想像してしまった。
「ふぅ……どうしよっかなぁ……休憩してるより、作業に戻った方が早く帰れるし……でも今私が戻ると一年の子達が休憩取りにくいかなぁ……うーん……あ、後さ、サヤちゃんは興味ない? 今朝出現したヤツ」
「『リゾート区画』ですか? 私は正直、それ程の関心はありません」
「あー、だと思った。けど私もないんだよねぇ……」
何処か自嘲するように目を逸らす小林先輩。
区画の出現は常に突然の現象であり、今回のそれは季節限定に該当するとのこと。特殊指定区画や危険区画であれば別だが、名称の通り、自分が関わる話ではないと、私は早々に興味を失っていた。
「早速凸ってる人達に、後でメッセ送ってみてもいいかもね。南の島、高級ホテル、オーシャンブルーに各種アクティビティ……やっぱ別にだなぁ……私ゃサウナ区画で十分だぁ……」
仕事終わりにお酒とサウナ。何となく、彼女の将来が見えてしまう所もある。開放的な概念とは常に距離を置いている印象のある小林先輩だが、一年生に隠れファンはいる。ただ見た所、当人が気付く日は遠い様子。
「――あっ、コバサヤっ、メッセ送る手間が省けた」
「っ、八重樫さん? どったの?」
小林先輩と同じく、庶務の八重樫先輩が階段を跳び上がった勢いのままにこちらへ。彼女の周囲からの評価は、やや飄々とした姉御肌。今もその表情は普段通りだが、話の内容は気楽なものではなさそうに感じられる。
「まだ決定じゃないんだけどさぁ……もしかしたら『リゾート区画』って、ヤバいトコかもしんない」
「っ……」
「えっとぉ……何で?」
ごく自然な動きで席を立ち、座っていた椅子を八重樫先輩に勧めて自身はテーブルを挟んだ位置に着席する小林先輩。習慣的にトラブルから一定の距離を保つ術を習得している様子。実際、その椅子に座った八重樫先輩は私へと話す体勢に切り替わっている。
「先に行ってた飯島と連絡が繋がらないんよ。特殊指定、危険区画でもないのに繋がんないのはおかしくない?」
「確かに、通常ならあり得ないと思われます」
飯島先輩は八重樫先輩の恋人であり、少々言動が尖った部分も見られるが、れっきとした学生会庶務の一員でもある。
先んじてスマートフォンで区画を確認すると、やはり特殊指定区画でも危険区画でもないことは間違いない。
「あの、もう少しすれば先輩が戻ってくる予定です」
「外かぁ……めんどいから掛けちゃお」
そういえばな話だが、この場の三人に先輩を加えたグループはメッセに存在していた。一応続けて通話をタップしておく。
『――えっ? 何? この時間からリグマ回すの?』
特に言及することではないが、声に緊張感は一切含まれていない。
「あーそれ目的のグループだったかぁ……て、んな訳ないっしょ。今どこ?」
『最寄りのファミレスでクラブハウスサンド食ってる。あーだから中原、今戻る』
「先輩にとっての『今』という言葉の意味をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
『お前は……』
「ファミレスで一人飯て……まーいいや。いつも通り、状況そのまま伝えるけど、飯島が『リゾート区画』にいて、なのに携帯が繋がらないんよ。ヤバくない?」
『マジで? 繋がらないって現象について、他に考えられる理由は? 例えば責め過ぎてブロックされたとか』
「ねぇよ。電源切れてるもないし、他の区画にいる可能性についてもまずない。そん位は確認するって」
『まぁヤツに限ってそんな訳はないか……うーん……もしかして、すぐに俺戻った方がイイ系?』
「いえ、その件とは関係なしに至急戻って下さい」
「へぇ……サヤって、太刀川には結構イクんだね」
「普段を考えれば、無理もないと思うけど」
時折、他の庶務の先輩方からも同じ類の指摘を受けるが、先の発言のどの辺りがそうなのか、あまりピンとは来ない。
『ほら、今会計してるから。っていうか、トラブル起こるの早過ぎだろ……今朝出たばっかなのに……とりあえず、同様の現象が起きてるか、テキトーに確認してもらってもいい?』
「確認か……けど、どうやって?」
『非戦闘系で連絡先知ってるヤツ片っ端から電話掛けて、繋がらない人がいるか、とか? 多分、結構な人数がバカンスのテンションで行ってるっぽいし……じゃねぇわ。俺が適当な人の現在地調べて『リゾート区画』にいるヤツに連絡すればいいんじゃん』
「出た。喋りながら自己解決」
八重樫先輩が、気持ちを代弁してくれる。
『――あ、すいません。領収書貰ってもいいですか?』
「おいお前っ、さっさと出ろっ。てかそんなの落ちねぇからっ!」
「あーでも、今日の昼食代は落ちるんだよねぇ……というか、落とせるものは落とさないとレイカさんがちょっとだけキレる」
「……」
実際、それで追い掛け回されているのを何度か目撃してはいる。
『――うっし……では……っ……お、意外。久我谷君がいる…………はい、繋がらないねぇ』
「決定ってことでよき?」
『ラス1ラス1、っとぉ…………え、ちょっ、児玉さん行ってんだけど、ちょっとウケない?』
「ま、確かにちょっと」
「え? 酷くない?」
「先輩、そのアプリで遊ばないようにと、色んな方々から釘を刺されていたはずですが?」
『いやいや今のは不可抗力だろ。で……あー駄目だ。決定でよき。中原待機で、二人は学生会権限で当該区画を特殊指定区画へ変更、行くなら自己責任でって通達添えといて。で、一回切るわ。他に何かある?』
「大丈夫。二人は?」
「うん、平気」
「中央広場で待機します」
『頼む――』
通話が終了する。
「よし……じゃあ、もし行くなら、気を付けてね。大変そうだったら、きっと桐島さんも戻り次第加わってくれると思うから」
「はい、そちらはよろしくお願いします」
そのままの流れで各々行動を開始、二人とは二階で別れ、歩調を少しだけ速めて階段を下りる。校舎から出た所で一度スマートフォンを取り出し、佐藤さんに発信。
『はい。どうかした?』
「今朝話していた『リゾート区画』なのですが、危険を伴う可能性が確認されたため、安全が保たれるまでは行かないようお願いします」
『えっ? 嘘――』
「っ……」
そこで通話が切れる。断定するのはまだ早いが、階段を下り切る前に掛けるべきだったかもしれない。とにかく、中央広場へ向かうこととする。
「――――」
そこで、上空からの気配を察知、駐車場スペースから跳躍したのか、中央広場へと向かっていく人影を確認。反射的に助走を取って跳ぶ。
「…………っ、うわ怖っ」
「……」
探知に引っ掛かったのか、接近に気付かれ、内心で舌打ちしながら奇襲をキャンセルして無人のメインポータル、その隅に遅れて着地する。
「よし、待たせた。で、とりあえず行ってみる?」
オフィシャルな用事の際に着用する黒のスーツ姿。だらしなく緩められたネクタイも含めて、既に仕事終わりのような雰囲気が感じられる。
「すいません。その前に、佐藤さんの現在位置を確認していただいてもよろしいでしょうか?」
「うん? あれ? さっきは寮区画だったけど…………あ、確かに『リゾート区画』になってる。あーマジか……ちょっと遅かったな……」
「いえ、これについては私のミスです。早速向かいましょう」
「よし。切り替えて……えっ? は……」
「……どうかしましたか?」
目の前で首を傾げる男は、おそらく転移アプリを最も早く起動できる人物。そのため、珍しいことではある。
「……何か、水着じゃないと入れないらしい」
「は……」
言語理解に問題はなかったが、その内容についてはすぐに納得することが出来なかった。
「水着…………あれ? もしかしたら、俺って高二の夏休みもそろそろ終盤だと言うのに、まだ一回も水着を着ていないって、こと?」
「それは知りませんが……いえ、残念ながら、着ていないことを私も把握しています」
数回の外出ではそのようなエピソードはなかったと聞いており、それ以外はほぼ毎日行動を共にしていた。ちなみに、水着は着ていないが野球のユニフォームは着用した。
「つまりお前も着てない」
何故か、犯人を見つけたかのような顔をされる。
「はい。ですが、それに問題は感じません」
「だろうな……うーん、去年のが部屋に……いや、買いに行った方が早いのか……中原は?」
そう聞かれる前に、何となく自室での所持品について頭を巡らせてはいた。
「思えば、急な入学だったため、用意はありません。ただ、都内の方の、サクラさんの部屋にあるものも、中学の指定水着なため、今回着用するには不適切だと考えられます」
「まぁ……そこそこどうでもいいってそっちは思うだろうけどちょっとだけ気になるから聞くんだけど、それってスク水?」
「……妙な早口にやや嫌悪感を覚えますが、私は競泳用の水着を着用していました」
それでも問題ないことを聞き、他の運動部の何人かと一緒に購入した記憶がある。
「らしいエピソード……ま、だとしてもだなぁ……リゾートで競泳用はガチが過ぎるだろ……」
「はい。なので、そぐわないかと」
自分は気にしないとしても、同行する先輩はそうではないと思われる。
「……まさかの足止めだけど、とりあえず『水着区画』に行く、か……中原、解放してる?」
「いえ」
「……解放する?」
「出来れば、同行させていただきたいと思います」
正直な話、無為に3万ポイントを消費するのはあまり気が進まない。
「だよな。気にする必要もない、か……マコトを呼ぶのも……レイカはフェスで流すらしいMVの収録……じゃ、行くか」
「はい。よろしくお願いします」
自分としても、その用件でお二人を呼び出すのは気が引ける。ただ、確かに、二人で水着を買いに行くというシチュエーションに、先輩が頭を悩ませることについては、共感できないこともない。ただ、自分にとってどうでもよいことも、確かな事実ではあった。
それでもきっと、レイカさんが今この場にいるとすれば、到底許されることではないだろう。