「こ゛れ゛……わ゛タ゛し゛……? 」
もとより焼け焦げまともに息を吸えぬ喉と肺がさらに空気を拒絶し、なんとか残っていた自己ですら根こそぎ削ぎ落としていく。
「あー取り敢えず落ち着いて、一旦話を……。」
制止を求める警官たちの言葉も風にそよぐ稲穂のように、なんの意味もなく受け流されていく。
落ち着いてという言葉は、何か物事に直面し動揺しつつも、ある程度の余裕を残した人にのみ通じる言葉である。
その条件にその異能者は当てはまっていない。
そういった者達が選択する行動は大抵の場合、逃走であった。
現実を受け入れられない異能者は走り出す、道行く者達を押しのけ鉄の塊が高速で行き交う車道へとなんの案もなく向かう。
当然何も知らぬ車の主達は飛び出してきた迷惑野郎を避けるために右へ左へハンドルを切るが、そんな良質な反射神経を持ち合わせていない人間も居るわけで。
「ひ゛い゛ィ゛ッ゛! 」
捌ききれなかったトラックが異能者を轢かんとしたその時、反射で顔の前を遮った手に痛みが走る。
その手、その手から太陽フレアを思わせる衝撃波がトラックを天高く吹き飛ばした。
車の大破する音、人間の悲鳴、それらを無視し、今一度異能者は自分の掌を凝視する。
さらにひび割れた掌は、先程のガラスで見た己の顔のようにマグマが迸っている。
「わ゛た゛し゛の゛……
ふと、彼女は周りの視線に気付く。
カップルがこちらを見ている。
子どもがこちらを見ている。
学生がこちらを見ている。
テレビカメラなんてのも目に入る。
皆が、自分を見ている。
写真や動画を撮り、自分のことを話している。
皆が自分に注目している。
その事実に、自然と口角が上がる。
あかぎれに似た顔のヒビが更に広がろうとも、その笑みは止められない。
人間であった頃には感じたことのない快感、興奮、万能感が、爪先から脳天まで突き抜けた。
「AXEは? 」
「すぐ来ると。」
「信用なんねえなぁ。」
「ワ゛た゛し゛だ゛……わ゛た゛シ゛ ミ゛ン゛な゛が゛み゛テ゛る゛」
その異能者は恍惚とした表情で辺りを見つめる。
しかし至福を体現したような顔が崩れるのは、思いの外早いものだった。
他の車とは明らかに異なる闘争を視野に入れたゴツい軍用車両モドキが黙りこくっている自家用車を跳ね飛ばしながら、異能者の周囲を取り囲む。
困惑する異能者を無視し、車からぞろぞろと無駄のない動きで包囲するのは、外骨格を思わせるアーマーを着込んだ対異能犯罪を専門とする特殊部隊《AXE》。
『十三班現着、“スプリンター“以外五名、異能者を確認。』
『こちら“ハイランダー“ターゲットを確認、いつでも発砲できます。』
『こちら“バックパッカー“。今回怪我人は三名、重傷者はなし。』
『了解。今回は衝撃波のようなものを出す力を持ってる、各自注意して当たられたし。』
隊長と思わしき男がが叫ぶ。
『両手を頭の後ろで組み、跪け! 』
「ま゛ッ゛テ゛゛! ワ゛タ゛し゛は゛な゛ニ゛も゛ッ゛! 」
『もう一度言う! 両手を頭の後ろに組み跪け! さもなければ撃つ! 』
混乱しつつも大人しく手を挙げる途中、運悪くヒビが広がり、漏れ出た熱が衆知に晒される。
その行動が故意であろうとなかろうと、その黄色と橙色のコントラストを見た人々はそれを“攻撃“と認識した。
『撃てぇ!! 』
その怒号と共に引き金が引かれ集中砲火。
殺傷性は限りなくゼロに近づけ、それでいて痛みは最大限に。
近代兵器最高峰の一つとも言える銃弾が、炭と化した黒く貧相な体に容赦なく当たり続ける。
「や゛メ゛ろ゛っ゛テ゛っ゛」
焼け焦げ死の淵に立たされようとも痛覚がなくなったわけではない。
続く激痛、纏わりつく炎とは違う痛み。
彼女の拒絶に呼応するかのように身体中のヒビが大きくなり、それに応じて漏れ出るオレンジ色の光が徐々に大きくなってゆく。
パニック、興奮、万能感、それら全てが混じり合い化学反応のように急速に膨張。
耐えきれなくなった心が破裂したと同時にその光、否、熱も暴発する。
「い゛っ゛テ゛ル゛ん゛タ゛ァ゛! 」
怒りの咆哮に呼応するかのように放たれた熱波は、周囲の全てを吹き飛ばす。
「熱ぃ! 」
「熱っ! 」
『くっ……。』
AXEも、野次馬も、無機物も等しくその熱に拒絶される。
「チ゛か゛ウ゛! こ゛れ゛は゛……チ゛カ゛う゛ん゛テ゛す゛!! 」
必死の弁明、それを聞かず逃げ惑う民衆、黄金を冠する祝日の夜は、一人の被害者によって地獄と化した。
そして新たな被害者がまた二人。
熱波によって吹き飛ばされた自転車群が、野次馬の中年に降り注ぐ。
間一髪、中を舞う自転車を触手が絡みつき捕縛。
直後、上空から触手の主が中年の前に現れる。
『大丈夫ですか?! 』
「お、おぉう。」
『良かった、早く離れて。』
「いぃ、言われなくとも。」
その光景を、今回の騒動を引き起こした張本人もその目に焼き付けていた。
「ヒ゛い゛ろ゛お゛サ゛ン゛!! 」
焼け焦げた喉と声帯を必死に動かしながら、縋り付くように仮面の異能者に向かって叫ぶ。
奇行ともとれる唐突な叫びに、AXEおろか呼ばれた本人ですら何事かと身構える。
『もしかして、私ですか? 』
「ハ゛い゛! お゛ホ゛え゛い゛ま゛ス゛か゛? わ゛タ゛し゛て゛す゛! 」
『……知り合いっすかね? 』
『分からん。』
「何あれ。」「新しいAXEの人かな? 」
「なんか腕変じゃなかった? 」「ウケる、撮っとこ。」
逃げ回っていた人々のごく一部、物事を楽観視する者、或いは危険を正しく認知できぬものが世界につながる板を取り出し撮影する。
『こちらハイランダー、うちらみたいなのが来ましたけど撃ちます? 』
『……下手に刺激して暴れられたら困る、様子を見よう。』
『『『了解。』』』』
『……えーっと、すみません。多分あなたとは会ったことはないかと思うんですけど……。』
「ろ゛シ゛う゛ら゛て゛、い゛っ゛て゛ク゛レ゛ま゛し゛た゛ヨ゛ネ゛? 」
先日にも同じような体験をした優禍は、かろうじて聞こえた路地裏という言葉をヒントに、己の記憶を隅から隅まで探し回る。
しかし、路地裏なんて装着するために入るくらいで、そこで遭った人なんてあのスリまがいの女の子しか思いつかない。
それに加え旧友の時とは異なり髪色や顔といった他の手がかりもないため、そのようなことを言われたところで困惑する以外の反応ができなかった。
「あ゛な゛た゛シ゛カ゛て゛き゛な゛イ゛ッ゛テ゛。イ゛い゛し゛た゛ヨ゛ネ゛? 」
『……あーッ……はい、思い出しました。』
結局、埒が明かないと判断した優禍は適当に話を合わせるという選択をした。
『お名前は多分聞いてませんでしたよね、教えていただけませんか? 』
「こ゛シ゛マ゛チ゛ハ゛る゛て゛ス゛。」
『コジマさん、どうしてこんなことに? 』
「わ゛か゛リ゛マ゛セ゛ん゛……イ゛え゛か゛、も゛え゛テ゛、そ゛レ゛て゛……。」
『わかりました、何か事故か事件に巻き込まれた。』
「な゛に゛カ゛オ゛キ゛た゛か゛……わ゛か゛ラ゛な゛イ゛ン゛テ゛す゛。」
『あなたはまだ自分の能力がわからないんですよね? 誰も傷つけるつもりはない、ですよね? 』
「は゛イ゛……た゛カ゛ら゛た゛ス゛け゛て゛……。」
助けを求めるように優禍の方へと歩き出す。
『待って、その場を動かないでください。』
歩み寄る彼女の足元には、何かの弾みで転がっていたドリンクがシュウシュウと音を立てて蒸発している。
何かしらを蒸発させる能力? それとも熱? どちらにせよ全貌が分からない以上、下手に行動させてはいけない。
『何が能力か分からない以上危険です。』
「わ゛、わ゛か゛リ゛ま゛し゛た゛。」
幸いなことに自身の話を素直に聞いてくれる状況に、優禍は緊張の糸を少し緩める。
『ここは人が多すぎます。とにかく離れましょう、私が連れていきますから掴まってください。』
トントン拍子に進んでいく異能者二人とは対照的に、AXEの面々は焦りの色を見せる。
『隊長、これ以上の傍観はなしでしょう。』
『タイミングだけ教えて下さい、後は流れでどうとでも。』
『……奴らが最も近づいた時、その時だ。』
『了解。』
ゆっくりと歩み寄る異能者二名の安堵と、銃を構える人間の緊張。
力を抜く腕、力の入る指、その二つはその差をどんどんと広げていく。
「は゛い゛……ワ゛カ゛り゛ま゛
手を取ろうとしたその時、あかぎれのようなひび割れが広がり、漏れ出た熱が全身をオレンジ色のベールのように包む。
苦悶の表情、うめき声。
その緊急事態を見逃さぬほど、対異能犯罪のスペシャリストは木偶の坊ではない。
『ダメッ!! 』
優禍の叫びも虚しく、狙い澄まされたその一発は正確に事件の元を撃ち抜いた。
『確保ォ!! 』
頭に突如叩き込まれる激しい鈍痛、突沸のように怒りが噴き出し、それと同時にヒビから見えるオレンジ色の中身が発光する。
熱に浮かされたその思考が赤一色に染められる。
その赤を、異能者は放出した。
明らかな悪意と共に。
「ウ゛ワ゛あ゛ぁ゛ァ゛!」
撃ち込まれた方に向かい、これまでとは比べ物にならない程の量の熱波を放出する。
どんなに鍛え込まれた人間、異能者であっても生物であれば本能的に逃亡を選択せざるおえぬ程の熱。
『コジマさん! 』
暴走を止めるため、そんな事を考えるよりも先に放った触手は怒りに満ちた異能者を拘束する。
はずだった。
触れた瞬間に走る激痛、思わず拘束を解除、その場へ蹲る。
触手は火を入れすぎた肉のように硬く変質し、ジクジクとした痛みを脳へと送り続ける。
「……み゛ン゛な゛そ゛う゛た゛。」
ポツリ、またポツリと言葉が漏れ出す。
「わ゛た゛シ゛の゛シ゛ン゛セ゛い゛……い゛ツ゛も゛。」
「早くくたばれよ! 」「何なのあいつ! 」
「とっとと捕まれ! 」「イカレ野郎が! 」
そして嫌でも耳へと入り込む罪なき一般人の声。
ただ、少し違う。
興味ではなく悪意。
自分の憧れとなったあの仮面の異能者とは、明らかに異なる悪意。
真意がとうであれ、それを彼女は受け取った。
「な゛に゛カ゛チ゛カ゛う゛……? 」
『……? 』
「ミ゛タ゛め゛? ソ゛れ゛と゛も゛チ゛か゛ら゛……? 」
自問自答も束の間。
熱に耐えきれなくなった周囲の車が爆発し発火。
周囲の人々にへと災禍が降り注ぐ。
その中で逃げ切れない弱者、それを仮面は見逃さない。
残された片腕の触手を使い、AXEと共に救助を行う。
「……。」
私は撃たれた、あの人は撃たれなかった。
『コジマさん! 落ち着いて下さい!! 』
私は罵倒された、あいつは何も言われなかった。
『力が暴走するのはわかります! それでも……。』
私は原因を作った、やつはそれを利用した。
「た゛ま゛れ゛。」
自分が好きだったもの、時間を掛けたもの、お金を使ったもの、憧れだったもの、それが裏返ると何が出来上がるか。
「わ゛タ゛シ゛を゛リ゛よ゛う゛シ゛て゛、こ゛う゛ヤ゛ッ゛て゛ヒ゛キ゛こ゛ン゛で゛……。」
『……? 何を言って……。』
相手をよく知り、憎み、妬み、嫉み、嫌悪する化け物。
「ね゛エ゛サ゛ん゛タ゛チ゛と゛お゛ナ゛シ゛タ゛……シ゛ふ゛ん゛の゛タ゛メ゛に゛ヒ゛と゛を゛……リ゛ヨ゛う゛シ゛て゛……。」
最悪の
『違っ、私はあなたを助けようと……。』
弁明を最後まで聞くことなく熱波をぶつける。
「わ゛タ゛シ゛を゛リ゛よ゛う゛シ゛て゛、こ゛う゛ヤ゛ッ゛て゛ヒ゛キ゛こ゛ン゛で゛……。」
しかし、異能を使い始めたてと一ヶ月近くの実践、差は微々たるものだが練度はこれが物を言う。
[そのまま触れてはならない]と学習した優禍は回避の際に目についた車の残骸、そこからバンパーの部分を回収、そこからハンマー投げのように遠心力を使い投擲する。
投擲物が直撃、と同時に異能者から放たれた熱波が優禍を宙へ浮かした。
両者吹き飛び痛み分け、されど神は熱の異能者へ微笑んだ。
吹き飛ばされた箇所は、今まさに炎上している車。
そこに突っ込んだ熱の異能者は、苦しみ悶え叫びを上げる。
「ウ゛ワ゛ッ゛ぁ゛ァ゛!! ア゛ア゛あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛あ゛ァ゛ァ゛!! 」
この世の全てを呪うかのような絶叫。
その呪詛めいた叫びに、誰もが耳を塞いだ。
突如、電源の落とされた玩具のようにプツリとその場は静寂に包まれる。
そして誰もが気が付いた。
燃え盛る火も、平等なる気温も、体温も、何かを突き動かす何もかもが彼女に集まっていくことを。
息は凍り、今では懐かしい冷たい風が皆の頬を撫でる感触を。
そして、
「寒っ。」
産まれた。
これまでとは比べ物にならない熱波。
否、熱波と呼称するのもおこがましい程の爆発が悠幻町を襲う。
放たれた爆熱で周囲のガラスは熱で砕け、建物はその形を失う。
車は吹き飛び、木々は燃え、人は恐怖に恐れ慄く。
炭化した人間由来の皮膚と肉は完全に剥がれ落ち、中の異能たるオレンジ色の体が露呈する。
今一度宣言しよう。
小嶋 千遥は死に絶えた、そして新たに異能者として
そしてゆっくりと、その体は地から足が離れ浮遊する。
天からの使いにその手を引かれ導かれるかのように、ゆっくりとゆっくりと。
その身体から発せられる熱により周囲の景色は歪み、軽く手を
逃げ惑う人々、崩壊する建物、増え続ける助けを求める声。
それらと比例するようにとめどなく溢れ出す脳内麻薬、異能を行使することによる全能感、人間であったときのしがらみの一切が取り払われた感覚に、彼女は打ち震える。
「誕゛ッ゛ッ゛ 生゛ゥ゛ッ゛ 日゛ッ゛ け゛え゛ぇ゛キ゛ィ゛ィ゛ィ゛!! 」
この世に産まれ出た日を祝福する食物の名を、この世に存在するあらゆる生命に対する糾弾のように叫ぶ。
熱狂が最高潮に達した時、その太陽の如き姿は白煙に包まれ、墜落した。
『確保ォ!!』
墜落した異能者を取り囲んだAXEは凄まじい速さで身柄を拘束、護送車へとぶち込む。
護送車を受け渡し一件落着と武器を仕舞う隊員達は、救助活動に精を出す。
『今回もマジヤバかったっすね。』
『最近フィジカルゴリ押しのタイプが多かったからね。新人ちゃん大丈夫だった? 』
『初めて生で見て正直ビビったっすけど、無事確保できて良かったっす! 現代技術様々っすね。』
『何も良かねーよ、被害は甚大、俺等みたいなやつは行方知れず。点数的にゃ赤点だよ。』
『そーいやそんなやついましたね、なんだったんすかね? あいつ。』
『取り敢えずその子探しつつ救助活動続けてこ、人命第一。』
『『了解。』』
こうして悠幻町の騒動はひとまず幕を閉じた。
新聞やニュースのトップを飾る程の、多くの人間に残る傷を付けた事件。
『怪我人はこちらでーす。』
ある者は日常の一幕として。
「ゆ゛る゛サ゛ナ゛い゛……ゆ゛ル゛……サ゛ナ゛イ゛……! 」
ある者は人生の分岐点としてその事件を受け止め、飲み込んだ。
そして、残されたのは壊れかけのマスク。
その技術の結晶は誰の目もくれぬまま、歩道の亀裂から伸びた手によってその