正しくは、自らを見窄らしくしている男がいた。
ヒョロリと縦に長く伸びた肢体。
身に着けた喪服は古ぼけ、半端に伸びた髪は整えられておらず無法状態。
第一印象のみで舐められることが確定されたような男が、ただ道を歩いていた。
前には、この世の春を謳歌する学生の集団。
他にも通行人は居たが、明らかに違っていたのはその二組であった。
片順風満帆、友人も未来もある学生達。
片や吹けば倒れそうな程弱々しく、希望のキの字もない顔をぶら下げ歩く男。
陰と陽、何もかも真逆。
未来永劫交わることなどないであろう二組、その動線が交わった。
「すいませぇん。」
「はい? なんすか? 」
後ろから掛けられた声に思わず振り返る学生群。
見たこともない小汚い男に皆怪訝な顔をする。
「俺のこと、憶えてますか? 」
今日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、優禍は部室へと向かう途中、同じく部室へと向かう西谷と生成と合流する。
ちょうど渡るのが
「そういやさ、ドッペルの件どうなったんだっけ。俺何も聞いてないんだけど。」
「……その節は、大変ご迷惑をおかけしました。」
深々と頭を下げる虫人、事情を知らぬがゆえ何かのドッキリかと勘ぐるライダーオタク。
紆余曲折あった末に露呈した一人の少年の告白。
廊下でするには、もう少し場所というものがあるだろう。
そんなこんなで着いた部室前。
扉を開けいの一番に出迎えたのは、少し間の開いた挨拶と気の抜けた声はではなかった。
パソコンとにらめっこの部長、副部長の周囲に山積みになったファイル。
いつもの緩みきった雰囲気とは真逆、鬼気迫る表情の先輩二人が黙々と何かを進めている。
何事かと呆気に取られていると、扉の前に立ったままの三人に気付いた尾多が声をかけた。
「あれ? 今日は部活動ないよって連絡してなかったっけ? 」
「いえ……そんな連絡来てませんけど。」
「てか何してるんすか? そんな色々ファイルとか。」
「いやー実は調べ物してたんだけど、色々過去の事件とかも絡んでるっぽくて。」
笑顔でぺちぺちとファイルの山を叩く尾多。
奥の物も根こそぎ引きずり出したのか、埃がキラキラと日光に照らされている。
「ついつい連絡するのもど忘れしちゃった、せっかく来てもらったのにごめんね。」
軽めの謝罪を投げた後、調べ物を再開。
“これ以上は喋りかけるな“という無言の圧に押され、三人は帰路へと着いた。
日も月とバトンタッチの準備を進めている夕刻。
喧騒に事欠かない悠幻町を、日課のパトロールで跳び回る。
落とし物に食い逃げ、喧嘩の仲裁などなど大小様々なトラブルに首を突っ込み解決し、誰も来ることがないビルの屋上にて一息ついたところに響いた叫び声。
声の方へと目をやると怯えすくむ制服を着た男女のグループ。
腰が抜けて動けぬ集団の前には、異形となり色めき立つ異能者があった。
蟹の甲羅がへばりついたシャチのような巨人。
呼吸のたびに上下する肩は、酸素不足になるほどの興奮を表し、一触触発の空気を醸し出す。
『やめなさい! 』
屋上から文字通り跳んできた優禍は、巨人と学生達の間に立ちはだかった。
『今何もせず、今後こんなことをしないって約束してくれたら、今回のことは見逃してあげます。』
突如として空中から現れた状態不明の異能者に人も異能者も困惑しつつも、酷く大柄なシャチと蟹の複合体はゆっくりと、柔らかく口を開いた。
「誰か知ラナイけど、邪魔をしナイデくれ……お願いダから。」
驚くほど弱々しく、低姿勢なお願い。
虚勢や脅しの意味を含めたファイティングポーズも、身の震えのせいでむしろ滑稽さすら感じさせる。
必死のお願いを聞き入れぬ仮面の異能者に対し、何の恐怖も感じない構えの異能者は声を荒げた。
「オ願いだカラ! ソいツらの前かラどけ! 」
『失礼ですが……遠慮させていただきます。』
低く唸るように吐く言葉。
触手で四肢を形成、武力行使も辞さない証。
「……ソウかぁ、そウカよ。ジャあ、恨まナイデくれ。」
ゆらりと向けられる二本の手。
墨に付け込んだような黒色の手が怪しく発光し、それと同時に踏み出した優禍の体が不意に
次の瞬間、優禍の首は異能者の左手に捕まった。
「左か、余計殴リタクなイ。」
理解が追いつくよりも早く優禍の体は明後日の方向へと投げられた。
激突する地面。
受け身が成功したことでダメージこそ低いものの状況は悪い。
投げ飛ばした方へ見向きもしない異能者は、隙を見て逃げようとする学生たちに手を向けた。
再び両手は発光し、逃げようとする集団を引き寄せていく。
必死の抵抗虚しく、遂に男子学生が右手へと収まった。
「まズは、一人目……! 」
首からミシと音が鳴る。
その瞬間、蹴りの一閃が異能者を吹き飛ばした。
解放され咳き込む男子学生。
無事かと駆け寄る優禍へかけたのは感謝ではない。
「痛ってぇな! もっと早く助けろよ! 」
思わず漏れる驚嘆の声。
この場に合わぬ騒がしさに周囲を観察すると、狙われている立場であるはずの学生は、友人達と感想や野次を飛ばしながら好奇の目でスマホを回している。
逃げろという注意勧告すら真剣に受け取らず、より刺激的な映像を撮ろうと半笑いで挑発的な言葉まで投げる始末。
ある意味こういった状況に慣れきった若者達に困惑し気を取られていると、不意に強烈な力で後方へと吹き飛んだ。
存分に振るわれる引き寄せの異能。
勢いのままラリアット&地面への叩き伏せ。
コンクリートが抉れる程の一撃に視界が揺らぐ。
「本当ニスまナい、ケドアんたも悪いンだよ。アイつラなんて守る価値もナイノニ。」
開いた右手をターゲットへと向けた時、発揮される馬鹿力。
触手の剛腕による一撃は、拘束諸共宙へと跳ね飛ばす。
爆発したように跳ね跳ぶ身体。
勢いそのままにそのまま無防備となった体に豪脚を叩き込む。
『守る価値とか関係ない。どんな人でも、理不尽に命が奪われるべきじゃないでしょう! 』
優禍は再び立ちはだかる。
追い風は彼女へ吹いていた。
苦悶しつつもその身を起こす異能者。
無防備な状態で受けたダメージは並大抵のものではない、例に漏れず彼の胸にはハッキリとした痛みが蠢いていた。
それでも立ち上がる異能者へ優禍は疑問を投げかける。
『なんであの子達を狙うんです? 』
他の者には目もくれず、それどころか妨害する優禍ですら眼中にない。
一般的な異能犯罪者と明らかに異なる、金以外の目的がある。
何がそんなにその異能者を突き動かすのか。
それを聞き出せれば糸口が見つかるかもしれない。
暴力以外の手段があるかもしれない。
少なくともその時は、優禍はそう考えていた。
その胸焼けがするほど甘い考えは、たった一言で崩れ去ることとなる。
「アイツラが、俺の妹ヲ殺シたから。」
「優シイ、可愛い、自慢の妹ノ未来を奪っタ奴ラの未来を奪う。正当、ナんの理不尽でモない。」
人間であっても、異能者であっても、理不尽に奪われてはならないという言葉は、優禍の心の底から出たものであった。
今まで助けた人の中にも、何かしらの犯罪を犯した者はいただろう、それでも生きる権利はあると信じ、それを心の支えの一つとして仮面の異能者としての活動を続けていた。
自分のしていることは善い行為であると。
今、学生達を守るということは、善い行為であると。
だが確実に、緩んだ拳からほろほろと立ち向かう為の自己陶酔が逃げてゆく。
「……でも、それでも殺すなんて……! 」
一方、イジメという言葉に学生達は狼狽え、自らの主張を叫び始めた。
自分達は無実であると、そんな清廉潔白の自分達を逆恨みだけで殺そうとするのは異常であると。
そんな当事者にとっては至極真っ当な主張も、そこに混じった罵詈雑言も被害者遺族は一蹴した。
「黙レ、なンの証拠モナくコンナコとすルワけないダろ。」
証拠という言葉を聞いてもなお浴びせる罵声。
これが個であれば多少なりとも冷静さを取り戻すことができたのかも知れない。
集団による物事の楽観視、問題の矮小化、延々と行われる同調、学生特有の万能感が蟻地獄のように学生達を捉えて離さない。
己の現状を鑑みるとこもできない者達を哀れみを滲ませた目で一瞥し、視線を立ち尽くす少女へと移す。
「大丈夫、クズがクズヲ殺スダケさ。」
再び動き出す異能者。
ぬるりと向けられる手にようやく正気を取り戻す。
『ダメっ! 』
しかし、やや攻勢であった先程とは一転。
彼女の心に絡みつく迷いは顕著に肉体へと現れる。
身を挺して腕へと飛び付こうとも、幼児をあしらうように振り払わる。
振り抜く拳。
放つ触手。
一挙手一投足その全てに、幾分前の重みは失われていた。
軽々と弾き返される攻擊の数々。
その余りの軽さに揺らぎを感じ取った異能者は、こう語りかけた。
「妹ハ異能者だッたヨ、あんタト同ジダ。」
過激化する異能犯罪。
一方的に蹂躙される人間。
これだけを切り取れば、か弱き人々の可愛そうな悲劇で終わる。
むしろ、これで終わればどれだけ幸せであっただろう。
異能者は異能を使いたいという慢性的な欲望を抱え生きている。
その欲に抗えなくなった者、抗う心を折られた者から罪を犯す。
だが、そんな経緯など、罪を犯す過程など、部外者達は知ったことではない。
「妹は優しイカら、きットコンナこと望んデナイはズナんだ。」
正義の名の下に、徹底的に再起する力すら叩き折る。
そして、違いの分からぬ者達は一纏めにする。
異能者とは、頭のトチ狂った犯罪者であると。
どんな心の持ち主であっても、どんな懸命に生きようとも関係ない。
『じゃあどうし――。』
そうして、行き場を失い蓄積された鬱憤は心を捻じ曲げる。
恨み辛みとは、こうして延々と巡り受け継がれるものなのだ。
「けドな。やり返さナキゃ終ワッチまウ、そンナことオレガ許さない。」
誰が始めたかはもう誰も憶えていない。
残ったのは、目も歯も何もかも潰れ、それでもやり続ける“正当なやり返し“のやり返し。
「オレが美談で終わラせナイ、オレが、終ワラセない……! 」
幽鬼の如く立ち上がる
その鬼気は周囲の全てを止めた。
どこから取り出したか、筒状の注射器。
異能者は迷う事なく黄色の液体に満たされたそれを体へと突き立てる。
直後、起こる異変。
大きく脈打ち、歪に変化する身体。
異能の要となる両腕は肥大化し、更に黒く深く、淀んだ血のようなラインが走る。
身体の変化が止まった時、黄色に染まった目の奥には、確固たる譲れぬものが宿っていた。