(はぁ…)
午後のトリニティ。
この日はどんよりとした曇り模様で、本日3度目となる女生徒たちとの会食に臨む次郎の心境をちょうどよく表現してくれていた。
「あら次郎様、お気に召しませんでしたか?次郎様がお酒がお好きと聞いて、紅茶にたっぷりとブランデーを入れたものをご用意させていただいたのですが…」
「いや、美味しくいただいとるよ。ありがとさん」
笑顔が引き攣らないよう気をつけながら、大して美味しくもないブランデー入り紅茶を啜る。提供する彼女たちにとっては高級な紅茶とブランデーでもてなしているつもりだろうが、元の世界で飲んでいたそれらの足元にも及ばない味だった。
ティーパーティーから自由に接触して良いと事実上の許可を得てから、各派閥の生徒たちは迅速に行動し、次郎との会食の場を整えた。
事前に得られたのは、酒好きという情報のみだった。故に各々の伝手を駆使して高級な酒類を手に入れ、会食で提供し、贈り物として手渡した。もう少し時間が経てば、元の世界で生産される美味な酒類も手に入ったかもしれないが、現時点ではレッドウィンターで次郎本人が掘り当てたブランデーの泉のみで、連邦生徒会とレッドウィンターの管理下に入っているため、一般には出回っていない。
断っては余計な誤解を与えることになりそうだと、仕方なく彼女たちの申し出を受けていた次郎だったが、その内心は―――
(どいつもこいつも、ちゃちな権力ごっこしとるのう…)
―――白けに白けていた。
彼女たちは知る由もないが、次郎は元の世界でも一二を争う実力の美食屋であったため、王侯貴族や大富豪からの依頼や会談は枚挙に暇がない。当然腹芸や探り合いなど日常茶飯事で、経験は海千山千だ。
それ故に、次郎からしてみれば彼女たちの歓待など児戯にも等しく、彼女たちの狙いも当然のごとく把握している。
(大方アカシア先生とのコネクションとか、儂をこの学園に留めるとか、そういうこと考えとるんじゃろうが…心にもないおべんちゃらで煽てたり、自分たちが成し遂げた訳でもないスッカスカの歴史語って…若い身空だのに、コレの何が楽しいんじゃろ)
何が馬鹿馬鹿しいかと言えば、彼女たちが美食屋家業に全く興味がないことだろう。当然自分が今後教える内容にも何の関心もない。要するに自分から情報を引き出したいだけなのだ。どうせ後日自分が本格的に教導する際に、こいつ等は居ないんじゃろうな、と思うと、阿呆らしくて仕方ない。
白々しい演技をする生徒と、白けきった教師という、空虚にも程がある会話が繰り広げられる空間で、どのタイミングで席を立とうかと考える次郎だったが、ああそういえば、と言って、目の前の女生徒が話題を切り替えた。
「風の噂でお聞きしたのですけど…次郎様には弟君がいらっしゃるのですよね?」
「ああ、ミレニアムに居る一龍と合わせて三兄弟でなぁ。三虎と言うて、儂の自慢の弟じゃ」
「それはそれは。次郎先生程の方が自慢と仰るのならば、さぞ凄いお方なのでしょうね」
三虎を引き合いに出した上での白々しいおべんちゃらに、これまでの会食では感じなかった不愉快さが胸に宿るのを、次郎ははっきりと自覚した。
しかし、当の女生徒は次郎がどう感じているかなど気にも留めず、さらに話を続けた。
「でもだからこそ、私たちは不憫でならなくって…」
そんな独り善がりな台詞が次郎の耳朶を打つ。
「三虎様も次郎様と同様にこの世界に迷い込んで…見知らぬ世界だったとはいえ、不幸にもあの…何て名前だったかしらね?」
「アリウス、ですわ」
「そうそう、アリウス!そういう名前のスラムでしたわね!」
―――ピクリ、と次郎の眉根が不快げに歪んだことに、気付いた者は居なかった。
先日三虎と別れた後、トリニティとアリウスの因縁が気になって、自分で色々と調べたので、何が起こったかは大体把握している。
彼女たちがどこまでそれを把握しているのかは知らない。
だが、彼女たちが自慢する過去のトリニティが間違いなく元凶であるにも関わらず、スラムと卑下するその態度はどういうことか。
そんな次郎の内心の不快感など理解するはずもなく。
女生徒たちは、更に火に油を注ぐような事を口にし始めた。
「お労しい三虎様、よりにもよってアリウスなんて薄汚い学区に迷い込んでしまった挙句、心根の貧しい者達に囚われて、心を砕かなければならない羽目になってしまうなんて!」
最悪なことに。
女生徒たちが、誰に対して、何に関する暴言を吐いているのか、指摘し止める者は居なかった。
「けれどご安心ください、次郎様が望まれるのならば、私たちが三虎様を救って差し上げることも―――」
―――プツン、と。
次郎の頭の中で、決定的な何かが切れる音がした。
「キャッ!!?」
女生徒が悲鳴をあげる。
周囲に居た鳩が一斉に空に飛び立ったのだ。
見上げると、四方八方から同じように飛び立った鳩が加わり、まるで黒雲のような巨大な一群をなして、向こうの空に飛んで行った。
その光景に驚きながら、視線を次郎の方に戻したが―――
「あ、あら?」
次郎はもう、その場に居なかった。
おかしなことに、彼が飲んでいた紅茶も、座っていた椅子も無くなっていた。
―――彼女たちは知る由もない。
紅茶のカップと椅子の手すりを怒りのままに握ったために、塵より細かく粉砕され、風に散ってしまった、ということを。
そしてこの瞬間にトリニティ各所で発生した異常を。
鳩に限らず、トリニティ学区中の生物が、命の危機を感じ、住処から永遠に逃げ去った。
檻や水槽で飼われていたペットたちは、狂ったように暴れ出し、脱走を図ったり、自死する生物も居た。
正義実現委員会やシスターフッド等、トリニティの武闘派集団のメンバーが、突然背筋に怖気を覚え、その日一日誰も銃を手放さなかった。
同時刻に学区内で眠っていた人が、同じ悪夢を見て魘された。
同時刻に食事をしていた人が、揃って「人生最後の食事がこれでいいのか」という不安感に苛まれた。
怖気、悪寒、恐慌、不安。
トリニティ学区に住まう人間が一様に言い知れぬ胸騒ぎを覚え、理由のない不穏な空気が全域を包む。
それらの異常は誰にも知れ渡ることはなく、しかし不穏な空気は払拭されぬまま、時間だけが進んでいくのだった―――
プルルルル、プルルルル。
トリニティ学区の廃墟ビルに、電子音が響く。アカシアと出会った日に持たされた携帯電話が、初めて鳴った。
『次郎か、私だ』
「おお、アカシア様。何かご用でしたかな?」
『しらばっくれなくてもいい。このタイミングで私が連絡してきたということがどういうことか、想像のつかないお前ではあるまい』
何があった、とアカシアが尋ねる。
包み隠さず話し終わると、電話の向こうから、はぁ、と小さな溜め息が漏れた。
『…そうか。それは―――お前がキレるのも、無理はないか』
「大人げねえとは分かっていますが…どうにも我慢できなくて」
『聞いても無駄だろうが、一応聞かせてくれ。堪えるつもりは無いんだな?』
アカシアの言う通り、今ならまだ引き返せる。少し怒りが外に漏れただけだ。何より相手は年端もいかない少女たち。その上ほとんどの生徒は無関係だ。これから自分がやろうとしていることは、無差別テロと言っても過言ではないだろう。
だが、例えそう後ろ指をさされたとしても。
決して聞き逃せない、許してはならない言葉を、耳にしてしまったのだ。
「…嬉しかったんですよ、儂は。この世界でアカシア様やフローゼ様、イチちゃんや三虎、家族皆と生身で会えて、飯食えたことももちろんですが…何より、三虎のやつが、アリウスの子たちを救って、導いてくれているってことが」
アカシアを始めとした家族と再会した時、彼らの現状をそれぞれ知った。
フローゼはゲヘナ学園の給食部で顧問となり、弟子と共に毎日食事を作っていること。
一龍はミレニアムに新設されたグルメ研究部門の教授となり、キヴォトスにおけるグルメ食材やグルメ科学の研究・開発を行っていること。
そして三虎が、奴隷的処遇を受けていたアリウス分校の生徒たちを救出し、現在は校長として彼女たちの技能指導にあたっている、ということ。
「フローゼ様が亡くなった時…世界が救われた時…アイツだけは救ってやることが出来なかった。誰より家族思いだったアイツに、儂もイチちゃんも、家族として手を差し伸べてやることが出来なかった。兄としてそれが本当に、本当に心残りでしてなぁ…。儂やせっちゃんが三虎に寄り添ってやれば、もっと良い未来が開けたんじゃないかって…全部丸く収まった今でも、そう思っちまうんでさぁ」
腹が減って仕方ないと、いくら食べても満腹にならないと、フローゼを喪った彼は泣いた。
それが、空っぽの器で生まれた彼が、初めて己を満たしてくれた家族の愛を求めて、再び失われてしまった彼の器の中身を求めての、悲痛な叫びであると、一龍も次郎も理解していた。
今さら悔やんでも仕方ない過去だ。紆余曲折あったものの、最終的には全て救われた。三虎もようやく、己を満腹にしてくれる家族の愛情に再び出会うことが出来た。
だが、どうしても考えてしまうのだ。
もし自分や一龍が、悲しみにくれる三虎に手を差し伸べ、掬い上げることが出来ていたら。
そして、兄弟3人で力を合わせることが出来ていたら。
三虎が美食會を結成し、一龍との対立が決定的になった時から、ずっと次郎の心の片隅で燻り続けていた火種であり―――この世界に来て、三虎の現状を聞いて、消え失せたものだった。
「だからこそ三虎とアリウスの話を聞いたときは、それはもう嬉しかった。食卓を共にし、食事を分かち合う喜びを、アカシア様とフローゼ様が生涯をかけて実践し続けた教えを、今このキヴォトスで、あの三虎が実践してみせている。そして三虎が助けた生徒たちが、心から三虎を慕っている。三虎がどれだけ彼女たちに愛情を注いでいるか、一目で分かります。アイツがこの世界で、新たな家族と呼べる者達を見出したことに、儂もイチちゃんも、救われた気持ちになったもんです」
つい先日シャーレで見たばかりの、三虎と共に歩くアリウスの生徒たちの姿を思い出し、自然と笑みがこぼれる。
穏やかな笑顔でそう話しながら、次郎は自分が居る廃墟の壁に触れて―――
「―――だからこそ、許せねぇんですよ、
―――怒りを込めて、壁にぐっと力を入れる。
途端に壁中に、床中に、天井中に、大きなヒビが入り、広がり、繋がり、網の目のように細かくなっていく。
先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みは欠片もなく。
髪色と同じ漆黒のオーラを漂わせ、憤怒の形相を浮かべる鬼が、そこに居た。
「アイツが不幸?お労しい?心を砕く必要なんてない?アイツを―――『救う』だと?アイツ自身のことも、アイツに救われたアリウスの子たちのことも理解してねえくせに、テメエのおままごとの道具にしようなんざ―――虫唾が走る」
次郎は廃墟の窓から身を躍らせ、隣の廃墟ビルに飛び移る。
先ほどまで彼が居たビルは、砂の城が崩れ落ちるように、ごく細かい瓦礫となって静かに砕け去った。
そんな、憂さ晴らしにもならない八つ当たりをしながら、電話の向こうの師匠の返答を待った次郎だったが、得られた回答は意外にも明るい声調だった。
『―――そうか。お前の気持ちはよく分かった。うん、少しお灸を据えてやるといい』
「…いいんですかい?」
『最初に言っただろう、無駄だと分かっている、と。お前にそうさせるほどの理由と心情を、お前の口から聞きたかっただけさ。後始末はしておくから、やりたいようにするといい』
後始末、という言葉に胸が痛んだ。
またしてもこの方に、要らぬ手間をかけさせてしまうのか、と。
「…申し訳ありません、アカシア様。不肖の弟子の尻拭いをさせてしまい…」
『不肖だなんて言うな。お前も、三虎も、一龍も、私には勿体ないほどの出来た弟子だし―――何より、血を分けた息子と同等以上に大切な、私とフローゼの自慢の息子なんだ。胸を張ってくれ次郎。お前たち三人が、真っ直ぐに生きてくれることが、私たちの誇りなんだ』
―――嗚呼、そうだ。俺はずっと、この人から、この言葉を賜りたかったんだ。
己の胸がじんと熱くなるのを感じながら、あまりに間違いの多かった、自身の所業を思い出す。
「…いえ、やはり俺は、一龍兄者や三虎には劣る、不肖の弟子です。かつての世界で、貴方の高潔な志を理解しないまま戦いを挑み、最悪の結末を招きかけた愚か者なのですから」
元の世界で、次郎はアカシアに殺された。
アカシアを止めようとして、返り討ちにあった。
死んで初めてアカシアの崇高な目的を知り、やはり師匠は誰よりも優しく強い師匠のままだったと、安心しつつもひどく後悔した。
何故なら家族の中で自分だけが、父の意図を理解出来ておらず、父を疑い、父を責め、一歩間違えれば全てを台無しにしかねない手段を取ってしまったのだから。
例えアカシア本人が次郎を責めなくても、全ては自分の咎だからと、已む無く殺してしまったことも含めて土下座して謝られたとしても、次郎にとっては決して拭えない後悔だ。
「それでも胸を張れるとしたら、それは、貴方の薫陶を受けたが故です。貴方の弟子であったから、馬鹿な俺はそれでも前を向いて、真っ直ぐに生きていられるのです」
だからもう二度と、大切なものは間違えない。
狼王ギネスに育てられたこと。
美食神アカシアの弟子であること。
神の料理人フローゼの息子であること。
一龍の弟であること。
三虎の兄であること。
そして、節乃のパートナーであること。
それら全てが次郎にとっての誇りであり、心の支えであり。
何よりも汚すべからざる、次郎の人生の原点なのだ。
「偉大なる師匠にして尊敬すべき我が父よ。俺は、俺のやり方で―――この世界で生徒たちを導く、『先生』となりましょう」
この世界に生きる彼女たちが、自分と同じ後悔を抱えないように。
誰かの人生を貶めたり辱めたり、傷つけたりしないように―――生徒たちの人生を、導きたい。次郎はそう思った。
『ああ。行ってこい』
敬愛する師匠に背中を押され、次郎はこのキヴォトスにおいて、新たな一歩を踏み出す。
翌日、ティーパーティーの会談の場を急襲した次郎は、3人を脅すような形で2つの内容を認めさせた。
今後自身に対して、会食のような形での接触は一切控えること。
そして明日、トリニティの全校生徒を全員集めての、緊急の全校集会を開くこと。
こうして、終末への賽は投げられたのだった。
RTAチャート
④不用意で無思慮な生徒を次郎にぶつけて、怒りを誘います。
逆鱗に触れる言動でなければリセットです。家族関係、特に弟を絡めた会話をさせましょう。
⑤ティーパーティーに全校集会を開くよう命令します。
命令が通ればRTAはほぼ成功です。
次回は12(金)以降の投稿となります。今しばらくお待ちください。
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