シャーレの先生 アカシア   作:電シャーク

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三虎編の後編です。
前編をまだ読んでいない方は、そちらから先にどうぞ。





三虎、アリウスに君臨する(後編)

 

 

「…粗末なキッチンだな」

 

ベアトリーチェが居なくなったアリウス分校で、サオリに案内されて厨房に入った三虎は、憮然として呟いた。想像していたよりも遥かに小さく、美食の世界で生きてきた彼にとっては、信じられないぐらい貧相なキッチンであった。

 

「その…すみません。これまでずっと、食事は重要視されていなかったので…最低限の設備しか…」

「気にするな。お前たちのせいじゃない。食事の重要性を知りながらわざと疎かにした、あの馬鹿女が全部悪い」

 

申し訳なさそうに話すサオリを三虎がなだめ、キッチンに隣接する食糧庫の扉を開く。

それまでは食糧庫とは名ばかりの空き部屋だったそこは、ゲマトリアからの迷惑料として大量の食料が所狭しと詰め込まれており、足の踏み場もないほどだった。

 

「まあ、これだけあれば一週間は保つだろう。グルメ食材もあるな。素朴米につつまし草、栗みかん…これはバタークルミか。多分俺用だな。細かいところで気が利くやつだな…」

 

グルメ食材に乏しい世界に突然飛ばされ、やっつけ仕事みたいな戦闘を行い、少しカロリーが足りなくなってきていた三虎にとっては、一番身体が欲していた高カロリーグルメ食材だった。それを食べながら食糧庫内の食材を吟味し、今の生徒たちの状態も踏まえながら、作るべきメニューを絞り込む。

 

「よし、シチューにするか。サオリ、食材を切ることは出来るか?」

「あ、ええっと…すみません、やったことなくて…」

「いちいち謝らなくてもいいぞ。まあ数十人前程度なら俺一人でもいけるが…せっかくだし、手伝ってみるか?シチューなら切り方は雑でも問題ないしな」

「あ…はい!ほ、他にも手伝ってくれる人がいるか、聞いてきます…!」

 

駆けだしていったサオリを見送りながら、三虎は昔のことを思い出す。フローゼと出会った頃、フローゼが料理をする様子を傍らから見ていたら、彼女に手伝ってみる?と聞かれ、大喜びで食材を取りに行った、懐かしい日々のことを。

今自分が、あの頃のフローゼと同じ立ち位置にあることを自覚し、苦笑した。

 

「慣れないことに着手してしまいましたが…フローゼ様、そしてアカシア様。貴方たちから受け取ったものを、俺なりに真似してみようと思います」

 

人の真似は得意ですからね、とひとりごちながら、三虎は食材の仕分けと選定を始めたのだった。

 

 

 

 

 

十数分後、三虎と生徒たちは厨房ではなく、ベアトリーチェが居た広間で料理をしていた。三虎の募集に予想より多くの生徒が応えたことと、厨房の設備では数十人前のシチューを作るのが難しいと判断し、広間に厨房の設備の一部を持っていき、巨大な寸胴鍋を即席で作って、身の振り方に迷い広間に留まったままの他の生徒たちの前で振舞うことにしたのだった。

 

「み、三虎…せ、先生。野菜の切り方はこれで合っているか…じゃなく、あ、合っています、でしょうか?」

「無理に丁寧語使おうとしなくても、自然体で良いんだぞアズサ。切り方も別に正解はないから、自分が良さそうと思うやり方と大きさで構わん。シチューだしな」

 

おずおずと尋ねるアズサに、三虎がざっくばらんな答えを返す。

生徒たちに任せたのは食材をカットすることのみで、細かい味付けや調理は三虎任せだが、それでも慣れない行為に悪戦苦闘し続けている。アズサのように切り方や大きさに迷う者もいれば、初めて触れた生肉のぬめりに洗剤で洗った方がいいのか迷うアツコや、知らずに玉ねぎをカットして涙が流れてくることに戸惑うヒヨリなど、料理という未知の行為に、おっかなびっくり挑む様子に、広間で見守る他の生徒たちも興味を惹かれ、一人、また一人と手伝う人間が増えていっていた。

 

その一方、料理に勢を出す彼女たちを冷めた目で見つめる生徒たちも、一定数居る。

戒野ミサキもその一人だった。

 

(…下らない。首が挿げ変わっただけで、私たちの人生の何かが変わると信じてるの…?)

 

元より自身の生への絶望が色濃く、諦めの心も深いミサキにとって、今目の前でさも楽しそうに料理に勤しむ仲間たちの姿は、理解しがたいものに映った。

 

何が変わるというのだろう。

何が良くなるというのだろう。

 

Vanitas vanitatum omnia vanitas(全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ)―――ベアトリーチェを慕っていたわけでは全くないが、彼女が提唱したその考え自体は、否定する要素が見つからなかった。あるいは自分たちがそう考えること自体も、ベアトリーチェの思い通りだったのかもしれないが―――だとしても、どうでもよかった。

 

ミサキは自然な様子を装って、簡易厨房に近づく。

サオリもアツコもヒヨリも、何故かここに来ているアズサも、今は料理に夢中で自分のことなど気にも留めていない。他の生徒から見ても、調理の手伝いがしたくなって近寄っているようにしか見えない。

 

即席の厨房に立ち入ったミサキは、自然体のまま、手近な包丁を手に取って、己の首筋に―――

 

「…大勢の人間が食べる場だ。それをわざと汚すような所業は、感心せんな」

 

三虎の声が静かに響く。

それまでの優しさを含んだ声とは明らかに違う、厳しい口調に、調理をしていた生徒もしていない生徒も、全員が手を止めて視線を彷徨わせ、一点に集中する。

 

「ぐっ…!」

 

三虎にノッキングされたミサキが、首筋に包丁を当てた姿勢のまま、身じろぎひとつ出来なくなっていた。

 

「止めろミサキ!!」

「あ、いや大丈夫だぞサオリ。指一本動かせなくなっているはずだ。包丁だけ取り上げてやればいい」

 

すでに自殺の阻止は完了しているのだが、ノッキングを知らない生徒たちからすれば、自分の命と引き換えに脅しをかけているように見えなくもない。即座に武器を手にし、ミサキを取り囲んだ生徒たちに穏当な対応を命じ、包丁を奪ったのを確認してノッキングを解いた。

 

「傷はないようだな。よかった」

「…良くないです。包丁返してもらえますか。ここで死ぬのが駄目なら、外で死にますから」

「そう言われて分かったと返すやつが居ると思うか?」

 

近寄って傷がないことを確認し、安堵した三虎に、ミサキが悪態をついた。途端にサオリがいきり立つが、三虎がそれを片手で抑える。

 

「…率いる人が代わって、新しいアリウスになったからって…私たちに、私たちの人生に、何の意味が生まれるっていうんですか?」

 

広間中の視線を一身に浴びながら、ミサキは吐き出すように胸の内を語り始めた。

 

「苦しいだけの世界で、何の意味もなく生きて、泥水を啜るだけで…辛くて、苦しくて、虚しくて、そんな人生を過ごすことに、何の意味があるっていうんですか?辛い事苦しい事に全部耐えて、それで得られる自分たちの生に、何の価値があるんですか?」

 

血を吐くようなミサキの言葉に、生徒たちが皆沈痛な表情で俯く。

ミサキの吐露した絶望感は、アリウス生全員が同じように抱えるものだ。彼女たちはあまりにも長く、この閉じ切った世界に繋がれていた。その呪縛は体も心も縛り、ベアトリーチェが居なくなった今も、アリウス生たちを雁字搦めにして離さないでいる。

 

「マダムの代わりに上に立ったんなら、教えてくださいよ―――私は、私たちは、何のために生きればいいんですか?」

 

嫌々ながらも生きる導とされてきた存在を突然奪われ、自死も妨げられ、半ば捨て鉢な気持ちで、ミサキが三虎に真正面からぶつかっていく。

誰もが手を止め、固唾をのんで二人のやり取りを見守り、三虎の言葉を待った。

永遠にも感じられる数秒の沈黙の後、三虎は小さく息を吐き、頷いてみせた。

 

「虚しいだけの人生、か。確かにそうなのかもな。生きることは辛いし苦しい。生きて生きて生き抜いたって、価値が生まれるかなんて分からない。希望なんて尚更だ。お前の言う通り、そんな人生を過ごすことに価値なんて無いのかもしれないな」

 

そんな三虎の発言に、ミサキが幻滅したように嘆息する―――が。

 

 

 

「けど、腹は減るだろう?」

 

 

 

続く言葉に、え、とミサキが面食らった顔になり、自然とその手がお腹に添えられる。

 

三虎はミサキを手招きし、自分がシチューを作るその横に立たせた。

 

「辛くても苦しくても、何もかもが虚しくて何の希望も持てないとしても、生きている限り腹は減る。ともすれば死んで魂だけの状態になっても、腹は減るんだ」

 

腹が減る。そう言われたアリウスの生徒たちは納得せざるを得なかった。

このアリウス分校で、満足な食事など一度も出たことはない。栄養があるかどうかも分からないレーションがほとんどで、時折配給と称してクズ肉やクズ野菜のスープや炒め物が出る程度だ。

常に空腹感と共にあり、満たされることがないのが、彼女たちの日常だった。

 

「空っぽなのは苦しい。満たされることの無い空白は絶望に等しい。それが胃袋であれ心であれ―――空腹は、心を蝕む毒だ、と思ってる」

 

身体の奥底から満たされないと訴え続ける苦痛。

人格を削り人倫を踏み躙り人生をも腐らせ得る呪縛。

 

空腹という毒の辛さは、誰よりも三虎が知っている。

 

「俺はお前たちがどんな人生を歩んできたか知らん。どんな経験をして、どれほど辛かったのかを共有してやることも出来ん。俺は、お前たちの心を満たしてやることは出来ないかもしれない…だが、胃袋だけは、満たしてやりたいと思っている」

 

ミサキも、サオリも、他の生徒たちも、料理を作り続けながら語りかける三虎の言葉に、じっと耳を傾けている。

ベアトリーチェの欺瞞に満ちた高慢な口調とも、それを罵倒していた時の三虎の冷たい口調とも違う、目の前の生徒の苦しみに素直に向き合おうとする真摯さを、感じ取っていた。

 

「腹を満たして、今の空腹を乗り切って、また空腹になったら、食べて満腹になって、それを繰り返して…今を繰り返して、一歩ずつ進んでいけばいい」

 

話しながらコンロの火を止め、傍らにあった皿を手にとり、鍋の中身を皿によそう。

 

「だから、食べよう。考えるのはその後だ」

 

三虎はそう言って、出来立てのクリームシチューをミサキに差し出した。

ほくほくと湯気と匂いが立ち昇り、ミサキの食欲を否応なくかき立てるそれを、一匙掬って口に入れる。

 

―――温かい。

これまでのアリウスで配給されてきた、生温く味の薄い、クズ肉とクズ野菜だけのシチューとは、まるで違う。

まろやかで濃厚な牛乳の風味が温かさと共に口いっぱいに広がり、バターの香りが鼻に抜ける。仲間たちが切った具材は不揃いだがどれも大きくて、肉の旨味や野菜の食感がダイレクトに伝わってくる。飲み込んだ後も味と温かさは後を引き、口から胃まで一本の線が繋がったかのようで、温かく、心地良く―――美味しかった。

二匙、三匙と、ミサキの手は止まらずにシチューを掬い、口に運び続ける。

 

「うぅ…ひぐっ、うぇぇぇ…!」

 

気付けばミサキの瞳から、涙が零れ落ちていた。

ぽろぽろと大粒の涙がシチューに落ちて、味をしょっぱくする。しかしミサキの食べる手は止まらない。

 

彼女にとっては、訳も分からず溢れ出し、止めようと思っても止まらない涙。

生まれて初めて与えられた温かさが、美味しさが、空っぽだった彼女の器を初めて満たしたことで、器から溢れだした感情の結晶だった。

 

ミサキの涙につられ、一人、また一人と歔欷の声が広間を満たす。その中で三虎は黙々とシチューを作り、皿によそっていった。

 

「さあ、第一陣だ。どんどん作っていくから、腹が減ってるやつから取っていけ。遠慮は無用だ。兎にも角にも、まずは腹いっぱい食おうじゃないか」

 

その三虎の言葉で、生徒たちが続々と皿を手にし、次々とシチューを頬張っていった。

机もなく、椅子もない。広間の床や瓦礫、段差に腰かけて、三々五々に食べていく。ある者は一気に、ある者はゆっくりと、またある者は、第一陣に間に合わなかった者と分かち合いながら。

その美味しさに、温かさに、ミサキ同様泣き崩れる生徒も少なくなかった。誰かがその背中を優しく撫で、涙を拭いまた食べ始めた。三虎が第二陣、第三陣と次々に作り上げ、生徒たちが途切れぬ列を作る。

これが、アリウス分校始まって以来初めての食事会であり、この一度の食事を通じ、アリウス生たちは三虎への信頼を確かなものにしたのだった。

 

 

 

 

 

食後、生徒たちほぼ全員が参加した食器洗いが終わり、広間に布団を広げて全員一緒の場で寝ることになった。特にきっかけがあったわけではなく、食事会の時に誰かが言いだし、不思議と受け入れられた提案だった。

夜の見張り番については、三虎に却下された。曰く、「俺がここに居る以上に安全なことがあるか?」とのことだった。

 

「…今日はありがとうございました、三虎先生」

 

生徒たち全員が同じ広間で寝袋に包まり、寝静まる間を、三虎が危なげない足取りで縫うように歩きながら様子を見まわっていると、まだ眠っていない一人の生徒と目があった。

 

「別に礼なんて要らんぞ、サオリ。ミサキに説教臭いことを言ってしまったと、今になって後悔してるくらいだ」

「い、いや、そんなことないですから…!」

 

周りを起こさないよう小声で喋り合っている―――が、実のところ、ほとんどの生徒は狸寝入りだ。寝袋に入り、目を閉じてはいるが、眠れずにいる。

もちろん三虎はそんなことお見通しだ。

 

「…眠れないか?」

「…はい」

「不安か」

「…はい」

 

サオリに話しかけている体を装いながら、周囲で寝た振りをする生徒たちに対しても問いかける。サオリの回答もまた、周りの生徒たちの総意であった。

 

「これまでの生活も、培った価値観も、そう簡単に覆るものじゃない。ましてやそれを強いてきた存在が、唐突に居なくなったからといって、それを易々と受け入れて喜ぶなんてのは、土台無理な話だな。今日のことは全部夢の中の話で、目が覚めたら元の日常に戻っている…そう考える方が自然と言えるだろうさ」

 

まるで事も無げに、生徒たちが抱えるモヤモヤした不安感を明文化・言語化してみせた三虎に、サオリは今日何度目か分からない驚きの表情を浮かべた。

 

「…三虎先生、私たちの心が読めたりするんですか?」

「そんな能力は持ってない。…ただの、自分の体験に基づく予想だ」

 

そして、思わず尋ねた自分の問いかけに対する三虎の答えに、さらに驚かされた。周囲の生徒たちも寝た振りをするのも忘れ、小さく息を呑む音がそこかしこから漏れ聞こえた。

 

「似たような物だよ。望まれた存在でなく、疎まれながら生きてきて、何もかもに絶望して…ある日突然、救いの手が差し伸べられた」

 

三虎はそこで言葉を切り、一拍置いて大きな溜め息をつく。

思い出したくないことを思い出した、その複雑な感情を捨て置くための動作だった。

 

「ただ俺の場合…ようやく得られた救いを喪う羽目になってな。全てに絶望する空っぽな生に逆戻りだ」

 

サオリを含めた生徒たちから、再び息を呑む音が漏れる。

似たようなもの、と三虎は語っていたが、彼は一度ならず二度までも、人生への絶望を味わわされることになっているのだ。

 

「まあそこから長い時間かけて、色々経て、ようやく気持ちに整理がついて今に至る、ってところだ」

 

寝袋の中で生徒たちは、三虎の境遇と自分たちを重ね合わせて、震えた。

すでに三虎への信頼は揺るぎなく、ついさっき食べたシチューの温かさは、今も、そしてこれから先もずっと、胸に残り続けるだろう。

 

もしそれを、奪われてしまったのなら。

今こうして、心を満たす温かさを知った私たちが、再びその温かさを奪われ、昨日までの生活に戻るようなことがあれば。

…想像するだけで恐ろしく、身体の震えが止まらなくなる。

知らぬものを耐えることは容易い。だが、一度知ってしまった今、それを奪われる苦しみは、これまで自分たちが感じてきた苦しみなど、比較にもならない痛苦になることだろう。

 

この人は、それを経験してしまったのか。

そしてそれを経験してなお立ち上がり、そして今、私たちに手を差し伸べてくれたのか。

 

そう思った途端、サオリの瞳に涙が溢れた。三虎への感謝の気持ちが、再び自分の心を温かくしてくれるのを感じた。

 

「その、差し支えなければ…どうやって気持ちに整理をつけたのか、伺ってもいいですか…?」

 

涙声にならないよう気を付けながら、三虎に再び尋ねる。今や周りの生徒たちは寝た振りを完全に止め、三虎とサオリの会話を聞く態勢に入っている。もちろん三虎は気付いているが、それには触れず、サオリの質問に答えた。

 

「俺たちの世界では、『人生のフルコース』というものがあってな。前菜(オードブル)、スープ、魚料理、肉料理、メインディッシュ、サラダ、デザート、ドリンクの8つ、自分の人生を代表するメニューを揃えるという、その人間の集大成とも言うべき献立表だ。別に一番美味しいものや高級なもので揃える必要はなく、自分の生き方やアイデンティティの形成に影響を与えたものが入るわけだが…」

 

指折り数える8つ。

口に出して教えながら、最後に三虎自身が思い出し作り出したフルコースを、自身の人生の全てを形作ったものを、頭の片隅に浮かばせていた。

 

「俺の場合は、俺を絶望の淵から救ってくれた人との思い出…食材ではないが、俺の心を満腹にしてくれた、その人との思い出のひとつひとつが、フルコースになった。それを思い返している内に、空っぽだった胃と心が満たされてな」

「…だから、空っぽなのは辛いと、仰っていたんですね」

 

ミサキを諭していた話の内容が、改めて腑に落ちる。あの時の話は、三虎の実感を伴った話だったからこそ、自分たちの胸にもすっと入ってきたのだと。

三虎と自分たちとでは境遇が違い過ぎて、絶望感の軽重は簡単には比較できるものではない。けれど互いに味わった絶望感の種類は間違いなく同じで、だからこそ三虎は、自分たちに手を差し伸べてくれた。

 

「お前たちもフルコースを探して作りだせ、なんて無茶は言わないが、ひとつでもいい。お前たちの心を満たしてくれる…そういうものが見つかったら、きっと、その不安も絶望も和らぐ。きっとな」

 

三虎がサオリの頭を優しく撫でる。

 

―――この人と出会えて、この人が来てくれて、本当に良かった。

 

これまでの人生で、神様に感謝なんて一瞬たりともしたことはなかったけれど。

その全てが、彼を導くための負債だったというならば、少しだけ…本当に少しだけ、神様とやらに感謝してやってもいい。

 

サオリも、ミサキも、アズサも、他の生徒たちも皆。

彼がアリウスに来訪した奇跡と、これから生まれ変わるであろうアリウスの未来の展望に、胸を熱くしたのだった。

 

「その手伝いなら、いくらでもしてやる。だから、今は眠れ。そして朝になったら起きて、また飯を食おう」

「はい。あ、でも…」

 

言い終えて頭を撫でる手を止め、去ろうとする三虎を、サオリが引き止める。その顔には、これから口にする言葉の恥ずかしさで、ほんのり朱がさしていた。

 

「…もう少し、三虎様のお話が聞きたいです。元の世界のこととか、アカシア様との関係とか…どんな美味しい食材があったのか、とか…」

 

そんな、サオリらしくない子供じみたお願いに、三虎は苦笑しながら応えた。

 

「聞いて面白い話のレパートリーは少ないが…いいぞ。ちゃんと寝かしつけてやるさ」

 

 

 

 

 

―――そうして、私たちが眠りにつくまで、色々な話をしてくれました。

 

けれどやっぱり一番心に残ったのは、人生のフルコースについてです。

その人のアイデンティティを構成する、人生の集大成たるメニュー。

そして三虎先生は言いました。自身を絶望から救ってくれた家族との思い出が、自分のフルコースになったのだ、と。

 

だとしたら、私たちアリウス生にとってのフルコースとは、三虎先生との思い出に他なりません。

 

前菜、『三虎先生との出会い』

アリウス学区に三虎先生がやって来た日。闇に閉ざされていたアリウスの夜明け。

 

スープ、『三虎先生のお仕置き』

マダムを一瞬で制圧し、お尻叩きでお仕置きした時の驚愕。

 

魚料理、『三虎先生の宣言』

この学校は俺がもらうという宣言、新しいアリウスの産声。

 

肉料理、『三虎先生最初の授業』

生きている限り腹は減る、だからまずは、食べることから始めようという教え。

 

メイン、『三虎先生と皆で作ったクリームシチュー』

アリウスで初めての食事会。皆で作ったシチューの、涙が零れるほどの温かさ。

 

サラダ、『三虎先生との夜の語らい』

不安で眠れない私たちを、三虎先生が思い出話で寝かしつけてくれた安らぎ。

 

デザート、『三虎先生と迎えた夜明け』

朝の陽ざしの眩さと、三虎先生が作る朝食の香り。この出会いは夢じゃなかったと実感した喜び。

 

最後にドリンクは―――実はまだ決まってません。

だって私たちは、まだ三虎先生と出会ったばかり。これからたくさん思い出を作っていくところ。

だから言うなれば―――『三虎先生と作る未来』になるのでしょうか。

 

こうして発表して、三虎先生が顔を真っ赤にして照れているのも、思い出のひとつ。

 

辛い事、苦しい事も沢山ありましたが、それを救ってくれた三虎先生と共に。

 

私たちの人生(フルコース)は希望に満ちて、これからもっと美味しくなっていくでしょう―――

 

 

 

「―――以上を持って、新生徒会長錠前サオリの就任演説に代えさせて頂きます。ご静聴ありがとうございました」

 

壇上のサオリが一礼すると同時に、万雷の拍手が巻き起こった。

最前列に居たアカシア一家とアリウス生たちは特に大きな拍手をしており、アカシア、一龍、次郎の目にも光る物が浮かび、フローゼに至っては滂沱の涙を流していた。

 

…唯一、当事者の三虎だけが、拍手をしつつも羞恥のあまり俯いていた。わずかに覗く耳はトマトのように真っ赤で、両脇に座る一龍と次郎がバンバンと背中を叩いていた。

 

今日は『元』アリウス分校が、独立した新しい学校として認可され、その開校記念として開かれた立食パーティーだ。連邦生徒会からの開校認可式から始まり、新生徒会長に就任したサオリの演説となった。認可式がパーティー形式になることも、就任演説の内容もだいぶ異端だが、それを咎めるような不心得者は誰もいない。

 

「お疲れ様、サオリ。良いスピーチだった」

「姫…アツコが添削してくれたおかげだ。こちらこそありがとう」

 

アツコが新生徒会長の初仕事をねぎらう。

当初サオリはアツコを生徒会長に推していたが、当の彼女が「ずっとマスクで顔を隠していた人間が上に立つのは相応しくない」と固辞し、アリウススクワッドを始めとする多数の推薦もあって、サオリが生徒会長に就任。アツコは園芸部を立ち上げその部長となった。すでにその顔から、ガスマスクは外れていた。

 

「すっごく恥ずかしがってるね、三虎先生。これもフルコースに入れたいぐらい」

「あ、それいいね。こっそりドリンクと差し替えちゃおうか?」

「一層三虎先生が悶絶しそうだな。けど私も賛成だ」

 

ミサキとヒヨリの悪戯っぽい会話にサオリも悪乗りする。

生徒会長に就任するにあたり、サオリはアリウススクワッドのリーダーを辞した。そしてミサキが新リーダーとなり、スクワッドに残ったヒヨリとともに、生徒会直属特殊部隊として役割も新たに再始動している。

 

「グスッ…!すごく良かったぞ、サオリ…!」

 

アカシア一家と同じように感涙するアズサの頭を優しく撫でる。

アズサには復学の話も出ていたが、すでにトリニティで新たな絆を築いていることから、サオリの薦めもあって引き続きトリニティに在籍することになった。休校から再開したばかりのトリニティと、アリウスとの復縁を担う中心的人物として期待されており、今日もナギサ、ヒフミと共に来場している。

 

そして、トリニティ総合学園の『分校』として名付けられていたアリウス分校も、独立するにあたり改名されることになった。

 

「さて三虎よ、生徒会長が立派に演説をしたんだから、お前も壇上にあがりなさい。もう一人の主役なんだから」

「ほれほれ、早く行かんか。サオリちゃんからも促してやってくれい」

「くそ、覚えておけよジジイ共…!」

 

一龍と次郎が三虎を壇上に押し上げようとする。自分を神様のように祭り上げる恥ずかしい演説の直後に壇上に登るのは、精神的拷問に近い。だがすでにアリウス生たちの期待の眼差しが一身に注がれており、逃げられないことを悟った。

 

内心の羞恥心を表情に出さないように気を付けながら壇上に登ると、先ほどのサオリの演説に注がれたのと同じくらいの万雷の拍手が巻き起こる。

その先頭は、アカシア一家だ。

 

「ただ今紹介に預かった、『アリウスグルメスクール』―――」

 

アリウス分校改め、『アリウスグルメスクール』

グルメ時代を迎えたキヴォトスの、新たな階となるべく名付けられた名前であり―――

 

「―――その生徒会組織、『アリウス美食會』の顧問を務める、三虎だ。生まれ変わるアリウスと生徒たち共々、よろしく頼む」

 

―――新たな人生を歩み始めた三虎の、第二の家族の名前であった。

 

 

 




アカシア「つまりアリウスの生徒たちは」
フローゼ「私たちの孫ということになるのでは?」
スタージュン「後輩?新入り?もしくは姪…?どれになるんだ…?」

もしアリウス生が三虎のフルコースを聞いても、「知らず知らずのうちに、三虎先生の教えを正しく受け継ぐことが出来てたんだ…!」と喜ぶぐらいには心酔してます。

アンケートは次話投稿までに締め切ります。たくさんの投票ありがとうございました。

感想お待ちしております!



(2/22追記)
すみません、家庭の事情で3連休中の投稿が出来なくなりました。
次回投稿は3月1日以降となります。

それとアンケートの方ですが、2位が急激に追い上げてきたため、現在1位と2位が同票で並んでいる状態です。次話投稿時に一票でも差がついていたら打ち切りますので、ラスト投票よろしくお願いいたします…!

どれが見たい?

  • 前菜×梅花園
  • 魚料理×セミナー+ヒマリ
  • 肉料理×シスターフッド
  • メイン×連邦生徒会+カンナ
  • デザート×陰陽部
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