前編がまだの方は、そちらからどうぞ。
アカシアがキヴォトスに現れて、間もなく2か月が経過する。
すでに美食文化はキヴォトス中に広がりを見せているが、その中心となっているのがミレニアム学区だった。
日々発見が相次ぐ新種の食材や動植物は、いずれもミレニアム学区の研究機関に運ばれ、生態や危険性、人工栽培の可否等を調査し、そのデータを反映した技術開発も盛んに行われている。そして必然的に最新の情報や技術、実際の食材が最速で出回るのが同学区内となるため、他学区や企業からの共同研究や支所の設置も多くなり、キヴォトスでも最大規模のグルメシティになりつつあるのだった。
そうしてグルメ文化の中心地となったミレニアムサイエンススクールでは、大小様々な変化が起こることになった。
「おはよう。早速だけど今朝のホームルームを始めるわ。何か報告事項はあるかしら」
例えばこうして、毎朝セミナーの全員が集まって報告し合う『ホームルーム』の時間が設けられたこともそのひとつだった。
「昨日の夕方、ミレニアム学区港湾地区内で発見された新種の食材は『モナ貝』、貝の中に詰まっているのは餡子とのことで、毒性等の危険は皆無だそうです。オデュッセイアと共同運営の海洋生物研究チームが引き取りを希望しています」
「それにかこつけて予算増額を希望するつもりでしょうね。ユウカ、配分の余地はあるかしら」
「そうですね、昨今水棲生物の新発見が相次いでいることから、多少の増額は妥当かと。一龍先生の話だと、グルメ細胞の根源となったのも深海に棲息するクラゲからだったそうですし、海洋研究には予算を割くだけの価値はあるかと思われます」
「コユキ、昨晩学区内で発生した研究機密の盗難の件は?」
「あー、C&Cから機密データ奪取したって連絡ありましたよ。で、ヴェリタスからも報告ありました。会長の予想通り、学区内の研究施設の所員が漏洩させたみたいですね」
「なら、その研究所に監査入れて、予算差っ引いて充当させておけばいいわね。ノア、手配よろしく」
「A級機密ですし仕方ない処置ですね。承知しました」
このように毎朝のホームルームでは、学区内で発生した事件や事象の報告を行うことになっている。
食材となる動植物には、一歩間違えればキヴォトス全体を揺るがす危険なものも少なくない。情報共有を密にすることでそれを防ぐ、という目的で、それまでセミナーにほとんど顔を出さなかったリオと、度重なる不祥事で除名されていたコユキを加えた4名により、危機を齎しかねない事件が発生していないかを確認し合っている。
そして、その最終判断を行うことになっているのが、今やセミナーを含めてミレニアムサイエンススクールの全てを掌握していると言っても過言ではない、グルメ研究部門の専任教授である一龍だった。
「それと一龍先生だけど、今朝はエンジニア部と特異現象研究部を訪問し、午後はグルメ食材の人工栽培研究の手伝い、加えて私の方であの人に渡す資料と相談があるから、共有スケジュールの更新状況確認しておいて。それじゃ今日もよろしく」
この場に居ない一龍の予定を共有し、リオは颯爽と去っていった。部屋の扉が閉まると同時に、残された3人が雑談を始める。
「いや~、変わりましたねぇ、会長」
「それを言うならセミナーが、でしょ。会長だけじゃなくコユキも真面目に仕事するようになったんだし」
「ユウカちゃんの言う通りですね。もしくは正しい形に戻ったと形容すべきでしょうけど…コユキちゃんがセミナーの仕事をちゃんとするようになったことを考えると、120%の状態と言うべきですね」
「二人して酷くないですか!?ていうか私の影響力+20%分だけなんですか!?」
ユウカとノアは当初コユキの復帰に難色を示していたが、一龍によって非常に強力な首輪を付けられている模様で、一龍とリオの指示には非常に従順な姿勢を見せている。ノアがその詳細をそれとなくリオに聞いたが、「コユキに同情しかねないから止めておきなさい」と視線を合わさず答えられたので、ノアもそれ以上は踏み込めなかった。
兎にも角にも、グルメ研究の進展やその成果によるキヴォトスへの最新技術の供与により、現在ミレニアム学区は好景気に沸いており、セミナーによる運営も非常に順調だ。
だが、それを素直に喜ぶ一方で、ノアの心には未だ引っかかるものがあった。
(…一龍先生によってリオ会長とコユキちゃんがセミナーに戻り、ミレニアム学区そのものの運営が健全化したのは喜ばしいことだけど…リオ会長が行っていたと思しき横領の詳細は、一龍先生の手によって完全に誤魔化されてしまいました)
リオによるミレニアムの公金横領とその使途については、アカシア来訪前からノアが独自に調べていた。相手がリオということで一筋縄ではいかず、自分が密かに調べていることを悟られないよう、地道に進めていたのだが、リオとコユキのセミナー復帰と時を同じくして、彼女が掴みかけていた横領の証拠やその調査ルートが潰されてしまっていたのだ。
ノアの『完全記憶能力』を以てすれば、調査当時の数字や内容を再現することは可能だ。しかしそれはノアが『偽造』した証拠に成り下がってしまい、説得力は皆無に等しい。
(…証拠や調査ルートの抹消は、おそらく一龍先生がリオ会長を守るためにやったこと。会長にしろ先生にしろ、『必要不可欠だから』やったことには違いないのでしょうけれど…)
結局横領した金を何に使おうとしていたのか、その概要を掴むことは出来ず、もどかしい気持ちだけが残されてしまった。聞いたところで素直に教えてくれるとは思えないし、解消するにはまたいちから調べ直さねばならないのだが―――
(―――何だか、のけ者にされてるみたいで、癪ではありますね)
以前より雰囲気は良くなったが、会長の秘密主義は依然変わらず、そこに一龍が加わったことでむしろ強固になった節すらある。
手間と時間はかかるが、もう一度調べ直して突きつけたら、もう少し胸襟を開いて接してくれるようになるだろうか。そんなことを思いながら、リオが去った後の扉を見つめるのだった。
「お疲れ様、リオちゃん。お茶淹れたけど、飲むかね?」
「…いただくわ」
午後、執務室に入ったリオを出迎えたのは一龍だ。
グルメ関連の各研究を総括し監督している一龍は、基本的にミレニアム学区内を忙しなく動き回っているが、書類仕事等がある場合は大抵リオの執務室に居ることが多いのだ。
一龍が手渡してくれた湯呑みを受け取り、それと引き換えに彼宛の資料を渡す。
「これ、この間見つけたウトナピシュティムの本船の解析結果一次報告書よ」
「お、早かったの」
「どこかの誰かさん一家が力尽くで引っ張りあげた上、力尽くで装甲剥がしてくれたもの。そこから内部機器やシステムの解析が進んだそうだけど、もう少し丁寧に扱ってくれないかしら」
「結構美味かった」
「あなたたちのその、とりあえず食べてみるって確認方法を自重してって言ってるのよ。何で未確認飛行物体の報告書の最初が味についての説明なのよ」
そんな他愛もない雑談を挟みながら資料を読み進めていた一龍だったが、ある一か所に目が留まり、瞬時に表情を険しくした。その空気の変化を感じ取ったリオも、臨戦態勢のように身構えた。
「…この、『王女』との接触によって発生する危険性と排除を推奨する旨の項目、必要かね?」
一龍の指摘に、リオが小さく息を吐いた。予想していた通りの反応だったので、準備していた回答を口に出した。
「必要よ。貴方たちの到来とグルメ細胞の流入によって、当初想定されていた危機はその方向性を大きく転じ、危険度も大幅に減衰したのは確かよ。けれどそれは、彼女の内包する危険性を低下させるものではないわ。天童アリスの覚醒が、キヴォトスを危機に陥れかねないのよ?」
『名もなき神々の王女』―――天童アリスの中に潜み、彼女を覚醒させる『鍵』となるトリガーAI「Key」。色彩の手勢として機械兵団を率い、キヴォトスを攻め滅ぼさんとする滅亡の因子。
リオがセミナーの予算を横領し要塞都市『エリドゥ』を建築してまで備えていた“キヴォトスの危機”、その一端である。
「アリスちゃんのことは、ゲーム開発部の子たちがようやっとる。知らないからこそと言えるかもしれんが、彼女を見つけたのがモモイちゃんだったのは幸運じゃった。アリスちゃんにとっても、彼女たちと過ごす日々は最良の環境じゃ。それをわざわざ脅かす真似こそ、リオちゃんの言う危険性を助長させるものになりかねん。違うかね?」
一龍の指摘通り、リオが危惧しているアリスは、現在ゲーム開発部の一員として笑顔の絶えない毎日を送っている。そんな彼女にとって幸福な環境を破壊してまで排除する必要はない、一龍はそう説得するが、リオは譲らない。
「あえてその環境から引きはがすことで、危険因子をわざと目覚めさせ、弱い内に対処する。そういう考え方も出来ると思うけど」
そんな、続けて放たれたリオの回答に、一龍の眉根がますます気難しげに寄せられた。
「流石に暴論じゃよ。それによって巻き起こる被害と反発は、リオちゃんが考えているより遥かに大きな被害を引き起こすぞ」
「…私ひとりに反発が集中する代わりに、この世界の危機を抑えることが出来るなら、それでも良いわ」
「良くない。リオちゃんの独断で排除することも、リオちゃん一人に批難が集中することも、何ひとつとして良くない。それは決して合理的な意見ではない。速いだけで稚拙な案じゃ」
稚拙、という指摘に、今度はリオの目が険しくなった。これまでの自分の人生で、一度たりとも言われたことのない言葉であり、侮辱にも等しい言葉であった。
「…稚拙、というのは聞き捨てならないわね」
「稚拙じゃよ。幼稚と言い換えても良い。人の力を借りる、人の感情を慮ることを一切無視して、自分ひとりの尽力で何でもできると思い込み、無理やり推し進めようとするのは、子供の考え方でしかない。沢山の人間の意見を聞き、思いを感じ、それら一つ一つに考えを巡らせた上で結論を出す。それが大人の考え方じゃよ」
これまで一龍の口からきいたことのない強い否定に、少なからず衝撃を受けるリオだったが、表情にはおくびにも出さず、一龍の視線を真正面から受け止め、無言で睨み返した。
少しの間睨みあった後、目を逸らしたのは一龍の方だった。ふぅ、と小さな溜め息をひとつ吐き、二人の机にそれぞれ置いてあった湯呑みを手に取り、リオの分を差し出した。
飲むよう促されたリオは素直に受け取り、一口啜る。そこでようやく、自分の喉が緊張で渇き切っていたことに気付いたのだった。
「最初に会った時に言ったじゃろ、一人で抱え込むなと。人間ひとりの手で出来ることなど限られとる。リオちゃんの場合、なまじっか何でも一人で出来てしまうために、意識しにくいじゃろうが…」
一龍は静かに語りかける。
落ち着きを取り戻したリオも、静かにその言葉に耳を傾ける。
「飯を食べるのだって、誰かが育てた食材を、誰かが作った調味料や調理器具で、誰かが編み出したレシピで調理して食べている。自分以外の誰かが居なければ、人間は飯すらまともに食えん。生きていくこともままならん」
例えば美食屋が、どんなに美味な食材を見つけたとしても、それを調理する料理人が居なければ大半の意味が失われてしまうように。
逆にどんなに腕の良い料理人が居ても、調理する食材や包丁がなければ何の意義も果たせないように。
食事も、人生も、独りきりでは決して何も為すことは出来ない。
―――かつての一龍が。
敬愛する父の悲願を唯一全て知っていながら、その達成の何にも貢献し得なかったように。
次郎やトリコのように、信頼できる料理人を得ることが出来ず、誰にも打ち明けられなかったが故に、最後まで独りきりだったが故に、父と家族のために何も為しえなかったように。
一龍という男の来歴を知る者ならば、彼が何も為し得なかったなど全面的に否定していただろう。しかし一龍自身は、自身の人生をそう自嘲し続けていたし、その内心を誰にも明かさず、明かせないでいる。
そんな思いを、目の前の前途ある少女には、決してしてほしくなかった。
「孤独になろうとするな、リオちゃん。儂ら大人は、君達子供を導くために居る」
出会った時と同じ真摯な目で、一龍がじっとリオを見つめる。
リオは、一龍のこの眼差しに弱かった。
生来彼女は合理主義の塊であり、それ故に自分の行動や感情に理由を見出すことが習慣になっていた。だから、自分が一龍の眼差しに弱い理由ははっきり理解出来ている。
一龍は、調月リオのことを真剣に思いやり、理解しようとしてくれている。
その上で、自らの挙動に非があれば指摘し、正しい方向へ導こうとしてくれている。
これまでの人生で理解者を得ることはなく、それでも構わないと孤立を選び、自分が正しいと思う道、正しいと信じる行動のもとに歩んできたリオにとって、誰よりも信じるに値する“先生”―――それが、リオにとっての一龍という存在であった。
「…分かったわ。ひとまず排除を推奨する項目については削除するわ。…けれど納得したわけじゃない。危険があると私が判断する限り、この自論は捨てないわ。それでいいかしら?」
「ああ、いいとも。リオちゃんが導き出した考えそのものを否定する気はない。いざとなれば儂の意見を無視してでも実行する、その気概は上に立つ者として必要じゃしな」
リオの譲歩を一龍は笑顔で肯定した。
頭ごなしに全否定するのではなく、自身の判断や行動の正当性など、認める部分はきちんと肯定し、賞賛してくれる。リオにとってはちょっと悔しいことに、初めて彼と会った時に感じたむず痒さと心地良さの正体がこれであり、再びその嬉しさに屈してしまう形になったのだった。
溜め息を吐きながら自席に座り直したリオだったが、一龍はそのままの体勢で、何か思案げにリオを見つめていた。
訝しげに見つめ返していたリオだったが、やがて一龍がよし、と一言口に出し、笑顔のままリオに近寄ってきた。
「な、何かしら?」
一龍のその笑顔に底知れない不気味さを覚え、思わず椅子ごと後ずさりするリオに、一龍は笑顔を崩さず言い放つ。
「うむ、リオちゃんにひとつ、課題をこなしてもらおうと思う」
明くる日のミレニアムタワー前。
今朝のホームルームを屋外で行う、というリオの不可思議な通達を受け、訝しげな表情で指定の場所にやってきたセミナーの3人は、そこで理解しがたい光景を目にすることになった。
「………えっと、何してるんですかリオ会長…?」
「………見ての通り、レモネード屋よ」
そこにあったのは、「Lio’s Lemonade」と黄色い文字の看板が目立つ、キッチンカーのようなプレハブ小屋で。
そこに居たのは、エプロンを着けて窓辺に立ち、客を待つ店員のように佇むミレニアムサイエンススクール生徒会長調月リオだった。
「………なぜ?」
「私が聞きたいわよ。というか聞いたけど教えてくれないのよ」
店頭に立つリオは憮然としていて、望んでレモネード屋をやっているわけではないことは明白だった。
ならば何故、と考えた3人だったが、すぐに思い至る。
「えっと…一龍先生ですか?」
「ええ、私への課題だとか言って、このレモネード屋で一定額稼ぎなさいって…」
「一定額ってどれぐらいなんですか?」
そう言われたリオが無言で一枚の紙を差し出し、それを一目見た瞬間、悲鳴のような声があがった。
「はぁ!?な、なんですかこの金額!?桁みっつぐらい間違ってるでしょ!?」
「これをレモネード屋一軒で稼げって言ってるんですか?何百年かかるんです!?」
ユウカとコユキが世にも恐ろしい怪物を目にしたかのような絶望的な表情を浮かべる一方、その常軌を逸した金額を見たノアは、全く異なる感想を浮かべていた。
(え、この数字ってひょっとして…会長が横領していた額…?)
そこに書かれていた金額は、ノアが推定していたリオの横領総額の最高値に近い。偶然と捉えるにはあまりに馬鹿げた金額であるし、何よりこれが一龍からリオに課された課題だというなら、この金額に意味がないはずがないのだ。
「…それに加えて、いくつか条件を付けられてるわ。一日のうち決まった時間は店頭で実際に販売することとか…レモネード作りは商品開発から販売まで全部自分でやることとか…」
「厳しいにも程がある…」
以前アリウス学区の独立に関する相談のため、ノアが三虎と話した際に聞いた、一龍が己の弟子に出すという『課題』。
その弟子の才能や力量に合わせ、熟せば確実にレベルアップ出来るが、その難易度は極悪だと、三虎が何か思い出したくないことを思い出したかのような引き攣った顔で説明していたことを思い出し、改めて三虎の表情の理由に得心がいったのだった。
「…とりあえず少しでも売上に貢献させてもらいますね。Lサイズ全員分いただけますか?」
「ありがとう…じゃなくて、ありがとうございます、少々お待ちくださいませ…」
「接客マナーも条件に入ってるんだ…」
同情したノアが、少しでも足しになればと一番大きいサイズで注文する。
形だけの接客をして、リオはレモネードを作るために背を向け―――たと思った次の瞬間には、その手に何かを持って向き直っていた。
「お待たせしました、ミレニアムレモネードです」
「…あの、リオ会長、何ですかこれ?」
「何って、レモネードだけど」
そう言って出されたのは、明らかにレモネードではない…それどころか、飲み物ではない何かだった。
「…ちょっと大きめのカプセルにしか見えないんですが?」
「カプセルだもの」
スマートフォンぐらいのサイズの箱に入った、親指サイズの黄色と白のカプセル。ひと箱に3つ入っており、それが3箱。もしかしてLサイズだからカプセル3つなのだろうか。そんな半ば現実逃避のようなことを考えるノアを余所に、リオは淡々と説明を始めた。
「正式名称は“レモネードタブレット”。このカプセルひとつに一日に必要な各栄養素を全て配合、Mサイズのタブレットが3つあれば、一日の必要摂取量をほぼ満たせるわ。この栄養素の配分を崩さないよう、レモンの風味をプラス。さらに唾液内の酵素に触れてカプセルが溶解する際に、炭酸水と同じ触感を発するよう調整してあるわ。普通の食事も摂る人であれば、栄養素の含有量がやや少なくなっているSサイズがおすすめね。MとLで含まれる栄養素の含有量に差はないけれど、Lサイズの方がレモンの風味と炭酸の触感が強くなっているわ。炭酸が強いのが苦手なら、Mサイズにしておいた方が良いわよ」
当たり前のように商品の説明をするリオに、セミナーの3人はそれぞれ天を仰いだり、頭痛を堪えるような姿を見せたりと、思い思いに落胆した様子を見せた。しかしリオは、そんな3人の姿を見ても「何故理解出来ないのかが理解出来ない」とでも言いたげな怪訝な顔を浮かべていた。
「あの、リオ会長…言いにくいんですが、その…栄養が豊富なのは分かりました。一日分の栄養をこのカプセル一杯分だけで摂取できるのは、確かに研究と時間に追われる日々を送るミレニアム生にはありがたい…ものでは、あるのですが…レモネードを買いたくてやってきた人が求めてるのは、こういうのではないんじゃないかなって…」
ユウカが正論で説くも、リオは怪訝な表情を崩さない。
「ミレニアムの学内で店を出す以上、最も求められるのはこういうものでしょう?」
「確かにニーズには合ってますが、舌に合ってないんですよ。需要とかニーズとかそれ以前の問題なんです」
「少し前ならともかく、今は美食ブームのおかげで皆ある程度舌が肥えてますからねー。これじゃ売れっこないです」
ノアと、さらにコユキまでもが、リオのずれた感性を否定する。
そもそも合理主義の塊であったリオにとって、食事とは必要量の栄養を摂取するためのものであり、手間をかけて美味しいものを作ったり食べに行ったり、という行為は、貴重な時間を無為に消費するに等しかった。というより、グルメ文化が広まりつつある今だからこそ、食事への興味・関心が高まってはいるものの、日々調査や研究に追われている者がほとんどなミレニアム生自体が、リオと同様の思想を抱いている。そこは確かにリオの指摘通りだ。
だからと言って、曲がりなりにも飲食店を営む以上、普段の凝り固まった合理主義を持ち出してしまうのはいただけない。
一龍がどこまで想定しているのかは知らないが、リオに出された課題のあまりの難易度の高さに、ノアは眩暈すら覚えてしまった。
「あの、会長…セミナーでお手伝いしましょうか…?」
「駄目よ。一龍先生からセミナーメンバーの手伝いは禁止されているの。というか、手伝いなら間に合ってるわ」
「トキさんですか?」
見かねたユウカの申し出も断られるが、3人はリオの言葉を聞いて少しだけ安心した。
リオの専属メイド兼護衛の飛鳥馬トキ。C&Cのメンバーの一人でありながら、リオの側近として様々な極秘任務にあたっている。
当初彼女の存在はリオにより隠匿されていたが、セミナーへの復帰時に面通しされたので、3人もトキのことはすでに知っていた。
「確かに店頭での販売に限ってトキの手伝いは許可されてるんだけど…一龍先生がもう一人手配してくれてるって言ってたわ。流石にこれだけじゃ厳しかろうって」
「あ、そこの優しさはあるんですね」
「失礼いたします、リオ様。お手伝いの方をお連れいたしました」
横合いからトキ当人の声が聞こえ、全員揃ってその方向へ顔を向け―――一瞬で凍りついた。
トキが連れてきたと思しき人物。
あまりにも見覚えのあるその人物。
“全知”の称号を持つ、ミレニアムサイエンススクールが誇る才媛にして、調月リオという人間を蛇蝎の如く嫌っている少女が、そこに居た。
「………一龍先生から『課題』として、この店の手伝いをするよう言われました、明星ヒマリですどうぞよろしく」
「優しさなんて欠片もなかった…!」
絶望感と悲愴感に満ちたユウカの言葉に、連れてこられたヒマリの方がキレた。もちろんその矛先はリオである。
「な!!ん!!で!!この私が!!神域の叡智と遍く才能、綺羅星の如き美貌を併せ持つ、空前絶後の完璧美少女ヒマリちゃんが、こンの汚泥と汚濁を煮詰めた腐肉女の出す店の経営を助けなきゃいけないんですか!?」
「私に言わないでくれるかしら。それとも一龍先生に物申す勇気がないから私に八つ当たり?みみっちいわね完璧美少女」
「合理突き詰めすぎて一周回って馬鹿やってる人に言われたくありませんね!!栄養剤欲しきゃ薬局行くでしょうが常識的に考えて!!この万能の天才が手伝ってあげるってんですから、五体投地して感謝を捧げてもらわなきゃ割に合わないんですが!?」
「けどヒマリ、貴女が手伝えるの、経営に関することだけでしょう?」
「………………は?」
リオの放った一言に、今度はヒマリが凍りついた。錆びついたようにゆっくりとトキの方に顔を向けると、トキはあっさりした様子で頷いてみせた。
「はい、一龍先生がリオ様に出した課題は、『レモネードを作って売ること』、ヒマリ様に出した課題は『レモネード屋の経営を軌道に乗せること』、ですので商品開発はリオ様に、店舗経営はヒマリ様に一任され、互いに干渉は不可となっています」
淡々と説明するトキと、諦念に満ちたような溜め息を吐くリオを見て、ヒマリが愕然とした面持ちになる。部外者のセミナー3名も似たような表情になっていた。
「…じゃあ何ですか?商品開発に携われない私は…この下水女の毒液製造には関与できず…あまつさえ、それを売り捌けるようにしないといけない…?」
ヒマリが震える声で問いかけ、リオとトキが軽い相槌で肯定する。次の瞬間、ヒマリは車椅子ごと真横に倒れ、ユウカとノアが慌ててそれを支えた。
「わー!倒れ込まないでくださいヒマリさん!危ないですから!」
「…ユウカ、エイミとヴェリタスの皆に伝えて…ミレニアムの永遠の輝きたるヒマリ様が失われた以上、二度とこの地に希望の日が差すことはないと…」
「でも確かにレモネードが欲しい人間にカプセルを出すのは違うわね…水に溶かすならカプセルよりも顆粒…いえそれよりもまず、溶液との比率を考えて栄養素と味成分の配分のし直しを…」
「まず本物のレモン使うところから始めていただけませんかねぇ?」
ヒマリの戯言には全く耳を貸さず、製品の改修案を考えるリオに、コユキがツッコミに回るという珍しい光景が繰り広げられるのだった。
―――そんな様子を、遥か頭上、ミレニアムタワーの天辺に腰かけながら眺める人影がひとつ。
言うまでもなく一龍だ。
眼下のレモネード屋の前で繰り広げられるやり取りを、目を細めながら見守っていた。
「相変わらず弟子に厳しいな、ジジイ」
その一龍に、背後から声をかける者が居た。
そこに居たのは、三虎―――かつての世界で一龍と敵対し、打ち破った後最期を見届けた男は、一龍の傍らに立ったまま彼と同じように眼下のレモネード屋を眺めた。
「心外じゃのう。儂は本人の適性と伸び代を鑑みて、頑張れば越せるレベルのハードルを用意しとるだけじゃよ」
「俺たちの世界でならともかく、このキヴォトスでレモネード売って都市一つ分の予算を稼ぐのを、頑張れば越せるレベルとは言わんぞ」
かつての世界であれば、ラーメン屋一軒で年間数千億稼ぐ者すら居た。それほど食に熱中していた世界ならともかく、未だグルメ文化発展途上のこのキヴォトスで、同規模の稼ぎを叩きだすのは、間違いなく至難の業だろう。
それを一龍が理解していないはずがなかった。
「調月リオと明星ヒマリ、だったか。ジジイがそこまで厳しい課題を出すってことは、相当見込みがあるようだな」
三虎の言葉に、一龍が笑顔で頷く。
「もしあの子たちが前の世界に居ったら、儂専属の秘書として第0に勧誘しとったよ。あの二人だけじゃない。早瀬ユウカ、生塩ノア、黒崎コユキ、他にもヴェリタスやエンジニア部、C&Cの皆…前の世界にこの学校があったら、IGO直轄にして無制限に予算出しておったかもしれんの」
「…それほどまでか」
予想以上の一龍の高評価に三虎が内心で舌を巻く。
かつて一龍が星のフルコース、ひいてはGODの確保のために召集し、三虎が率いる美食會の精鋭たちと激突した、当時の人間界で最精鋭たちの集団『第0ビオトープ』。グルメ界に突入するだけあって、戦闘能力もキヴォトスの住人とは比較にならない程の水準だが、決して戦闘能力は高くないリオとヒマリをそこに加えても良いと一龍自身が判断するほど、二人の才覚は抜きんでている、と断言したのだ。
しかしそれ故に、三虎は一龍がやろうとしていることに勘付き、その疑いが口をついて出た。
「…まさかとは思うが、ジジイ。お前、あの子たちのどちらかを、連邦生徒会の次期会長にしようとしてるんじゃないだろうな?」
「そんなことは考えとらん」
三虎の疑いの言葉を、一龍は即座に否定した―――わけではなかった。
「どちらかではなく、リオちゃんを会長に推そうと思っとる。ヒマリちゃんはその補佐じゃ」
三虎の予想を跳び越え、一龍はすでに狙いを定め終えていたのだ。
「…アカシア様に相談はしたのか?」
「うんにゃ。けど察してはおるじゃろうな。あまり良い顔はせんじゃろうけど」
「当たり前だ。仮にも教師が生徒の進路を勝手に決めるような真似をするな」
三虎が厳しい口調で一龍を窘める。アリウスで絶望の監獄に囚われていた生徒を救い、今正に彼女たちの将来を考え教育をしている三虎からすれば、一龍の行動は認められるものではなかった。
「あくまでプランのひとつじゃよ。備えあれば憂いなしってな。どうしても連邦生徒会長が居なくてはならなくなった時、その椅子に座るべき人間として推挙する。そのための準備じゃ」
「…居ないと拙い事態が起こり得る。そう予測しているわけか」
一龍の弁明に、思い当たるふしのあった三虎が矛を収める。いつの間にか一龍の視線は、連邦生徒会のある方角を向いていた。
「このキヴォトスという歪な世界を統べる役職として定められた『生徒会長』という職…何というか、実にわざとらしい『設定』じゃと思わんか?このキヴォトスの命運を左右する時が来たら、その生徒会長にしか果たせない何らかの役割がある―――儂はそう睨んでおる。行方不明になっている現会長とやらが再び出てきてくれるのが、一番良いんじゃがの」
ふぅ、と一龍が小さく溜め息をつく。三虎とてこの世界の歪さには気が付いている。もちろんアカシアたち他の家族もとっくに気付いているだろう。ペアがゲマトリアに属しているのも、この世界の裏側に隠されている真実を探るためだ。
「明星ヒマリではなく、調月リオを推す理由は?」
「最後の一線での決断力。最悪の事態に面しても鈍ることなく、何を選び、何を切り捨てるかを、冷徹に決めることの出来る力。リーダーとして最も求められる力は、ヒマリちゃんよりリオちゃんの方が持っている」
一龍も三虎も、そしてアカシアも、このキヴォトスに身を預けてからまだ日が浅い。この世界に潜む闇の存在には気が付いているものの、全貌の把握には程遠い。
これから自分たちが相対するものがどれほどの規模で、どれほどの強大さをもって襲い掛かってくるのか、全く想像がつかない、というのが現状だ。下手しなくとも、世界そのものが敵、ということすら充分に有り得る。そしてアカシアたちが、キヴォトスに生きる生徒たちを守る“先生”という役職に就いた以上、その強大無比な敵から彼女たちを護り抜かなくてはならないのだ。
「―――まあ、儂らがここに居る限り、そんな機会は決して訪れさせないが」
―――ざわり、と。
一龍の宣言に呼応するように、空気が唸った。
「起こり得る危機に備える。生徒たちの前途ある未来を切り拓く。これを両立し、未曽有の事態は儂らで防ぐ。そうして彼女たちの生きるべき世界と将来を護り抜く。図らずも第二の生を得ただけでなく、再び家族と食卓を共にする機会を与えてくれたこの世界へ―――儂らが出来る、最大の恩返しじゃ」
一龍の気迫溢れる言葉に、三虎もまた強く頷く。
この世界に潜む闇の正体を掴めていないのは確かだ。しかし、たかが世界のひとつやふたつ敵に回したところで、それに屈するアカシア一家ではない。
一龍も、三虎も、次郎もアカシアもフローゼも、このキヴォトスという世界に多大な恩義を感じている。
かつての世界で死別し、袂を分かち、命を奪い合った、何者にも代えがたかったはずの最愛の家族たち。皆が命を失った後、何の因果かこの世界に呼びこまれ、再開を果たした。それだけに留まらず、それぞれが“先生”として新たに絆を築き、より大きく賑やかで、楽しくて美味しい食卓を囲むに至っている。
この世界が何故自分たちを呼び寄せたのかは分からない。
だが、呼び寄せて、家族を一堂に集めてくれたその恩は、この身に変えてもこの世界を護り抜くに値する。
一龍のみならず、アカシア一家全員が共通で抱く、強い決意であった。
「ところで、ジジイが調月リオに課したレモネード屋の課題…あれにはどういう意味があるんだ?」
「単純じゃよ。他人とのコミュニケーションの経験値を積ませるためじゃ」
ふと思い浮かんだ三虎の質問に、一龍がさも当然だと言わんばかりに答える。
「能力が優れ過ぎているが故に、これまで何でも一人でこなせてきたわけじゃが…客商売となると、そう上手くはいかん。他人との関わり、人心の移り変わりや影響力を意識させ、今後のリオちゃんの行動において、他者の存在を考慮に入れるようにする。特に、リオちゃんに真正面から物申せるヒマリちゃんとの関係性は、確実に濃くしておきたい。横領額の補填はそのついでじゃな」
「ハッ、ジジイは説明ばっかり長くて困るな。もっと分かりやすく言え、『調月リオに友達を作ってほしい』とな」
「…まあ、間違ってはおらんの」
自分の考えを三虎に簡単な言葉でまとめられてしまい、やや拗ねたような口調になったことで、三虎がしてやったりと言わんばかりにニヤリと笑う。
「食を通じて絆を築き、人の未来を拡げる。これまでアカシア様が行ってこられたことと、基本は変わらんさ」
そういうと一龍は、しばらくの間腰かけていたタワーの端から立ち上がり、三虎の胸をぽんと叩いた。
「ま、今それを一番実践しとるのはお主じゃけどな、三虎」
「自覚はあるさ。まったく、何の因果なんだかな」
くつくつと、どちらともなく笑い合う。
かつての世界で反目し合った末に殺し合うに至ってしまった長兄と末弟は、その因縁をまるで感じさせない、元の仲の良い兄弟の在り方に戻っていた。
―――これもまた、一龍がこの世界に感じる、恩義のひとつであった。
「もうすぐ昼だが、飯でもどうだ。ウチの生徒が料理の練習中なんだ。味見頼む」
「お、そりゃ嬉しいのう。せっかくだしご相伴に預からせてもらうわい。次郎も誘うか?」
「いや、まだ拘留中だろあのジジイ。ヴァルキューレの生徒に普通に指導してはいるけど」
「有名無実じゃろそれ。つい数日前に次郎と柴関でラーメン食ったぞ」
「何で脱獄紛いの真似して堂々としてるんだ。ジジイもお前もルール守れ」
「…え、お主がそれ言うの…?」
「…自分でも口に出してからそう思った…」
再び二人揃って笑い合いながら、背中を並べてその場を去っていった。
後に、一龍がリオに課したこのレモネードが。
ミレニアムに通う一人の少女を救い、彼女のフルコースに入ることになるが―――それはまた、別のお話。
一龍「防衛室長のポジションになら、すぐにでも捻じ込めるんじゃがのー」
三虎「アカシア先生の許可出るまで待っとけジジイ」
主要人物5人のお話はこれで全部です。
今後は以前アンケートを取った、生徒が食事を楽しむ話がメインになっていきます。
今考えているプロットを出し切って、一旦完結として不定期更新に移行しようかと考えています。
詳しくは活動報告で。
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