シャーレの先生 アカシア   作:電シャーク

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当初予定していた連邦生徒会の食事回の前に、今話と次話の2つを投稿させていただきます。
タイトルは異なりますが、一応前後編仕立てになっています。


美食神と夢追うホルス

「やっほー、アカシア先生」

 

連邦生徒会への用事を済ませ、オフィスに戻ったアカシアを出迎えたのは、ソファに寝転がる小鳥遊ホシノだった。

机の上にはアカシアが持ち出し自由としている冷蔵庫内のお菓子やジュースが複数置いてあり、少なくとも一時間くらいはここでゴロゴロしていたのだろう、ということが伺えた。

 

「いらっしゃいホシノ。待たせてしまったようで済まないな」

『お茶いれますねー!』

「んーいいよお構いなく。今日はお礼だけ言おうと思ってきただけだからさ」

 

そんなホシノの言葉に、心当たりのないアカシアとアロナは顔を見合わせ首を傾げ合う。

 

「アビドスの借金の件だよ。アカシア先生が肩代わりしてくれたんでしょー?今朝の対策会議の時に皆で借金額確認したらさ、ものすっごい目減りしてたから、皆滅茶苦茶驚いてたよ~」

 

アビドス高等学校が巨大財閥カイザーコーポレーションに対して背負わされていた10億近い借金が、数百万円程度まで目減りしていることに気付いたのは、今朝のことだった。

5人全員で何度も見直してみたが、明らかに桁が3つは少なくなっていた。恐る恐る貸した張本人に確認したところ、苦虫を噛み潰したような声で数百万円程度まで少なくなっていることを認めたのだった。

喜びよりも当惑が勝ってしまったのも仕方のないことで、対策委員会の面々はそれぞれ銀行や関連企業を駆け回って確認作業に追われている。ホシノがシャーレを訪れたのもその一環だが、何となくアカシア絡みだという確信があったので、志願して来たというのが裏事情だ。

 

「にしても先生、そういう事には踏み込まないタイプだと思ってたのに、意外だねー」

「いや、私もそのつもりというか、各校のデリケートな部分には関わらないつもりだった。ただ、肩代わりしたと言うか、自然と目減りしていったというか……」

「ほえ?」

 

理由を探ろうとして返ってきた、珍しく煮え切らない様子のアカシアの言葉に、今度はホシノが首を傾げる。

アカシアは少し逡巡したものの、借金が減った理由については明確にした方が良いだろうと考え、話すことに決めた。

 

「…カイザーが、ここ数か月グルメ食材関連で大ポカしまくっていてな。その尻拭いの報酬を、アビドスの借金に充てさせてもらっていたんだ」

 

溜め息交じりに語り出したアカシアは、憤懣やる方ないといった様子で、常に穏やかで怒りを見せることなど滅多にない彼にしては、非常に珍しい姿であった。

 

『つい先日ですが、カイザーコーポレーションが今年度業績予想を大幅に下方修正したというニュースがありましたね。当然といえば当然ですけど』

「あー、そういえばそんなニュース聞いたような…一体何しでかしたのさ、カイザー?」

 

カイザーがろくでもない企業なのは今更言及するまでもない話だが、温厚なアカシアをここまで憤慨させる辺り、かなり性質の悪い失敗をしでかしていることを察知し、ホシノが恐る恐る先を促した。

 

「…始まりは、カイザーが密かに確保したグルメ食材を栽培し独占販売しようとしたことだった。だがその食材は、正しく生育・処理しなければ食獣植物となって暴走してしまう危険な植物でな。案の定失敗した上、異常繁殖してビル一棟丸ごと覆い尽くしてしまった。で、私に泣きついてきたので、解決してやったんだ。その報酬代わりに、アビドスの借金で利息以上に取り過ぎている件を突っついて、減額させたわけなんだが…」

 

そこで言葉を区切ったアカシアが、再び大きな溜め息をついた。

アカシアにとって、カイザーがグルメ食材に対して取る態度は、全く理解できないものであったのだ。

 

「…だがあのバカども、全く懲りなかったんだ」

 

アカシアにしては非常に珍しく、強い口調で詰ったため、ホシノが目を丸くする。アカシアの心情もそこに至る過程も知っているアロナは、同調するようにうんうんと首肯していた。

 

「根本的にグルメ食材の取り扱いを全く分かっていない上に、金儲けの道具としてしか捉えてない。食材で儲けることは決して否定しないが、食に対する敬意自体が欠けている。そのくせ扱いの難しい食材にばかり手を出して、街に被害を齎すこともしばしばだ」

 

アカシアがカイザーに苛立っている最大の理由は、カイザーが食材を“食べ物”としてではなく“金の成る木”としてしか見ていないことだ。

三虎が率いていた美食會は、扱いこそ粗末極まるものではあったが、少なくとも食材をきちんと食材として、食べるための物として見ていた。しかしカイザーは違う。食べるためではなく、金を稼ぐための物としてしか見ていないのだ。

美食こそ全ての中心な世界に生まれ育ったアカシア一家にとって、カイザーの食材の扱い方は想像の埒外であった。

 

「社外にまで被害が出てるの?」

 

あまり見たことの無いアカシアの怒りに触れ、恐る恐るホシノが尋ねる。

 

「ああ。つい最近、山海経の学区内で大規模な森林火災が発生したのを知っているか?」

「知ってる。人気の少ない学区ではあったけど、大きな山火事になったって…え、あれカイザーの仕業だったの?」

 

山海経で発生した大規模な山火事についてはホシノも知っていたが、その原因がカイザーにあることは初耳だった。少なくとも報道で耳にした覚えはないので、情報統制されたか買収されたかのどちらかだろう。

 

「仕業というか、仕出かしというか。灼熱オレンジという果物を極秘裏に栽培してたんだ」

『灼熱オレンジは、果汁に高濃度の油分が含まれているミカンでして…加えて、熱を加えれば加えるほど美味しくなるという特性もあるので、火をつけて燃やす必要があるのですが、その過程で抑え込めないレベルで延焼してしまったみたいなんです…』

 

アロナがグルメ食材の説明を踏まえて、火事の原因を話す。アロナもアカシアと同じく、カイザーの手抜かりに呆れかえっている様子だった。

 

「火事がクロノスの報道に上がってから相談してきたものだから、しこたま叱りつけたよ。次郎と二人がかりで鎮火させた後、山海経に事実をありのまま伝えて、賠償金の一部をアビドスの借金に充ててもらうことを条件に、交渉をキサキに一任した」

「うへぇ、そりゃカイザーご愁傷様だねぇ。アカシア先生が交渉の場に立ってくれたら、手心も加えてくれたろうにさ」

 

自分たちの御膝元で勝手に危険な食材を栽培していた上に、山火事を引き起こして実害を与えているとなれば、玄龍門は腸が煮えくり返る思いであることは想像に難くない。日頃カイザーの横暴に苦しめられているアビドス生の一員としては、火事の被害にあった山海経には申し訳ないが、胸がすくような気持ちになった。

 

「ご立腹といえば、セミナーの皆も怒髪天だったな」

「ミレニアムも怒らせてるの!?」

 

だが山海経以外も怒らせているとなると、そんな爽快感も吹き飛んだ。ましてやキヴォトス三大学校の一角で、かつ現在のグルメ文化を牽引するミレニアムの首脳部を怒らせたとあれば、経済戦争も同然の大事だ。

 

「ああ、こっちは灼熱オレンジの件以上に酷い。メテオガーリックの栽培失敗なぞ、我々の世界だったらグルメ刑務所送りになってもおかしくないレベルだ

 

アカシアの憮然とした口調と、刑務所送りという強烈な例えで、とてつもなく大きな失敗を仕出かしたのだということが嫌でもホシノに伝わってきた。

 

「どこからか手に入れたメテオガーリックの種子を、これまた密かに栽培していたようなのだが…そもそもメテオガーリックは、成長過程で土壌の栄養を極限まで吸収する植物だ。それこそクレーターのように根こそぎな。知らなかったのかどうなのかは分からんが…」

3学区に渡って丸ごと土地が枯死しかけましたもんね。一龍先生が早い段階で気付いてくれて助かりました』

「それでも隠蔽していた学区内の雑木林や街路樹が軒並み枯れ果てたからなぁ。特に隠蔽地近くの公園なんて、丸ごと砂場同然になったんだぞ?」

 

想像を遥かに超える被害に、ホシノも頭を抱えた。一龍が居なければミレニアムにアビドス砂漠の飛び地が出来るところだったのだ。

 

「一龍が気付いて対処して、後はセミナーの独壇場だ。コユキがカイザーのセキュリティを易々と破って、栽培に関する極秘事項を丸ごと入手し、ユウカが被害額を厘単位で算定、ノアがカイザー側の誤魔化しを一切許さず論破し尽くし、リオが合理的に淡々と、容赦なく追い詰めて、最後はセミナー側の要求を全面的に呑む形で終わったな」

 

要するに一龍含めセミナー総出で賠償金を絞り尽くした、ということだ。自分たちの居住区が草木の一本も生えない砂地と化すことの恐ろしさは、アビドスの生徒が一番よく知っている。そんなものを人為的に引き起こそうとしたなら、セミナーが徹底的に糾弾するのも当然だし、刑務所送りにされるのも納得だ。

 

しかしそんな、アビドス生には割と興味をひくニュースにも関わらず、ホシノ自身はミレニアムでそんな事件が起こったことは初耳だった。対策委員会でもそんな話題が出た覚えはないので、一般の報道には乗っていない―――すなわち、情報規制がされたと考えるのが自然だろう。

 

だがそんな山火事にも匹敵するであろうニュースが何故―――と考えたところで、ホシノは思い至った。

一か月ほど前にカイザーのせいで発生した、キヴォトス史に残る最悪の事件を。

 

「…ただ、一番最悪だったのは…何と言っても、ドドリアンボムの一件でしたよね…」

「…あれは本当に酷かった。私たちがキヴォトスに来てから断トツで酷い事件だった」

「…流石にそれはおじさんも知ってるよ。思い出すだけであの臭いが脳裏に蘇るよ…」

 

アロナがその食材の名前を出した途端、3人がゲンナリし切った渋面に変わった。ホシノに至っては本当に吐き気を催したらしく、口を手で押さえていた。

 

ドドリアンボム―――アカシア一家の居た世界において、最も臭いと言われた果実。

戦時中には兵器としてすら使用されたというその禁断の果実は、何の因果かキヴォトスに迷い込み生え育ち、その猛威を存分に振るったのだった。

 

「キヴォトス全域で悪臭被害が報告されたな。下水道が吐瀉物で詰まったとも聞いたよ」

『病院への搬送車数が、トリニティ崩壊事件を超えたんですよね。特にレッドウィンターは、積もった雪にニオイが染み込んで地獄のような有様になったって…』

「ノノミちゃんもお気に入りの服にニオイが染みついて捨てるしかなくなったって泣いてたし、シロコちゃんもサイクリング中に悪臭をもろに浴びて、走りながら吐いたってさ…」

 

口々に被害を話し合うが、実際にはさらに甚大な被害がキヴォトス各地で発生している。

河川や港では魚が大量死し、アリウスやトリニティでは花壇の花が悉く枯れ果てた。運転中に悪臭に見舞われたハイランダー生が操作を誤り大事故になりかけ、ワイルドハント芸術学院では生徒の手元が狂ったり嘔吐したりで、製作中の作品のほとんどがゴミ捨て場送りになってしまった。

キヴォトス中のガス検知器が一斉に反応したため、一時は大規模なガス漏れ事故が疑われた。それによりあちこちでガスマスクの奪い合いによる暴力沙汰が発生。

体調不良者の大量発生と衛生環境の急速な悪化、それに伴う治安の低下が併発し、キヴォトス崩壊の危機とさえ嘯かれたのだった。

 

そんな中さらに事態を悪くしたのが、発生地点と原因の特定だった。

 

「よりによってゲヘナ学区でやらかしたっていうのが、カイザーの最大の失敗だったな」

『運悪くフローゼ先生が、レッドウィンターへ出張食堂しに行ってたタイミングでしたもんね…おかげで悪臭雪の除去は手早く行われたみたいですが…』

 

ゲヘナ学区内の秘密シェルターでドドリアンボムを栽培していたカイザーだったが、実が熟するにつれて強烈になっていく臭いに手が付けられなくなり、ついに焼却処分を決意した。

だが、その際ニオイから身を守ろうと何重もの防護服で身を包んでいたのが仇となった。

 

防護服を着込んだカイザー社員の手が触れた瞬間、果実が爆発。

さらに焼却用の燃料に引火してシェルターごと吹き飛ばした結果、ドドリアンボムの悪臭を盛大に撒き散らしたのだった。

 

そして万魔殿が素早くカイザーの仕業であることを看破し、ゲヘナ中に報道。

激烈な悪臭に苦しめられたゲヘナ生の怒りが何処へ向かったのか、言うまでもなかった。

 

「カイザーのゲヘナ支社や関連企業に、ゲヘナ生やヘルメット団、合計数千人余りがカチコミかけたって、連日ニュースでやってたなぁ」

「私が駆け付けた時には、支社ビルは原型留めてなかったよ。その足でカイザー本社ビルも襲撃しようとしてて、興奮状態で話を全く聞いてくれなかったから、仕方なく力尽くで止めさせてもらった」

『その騒ぎのせいで悪臭はカイザーのせいだってキヴォトス中に広まって、他学区でもカイザー支社への襲撃事件が相次ぎましたね…』

 

間もなく一か月が経過する現在、襲撃こそ落ち着いているものの、カイザーへの批判の声は留まるところを知らない。連日本社前でデモを繰り広げるレッドウィンター工務部の面々に、有形無形の支援が止まないほどに、今のカイザーはキヴォトス中の嫌悪の的になっている。

 

「そういえば風紀委員はどうしてたのさ?」

「悪臭で半分がダウン、残りのさらに半分が出動拒否。ヴァルキューレと連携はしたものの、流石のヒナも手が回らなくてな…」

『悪臭漂う中暴徒の鎮圧に追われて、ヒナさん半泣きでしたね…』

 

正確には半泣きではなく、全部終わって戻った後フローゼに慰められてボロ泣きだったことは、フローゼとアカシアだけの秘密だ。

 

ヒナですらそんな弱り切った状態になってしまうくらいなので、風紀委員やヴァルキューレを始めとする数々の治安維持組織も、悉く反カイザーの姿勢を示し、ここぞとばかりに不義不正の数々を糾弾し始めた。あまりの事態の大きさと突発性により、連邦生徒会やヴァルキューレ上層部で日頃から親カイザー派であった者達は皆大きく発言力、影響力を落とし、カンナら現場担当が主導権を有するまでになっていた。

 

「結局、カイザーは関連企業含めゲヘナ学区から完全撤退。関連銘柄は連日軒並みストップ安を記録し、株価は暴落。賠償金や修繕費で負担も赤字も青天井…さすがに死体に鞭打つ気分になったので、この件での我々への報酬は全額アビドスの借金に充てるよう伝えた」

「あ、それで賠償金以上に減額されてたんだ…」

「というかメテオガーリックの一件以降、向こうが勝手にアビドスの借金に充て始めた。だがそれで勝手に納得されて話を進められるのも癪だから、損害賠償云々については各校の上層部に全面的に任せ、一切間に立たないことにしたんだ。山海経の灼熱オレンジの件もそれだよ」

 

アヤネがどう計算しても賠償金以上に減額されてる、と混乱していたのを思い出したホシノだったが、どうやら良い報告が出来そうだ、とほくそ笑む。

そもそもカイザーがアビドスに多額の借金を背負わせていた理由が、アビドス学区内に隠されていたウトナピシュティムの本船を探り当てるためだったのだ。しかし当の船はアカシア一家に先に見つけられてしまったため、カイザーがアビドスに固執する理由はほぼ無くなっている。

 

しくじりにしくじりを重ねてしまったカイザーは、青息吐息の状態であった。

ミレニアム学区の砂漠化未遂の件が秘匿されたのも、市民や生徒からのこれ以上の反発と暴動の発生を避けるための措置だったのだろう。

 

「グルメ食材は総じて繊細だ。合理性や効率性といった人間の尺度では決して測り得ないものばかりだ。それこそ、大海原をヨットで駆けるように、大自然を相手にする気持ちで向き直らないといけない。そもそも食材とは、大自然の結晶でもあるのだからな」

 

アカシアの教え諭す言葉を、ホシノは襟を正して聞き入る。

アカシアの教えは、彼が全人類と囲む食卓という大きな理想を掲げる上で、第一の基本としてきた心構えであり、美食屋として在るべき姿そのものだ。

キヴォトスでも有数の実力者、高い実力を持つ美食屋として独り立ちしつつあるホシノにとって、その究極たる美食神アカシアからの教えは、百の経験にも勝る金言になるだろう。

 

「強大な大自然に折れることなく立ち向かいながら、与えられる自然の恵みに感謝を捧げ、己の血肉として大切に食する。この姿勢を崩さず保つことが、食運を身に付けることにも繋がる。今後ホシノがより捕獲レベルの高い食材を目指していくつもりなら、それだけは覚えておくように」

 

そんな、アカシアの含蓄ある言葉を聞いた、ホシノは。

 

「…それを身に付けて、アカシア先生の言うグルメ界に入れたなら、さ」

 

以前から彼に尋ね続け、そしてはぐらかされ続けている質問が、今日もまた、口をついて出た。

 

「死んだ人と再会できる食材にも、巡り会えるのかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの帰り道を、ホシノはひとり歩く。

シャーレで軽食をごちそうになり、満腹になったお腹を抱えてアビドスに戻りながら、アカシアの言葉が頭のなかで反芻していた。

 

『こちらの世界でどうかは分からないが、我々の世界に『死者と会話が出来るようになる』食材があったことは確かだ』

 

『だがその食材は、地獄と称される程の激烈な大自然が待ち受けるグルメ界の中でも、特に厳しい環境と強大な猛獣、そして生と死の極々小さな狭間を縫って進まねばならないような、恐ろしく難解な採取条件が待ち構える、星のフルコースの一角だ』

 

『もしキヴォトスに同じ食材があったとしても、きっと捕獲難易度は大差ないだろう』

 

『少なくとも、一龍や次郎、三虎と肩を並べられるぐらいに強くなくては、話にならない』

 

『本気でそれを求めるつもりなら、茨の道になることは覚悟してくれ』

 

その後の食事でうやむやになったが、話している最中のアカシアの真剣な表情と、重苦しい空気が忘れられない。

困難な道だと理解していたつもりだが、改めて明確なハードルを突きつけられると、心が折れそうになってしまう。あの3人と同等の実力を得るより、ユメ先輩の死の真相を探り当てる方が遥かに楽なのは間違いないだろう。

 

だがそれでも、諦めきれない。

大好きだったあの人に。唐突に途切れてしまった彼女との絆に。もう一度触れることが出来るのならば、それが一秒に満たない刹那であろうとも、そこに至るまでの人生の全てを費やすだけの価値がある―――そう信じている。

 

だが同時に、今のアビドスで共に過ごす仲間たちの顔が思い浮かぶ。

先輩をもう一度追い求めることは、今自分を慕ってくれている後輩たちを蔑ろにすることにならないだろうか。

先輩と再び出会う一瞬は、後輩たちと過ごす長い未来を擲ってでも得るべきものなのか。

 

答えは出ない。

出して良いものなのかどうかも分からない。

 

気付けばホシノは駆け出していた。

今のアビドスで自分の帰りを待ってくれている後輩たちに会うために。重く深く絡み付く呪縛にも似た懊悩から逃げるように。

これから自分が下す決断が、どちらかを切り捨てることになってしまうのではないか―――そんな不安を、振り払うように。

 

 

 

―――駆け出しながら、ふと、今日の会話の中で感じた違和感を思い出す。

 

(…カイザーが生育難易度の高いグルメ食材を密かに栽培しようとしたことは確かだけど…)

 

今回カイザーが栽培しようと手を出して失敗した、灼熱オレンジ、メテオガーリック、ドドリアンボム。ひょっとしたら他にもあるかもしれない。だが今回の騒動の顛末を聞く限り、カイザーはろくな食材の扱い方をしていない。

食材の方から人に寄ってくる、と常日頃からアカシアは口にしている。それならば、食材の扱いが雑なカイザーに、食材が寄ってくるとは到底思えない。食運もそれ相応に低いはずだ。

 

(そんなカイザーが、どうやってそんな貴重なグルメ食材と巡り会えたんだろう…?)

 

 

 

 

 

 




カイザーが希少食材を手に入れられた理由は次話で。明日投稿いたします。
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