シャーレの先生 アカシア   作:電シャーク

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大変お待たせいたしました。
給食部、というよりフウカメイン回です。


給食部部長の『サラダ』

「あれ…?」

 

愛清フウカがそれに気付いたのは偶然だった―――と思う。

給食部の食材買い出しのため馴染みの店に行き、店裏の倉庫で領収書を準備する店主とジュリを待っていたところ、出入り口近くに「廃棄」と貼られた段ボール箱がぽつんと置いてあるのを見つけたのだ。

 

吸い寄せられるように段ボール箱のもとに向かったフウカは、躊躇なく蓋を開けた。

 

「…キャベツ?」

 

そこに入っていたのは、一見何の変哲もないキャベツだ。

廃棄とされていたが、痛んでいる様子は見られない。むしろ青々としていて、新鮮さが見ているだけで伝わってきそうな、瑞々しいキャベツだった。

 

「部長、お待たせしました!領収書いただきましたし食材の積み込みも終わったので…部長?」

 

片手に領収書を持って戻ってきたジュリが、段ボール箱の中身をしげしげと眺めるフウカを見咎め、訝しげに声をかける。

ジュリにちょっと待ってて、と声をかけ、フウカは見送りのつもりでやってきた店主に尋ねた。

 

「ねえ、この段ボール箱のキャベツって、どうしたの?廃棄って書かれてるけど、捨てなきゃいけないような状態には見えないわよ?」

 

店主はフウカの疑問に、ああそれか、と困り果てたような溜め息を吐いた。

 

「いやあそれがなあ、見た目じゃ分からんけど、傷んでるんだよそのキャベツ」

 

店主が後頭部を掻きながら言うが、今来たばかりのジュリの目から見ても、店主が言うように傷んでいるようには到底見えず、二人揃って首を傾げるばかりだ。

 

「懇意にしてる農家から『綺麗なキャベツが採れた』っつってもらったんだが、いざ食べてみたらヒデェ味なんだよ。見た目は確かに綺麗だから騙されるけど、食えたもんじゃねえ。店頭に並べる前でよかったよ、全く…」

 

騙された、と憤懣やる方ない様子で再び溜め息を吐く店主だったが、その説明を受けてもフウカの顔に納得の色が浮かんだ様子はない。

 

「食べてみたらって、どうやって食べたの?」

「そりゃあ…包丁で四等分して、ざっくりと乱切りに…」

 

さらに突っ込んで聞いてくるフウカにたじろぎながら店主が答えると、フウカは考え込む素振りを見せる。

一体何が気になっているのか、とジュリが問い質そうとしたが、その直前にフウカがぱっと顔を上げた。

 

「このキャベツ、貰っていいかしら?もちろんお金は別で払うわ」

 

フウカが真っ直ぐな眼差しで店主に頼む。

乞われた店主は、いいぞ、と拍子抜けするほどあっさりその頼みを受け入れた。

 

「どうせ廃棄する品だ。タダで持ってきな。何か分かったら教えてくれ」

 

まだあるから持ってくる、と言ってその場を去った店主に、フウカは身体を直角に曲げてお礼を言った。

 

「部長、もしかして…」

 

ジュリもようやく思い当たるふしに気付き、身体を上げたフウカは小さく頷きを返した。

 

「うん。このキャベツ、グルメ食材だと思う」

 

 

 

「フウカちゃんの見立て通りよ。これはグルメ食材の『エナメルキャベツ』―――特殊調理食材よ

 

給食部に戻り開口一番フローゼに尋ね、実物を見せたところ、フウカの予想通りの答えが返ってきた。

居合わせたルミもアキラも、興味深そうにキャベツを見ている。

 

「やっぱりそうだったんですね…どう調理するものなんですか?」

 

フウカの当然の疑問に、フローゼがキャベツを一玉持って厨房に向かおうとしたが、その手がキャベツに触れる前に止まった。そしてゆっくりと手を引きながら、首だけフウカの方に向け、問いかける。

 

「…フウカちゃんがこれを見つけたのよね?行きつけの八百屋の倉庫の片隅で、捨てられそうになっていたこのキャベツを?」

「は、はい…そうです、けど…」

 

普段のフローゼとは異なる、見定めるような鋭い眼差しに、首肯しながらもたじろぐ。

そして、フウカのその答えを聞いたフローゼは、力強い頷きと共に宣言した。

 

「よし、フウカちゃん。試験よ」

 

試験。

いつも昼の賄い代わりに、フローゼが指定する料理を作り講評してもらっているそれとは明らかに異なる、その力強い口調に、宣告されたフウカのみならず、ジュリ、ルミ、アキラも目を丸くする。

 

「し、試験…!?」

「ええ。それもいつもの、指定の料理を作って品評する試験とは違う…現段階でのフウカちゃんの実力を見定める、いわば段位認定試験になるわ」

 

段位認定試験、という言葉に、全員が絶句した。

 

そも、普段の指導に関して、フローゼは差を設けることはしていない。一番弟子のフウカに対しても、毎週末に開いている料理教室に訪れる一般人に対しても、教え方と教える内容について然程差はないのである。差があるとすれば講評時の厳しさくらいのもので、それについてもフウカ、ルミ、アキラの三弟子の間ではほぼ同程度と言って差し支えない。

 

そのフローゼが、わざわざ“段位”と口にするということは、料理人として明確に差がつく、と断言しているに等しい。

グルメ細胞の成長に“壁”があるように、料理人として一つ高みへ昇るための試練であるということなのだ。

 

「内容は簡単。このキャベツの正しい調理法を見つけて、料理してちょうだい」

 

そんな部員たちの動揺などお構いなしに、フローゼが課題を告げる。

しかし、言葉にしたのはそれだけだった。

 

「えっ、と…その、ヒント…とかは…?」

 

調理に何らかの条件が必要な特殊調理食材ということは明らかになっているが、それが何なのか全く掴めていない。

フウカが縋るように問いかけるが、予想通りフローゼは首を横に振り拒絶した。

 

「フウカちゃん。食材について、私がいつも言っていることを覚えてる?」

 

フローゼがフウカに問いかける。その視線はいつもの優しさに満ちたものとは異なり、師匠としての厳格さを孕んだ、見定めるような視線であった。

 

「は、はい。料理人が食材を選ぶのではなく、食材が料理人を選ぶ…私たちは食材の声と信頼に応え、腕を振るうのだと…」

 

フウカもルミもアキラも、フローゼの弟子となって最初に教わったのがこれだ。

最初にそう教えられた時はイマイチ理解が及ばなかったその概念だが、フローゼの指導を受け彼女の調理を間近で見ることを重ねるうちに、食材に選ばれる、というのがどういうことか、感じ取ることが出来てきた。

 

そして振り返ってみると、このキャベツとの出会いは正にフローゼの教え通りだった。

 

「このキャベツがフウカちゃんの許に来たのは、フウカちゃんを選んだからだと、私は思うわ。そしてフウカちゃんには、その子を調理できるだけの技術はすでに身についていると、私は信じてる。―――やれるわね?」

 

フローゼの第一の教えと、自身の出会い。

その二つがフウカの心の中で噛み合い、光を差し込む。

 

―――師匠たるフローゼの座す、料理人の頂。そこに至るための登山道を照らす光を。

 

「―――はい、やってみせます!」

 

 

 

「にしても、傍から見たら本当に普通のキャベツよね、それ」

 

厨房に入り、改めてキャベツを前にしたフウカを、他の部員たちが取り囲んでいる。

 

「とりあえずまずは、八百屋のおじさんと同じよう、に―――」

 

まずは店主と同様、ざっくりと切り分けようと包丁を握ったフウカだったが、キャベツに包丁を添えた瞬間、凍りついたように動かなくなった。ジュリたちが不審げに見つめるも、じっと包丁とキャベツを見つめたまま動かず、そのまま数十秒が経過したところで、キャベツから包丁を遠ざけた。

 

「―――うん、違う。こうじゃない」

 

そう呟くフウカに、ジュリたちが揃って首を傾げる。

 

「包丁を当てた瞬間、『ここじゃない』って直感が…ううん、確信が走ったの。このまま真っ二つにしたらいけない―――しないでくれ、って声が、脳裏をよぎった」

 

自身の内に走った託宣の如き直感を、おぼつかないながらも言葉にする。まるで沸騰するやかんに触れようとしていたかのように、このまま包丁を入れてはいけないと、、

 

「それって、『食材の声』ですよね?聞こえたんですか?」

 

たぶん、とフウカが首肯する。

食材の声を聴く―――これも、フローゼが日々口にしている事だ。これまで言葉としてしか捉えていなかったフローゼの教えが、今確かな実感を伴ってフウカの全身を駆け巡っている。

しかし同時に、この感覚が未熟極まりないものだとも感じている。真に食材の声を正しく聞くことが出来るならば、このキャベツの調理法だって難なく悟ることが出来ているはずだ。

 

このエナメルキャベツは、正しく“関門”だ。

 

フローゼやその家族たちが座す、食の世界の遥かなる頂。その登山口に今一歩目を踏み入れようとしているのだと思えば、これを“認定試験”と呼ぶのは至極当然の話だと、そう思えてならなかった。

 

「でも切っちゃいけないってなったら、どうするの?一枚ずつめくっていくとか?」

 

ルミが疑問を呈すると、フウカが首を横に振った。

 

「さっき聞こえてきたのは、『ここじゃない』って声だった。つまり『切るところが違う』ってことだと思う。だとしたら…」

 

手に持った包丁を、真ん中から端に向けて滑らせていく。真ん中に触れていた時に背筋に走り続けていた強烈な違和感が、急速に薄れていくのを感じた。

 

千切り、が正しい切り方なんじゃないかな」

 

包丁を添えたのは、キャベツに触れるか触れないかギリギリの一番端っこだった。

違和感はない。千切りで間違いない。その確信を持って、包丁をキャベツの身に食い込ませた。

一度、二度と慣れた手つきで千切りにするフウカだったが、五回ほど切ったところで再びその手が止まった。ルミがフウカの顔を覗き込むと、最初と同じ難しい顔をしていた。

 

「どうしたの?そこも違った?」

「うん、何か間違えちゃった気がする…」

 

フウカが少し沈んだ声でルミの指摘を認め、自分が切った千切りキャベツをつまみ、口に放り込んだ。

 

「う゛ぇ、苦い…」

 

舌に走った強烈な苦味に顔が大きく歪む。店主が傷んでいると言ったのも頷くしかない味だ。

 

「やっぱり千切りでもなかったのでしょうか?」

「ううん、アプローチは合ってたと思う。多分千切りで正解。…けど、何か別の条件があるんだ」

 

ジュリが差し出した水を飲みながら、端っこだけ切り取られたキャベツを睨む。気のせいか、初めに置かれていた時の綺麗な青々しさも失われているようだった。

ひとまず残ったキャベツも全て千切りにするが、やはり手応えは全くない。他の部員たちも千切りキャベツを口に入れるが、フウカ同様大きく顔を歪めた。

 

「うーん、確かにこれは傷んでるとしか思えない味だわ…」

「えぐみが凄いですね…これじゃお客さんに出すわけにもいかないです…」

「けど勿体ないし、塩と砂糖で揉みこめば誤魔化せるでしょうか…?」

 

フウカも再び千切りを口にし、苦味を堪えながら噛み締めていた―――が。

 

(あれ、何か今の…ちょっと味が違った…?)

 

一瞬それまでの苦味とは異なる味が顔を出した気がして、再び舌で転がすが、やはり強烈な苦味しか残らない。もう一つまみ食べてみたが結果は同じだった。

 

気のせいか、と落胆し二つ目のキャベツを切り始めるが、再び数回ほどで失敗を確信し、手が止まってしまった。

 

「うーん、これもダメね…千切りで間違いないはずなんだけど…」

「一応私たちももう一回食べてみるわね…うーん、やっぱり苦…」

 

方法は間違っていない、そう確信している。だが、隠されている条件が見えてこない。このまま続けてもただキャベツを無駄にするだけで、何の進展も得られることはないだろう。

何か変化をつけるべきか、しかし何をどう変化させるべきか。

考えあぐねるフウカだったが、再び千切りを口に入れたジュリの不思議そうな声が耳朶を打った。

 

「…あれ?今何か…?」

「どうしたのジュリ?」

「いえ、今食べた千切りキャベツの欠片、苦いのは苦かったんですが…他のよりだいぶマシな味に感じたので…」

「!やっぱり!?」

 

やはり先ほどの感覚は気のせいじゃなかった、そう理解したフウカは、自分が作った千切りを一面に広げ、一本一本に目を配っていく。

 

「―――これだ」

 

そうして視線を滑らせていくと、周囲の千切りとは雰囲気の異なる一本を見つけた。探していくうちに、同じく雰囲気の異なるものが数本見つけ、ジュリたちに一本ずつ手渡す。

 

「あれ、あんまり苦くない…?」

「というか普通の…いえ、普通のキャベツより美味しい気がします。苦味と甘味のバランスがあって…」

「歯応えもいいわね。さっきのは明らかにしんなりしてたけど、これはちゃんと固さがあるわ」

 

恐る恐る口に運んだ面々の顔が、予想だにしない味への驚きに染まる。

それと同時にフウカは、このキャベツの千切りを成功させるための確かな鍵を見出した。

 

「ジュリ、何か長さ測れるもの持ってきて!1ミリ以下の長さを測れるようなやつ!」

 

フウカの指示を受けて、ジュリが電子メジャーを持ってくる。受け取ったフウカは雰囲気の異なる一本と、それと似通っているが何も感じられない数本を並べ、ひとつひとつ計測していく。

 

「1ミリはダメ、0.5、0.6、0.7もダメ…0.9もダメ…」

 

自分が食べたものやジュリたちに渡したものを見る限り、千切りにした時の長さや厚みは味に関わりがない。となれば残るのは、千切りにした時の“太さ”のみ。

0.1ミリずつ慎重に、時に端を齧って味を見ながら、キャベツの旨味が保たれる“太さ”を探っていく。

 

「0.8ミリ…この太さの時だけ、明らかに味が保たれている…!」

 

そして、見つかった。

傍目には全く同じ太さのそれが、内側に蓄えた旨味を失うことなく保たれる、わずか0.1ミリの境界線を。

 

「ということは、このキャベツは…」

「そう、0.8ミリピッタリの幅で切らないと、旨味が逃げてしまう特殊調理食材…!

 

自信をもって口にしたフウカだったが、即座に小さく首を振り、自身の言動を否定した。

 

「ううん、それも正確じゃない。0.8ミリ幅で均一に、一玉丸ごと千切りにした時、このキャベツは真の美味しさを発揮するんだ…!

 

続く言葉は、自信ではなく確信に満ちたものだった。

先ほどフウカたちが口にした苦味の少ないキャベツは、偶然0.8ミリちょうどに切られていたものだった。しかし失敗したまま千切りを続けたその途中で生じた偶然の産物でしかない。完全に旨味を損なわないためには、最初から最後まで0.8ミリ幅で切り続けなければならないのだ。

完全に手さぐり状態で始まった“試験”だったが、確かなゴールが見えたことに、フウカとそれを見守る部員たちの間にも安堵が広がった。

 

「一玉丸ごとって、20センチはあるこのキャベツを、全部全く同じ幅で千切りにし続けないといけない、ってことですか…?」

 

しかしその調理方法を聞いたジュリが、恐る恐る口にした事実に、再びフウカたちの心が不安に曇る。

ジュリが言うように、手に入れたエナメルキャベツはどれも20センチを超える大玉ばかりだ。これを0.8ミリ幅で切り揃えるということは、少なくとも250回、0.1ミリのずれもなく、機械のように包丁の刃を入れ続けなければならない、ということだ。それがどれ程の集中力を必要とし、そして維持し続けなければならない精密作業であるかは、想像に難くない。

 

「…フローゼ先生が私にこのキャベツを任せてくれたのは、私なら正しく調理できると信頼してくれたから。そしてこのキャベツが私の手元にあるのは、食材が私を選んでくれたからだ」

 

まるで自分に言い聞かせるように唱える。

食材が料理人を選ぶ―――フローゼに教えを仰ぐようになったその日から、毎日のように言い聞かせられてきた、彼女の弟子として基本中の基本となる心構えだ。

その心構えが今日、はっきりと目の前に現れた。

キヴォトスに数多ある八百屋の中で、自分が行きつけにしている八百屋に現れ、そして自分の手に納まった。自分を正しく調理してくれる料理人がここに来ると信じて。

 

そしてフローゼもまた、このキャベツが自分を選んでくれたという事実と、自分が培ってきた調理技術を信じてくれた。

 

「その信頼に応えなきゃ、端くれとはいえ料理人の名が廃るってもんでしょ…!」

 

これを運命と言わずして何と言うのか。

このキャベツが自分を選んでくれたのだと、フローゼが自分を信じて託してくれたのだと信じずして、料理人として何を信じろと言うのだろうか。

 

決意を新たに、フウカは改めて包丁を握り、エナメルキャベツに向き直る。

 

「っ、ダメだ、ずれた…!もう一回!」

 

条件は把握できたが、その条件通りに千切りに出来るかは別問題だ。一回一回計測しながら切っていくわけにもいかず、ただフウカの手先の感覚のみで、0.8ミリジャストを見極め、切り続けなければならない。当然至難の業だ。

 

慎重に切り続けること二時間。

三個、四個と千切りに失敗したキャベツが積み重なっていく。

 

いつまでに完成を、という具体的な期間をフローゼは明示していない。つまり、出来るまで待ってくれるということだ。だが、だからといって悠長に構えていいわけではない。それは自分を選んでくれた食材に不誠実だろう。

…しかし、切り方は分かっているのにちゃんと切れない、という事実がフウカの心を蝕む。旨味を損なわせてしまったキャベツが積み上がる度、自分を選んでくれた食材の声に応えられなかったという痛みが走る。

 

五個、六個。段ボール箱のキャベツが少なくなっていくと共に、フウカの心に焦りが生じていく。

 

切らなきゃ、調理しなきゃ(きらなきゃ)美味しくしなきゃ(きらなきゃ)食材の声に応えなきゃ(きらなきゃ)

 

ぐるぐると廻りまとまらない思考の中、フウカは包丁を握る手に力を込めて―――

 

 

 

「―――力んじゃだめよ、フウカちゃん」

 

 

 

フローゼの温かい手と、優しい声が、フウカを包む。

 

フローゼの手は包丁を握るフウカの手を優しく撫で、無意味に込められた力をすっと解き、混迷の坩堝にあったフウカの心を解きほぐしていく。

 

「焦らなくていいの。ゆっくりと息を吐いて、吸って、落ち着いて―――そして、耳を澄ませて、目を開いて」

 

フローゼの言葉に従い、深呼吸を2回。

無意味な焦りに突き動かされていたフウカの心が沈静化し、再びまな板の上のキャベツを見る。

 

先ほどまでと同じキャベツ―――だが、見え方が異なっていた。

 

「フウカちゃんはもう、このキャベツに選ばれてる。あとはこの子が、フウカちゃんを導いてくれる。その声に従って、包丁を下せばいいのよ」

 

フウカの視界に映るキャベツは、キラキラと輝いている。

より正確に言えば、数百本もの光の線がキャベツの上に走っていた。線同士は等間隔でとても狭く、それ故にキャベツ全体が輝いているように見えていた。

 

考えるまでもなく、このキャベツを完璧な千切りにするための導線だ。

この光は、フウカの目にしか映らない。フウカを導くフローゼの目にも映っていない。エナメルキャベツが選んだ、愛清フウカというたった一人の料理人を導くためだけの姿。

 

(これが、フローゼ先生の…料理人としての高みの、景色…)

 

同じ領域に至ったわけではない。そんな浅ましいこと到底口に出来ない。

けれど、今自分が見ているこの光景が、食材に選ばれた者だけが見ることの出来る景色であることは確かだった。

それは間違いなく、愛清フウカが、料理人として一皮剥けて新たな一歩を踏み出した、その証左であった。

 

気付けばフウカの手は、キャベツの千切りを再開していた。

先ほどまでの焦りは嘘のように消え去り、淡々と、しかし決して機械的にではなく、音楽を奏でるように、キャベツを刻み続ける。

あっという間に半分。3分の2。一定のリズムを保ちトントンと包丁を下すフウカの胸に去来していたのは―――自分を選んでくれたエナメルキャベツへの感謝だった。

 

やがて、包丁の音が収まり。

後に残ったのは、美しいエメラルド色を保ったまま千切りになった、エナメルキャベツの姿だった。

 

「おめでとう、フウカちゃん。貴女なら出来るって信じてたわ」

「へへへ…頑張りましたぁ…」

 

無事キャベツを切り終えた実感に、一気に身体の力が抜ける。その顔に浮かぶやり遂げた笑顔を見て、フローゼは涙腺が緩みそうになるのを堪えた。

 

正直なところ、フウカがエナメルキャベツの調理を完遂するにはもう少し時間がかかるものと踏んでいた。

何せ特殊調理食材だ。元の世界でも扱える料理人の方が圧倒的に少ない。それをノーヒントで渡したのだから、条件を見つけるのだけでも数週間はかかると思っていたのだ。

 

それが、自分が食堂を離れていた数時間の内に条件を解明し、後は切るだけという段階になっていたのだから、内心の驚き様は相当なものだった。

フウカの食材の声を聴く能力は、フローゼの予想を遥かに超えるものだった。不要な焦燥感に駆られていたフウカを支えたのは、思わず体が動いてしまった結果だったが、早期発見のボーナス、という名目で十分だろう。

 

「早速食べてみましょうよ!完璧に調理されたエナメルキャベツ、どんな味か気になるわ…!」

 

ルミが待ちきれないといった様子で師弟の語らいに割り込んでくる。もちろんフウカも同じ気持ちだったので、千切りにされたキャベツを自分も含め5名分取り分けていった。

皿に盛られたキャベツは、美しい青々しさを保ち、見るだけで瑞々しさが伝わってくる。

 

「んっ…!甘い!甘いですよこのキャベツ!朝採れ野菜みたいです!」

「そうね、確かな甘みを感じるわ…!けどそれだけじゃない、野菜の持つ苦味もちゃんとある…けれど、決して嫌な苦さじゃない。キャベツの味の芯、味の基礎になる、抹茶のように上品な苦味だわ…!」

「何より、千切りキャベツなのに葉っぱ一枚丸ごと食べたかのような満足感…!箸も進みますね…!」

 

料理の添え物でしかないはずの千切りキャベツ。

だが今口にしているそれは、とても添え物程度で納まる味わいではなかった。

 

これだけで一つの料理になる―――そんなエナメルキャベツのポテンシャルを、口々に話し合っていたが、突然フウカが大きな声をあげた。

 

「あ、あの、フローゼ先生…!もう少し…あと三日、いや二日!このエナメルキャベツを触らせてもらっていいですか?このキャベツを使って、作って見たい料理が思い浮かんだので…!」

 

―――当然、フローゼがその申し出を断るはずがなかった。

 

 

 

 

 

 

「―――で、何でこんなに人がいるの!?」

 

フウカがフローゼに頼んで二日。

早い段階で完成してフローゼに報告したのも束の間、あっという間に発表の舞台を整えられ、あっという間に噂が広まり、あっという間にアカシア一家とゲヘナの首脳陣が勢揃いした。

もちろん全てフローゼが手を回した結果だ。

 

「私、完成したら試食して評価してくださいって、フローゼ先生にお願いしただけなのに…」

「そのフローゼ先生が方々に声かけまくったからね」

「私たちも分からなかったですが、フローゼ先生、部長の申し出を受けて内心メチャクチャワクワクしていたみたいで…」

「今日も朝からずっとウキウキしてますしね。ほら部長、先生が期待を込めた眼差しで部長の事見つめてますよ」

「やめて、見ないようにしてたのにぃ!プレッシャーが、プレッシャーがぁ…!」

 

まるで子供のように目を輝かせるフローゼから、胃を押さえながら目を逸らすフウカだったが、視線から免れたところで何も解決するわけではない。ルミがポンと肩を叩き、調理を始めるよう促した。

 

「まあやるしかないでしょ。ほら部長、みんな待ってるわよ」

「そ、そうよね…!よし、やるか…!」

 

 

 

「お待たせしました、『エナメルキャベツのパスタサラダ』です」

 

そう言ってシェフがフローゼの許に持ってきたのは、皿の上に盛られた翠色のパスターーーのように盛り付けられたキャベツだった。

 

「これは…バジルのパスタか?」

「いやだからキャベツですって。まあ見間違えるのも無理はないですが」

 

千切りキャベツと聞いて出されたのは、高級なレストランで出されるパスタのように縦巻きの細長い何か。マコトが素で間違えてイロハに突っ込まれるのも無理はない、と思えるほどだ。

それが麺類ではない、と判断できる基準は、その色だろう。

草原のようなエメラルドグリーン。見ているだけで清々しさを感じるような、透き通るように美しい緑色が、食卓に着いた者達の心を捉えて離さない。

 

「千切りにしたエナメルキャベツをさっと湯通しして、少量のドレッシングと和えてパスタ状に盛り付けたものになります。すでに味はついていますので、パスタと同じように、フォークで巻いてお食べください」

 

料理の乗った皿は、フローゼの前にだけ置かれている。

弟子として最初の一口は師に食べてもらい、そして品評してもらいたいと思うのは当然のことだった。フウカの意思を尊重したフローゼはその申し出を快諾してくれたが、その代わりフローゼが招待した客たちの衆目に晒されながらの品評となり、無駄に緊張感が高まることになった。

 

「それじゃあいただきます、フウカちゃん」

 

フローゼは手を合わせ、フウカの説明通りに、パスタのようにフォークに巻いたキャベツを、ぱくりと一口で食べた。

 

シャリッ!

 

それは千切りキャベツの食感ではなく。

一玉のキャベツを、そのまま丸かじりしたかのような食感だった。

 

フウカの発見通り、エナメルキャベツは0.8ミリの幅で均一に切り揃えなければ旨味が逃げてしまう、特殊調理食材だ。

しかし、千切りにすることで旨味を保つキャベツということは、千切り以外の調理法がないキャベツ、と言い換えられてしまう。

 

フウカの施した調理は、正しくこの欠点を補うものであった。

 

適度に湯がいたキャベツは野菜としての歯ごたえを残しつつも、麺類のようにしんなりとしていて、フォークで巻くのにちょうど良い。

そしてフォークで巻かれることで、千切りにされて失われたキャベツの“厚み”が蘇る。

これを口の中で噛むことで、採れたてのキャベツを丸ごと食べているかのような新鮮な歯応え、食感が広がるのだ。

そして味も、千切りにして初めて光るエナメルキャベツの美味しさが、しっかりと活きている。エナメルキャベツの持つ甘味と苦味、そしてドレッシングの酸味と塩味、さらに添えられた鷹の爪の辛味。それぞれの味が見事な調和を見せていた。

 

ふぅ、とフローゼが満足げに息を吐く音が、食堂に響く。

フローゼ以外の全員が、美味しそうにキャベツを食べるフローゼの一挙手一投足に釘づけになっていた。

 

「フウカちゃん」

「は、はいっ!」

「フウカちゃんが作ったこの料理、自己採点するなら何点かしら?」

 

食器を置いたフローゼが、静かに問いかける。皿の上にはまだ、キャベツが半分ほど残っていた。

 

「…正直に言うと、まだ改良の余地があると思っています。特にドレッシングは、食堂にいつも置いてあるものを使っただけなので、もっとキャベツの味にぴったり合うドレッシングが作れるはずです」

 

フローゼの問いかけに、フウカは素直に答える。

キャベツを湯通しする長さ、お湯自体の温度、一度にどれくらいの量を湯通しすれば良いか、何よりキャベツに適したドレッシングの味。極める余地はまだまだ沢山あるが、それを深掘りするには時間が足らなかった。

 

「けれどこの料理には―――いえ、私はいつだって、料理を作る時は全力です。もちろんこの料理も、今の私が出来る最大限を尽くしました。だから―――私の自己採点は、100点満点で100点です!」

 

しかしこのキャベツの調理は、愛清フウカが料理人として培ってきた人生の結晶と称するに足るものだと、自信を持って言える。

 

 

「そっか。私の採点とは少し違うわね」

 

そんなフウカの自信に満ちた言葉を受け、フローゼは優しく微笑んで───

 

「フウカちゃんは私が設けたハードルをさらに超えて、結果も味も、全て想像を超えてきた。100点なんかじゃ全然足らないわ。200点―――いいえ、300点!」

 

―――彼女らしくない程の大きな声で、最高評価を告げたのだった。

 

「ご、合格ですか!?合格ですよね!?」

「当たり前よフウカちゃん!凄いわ、とっても凄いわ!流石私の一番弟子だわ!」

「やったぁーーーーーーー!!!」

 

フウカの快哉が食堂中に響き渡る。

彼女の奮闘を見守っていた部員たちも駆け寄り、フローゼ諸共抱きしめ、一丸となってフウカの合格を祝福した。

 

観衆たちも拍手で祝う中、フウカは眦に浮かぶ涙を拭いながら宣言する。

 

「私、わたしっ…!!このエナメルキャベツを、フルコースのサラダにします!!

 

拍手が一段と大きくなり、歓声が食堂を満たした。言うまでもなくそれに異を唱えるものなど居ない。

部員たちの歓喜も最高潮で、今にもフウカの胴上げが始まりそうな勢いであったが、我慢し切れなかったアロナの声がそれを遮る。

 

『フローゼ先生だけずるいです、私も食べたいですー!』

「アロナの言う通りだな。早く私たちにも食べさせてくれ!」

「待て待てアカシア先生!ここはゲヘナの食堂なのだから、会長であるこのマコト様が真っ先に食べるべきで―――!」

 

アロナに続きアカシアまでもが声を挙げ、マコトもそれに加わり、自分も自分もと次々に挙手していき、あっという間に収集がつかなくなってきた。

 

「よぉーし、全員分作ってあげるわ!私のフルコースの記念すべき一品目、とくと味わいなさい!ジュリ、配膳よろしく!」

「はぁい、お皿準備しますねー!」

「アイ、私たちも負けてらんないわよ!一品か二品作って、品評してもらいましょう…!」

「ええもちろん!あ、フローゼ先生は今日は座ってらしてくださいね。給食部全員で全部作りますから!」

 

フウカが腕をまくりながら厨房に戻っていくのを皮切りに、ジュリもルミもアキラも、意気揚々と持ち場に向かう。

それを見送るフローゼの顔は、言うまでも無く満面の笑顔だ。

 

(ふふ、次はルミちゃんかアキラちゃんか…みんな頼もしいわね…!!)

 

自分の想像以上の速さで成長を遂げていくであろう、頼もしい弟子たちの輝かしい未来の展望に思いを馳せながら、フローゼはエナメルキャベツに舌鼓を打ち続けるのだった。

 

 




なお失敗したキャベツはいつの間にかパンちゃんたちが食べ尽くしていた模様。

次回はあーかいぶを挟んで、アンケートで2位だったシスフ回です。短めだと思います。

それでは、感想お待ちしております!


(6/22追記)
すみません、絶賛仕事に忙殺されているため、次回投稿は7月以降とさせていただきたいです。詳しくは活動報告にて。
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