シャーレの先生 アカシア   作:電シャーク

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いつもに比べると短めです。


一龍、再会する

キヴォトス上空7万5000メートル。地上よりも宇宙の方が近い、空の天井とも言うべきこの場所に、人工衛星とは比べ物にならない程巨大な何かが浮かんでいた。

その名も「アトラハシースの箱舟」。全長数百メートルを優に超す円錐のような形態の空中要塞は、月を思わせるような球状の多次元解釈バリアに覆われ、この世界のあらゆる法則から切り離された状態にあり、ありとあらゆる侵入・襲撃行動を無に帰す、絶対不可侵の要塞となっている───はずだった。

 

「ふむ、思ったより高い所にあったの」

 

多次元障壁をするっと抜けた一龍が、箱舟内部に降り立った。

きょろきょろと興味深げに見回しながら進んでいくと、二人の人影が一龍を出迎えた。

 

「ん、こんにちは、一龍先生。…まさか本当に自力で登って入ってこれるとは思ってなかった」

 

ひとりはクロコ───並行世界からやってきた、色彩に汚染され変質した砂狼シロコだ。まるで隣家を尋ねるような気軽さでやって来た一龍を、呆れたような口調で出迎えた。

 

「うむ、儂の能力(マイノリティワールド)を使って、ちょちょいとな」

「…あの人から聞いてはいたけど、理不尽過ぎる。神様だってそんな反則能力持ってない」

 

上空7万5000メートル地点に何の飛行機器も用いず徒歩だけで辿り着き、箱舟を覆う多次元障壁を事も無げにすり抜けてやって来たのだから、クロコがそうぼやくのも無理からぬことであった。

 

そしてもう一人。 異様な姿のナニカが佇んでいた。

クロコよりも遥かに大きく、複数人まとめて入れることが出来そうな棺桶だ。最上部にはデスマスクのような顔型が取り付けてあり、不気味さに拍車をかけている。そしてそんな鋼鉄の箱から、包帯で覆われた枯れ枝のような手が一本伸びていた。

まるで鉄の処女の中の亡者が蘇り、今にも外に這い出ようとしているかの如き様相だった。

 

一龍の視線を受け、棺桶はゆっくりと動き、目の前で止まった。

 

「初めまして、一龍先生。お会いできて、光栄です」

 

一言一言全てに濁点が付いているかのような、重く低い嗄れ声が箱から漏れる。箱がほんの少しだけ、小さく前のめりに傾き、手が胸らしき箇所に添えられている。これが彼なりの、精一杯の挨拶なのだろう。

 

「…貴殿が、クロコくんの言っておった“先生”か。こちらこそ光栄じゃ」

 

一龍は何の躊躇いもなく、箱から伸び出る枯れ枝のような腕を取り、握手した。握ってみると見た目以上に枯れ枝めいており、握れば砕け、振れば千切れてしまいそうな弱弱しさだった。

 

「改めて、お礼を言わせてください。キヴォトスに暮らす生徒たちを導いてくれて、ありがとうございます。どれ程感謝してもし足りません」

 

棺桶が再び手前に傾き、一龍を握る手にほんの少しだけ力がこもる。それが彼の心からの感謝であることを感じ取って、一龍も優しく握り返し、言葉をかけた。

 

「ははは。それを言うなら儂だけでなく、アカシア様やフローゼ様、次郎や三虎にも言うてくれい。それと、儂も君に会いたかった。あの広大なキヴォトスの、莫大な数の学校と生徒に、先生としてたった一人で向き合うなんぞ、到底出来ることではない。成り行きとはいえ同じ教職に就いた身として、君のことを尊敬しておるよ」

「身に余る、勿体ないお言葉です」

 

デスマスクのような人面が取り付けられているものの、その奥にある先生本人の顔は全く見えない。しかしこの枯れ枝のような腕とれ声から察するに、健康的な人間の顔では決ししてないだろう。

だがそれでも発される言葉の端々から、キヴォトスに暮らす生徒たちを思いやる気持ちが伝わってくる。このような体になっても尚生徒のことを第一に考え、そのために頭を下げられる彼こそ、先生という聖職を務めあげるに相応しい、教師の中の教師であると、一龍はますます尊敬の念を深くした。

 

「先生、貴方のお名前を教えていただけますかな?」

「私の名前は、色彩に襲われた際に喪われました。その後様々な呼び名を付けられましたが―」

 

かつてこの箱舟を牛耳っていた集団無名の司祭。色彩によって存在のほぼ全てを喪った自分に、彼らが付けた名前があった。

しかしその集団は、現在の家主に取って代わられた。その家主に自分の名前を名乗った時、その名前が司祭たちにより付けられた名前であることを知って、激怒されたのだ。

 

「はぁ!?あのうらなり瓢箪共が付けた名前じゃとぉ!?」

「阿呆かお前、何でお前らを良い様に扱ってただけのクソ共に勝手に付けられたクソみたな名前を、クソ律儀に名乗ってやっとるんじゃ!義理立てでもしとるんかアホらしい!」

「そのつもりが無いならさっさと捨てろそんな名前!ワシがもっと良い名前付けちゃるわい!」

「そうさなァ───ああ、そういや昔、お前によく似た馬鹿が居たのぉ。よっしゃ、そいつの名前をくれてやる」

 

そうしてつけられた、今の名前は───

 

 

 

「今の私の名前は、アサルディー。そうお呼びいただければ幸いです」

 

 

 

その名前を聞き、おや、と一龍は思う。

アサルディーとは確か、彼が根城にしていたブルーグリルに居た凄腕の料理人で、ネオとの闘いのために彼が身体を譲り受けた人物だったと記憶している。わざわざその名前を付けたということは、元の世界のアサルディーにも、そして目の前の先生にも、彼なりに思うところがあったのだろう。

 

すると、一龍が握っていたアサルディーの手から、ふっと力が抜けた。

どうしたのか、とアサルディーの方を見ると、さっと横合いからクロコが箱の内側に腕を入れ、中から何かを取り出した。

 

『失礼します。先生の体力の限界のようなので、口頭での会話はここまでにしていただけますでしょうか』

 

箱の内側から取り出されたのは、一枚のタブレットだ。そしてその中から、アロナとよく似ているが、機械的で感情の薄い声が聞こえてきた。

 

「おっと、無理させてしまったかね?すまんかった」

『いえ、一龍先生に直接お礼を伝えることを、先生自身が希望していましたので』

「ん、一龍先生とお話するために、体力づくりと喋る練習を頑張ってた」

 

アサルディーを見ると、か細い腕をひらひらと動かし、大丈夫だとアピールしているが、数分喋るだけで体力が枯渇してしまう身体を大丈夫というのは無理があるだろう。無理をさせてしまったことを申し訳なく思いながら、今度はタブレットの画面に向き直った。

 

『申し遅れました。私はプラナ。「シッテムの箱」のシステム管理者であり、メインOSを務めております。そちらのアカシア先生も、私と同型のOSが付いていると聞き及んでいます。本来の私の名前もそちらのOSと同じですが、先生と同じく別の名前を頂いた次第です』

「プラナちゃんじゃな。一龍じゃ。よろしくな」

『はい、今後ともよろしくお願いいたします。…ところで、そちらのアカシア先生側に居る私の同型OSについてなのですが。何でもGTロボという特殊な身体を手に入れ、自由に歩き回ったりあまつさえ美味しい食べ物を美味しく食べることすら可能になっていると

「はっはっは。それじゃあ今度ウチのアロナちゃんと同じように、専用GTロボの調整させてくれんかね?」

『是非お願いします』

 

無感情な声質はどこへやら、最後は食い気味に答えるブラナに、クロコとアサルディー共々苦笑する。

 

一通り自己紹介が終わったところで、クロコが案内すると言い、アサルディーと連れ立って歩き出した。アサルディーを介助しながら歩いて行っているため、歩くペースはとても遅い。一行は広い箱舟の中をゆっくりと歩きながら、目的の場所に向かっていく。

 

『この世界に来た当初の先生は、喋ることすらままならない身体でしたが…僅かに残った先生の細胞にあの方が宿り、食材を摂取して代謝と細胞分裂を促進させることで、先生は急速に体組織を復元させつつあります。このままの調子でいけば数年以内には、自分の足で立ちあがることも出来ると想定しております』

 

歩きながら、プラナが今のアサルディーの状態を簡単に説明した。色彩に触れ、身体はおろか精神まで九割がた崩壊させられ、辛うじて命があるだけの動く死体のような状態にされた彼だが、何の因果かこの箱舟に迷い込んだとある存在が、彼の細胞に宿った。

彼が宿ったことにより万能細胞と化した先生の細胞は、グルメ食材を取り入れることで成長する。これにより、殆どの機能が失われていた彼に、新しい体として自発的に根付いていき、こうして一龍を出迎えることが出来る程度には回復することが出来たのだ。

 

「なるほど、あやつが…。それで君が真っ先に回復させたのが、会話するための喉と口というのは…何というか、アサルディー君の篤実な人柄が見えるようじゃのう」

 

一龍が感心しながらアサルディーの広い背中を見る。顔はもちろん、唯一外に出ている腕さえ見えないが、この数分間のやり取りで何となく彼の機微が読めてきて、今は恥ずかしがっていると理解出来た。傍らのシロコも背中しか見えないが、先生が褒められていることが嬉しいのか、耳がピクピクと動いている。

 

『…改めて、私からもお礼を言わせてください。貴方方がこの世界に来訪してくれたおかげで、先生のことも、シロコさんのことも、全てが良い方向に進んでいます。…この絶望の輪廻から救ってくださったこと、本当に、本当に、ありがとうございます』

 

プラナが無機質な声にありったけの感謝を込めてそう伝えると、一龍は苦笑しながら頭を振った

 

「アサルディー君も儂にお礼を言っておったが、儂自身は何もしとらんよ。何かを為したとすれば…」

 

そう話す一龍の前方を歩くクロコとアサルディーの足が、一際大きい扉の前で止まった。

一龍も同じく足を止めて、その扉を見上げる。

 

「…この部屋に居る奴との縁を引き寄せた、お主たち自身の食運じゃろう」

 

扉の奥から漂うただならぬオーラは、何も知らずにこの場に来たとしても、自然と震え上がってしまうほどに恐ろしいものであった。慣れているはずのクロコやアサルディーもまた、彼と初めて遭遇した時の恐怖を思い出し、小さく震える。

 

その中で一龍だけが、懐かしげに目を細めていた。

 

「全員、扉の当たらない両端に避けておいた方がええな。壁際ギリギリまで···うん、そんな感じで」

 

扉を開ける直前、一龍がクロコたちに避難を促した。何となくこの後に起きる事態を察したクロコたちも、いそいそと後方の端っこに下がっていきそしてクロコたちの安全を確認した一龍が、扉を開けた。

 

「おーう、久しぶりじゃな、ド───」

死ねこのボケナスがああああああ!!!!

 

その瞬間。

箱舟全体を震わせるほどの怒号と共に飛んできた巨大な拳が、一龍を部屋から弾き出し、箱舟の次元障壁まで吹っ飛ばして行った。

 

やっぱりこうなったか、という目で一龍が吹き飛ばされた方向に目を向けるクロコたち。その後ろで、殴り壊されたドアを押し退け、巨大な黒い物体が現れた。

 

体中を覆うほどの豊かな髭。

しかし髭と身体の区別が付けられないほどの、コールタールの塊のような漆黒の巨体。

 

ドン・スライム。

かつてアカシアたちの世界で全宇宙を支配し、「宇宙の災害」の忌み名をの名をほしいままにしていた恐怖の大王であり、一龍に宿った『グルメ細胞の悪魔』でもあった存在である。

 

「あたたた…いきなり殺す気で殴り掛かるのは酷くないか、ドンよ」

「じゃかぁしいわ、儂の拳が飛んでくるの分かってわざと喰らいおったくせに!!」

 

吹き飛ばされた場所から一歩で戻って来た一龍が抗議するが、ドンの怒りは増すばかりだ。

 

「お前にゃ言いたいことが山のようにあるんじゃ…!ネオのこと、アカシアのこと、星のフルコースのこと、最後の喧嘩のこと、あれもこれもどれもこれも…!!」

 

わなわなと漆黒の巨体が震えると、それに呼応して地面も揺れ、空気すら怒りにあてられ炎のように歪む。

 

「全部ぶちまけてやりたいっちゅうのに、いつまで経っても来んのはどういう了見じゃ、おォ!?」

 

とどめに、箱舟が吹き飛ばされてしまいそうな怒りの咆哮が書き、彼をよく知るクロコたちですら身を縮める。その憤怒を受けた一龍は───

 

 

 

「すまんかった、ドン」

 

 

 

静かに。

深々と頭を下げた。

 

「…そりゃ何に対する謝罪じゃ」

「お前がここに居ると知りながら、中々ここに来なかったことに対して」

 

怒りのこもったドンの詰問に、頭を下げたまま一龍が答える。

 

「…怖かった。お前と再会して…お前の長年の願いを踏みにじり、挙句死においやったこと…責められるのが…」

「…それの何が怖いっちゅうんじゃ、おォン?」

 

不機嫌さを隠そうともしないドンの声に、一龍は俯いたままだ。

いつもの彼ならば、真っ直ぐ向き直り相手の目を見て話しているはずの場面だ。それすら出来ずただ俯くのみになっていることが、一龍がドンに対して抱える罪悪感の大きさを示していた。

 

「一番の親友を、相棒を、コンビの居なかった儂にとって、唯一コンビと言うべき間柄であったお前との絆が、終わってしまうんじゃないかと…その可能性があることが、怖かった。奇跡に奇跡を重ねて辿り着き、懐かしい人たちに再会出来た、この祝福の地で、一番大事な者との絆が、完全に潰えてしまうことが、恐ろしくてたまらなかった」

 

一龍はますます深く頭を下げる。まるで斬首刑に処せられる罪人が首を差し出すような姿勢だった。

後方で耳を傾けているクロコやアサルディー、ブラナは、一龍の懺悔に耳を傾けながらも、何かあればすぐに二人の間に割って入って、何とか取り成そうとしている。

 

「ドンよ、どうか許してほしい。到底許せないかもしれんが、それでも…せっかく蘇ったこの地で、お前との絆が潰えてしまうのは、儂には耐えがた」

 

 

 

「ん、オッケー。許す」

 

 

 

あっさりと。

聴き間違いではないかと思うほどの軽い調子だった。

 

言われた一龍は目を丸くし、口をあんぐり開けてドンを見つめる。

その顔がおかしかったのか、ドンはゲラゲラと、箱舟中に響くような大声で笑い始めた。

 

「ガハハハハ…!なにを的外れなこと言うとるんじゃおどれは。飯は食えんかったが久しぶりにお前と話せたし、ネオに負けた件についちゃ儂が弱かっただけじゃろ。それをお前のせいにされる方が腹立つわい」

 

それまでの怒りと不機嫌さが嘘のように───というより、実際ほとんど嘘だったのだろう。にんまりと口を歪め、膝を叩いて大笑いしている。

そして一方の一龍は、普段の冷静沈着さが嘘のように、依然口をばかんと開けたままで、ドンの言葉の意味が呑み込めていないようだった。

 

「言うたじゃろ、いつまで経ってもこんのはどういう了見じゃ、と。その理由も謝罪も聞けたし」

 

そこで言葉を区切ったドンは、ずい、と、未だ呆けた顔の一龍に鼻先を近づけ、再び呵々大笑した。

 

「何より、お前のそんな情けない面初めて見たわい!こんな面白いもん見れたんじゃし、許さん訳にはいかんじゃろ!ガーッハッハッハッハ!!」

 

そう言ってひと際大きい笑い声をあげるドンを見上げて、ようやく一龍の思考が正常に戻っていく。このやり取り自体が、最初からドンの狙い通りの性質の悪い揶揄いだったことに思い至り、気恥ずかし気にぼりぼりと頬をかいた。

 

「…ったく、人が悪いぞ、ドン」

「なんじゃ、知らんかったんか?ワシャ悪党なんじゃ」

 

ドンは楽しくてしょうがないと言わんばかりの、子供のような笑顔を浮かべている。

 

結局のところ、ドンスライムとの絆が潰えてしまうのでは、等という不安は、一龍の思い込みでしかなかった。

誰よりもこの再会を待ち望んでいたのは、ドンスライムの方であり。彼が一龍を拒むなんてことは、一龍との絆を絶やすなんてことは、天地がひっくり返ろうが違う世界に飛ばされようが、決して有り得ないことだったのだから。

 

そんな関係性を指して、人は“コンビ”と呼ぶのだろう。

 

「そら、美味い飯は持って来とるんじゃろうな!?早よ出せ、早よ出せ!」

「応よ。お主、ペロロジラは覚えとるか?アイツの体内で生成される特殊な肉をこっちの世界で発見したんじゃ。それにミリオンの種も、体内で加工生成されることが判明して」

「なんじゃそりゃあ!?ワシもお前も未知の、この世界で初発見されたグルメ食材だとう!?おい、シロコ、プラナ、アサルディー!お前らも来い!一緒に喰うぞ!」

 

傍らで成り行きを見守っていたクロコたちも、ほっと一安心したような顔で、ドンの呼びかけに答えて近づいていく。

 

その日の箱舟は、一晩中美味しい料理の匂いと笑い声が途絶えなかった。

 

 




一龍、ドンスラ再会回でした。
当初この二人を再会させる話を書く予定はなかったんですが、ヒフミのフルコースのラストを思いついた後、これをフルコースにして書くなら二人の再会も書かんと嘘だよなぁ、と思い直し、書くに至りました。

次話より最終話に入ります。
現時点で6割ぐらいは書き終えているのですが、メチャクチャ長くなりましたので、最低でも4分割します。12月中には投稿できると思いますので、よろしくお願いします。

それでは、感想よろしくお願いいたします!
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