狙撃手による襲撃の直後、空手や剣道の道場のような板張りの床の上で、幼い少年に覆い被さるように伏せたフレンダ=セイヴェルンは、燃え上がるダイヤノイドの壁面を見上げる。
炎の中心点に突き刺さっていたのは、ボールペン程度大きさの『矢』だ。
(この『矢』の形状。やっぱり襲撃犯は──────! だとしたらこの炎は─────────────)
フレンダは迷いげに視線を下げる。その先で少女が押し倒した少年のと目が入った。
潤んだ瞳でフレンダを見上げる彼の幼い顔は真っ青に染まっている。小柄な体躯はいっそ非現実的めいてすらいるこの事態への恐怖で小刻みに震えていた。それでも指先で自身のジャケットの袖口を掴み、今にも叫びだしそうな自分を抑え込んでいるようだった。
(結局、この子のためにも逃げるのが先!)
二射目は少女を待たなかった。
パシュッ! と炭酸の抜けるような音がフレンダの耳に届いたのと、彼女がスモークグレネードのピンを抜き、転がるように少年を通路の柱の陰に引きずり込もうとしたのは、ほとんど同じタイミングだった。
ズガァッッッ!!!!! と数瞬前まで二人のいたフローリングに『矢』が突き刺さり、爆炎が上がる。その後に、スモークグレネードから吹き出た煙が周囲に充満していく。
間一髪。金髪の少女がその射撃を躱すことができたのは、ほとんど偶然だった。
逃げ込んだ柱の裏側でフレンダは加納を立ち上がらせる。
これまでの狙撃から考えてれば射線が通らない場所だ。
それでも壁としての強度が気になるのか、フレンダは壁面に右耳を当てたり、ガジェットでなぞったりしている。
加納はフレンダの袖口を震える指先でぎゅっと掴むようにして、小さく口を開いた。
「はぁ、はぁ、あ、あいつはいったい誰……なの?」
金髪の少女は己の左耳の辺りを恨めしそうに触りつつ、早口気味に答えた。
「結局、アイツの正体は昨日私の耳を吹っ飛ばしたヤツでほぼ間違いない」
「で、でもソイツってフレンダが倒したんじゃ」
「なんで復活したかも急に炎属性に目覚めたのかも知らないけど、あの『矢』。屋内での狙撃。十中八九あの女で間違いない訳よ」
襲撃犯の正体は分かった。だが、これからどうする? 相手はたった二人を仕留めるために、何の罪もない一般人で埋め尽くされた炭素系素材の塊に爆炎をばら撒くような怪物だ。『暗部』のルールが通用するかすら怪しい。ダイヤノイドの消火設備や換気システムのおかげで何とか呼吸できているが、あちらがそれらを狙わないとは限らない。単純な狙撃による出血死だけでなく、全身火傷にやる焼死や、一酸化炭素による中毒死の可能性すら考えられる。煙幕や柱の影にだって、永遠に隠れていられるものではない。
何かしら状況を打開するために行動しないと自家生産性の不安に押しつぶされそうになるのだろう。加納神華は矢継ぎ早に質問を続ける。
「……な、なら助けは呼べないの?」
「ケータイは昨日アイツにぶっ壊されたばっか」
「じゃあぼくがアンチスキルに連絡を」
「呼んでもいいけど、『ああいう』輩は絶対にアンチスキルが来ないようにするはず。専用の妨害電波を流したり、逆に大量に無関係な通報をして向こうの通信設備をパンクさせるとかね。偽の渋滞を作って緊急車両の到着を遅らせるくらいはやるでしょ」
その上、『暗部』のプロはこう付け加えてきた。
「しかも、今回の狙撃は私じゃなくてアンタの頭の位置に飛んできた。あの女の腕で誤射はほぼあり得ない。結局、あの女の標的の名簿の中にはアンタの名前も入ってると見るべきね」
「……………………………………………………………‥…………………………………………‥……………………………………………………………………………………………………………………………………………」
こうしている今も、表では小型ミサイルじみた『狙撃』が続いている。炭素系のダイヤノイドらしからぬガラスを割ったような音が混じるのは、消火設備を破壊しているからだろうか。だとすれば、爆炎とスモークに紛れて隠れるにしてもいずれ炙りだされてしまう。いつまでも拘泥してはいられない。しかし、下手に動き出せば相手に居場所を知られてしまう。沈没寸前の豪華客船の中に自分を狙う殺人鬼が潜んでいるかのような、何重にも最悪が重なった状況。
加納神華の思考回路がマイナスの可能性で埋め尽くされていく。
そんな中、少年の脳裏に、あるアイデアがよぎった。
「そうだ…………。あいつの狙いがぼくだっていうなら………!」
「加納?」
連中の狙いは『インディアンポーカー』だという話だったはずだ。しかし加納のそれが目的なら夜道に少年を攫うなり、カードを盗むなりしてしまえばいい。ダイヤノイドを火災に巻き込むなんて大袈裟すぎるし、そもそもカードが燃えて仕舞えば本末転倒だ。
(どうしてぼくなんかをわざわざ撃った……?)
加納神華は自分に価値が無いことを知っている。
『インディアンポーカー』だって、友人が助けに来なければそこらのゴロツキに奪われていた。
そんな自分にとっては死に物狂いで手に入れたカードなんて、連中からすればいくらでも手に入るはずなのだ。
だとすれば今回の襲撃の本命は『インディアンポーカー』ではなくフレンダの方で、加納神華は単なる人質でしかないではないか。だだの一般人が、その戦闘のエキスパートであろう金髪の少女の足を引っ張ってくれれば上々。そう考えるのが自然だ。
(だとしたらやっぱり初撃はフレンダを狙う方が確実だ。フレンダを倒しさえすればあいつは好きに行動できるんだから。多分、あいつにはぼくを真っ先に殺さないといけない理由があるんだ)
その理由は分からない。どれだけ考えても自分にそんな価値があるようには思えなかった。
でも。
それが友人を助ける為に使えるなら。
小さな少年は確かに告げた。
「ぼくが囮になる。フレンダはその間に逃げて」
フレンダ=セイヴェルンは耳を疑った。
だって、その言葉は震えていた。目の前の小さな少年の肩は怯えている。目元に浮かぶ涙は落ち着きなく揺れ、今にも零れ落ちそうだ。小刻みに震える内向きの脚は、同世代と比べてもスラッとしたフレンダのものよりもさらに細く頼りない。
戦えば、加納神華はフレンダ=セイヴェルンよりずっと弱い。同じ
なのに。この少年は。さも当然のように自分の命を……!
「だからフレンダは反対側から逃げて。ここで隠れていたっていつか二人ともあいつに殺される。だったら、だったらせめてフレンダだけは………!」
フレンダは、思わず絶叫していた。
「ッッッ!! ふっざけるじゃないわよ!!!!!!!!!!!」
フレンダは加納のジャケットの襟元を掴み、柱に少年の小さな背中を押し付けた。金髪の少女は少年へ向き、早口で捲し立てる。
「そんな話、最近聞いたわ。あの女から私を庇うために、アンタくらいの歳の無能力者が、似たようなことを言ってた。結局、私はあの子が命を掛けてくれたから勝てたっていっても過言じゃない」
「ならぼくが」
「そう、今回の狙撃は私じゃなくてアンタの頭の位置に飛んできた。あの女の腕で誤射はほぼあり得ない。結局今回あんたの命は私より優先されてる。アンタを生贄にすればチャンスは生まれるんでしょうね。その分私は楽に逃げおおせることができるし、アンタに爆薬の一つでも持たせればあの女だって道連れにできるかもしれない。」
「ならッッッ!」
フレンダ=セイヴェルンは悪党だ。気まぐれに他人の命を弄ぶくせに、己の身が危険に晒されれば全身全霊で命乞いをする。そんな身勝手な人物に過ぎない。
だとしても。
金髪の少女は自分の口元に人差し指を当てると、少年の唇に、もう一方の人差し指を押し付けた。
加納の反論を優しく押さえつけると、フレンダゆっくりと首を振った。
最低の悪党にだって、譲れない一線くらいはある。
加納神華の友人は、諭すように告げた。
「あんな奴の為に加納が命を捨てる必要なんてない。結局、アイツは私一人で倒すわ」
少年は、下を向きその拳を固く握りしめる。
分かっていた。自分が足手まといであることくらい。今度は彼女を助けたい。誰かを守れる自分になりたい。どれほど願っても生身の自分はあまりに無力だ。
それでも。
今はその過酷な現実を飲み干すしかない。
「分かったよフレンダ。ぼくが標的の一人なら、ぼくが逃げるだけでもあいつは困るはずだし。でも、逃げるっていっても方法はどうするの?」
「あの女には未知の追跡能力があった。一時的な逃走のに成功しようが、なんらかの痕跡から執念深くストーキングしてくるわ。結局、なるべく痕跡を残さずに一発で射程外に行くしかない訳よ」
「? じゃあむしろどうやって」
そこで。
カツン、と革靴でフローリングを踏むような足音があった。
一般客が軒並み避難し、火災報知器のベルすらも破壊されたダイヤノイドに、その足跡はよく響いた。相手は『暗部』の手合いだ。アンチスキルはおそらく来ない。一般客の逃げ遅れにしては足音が落ち着きすぎている。
つまり。
その正体は。
フレンダは、加納の口を片手で制しつつ、リスクを承知で柱の影からその足音の主を確認する。
その姿には、見覚えがあった。
長毛犬の垂れ耳を思わせる、黒いツーサイドの髪。上半身を包む真っ白なワイシャツ。そしてそれを引き締めメリハリのあるボディラインをさらに強調するコルセット。黒いミニスカートから伸びる脚を覆うピッチリとした素材は、首元にも伺える。つまりは全身をダイバースーツのような特殊素材で覆っているのだろう。
総じて印象は、上品で落ち着いた性格の女子高生。表立ってクラスの中心に立つタイプではないけれど、周囲から高嶺の花として一目置かれるような優等生といったところか。人並み以上身なりは整いつつも、案外街中では溶け込んでしまうかもしれないような儚い存在感の持ち主。
その雰囲気を左目の眼帯と鼻から首下までを覆う猛禽類の嘴にも似た形状の金属製の特殊マスクが、荘厳な西洋絵画の上から墨汁をぶちまけたように濃密に上書きしていた。
特殊マスクの奥から、聞き覚えのある声に似た電子音が響く。
『心配せずとも、即攻撃だなんて無粋な真似は致しません。わたくし達二人は死闘の中で友情を育んだ親友同士。はあっ。それなのに互いに名前すら知らないまま殺し合いだなんて寂しいでしょう?』
その声色は、電子的な合成音でありながらじっとりとした熱が籠っていた。
言葉使いはあくまで上品に、襲撃犯は膝丈程度の黒いスカートを上品に持ち上げ軽く頭を下げる。そして高熱に浮かされたような調子で彼女は告げた。
「ふふ……まずは自己紹介から。わたくしは弓矢猟虎。暗部組織『スクール』にて、スナイパーを務めています。貴女の名前はなんですか?」
その間、フレンダの中で情報が高速で飛び回っていた。
(やっぱりこいつか! てか『スクール』!? あと親友ってナニ!? まさか私が頭ぶっ飛ばしたせいで脳味噌がイカれて変な回路と回路が繋がったりでもしたか!? いや、何にせよ相手は会話を求めてる訳よ。結局、今ははぐらかしつつ情報収集とこの子が逃げる為の時間稼ぎに徹する!!!)
「結局、そんなことわざわざ正直に敵の前で言う必要ある訳?」
「そうですよね、フレンダさん。ですが、心配いりません。わたくし、貴女の事を知りたくてよく調べました。八歳の妹さんがいることも、多くの友人がいることも、『アイテム』で
恍惚とした様子で語る襲撃者、弓箭猟虎の話を聞き、マズイ、とフレンダ=セイヴェルンは率直に思った。所属と名前、チームでの役割まで割れている。そしてなにより最愛の妹のことさえも。昨日の今日でここまで情報を集められるのは『アイテム』でさえ不可能なレベルだ。
「ですけれど、フレンダさん。わたくし、もっともっと貴女にに近づきたくて、沢山お勉強いたしました。狩猟術ってとっても火薬との相性がいいんです。お陰で取扱いを覚えるのも早かったんですよ。」
「これってもう、運命だと思いませんか?」
まさに感無量。その少女は、頬を紅潮させながら起伏に富んだ自らの身体を抱きしめる。
弓箭猟虎は、心の底から己の殺害対象との再開に震えていた。
「さあ、思う存分二人で死合いましょう!? いずれ散り行く運命にある貴女の命を奪うのは!! 『あの女』ではなく
「そのためには」
はたと、狂熱に浮かされていた弓箭の表情が冷めていく。いいや、炎が完全燃焼状態となり青く染まるような、安定した熱情にシフトしたのか。
情念の狙撃手の標準が別の人物へと移る。
「
そう、フレンダの隣で怯える、小さな少年へと。
弓箭は右肘を折り曲げ狙撃体制に入る。
対するフレンダの行動は迅速だった。そう、こいつは元々加納を狙っていたのだ。ならば会敵したからといってコロコロと簡単に標的が変わるとは思えない。フレンダは、弓箭の視線が己から茶髪の少年へと移る瞬間をずっと待っていたのだ。
言い換えれば、痕跡を残さずに一発で射程外へと逃れる手段を持つ爆弾魔から眼を離す瞬間を。
まず、目まぐるしい展開に目を白黒させている加納を片手で引き寄せる。そしてもう片方の手で今まで身体を預けていた柱にペンニードル形の電気式発火装置を押し付けた。ジュウ!!! という音ともに一瞬で強靭な炭素製の柱に穴が開く。
そして『柱の中にあったもの』に同様の手段で穴を開けると、酸素マスクを少年の顔面に押し当て、その穴へと突き飛ばすように放り込んだ。
すなわち、柱の中を走る、ダイヤノイドの太い水道パイプへと。
(上層フロアの入居者特権でダイヤノイドの構造ならトップシークレットの
フレンダが柱の陰に逃げ込んだ際に壁面を調べていたのは、遮蔽物としての強度を調べる為だけではない。柱内の水道管を逃走経路として使えないか判断し、あらかじめ仕掛けを施すためだったのだ。
結果、弓箭の放った矢はフレンダと大穴の空いた柱との間をすり抜けていき、加納の身体は滝のような勢いの水の流れに呑み込まれ落下していった。
「なっ!?」
狼狽する『スクール』の狩人に、『アイテム』の爆弾魔は告げる。
「結局、始めよっか? 殺し合い。アンタが望んだ通り、一対一で!」
『スクール』と『アイテム』。
偏愛狂と交友者。
ダイヤノイド中層、轟炎燃え盛る水と炭素の城の中心部で、正真正銘、『暗部』と『暗部』の激突が幕を開ける。
旧約15巻が10月9日であることと、旧約15巻の絹旗の「三日くらい前にぶっ殺した」という発言と超電磁砲12巻、第一回目の弓箭猟虎襲撃でまだ弓箭が死んでおらず、フレンダにリベンジを誓っている描写を組み合わせると、おそらく超電磁砲12巻が5日で、描写外の6日に二回目の襲撃があり、アイテムによって始末されたと考察できます。
今回の話はその10月6日にあったはずの二回目の襲撃ですが、加納神華の存在を始め色々分岐させています。