火炎と煙に満ちたダイヤノイド中層にて『スクール』の刺客、弓箭猟虎と対峙するフレンダ=セイヴェルンには二つの選択肢があった。
一つは先ほど加納神華を逃がすために開けた水道管へと飛び込むこと。
もう一つは得意な近接戦に持ち込むべく、弓箭へ肉薄することである。
水道管に身を躍らせるのは簡単だ。まず単純にこちらから十メートルほどに位置どる狙撃手よりも、今まで遮蔽物として使ってきた木目調の柱の方が距離が近い。そして火薬の扱いを習得したという弓箭の危険度は未知数だ。昨日の襲撃でフレンダ側は手札を多く見せてしまったのに対して、あちらは幾つ隠し札を持っているか不明。トレーディングカードゲームで言えば、既に一度見せたデッキで、そのデッキを徹底的に対策した未知のデッキと戦わなくてはならないようなもの。鬼が出るが蛇が出るかの予測は不可能といっていい。
あまりに偏った二択。
後者を選択する余地はない。
しかし、金髪ベレー帽の少女は、ダンッッッッ!!!! と、躊躇なく敵対者へと一歩を踏み出した。
「二日連続で友達が巻き込まれて、チームメイトにも明かしてない秘密基地に火ィばら撒かれてッッ!!!! 結局、いい加減こっちも頭きてるっての!!!!!!!!!!!!!!」
中距離は相手の土俵だ、爆弾による投擲による牽制なんてしていたら、一瞬で全身を蜂の巣にされた上にクリスマスのローストチキンのように丸焼きにされるに決まっている。よってあえての徒手。こちらの間合いに踏み込めるタイミングは、射撃直後の今しかない。フレンダは姿勢を低くして弾丸のように駆け出していく。
だが弓箭もそれに対応する。
「ええ! ええ!! 私を熱く見つめるその眼差し、その表情!!!! それでこそ私の親友!!!
右腕を伸ばし、煙幕を切り裂き己の懐へと高速で突撃してくる金髪の少女に標準を合わせた。
弓箭猟虎の狙撃銃は衣服の中に分解して仕込まれている。左右の腕を曲げ伸ばしすること分解・組み立てを行い、左右の袖口から圧縮ガスの力を借りて発射する仕組みだ。先ほど放った左腕のものは中距離用、そして現在構えている右腕は短距離用いう具合である。
───と、前回の戦闘経験と今回の襲撃から、フレンダ=セイヴェルンは弓箭猟虎の武装の概要を推測した。
(やっぱり右袖! 圧縮ガス式なら速度は落ちる! 結局射出場所さえ分かってれば避けれずとも致命傷を外すくらいはイケる!)
十メートルほどあった両者の距離が縮んでいく。
九メートル。
七メートル。
五メートル。
三メートル。
そこでフレンダは気づいた。何故か弓箭が撃ってこない。
いや、そもそもの話。
どうしてこの女はむざむざこんなところまで近づいてきた? あのロケット砲じみた狙撃を繰り返せば、安全地帯からこちらを燻し殺すことも、柱ごと焼き殺すこともできたはずなのに。そうだ、奴は身を潜め、一方的に甚振るように獲物を追い詰め、悶え苦しむ様を影から眺めてほくそ笑む。どちらかと言えばフレンダ=セイヴェルンに似たタイプの
つまり、彼女が目の前に姿を現す理由は。
最高速度で疾走中のフレンダは右足のハイヒールで鋭角に床を蹴り、あえて左に重心を崩す。そしてその勢いのまま転げるように通路沿いの飲食店に身を投げた。無理な姿勢で転がったために不完全な受け身となったが仕方ない。幾つもの椅子やテーブルを巻き込みながらも店の奥へと転がり込む。
「あれ、もしかして勘づきました?」
フレンダが回避のため大きく動き回ったことで、周囲の煙幕が一時的に晴れ、弓箭の周囲にあったものが露になる。
フローリングには木目調の塗装が施されたフライパンのような形状のくくり罠や、ヒグマやツキノワグマすら捕える大型肉食獣用のトラバサミが、フレンダの首辺りの高さには特殊な塗料で光沢を消したワイヤーが、そしてそのワイヤーの伸びた先には矢をつがえた木製の大型ボウガンが。
立錐の余地もないほどに張り巡らされた狩猟罠の数々。
前回の戦闘には存在しなかったモノ。
つまり。
「まさかアンタ、私一人を殺す為だけに一晩でトラップ系のスキルを会得してきた訳!?」
フレンダは飛び込んだ飲食店───障子で空間を仕切った、個室制の甘味処の座敷の上で四つん這いのまま叫ぶ。
それに対して、大きな胸の前で両手を合わせ、高まる感情のまま目元をアーチ状に歪ませた弓箭は、無数の狩猟罠の中心点で答える。
「はい! フレンダさんの親友として! 誰よりも早くわたくし自らの手でもって貴女を殺めるために!!! 貴女自身の事は隅々まで調べ尽くしました!!!」
「ああ、もう大体その親友ってヤツ何? 結局私だって感情輸入する相手は選ぶし、アンタみたいな悪党はむしろ積極的に吹っ飛ばすコトにしてるんだけど!?」
立ち上がり絶叫する金髪の少女の返答を意に介さず、弓箭はそして、と一呼吸置くと金髪の少女にとって致命的な一言を突き付けた。
「その結果、貴女の行動を
くい、と黒髪の少女が蜘蛛の巣のように張り巡らされたワイヤーの内の一本を引いた。
直後、甘味処の店内に
弓箭のワイヤーを引く動作に反射的に反応して駆け出したフレンダは、座敷の中央の脚の短い座卓に体を滑り込まそうとする。
すると、そこには
安全を確保した金髪の少女はすぐさまその小柄な体をテーブル下へと潜り込こませる。
間を置かず、和室の四方八方から、ズガガガガガガガ!!!!!! と、矢の嵐が吹き荒れた。座卓への避難が零コンマ一秒でも遅れていれば、穴あきチーズのように全身を貫かれていただろう。
(ふぅ、結局これで何とか凌い……………………………!?)
フレンダは脳で考えるより早くもう片方のハイヒールを捨て、机下を飛び出していた。荒くなった呼吸によって鼻腔に吸い込まれてきた匂いに強く覚えがあったからだ。
彼女にとっては香水や洋服の柔軟剤以上のそれ以上に身近な香り。
温泉や花火に似た匂い。
さらに具体的には硫化水素に硫化カリウムなどの硫化物。
すなわち。
(火薬!!!)
直後、和室一帯に突き刺さったボウガンの矢が、一斉に起爆した。
背中を爆風に叩かれたフレンダは、再度燃え盛るダイヤノイドの通路へと引き戻される。
そこは暗部組織所属のプロすら甚振って弄ぶ正真正銘の怪物、弓箭猟虎が待ち受ける狩場だ。
「かはッ、げほッ、ごほッ! くっ…………コイツ……………………………!!!」
すべての罠は、あらかじめ設置されていた。この狙撃手は、真っ先に距離を詰めてくることも、途中で罠の存在に勘づくことも、その結果通路脇の甘味処に倒れ込むことすら読んでいたとでもいうのか。
金髪の少女は、片膝をついた姿勢で弓箭を睨みつける。
その彼女の猛禽類の嘴のような金属製のマスクに覆われた喉元から、ぐぐもった声が響く。
「まずは胸椎と上背部。そして仕込みナイフ付きのハイヒール。次はフレンダさんの何を壊しましょうか? ぬいぐるみ型の時限式爆弾? 破片効果を狙った陶器爆弾? 投擲式の小型爆弾にスタングレネードもいいですね。貴女の武器を一つ一つと捥いでいった先、生身のフレンダさんを味わわせてください!!!!」
ここまで暗部のプロフェッショナルの行動を誘導しておいて、目的は小さな仕込み付きの靴を奪うだけ。
支払った手間に対してあまりに天秤のバランスが取れない成果。
そんな余裕を許してしまうほどに、現状のフレンダ=セイヴェルンと弓箭猟虎には実力差があった。金髪の少女が全力で疾走するマラソンランナーだとすれば、奴はランナーに並走するカメラバイクだ。
こちらの苦しむ姿を少しでも長く愉しむ為に、敢えて速度を合わせて走っているだけに過ぎない。あちらがその気になれば、いつでも鼻息交じりで抜きさってしまえる。
その差を少しでも埋めるためにも、『アイテム』の爆弾魔は歯ぎしりしながら思考を回す。
これから殺害しようとする相手の扱う技術を考察し、必要ならば己の技術体系にも適宜取り込んでいく。フレンダ=セイヴェルンもまた学園都市の裏路地で仕事をしていく中でしてきた行為ではある。山奥の実験用ガレージでは得られない、実践と共に磨かれる技術というものは確かに存在している。
ただ、それにしたって弓箭猟虎の学習速度は異常だ。フレンダの爆発物やトラップのスキル、及びそれらを支える化学や工学、格闘術の知識は一朝一夕で簡単に得られるものではない。この狙撃手のしている事は、司法試験と医師国家試験を一夜漬けでまとめて一発合格したと言っているようなものだ。
(睡眠学習にしたって限度がある訳よ。結局、
そこでフレンダはハッと何かに気が付いたように目を見開いた。
専門的な技術の取得、一夜漬け、睡眠学習、
フレンダ=セイヴェルンの所属やその妹の存在すら特定する異常な情報収集能力の正体。
そしてそもそも何故奴らが、自称『スクール』があの少女を攫ったか。
それらを結び付けて生じる結論は一つ。
「つまりは『インディアンポーカー』。要は、あの子の『インディアンポーカー』と同じ方法で火薬やトラップに関する技術者や研究者のそれをかき集めて、自分に使ったってトコね」
弓箭は猛禽類の嘴のようなマスク越しに分かるほど吊り上がった両頬を、陶酔した様子で愛おし気に撫でる。そこにはフレンダの付けた火傷跡があったが、殺し合いによる相互理解を至上とする彼女からすれば、その痛々しい傷跡すら友情の証なのだろう。黒髪の少女は感極まった様子で叫ぶ。
「ええ、その通りです! そしてそれだけではありません! 前回の
片や、『暗部』の世界で己が認めたただ一人と殺し合うことで、どこまでも相手を理解しようとする少女。
片や、表と『暗部』の境界なく分け隔てなく多くの人間と繋がりながらも、身内にさえ己の全ては明かさない少女。
共に暗部組織にて裏稼業を生業とする人間でありながら、両者の価値観は断絶しきっていた。
対話は不要。
加納神華の友人としての顔も、フレメアの姉としての顔も今は捨て去れ。
だだ『アイテム』として、薄汚れた裏稼業の始末屋として、この怪物を処理すべし。
金髪の少女は、道端の潰れたガムを見るような目で吐き捨てた。
「結局、自己中心的な妄想が脳みその中で爆発しただけの陰湿ストーカー野郎って訳ね。」
「貴女が幾ら否定しようと、わたくしと貴女の友情は本物なのです!!!!!!!!!」
絶叫とともに、伸ばされた弓箭猟虎の左腕から───すなわち中距離用の矢が放たれる。
『インディアンポーカー』による学習によって爆発物を取り込んだ彼女の矢は、熱に弱い炭素系建材で構築されたダイヤノイドの素材では防ぎづらい。爆発物を自作する上で化学者としての側面を持つ『アイテム』の始末屋は、その事を知識と経験で理解していた。
よってフレンダ=セイヴェルンの行動に一縷の逡巡も無かった。
眼前の狙撃手が動き出すより早く、先ほどの爆破によってガラスカバーが砕け、剝き出しになった『それ』を叩く。
『それ』は通路壁面に設置されていた防火シャッターのボタンだ。
ズドン!!! と両者の間にギロチンのようにシャッターの幕が落ち、弓箭の放った一射を受け止める。
狙撃と爆炎の両方に対処可能な一石二鳥の手だ。
(あの女の目的が私である以上、トラップの中で何時までも籠城しているって訳にはいかない。必ずこちらを追ってくる。あの女が私の行動を読むために私のスタイルを丸ごとコピーしてきたのはこっちにもメリットがある。結局、私としても得体のしれない狙撃手よりも同じ爆弾魔の方が読みやすい訳よ!!!!)
見かけの脅威に騙されるな。
本当に恐ろしいのは、前回見せた依然正体不明の追跡能力をフル活用され最初の一射で脳天を貫かれることだった。
相手が異常な友情に目覚めたことも、未だ嗜虐を楽しもうとしていることも全て隙と成り得るはずだ。
フレンダは射線を通さないよう、道すがら幾つか防火シャッターのボタンを押しながら、『ある場所』へ向かって逃走する。
道すがら細心の注意とコントロールをほどこしつつ、各地の小火に小型爆弾を放り込んでおくのも忘れない。爆風で炎を消し飛ばしつつ、燃焼に必要な酸素を先んじて奪う。爆風消火と呼ばれる、森林火災や油田火災などで用いられる消火法である。
爆発物のプロならば、当然それらがもたらす事故への対抗手段くらいは持っているものだ。
ひとまず、これでこちらが勝とうが負けようがダイヤノイドが丸ごと全焼してしまうという最悪のシナリオは避ける。
うっかり『ダイヤノイドの基部』に被害が及べば、学園都市どころか地球そのものの危機だ。
しかし。
防火シャッターの奥、決して逃走中の金髪の少女には聞こえることのないぐぐもった囁きがあった。
「無論、この手は既に読んでいますよ」
弓箭猟虎は衣服の背中から雨傘程度の長さの『武器』を取り出した。
それは、『インディアンポーカー』によって取得した爆発物の知識、元来有していた狩猟民族の技術の複合体といえる代物。
あまりに多く肉を抉ってしまうにも関わらず、その殺傷力の高さから軍隊やクマやイノシシへの狩猟に用いられる物。
つまりは、ボルトアクション式の
とうとう実銃すらを手にした狙撃手は、人体を貫通する威力の矢を受け止めた防火シャッターでさえ、障子に手を思い切り突っ込んだかのように乱暴にこじ開けながら、逃げた得物を追う。
「何処へに雲隠れしたって無駄ですよ。わたくしの『鼻』や『舌』がなくなろうとフレンダさん、親友たる貴女のことなら何だって知っています! この場面ならまず貴女は───!」
幾重もの障壁を下ろしながら遁走するフレンダは、ダイヤノイドの地図を脳裏に浮かべながら弓箭を迎え撃つ場所を画策していた。
───いくら何でもあちらの準備が良すぎる。恐らくこちらを調べる過程でダイヤノイドに訪れるであろうことまで予測していたのだ。幸いなのはこの70階建てのビル全部に罠が仕掛けられている訳ではなさそうなことだ。理由は単に時間の問題だろう。『インディアンポーカー』による学習から一般人や下手すれば『暗部』絡みのセレブの犇めくここへのトラップ設置の敷設まで一日で終わらせるなんて、その道の専門家であるフレンダにしたって到底不可能だ。
それでも、弓箭の悪魔的な『読み』が脅威であることには変わりない。
ならば、奴を撃破するために必要な場所は、必要な道具は、必要な仕掛けは───。
追走の果てに弓箭猟虎が辿り着いた場所はダイヤノイド中層、映画館内部の無人となった大型のシアターだった。
薄ぼんやりとした非常用電灯の明かりによって、十数段に渡って敷き詰められた光沢のあるレザー地のシートが照らされる。それぞれのシート同士の間隔にゆとりがあるのはこのダイヤノイドという立地故か、このシアターが所謂4DX仕様だからか。
それより目を引くのは、座席の一つ一つに女の子のぬいぐるみが設置されていることだろう。設置、などと物騒な言い回しとなるのも無理はない。一見無害なぬいぐるみの中に爆発物を仕込むブービートラップはフレンダの常套手段だ。弓箭からしても『インディアンポーカー』による学習以前の知識である。
(わたくしの想定の中で最も安直。『予想していても避けられない威力の爆風で空間を埋め尽くす』パターンですか。彼女にしては単純すぎる。警戒すべきは続く二の矢三の矢。そちらを本命と見るべきです)
そこで、シアターを全方位から取り囲む指向性スピーカーから、やけに波の無い声があった。
「あー、あー。そこのクソ陰湿スナイパー。いい加減つまんない鬼ごっこはここで打ち切らせて貰うからかかってきなさい? 結局、手袋のでも投げられなきゃケンカの一つもできない訳?」
あからさまな挑発。しかし弓箭には、この場所でフレンダからの挑戦を受ける戦略的理由は存在しない。
爆発物やトラップの専門家にとって、閉所とはホームグラウンドだ。それはどこに地雷が埋まっているのか分からないといった次元ではない。すべての地面に地雷が埋まっている可能性すらある場所を一歩一歩徒歩で踏みしめる行為と同じだ。
ここで焦らず待機し、相手が痺れを切らしてから背中を打つ。もしくは、こちらから爆炎で場内を埋め尽くして相手を炙りだす。
身の安全を優先するなら取れる戦略はいくらでもあった。
だが。
「ふふ、ふふふふふふふふふ!!! 改めて返り討ちです!!!! わたくしの唯一無二の親友、フレンダ=セイヴェルン!!!!! わたくしは全身全霊で貴女を射殺す!!!!!!!!!!!」
弓箭猟虎に逃走する選択肢は存在しない。
彼女にとって殺し合いこそがコミュニケーションであり、流れた血の量こそが友情の重さを証明すると信じ切っているからだ。
故に金髪の少女は一切の容赦をしなかった。
劇場内の全シートに座らされたぬいぐるみが一斉に爆発し、その爆風がオリンピックの競技用プールに匹敵する体積をもつ空間を埋め尽くした。