加納神華は絶叫していた。
「うっひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!?????」
円柱形の狭い空間へとこだまする声は、少年の小さな体とともに大量の水音に押し流される。
茶髪のセミロングを耳付きフードで覆った中性的な少年、加納神華は、金髪碧眼の友人の手によってダイヤノイド各地を縦横無尽に走る水道管パイプの内部へと突き飛ばされたのだ。
謎の狙撃手から逃れるための行動だったとはいえ突然の事態に思考が追い付かない。誓約書必須のほとんど垂直みたいな海外のウォータースライダーでももう少し安全だろう。金髪の彼女から押し付けられた酸素マスクがなかったら、射殺とか焼死とか以前にここで溺死していたんじゃないかと加納は思った。
しばらくして突然水流の感触がなくなり、代わりに全身を浮遊感が包む。閉じていたまぶたの裏が明るくなったことで『外』に出たと気づいた時には、そのまま水面に叩きつけられていた。
テーマパークの噴水じみた凄まじい水しぶきが上がり、うずくまった姿勢で水中に沈みこむ。
幸い小柄な少年でも底に足が付いた。
現実感を取り戻すために遊園地のアトラクションの終わりに安全バーを上げるような気分で酸素マスクを外す。
「かッ、かはあッッ、かはあッッ、げほごほッッッッッッッッ!?」
水を飲んだわけでもないのに、加納は不安定な呼吸で激しく咳き込んだ。
未だ止まない動悸を抑えつつ情報を集める為辺りを見渡すと、少年の薄い胸元までが水で埋め尽くされている。見上げれば高い天井に吊り下げられたぼんぼり型の照明が眩ゆく光り、振り向けば巨大なライオンのオブジェが水を吐き出し続けていた。どうやらここからソーシャルゲームのガチャ演出よろしく、その口内からダイヤノイド内の屋内プールへと排出されたようだ。
びしょ濡れの衣服を引きずりつつ、何とかプールサイドへと上がる。
現代人の癖か、加納は何より先に懐のスマーフォンの調子を確かめると、念のため
(このスマホが防水仕様で助かったな。充電中にむき出しのケーブルに水が触れたりなんかしたらさすがに漏電するらしいけど)
と、風呂場でスマホの利用者が感電してしまった人のニュースを思い出す。
通報を終えスマートフォンの画面を閉じ視線を落とすと、視界に入ってきたものに目を見開いた。なんと外したマスクの裏側に二つの小道具が隠されていたのだ。パイプ内ではパニック状態で気が付かなかったが、あの一瞬で酸素マスクの中にねじ込んだのか。身近な友人の超人振りに驚きつつもそれらが何なのかを手に取り確かめる。
テープカッター付きのセロハンテープのような巻物と、ペンのように先の尖ったはんだごてに似た形状の装置。
彼女の『裏』の顔を今日まで知らなかった少年からすれば、いつも鯖缶の蓋をこじ開けるのに使っているイメージの方が強いくらいの代物。
加納を逃がすため、フレンダがダイヤノイドの柱を焼き切るために使っていたガジェットだ。
熱に弱いとはいえ強靭な炭素系建材を熱したバターナイフのように切り裂くほどの道具。それを加納に渡した意図を考えると。
(もしダイヤノイドの出口が閉鎖されていたらこれで逃げろってことなのかな)
火災に弱いこのビルであれほどの炎をばら撒くような相手だ。真っ当な尺度で測れる相手ではない。用心するに越したことはないのだろう。だからといって『裏』としての仕事道具を数いる知り合いの一人に過ぎない少年に託すとは。
(………フレンダには、いつも助けられてばっかりだな)
そして、ここまで丁寧にお膳立てされては他に道がない。加納神華はくじゅぐしゅとした感触のブーツを脱ぎ、それらをひっくり返すと溜まった水を捨てる。続けて水を吸い重くなった上下の服を絞った。
身軽になった加納はダイヤノイドからいち早く脱出するため、プールサイドから通常の通路へ移動する。
その通路にて緑色の非常用階段の表示を探すため、天井を見上げたときだった。
少年は『それ』を目撃してしまった。
天井から吊り下げられた薄型モニタの、先ほど加納が逃がされた通路を映す、メイキング中継の映像を。
煤けた床に這いつくばりブレザーのあちこちに赤黒い染みを幾つも浮かせながらも。苦虫を嚙み潰したような表情で敵対者を見上げる金髪碧眼の友人。
そして、彼女の視線の先にいる、鼻から下を覆う猛禽類のようなマスク越しにも伝わるほど口角を吊り上げ、その未だ傷一つ無い肢体を己で抱きしめるようにして嗤う黒髪の襲撃者。
画面の中で這いつくばっているのは演技かもしれない。
明け透けなようで隠し事の多い彼女のことだ。やられる『振り』をしているだけで大逆転の秘策を閃いている可能性はあるだろう。
そもそも彼女にとっては単なる足手纏いに過ぎない加納が援軍に来たところでどうにかなる相手ではない。
まず、見て見ぬふりをして逃げるのは簡単だ。それで、自分の命を致死の狙撃から何度も庇い、逃亡という選択肢を与えてくれた彼女はどうなる?
泣き虫の自分を、何の取り柄もないとうずくまってばかりいた自分を、そのままで良いとありのまま認めてくれた友人を見殺しにして、明日からのうのうと生きていくのか。
見せてくれた左耳の傷跡も、正確な所属は告げずとも己が裏街道を生きる人間だと明かしてくれたのも、自分にならそうしても構わないと信じてくれたからじゃないのか。
強く右の拳を握りしめる。手のひらに着火装置の固いグリップの感触が返ってくる。それは、少年を逃がすために金髪の友人がお守り代わりに持たせてくれたモノ。こんな場所から逃げ出して、日の当たる世界で少年に生きて欲しい。そんな、『暗部』の少女の願いが詰込められた
きっとこれは、少年の無事を祈った彼女にとって、なによりの
それでも。
加納神華の両足は無意識に走り出していた。火災により一時的に停止したエスカレーターをつづら折りに駆け上がりただひたすら上へ。
急げ。
『表』と『裏』の境界なく、ただ自分を想ってくれた彼女の下へ。
大学の講義室にも似た、大型4DXシアターの空間を凄まじい爆炎が埋め尽くす。
そして火災により無人となったはずのこの部屋に人影が一人分。そう、この大花火はフレンダ=セイヴェルンを仕留めんべく館内に踏み込んだ『スクール』の狙撃手、弓箭猟虎ただ一人を爆殺するべく引き起こされた仕掛けなのだ。
逃げ場や安全地帯等など存在しない。仕掛け人は『アイテム』正規メンバー。爆発物のプロフェッショナルによって計算された、圧倒的な死の爆炎。
それが。
「こんなものですか?」
煤煙の奥から、呆れたような電子的な合成音声の呟きがあった。
黒いツーサイドの髪に、真っ白なワイシャツをメリハリのついた身体ごとコルセットで締め上げた、特殊マスクの少女。
弓箭猟虎は、傷一つ無くそこに立っていた。
「魅せてくださいフレンダ=セイヴェルン!!! 未だわたくしの知らない貴女を!!!!!!!!!!!!!!!!」
当然のように、彼女は止まらない。
弓箭の立つシアターの裏手、映画の映像や音声を制御するバックルーム内。そこで金髪碧眼のスレンダーな身体に赤色の滲んだブレザーを纏う少女、フレンダ=セイヴェルンは歯噛みしていた。トレードマークのベレー帽はいつの間にか無く、ハイヒールも脱げたのでタイツのまま床に立っている。
(案の定とはいえ凌いできた! イイ加減理解ってたけど流石に化け物じみてる!!!)
フレンダは仕掛けておいたカメラの映像を見る。
弓箭の立つモニター前のエリアだけ線を引いたように爆風の痕跡が無い。
状況から推察するにそのカラクリは。
(自分からを
イメージほど簡単なことではない。レザー地の座席に均等に配置された爆弾は全て弓箭ただ一人を狙った物なのだ。一斉に起爆したように見えて、彼女の立ち位置に衝撃波のベクトルが集中するよう微妙にタイミングをずらしている。その『流れ』を読んだ上で一つの爆弾からその他へと誘爆を発生させた上で、それらを主流の爆風や衝撃へとぶつけることで逸らしたのだ。
爆発物に対する確かな造詣とフレンダという爆弾魔ならこうする、という精神性への深い理解。それらが両立していなくては成り立たない芸当。
『攻める側』に立ってなお埋まらない格差。
だが、金髪の少女はマイクを握った。
弓箭のいるシアターを取り囲む指向性スピーカーを通して怨敵に言葉を伝えていく。
当然、まだ終わりではない。
「結局、お望み通り、フルコースで攻め立ててあげるわ」
そして、フレンダはメガホンを小さく逆さにしたような形状の器具をマイクへ押し当てた。
4DX上映対応の学園都市性指向性スピーカー。
爆発物、そしてそれに付随する化学現象全てを操るフレンダが『それら』の配線を弄り、凶悪な改造を施せばどうなるか。
必要とあらば工学系にすら手を伸ばす爆弾魔の改造によって、館内の指向性スピーカー等が音量制限の壁を突破する。
ドッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
と、シアターを丸ごと発破した時よりも大きな爆轟が一箇所へと放たれた。彼女の鼓膜どころか内臓すら破壊されてもおかしくないほどの衝撃が弓箭へと殺到する。
フレンダは爆発物に関連する全てを操る。音爆弾やスタングレネードを始めとした音響兵器もまた。
しかし彼女程の使い手が本気で振えば、一対多数戦にも使える立派な広域制圧兵器だ。
しかも今回は、それを一点収束させて使用している。
にも、関わらず。
それを受けた弓箭の猛禽類の嘴のような形状の特殊マスクの喉元の部品が剥がれ、内部の回路が剥き出しになる。
ただ、それだけだった。
彼女の肉声を再現した女性的な電子音が、閑静とした空間に響く。
「良い発想です。昨日の貴女がまだ見せなかった隠し球。わたくしの学習の取りこぼしを突いてきたつもりでしょうが」
「無駄ですよ。貴女の事を完全に理解したわたくしが、未知の音響兵器への対策をしていないとでも思いましたか?」
フレンダの追撃を受けてなお不適な笑みを浮かべ立つ黒髪の狙撃手は、その耳元の髪の房を乱雑に持ち上げる。
その奥には猟銃の射撃音からハンターを守る、狩猟用電子イヤホン。彼女はあらかじめ日常会話以外の周波数をカットした状態で戦っていたのだ。
初見の攻撃すら、読まれていた。
遅れたように、天井の消火用スプリンクラーから水が振りまかれ始めた。爆風によって捻じ曲がったあちこちの放水パイプからも水がドレンチャーのように溢れ出す。そちらは防火設備ではなく4DXの演出用のものか。
冷たい液体が、弓箭を湿らせていく。ワイシャツが張り付き、インナーのぴっちりとしたボディースーツが透けている。
それにより肉感的なボディーラインが浮かび上がるも、もはや少女は己の身形など気にも留めない。
弓箭はブーツからぐしゅぐじゅ湿った音を鳴らしながら階段の先へと歩みを進める。シアター最上段の扉。そこがこの部屋のバックルームの入り口、金髪の少女の潜む場所だ。
生気の無い虚ろな瞳で、少女は己に言い聞かせるように囁く。
「わたくしは、たった一人の親友として貴女を殺す。その権利は誰にも奪わせません」
そこで。
その声を遮るようにスピーカーから────ではない、肉声の返事があった。
「結局、フルコースって言ったでしょ? この程度の前菜で終わりだなんて誰が決めた訳?」
フレンダ=セイヴェルンはバックルームの中に籠城するのではなく、シアター最上段の扉の前にてその姿を現した。
敢えて表舞台へと飛び出し、改めて弓箭を見下ろすように堂々と対峙する。
最下段にて、弓箭もまた嗤う。
「ふふ、ふふふふふふふ!! ええ! ええ!! 確かにわたくしは満足していません!! まだまだまだまだ、貴女のことを知って、知り尽くして、その上で仕留めてこそ意味があるのですから!!!!!」
その言葉を言い終わるより早く、フレンダは小石程度のサイズの結晶を高速で投げつけた。
フレンダ=セイヴェルンは化学者だ。『アイテム』としての活動の他にアングラな鑑識業務なども請け負っている彼女は、爆発物に留まらずありとあらゆる化学知識に精通している。
つまり、彼女の『武器』は火薬などという小さい枠に囚われない。
そして、そのことを相対する弓箭もまた知っている。『インディアンポーカー』によって吸収した数々の化学知識が脳裏をよぎり、彼女は、フレンダが投擲した物体の正体を看破した。
(単体の金属ナトリウムですか! ならば狙いは!!!)
食塩、すなわち塩化ナトリウムに代表されるようにナトリウムそのものは身近な物質だ。故にフレンダほどの人間なら映画館のキッチンからくすねた食塩などからそれを単体で抽出し、結晶化させることは難しくない。
そして、金属ナトリウムにはある有名な性質がある。『それ』を起こさせないため、弓箭は袖下の狙撃銃の狙いをフレンダから投射された結晶へと移し、そのまま二人の中間部にて撃ち落とす。
弾かれた結晶が、水浸しの階段へと落ちた。
直後。
ドボアッッッッッッッッ!!!!!!!!!!! と巨大な爆発が発生し、爆風が両者の髪を靡かせる。
金属ナトリウムの性質、それは非常に酸化しやすいというものだ。その性質により着水と同時に水分子を構成する酸素と結合。その反応によって発生した莫大な熱と、水分子が分解されたことに発生した水素ガスが反応。大爆発を起こす。
「更なる初見の手!!! ええ、そうです、もっと楽しませてください!!!!!」
弓箭はバックステップで一歩後ろに下がりつつ叫ぶ。
それは爆発の被害から身を守る為ではない。
爆発によって吹き飛ばされた水滴がシアター内に降り注ぐ。それらはナトリウムと水の反応によって生じた水酸化ナトリウム。皮膚を侵し、目に入れば失明は免れない劇物だ。
ボディースーツを纏う彼女は両手と顔面にかかることを避ければ問題は無いと結論づける。黒髪の狙撃手の知識に抜かりは無い。飛び散った水滴の危険性もまた把握済みである。
その上で。
(こちらが本命というにはわたくしの狙撃に弱すぎます。虎の子を出すとれば、次!!!)
彼女は警戒を怠らない。左右の狙撃銃ではなく、背中の狩猟用ショットガンを構える。
そしてフレンダは次の工程に移っていた。
金髪を少女が用意していたのは起爆用の雷管。それを金属ナトリウムが落ちた位置へと放り投げようとしていたのだ。
(あの女のマスクは私が吹っ飛ばした箇所を補うための機械! 発声の補助がメインだと思うけど、でも結局アイツなら絶対に酸素マスクとしての機能を持たせる訳よ!!!)
先日は未使用だった音響兵器の対策すらしていたのだ。前回酸欠に陥り空気を求めた結果口内に爆弾に詰め込まれた彼女が、酸欠への対策をしていないはずがない。それも自ら爆発物へと手を伸ばそうとしたのだから尚更だ。
そして、ただの水とは異なり、水酸化ナトリウムは強力な通電性の液体だ。
そこから電気を通し、彼女のマスクの機能を停止させることで酸欠へと陥れる。
初見の手を複数繰り出し隙を作り、生じた敵の弱点を突く。これが、フレンダ=セイヴェルンの戦略。
弓箭最大のアドバンテージが『今回フレンダに情報戦で勝利していること』であるとすれば、フレンダ最大のアドバンテージは、『前回弓箭に勝利していること』。フレンダもまた、弓箭の弱点を知っている。
だが、弓箭の『読み』が、彼女の狂信的な友情への執着が、それを上回る。
(雷管! と、いうことは感電によるマスクの機能停止が狙いですか!!!!!)
最悪の狩人は頬を上気させ、アーチ状に目を歪ませて笑う。
「ふ、ふふ、ふふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
嗚呼、貴女もまた、わたくしを理解した!!! これってもう両思いですよね!! 相思相愛ってことでいいんですよね!!」
狂熱に浮かされようと、彼女の手元に狂いはない。握りしめたショットガンの標準は、雷管を握りしめた金髪の少女の元に合わさっている。
フレンダが雷管を投擲するより早く、狙撃手によって放たれた散弾がその身体を貫いた。
「かはっ、が、があッ!!!!!」
咄嗟に体を揺らし致命傷は避けた。いや、避けさせられた。この期に及んでこちらの手足にダメージを与え身動きだけを封じて、さらにじわじわと甚振るための一手。
ゆらゆらと噛み締めるように段差を一歩ずつ登り、迫り来る弓箭を視界にいれながら。フレンダは混濁する意識の中で、映画館のバックルームに飛び込んだ瞬間の自分を思い出す。
別にここじゃなくてもよかったはずだ。
例えば、加納を逃す為に使った水道管を使った回避ルートは、『あの』弓箭の想定すら超えていた。
例えば、VIP達の金庫代わりの上層エリアならば、ここよりも遥かに警備が厳重だ。どうせ他の『住民』等が各々変態じみた
例えば、ダイヤノイドの『基部』────悪用すれば地球を握りこぶし大に圧縮できるというグラビトン式の重力制御装置なんてそれそのものが特大の厄ネタだ。遮蔽物としても、ブラフの材料としても絶好の素材といっていい。
でも。
下層に己だけが逃げ込めば、残された少年はどうなる?
上層に逃げ込んだ最後、あの『秘密基地』はどうなる?
『基部』が破壊され、その両方が瓦礫の山となる可能性は?
フレンダ=セイヴェルンは悪党だ。殺しを愉しみ、悪党を追い詰め、驕り高ぶった高位能力者の命をせせら笑いながら弄んできた。
しかし、それだけが己ではない。
『アイテム』の仲間と、ただ共棲相手として接する自分。
表の世界の人間と、友人関係を増やしていく自分。
最愛の妹のお姉ちゃんをやっている自分。
どの場所でも、結局なんらかの嘘をついていた。
でも、どの場所でもそこにしか出せない自分があった。
なのに。
加納神華。あの少年といる時だけはどうにも違う。
彼を守るという名目はあれど、『裏』の人間であることを話してしまった。
思えば彼には隠し事がずいぶん少ない。
意識を予め奪っていたとはいえ、今日の路地裏ではずいぶん派手に暴れてしまったし、妹の存在も、ダイヤノイドの『秘密基地』も、真っ当な世界で生きている訳ではないことも正直に告げている。彼を逃す際には、無意識に『暗部』の仕事道具すらも渡してしまった。
(結局、自分よりも他人の命を優先するなんて、私らしくない訳よ)
では、何故心が動いたのか。
それでもあの少年に逃げて欲しかった理由は────
時間の流れが現実に戻る。
全身の力が抜け、四肢を投げ出して倒れるフレンダの眼前には弓箭猟虎がもうすぐそばに迫っていた。
「結局……………あの涙にやられたのかな」
路地裏で不良から助けた時も、茶室で『インディアンポーカー』について話したときも、彼が囮になると言い出したときも。
彼の涙には混じりっ気がない。
平気で人を殺め、騙して、自分が生き抜くためなら嘘泣きも虚言も厭わない。そんな
各所から溢れた水の流れる階段を一段一段丁寧に登りながら、弓箭猟虎は名残惜しそうに語りかける。
「フレンダさん。これで貴女は終わりです。ですが、必要なことでした。わたくしは、誰よりも早く、貴女の親友として貴女を介錯しなくてはならないのですから」
「左様なら」
弓箭がショットガンのボルトを引き、標準を今度こそフレンダの心臓に合わせる。
黒い、引き金を引く。
その、直前だった。
「……………!!!!」
突如、弓箭猟虎の全身の動きが止まる。
フレンダは四肢の力を振り絞り四つん這いになると、シアターの入り口へと目をやった。
そこには。
いるばすのない人間。
自ら逃したはずの相手。
茶色の髪をセミロングに伸ばした中性的な外見の少年。
「ぼくの友達を、返してもらうぞ弓箭猟虎!!!」
───加納神華。
何の力も持たない少年は、ただその友人を助けたいという意思によって、『暗部』の戦場にすらに舞い戻る。
そして加納はフレンダの託した
もちろん、全身が水に濡れた弓箭猟虎のいる階段も含んで。
弓箭猟虎は、嘴型のマスクによってフレンダへ敗北で失った器官の機能を補っている。食事や発声の補助、そしてなにより
爆発式のテープと組み合わせればダイヤノイドの壁すら焼き切る点火装置の火力、すなわち消費電力は大きい。
そして、その電気を剥き出しのマスクの基盤へと、通電性の高い液体を通して流し込んだらどうなるか。
彼女は水酸化ナトリウムを浴びないようにしていたが、スプリンクラーや座席の放水パイプからの水を全身に浴びている。
電流は全身を駆け巡りマスクをショートさせ、特殊スーツに包まれていない指先を痺れさせたのだ。
(電撃!? しかし一撃で意識を奪うほどではありません! 指先が痺れる程度!! 肉体そのものは肺の中の酸素がなくなるまでは問題無く動けるはずです!!!)
全身を覆う特殊スーツの影響で電撃のダメージを最小限に抑えた弓箭は、左袖下の仕込み銃を倒れているフレンダへと向ける。
──はずだった。
そこで弓箭は信じられないものを見た。
散弾銃によって両手足を撃ち抜かれ倒れていたフレンダ=セイヴェルンが二本の脚で立ち上がっていたのだ。
「どう、してッ!! 何故立っていられるんですか!? わたくしの中の貴女は両手足を撃ち抜かれて、尚立ち上がるようなスペックではありません!!! 親友たるわたくしの『読み』が外れることなんて!!!!」
マスクによる呼吸や発生の補助が断ち切られた状況で、それでも弓箭は掠れる喉を震わせて叫んだ。
「結局、泣き虫のあの子が、私のために命がけで戻ってきた! それ以上の理由なんていらない訳よ!!!!」
取るに足らない、一度逃げたはず獲物からの手痛い反撃。手足を打ち抜いた『親友』の復活。想定外の連続によって心理的にぐらつくが、弓箭猟虎の心はまだ、完全には折れていない。まだ、『奥の手』がある。マスクの補助は失われたが、尚喉を潰す覚悟で呼びかける。
「そうです!!! 貴女が理解できなくなろうと!!!! 一時的に親友でなくたって、わたくしには
弓箭猟虎は『スクール』だ。弓箭という個人が追い詰められようと、最終的に組織として勝てば良い。
男性であることからあまり頼りたくはなかったが仕方ない。ムカつくが、後方待機要員の彼は
しかし。
「そ、そんな……誉望さん!? いるんですね!? いつもみたいに能力で透明化してるだけですよね!?!?!? なんで!? わた、私が捨て駒!? 要らない子!? そ、そんなハズが有りません。だって垣根さんは能力を買って私をスカウトしましたし、誉望さんは下僕らしく前回も私を助けて、獄彩さんだって私を……ッ!?」
だが、彼女に呼びかける答える誰かはこの空間には存在しなかった。
ただの空白。
ゴーグルの念動力者も心的距離を操る精神系も、未知の物質を生み出す超能力者も。有象無象の単なる下部組織すら。
誰一人として、彼女の呼びかけに答えるものはいない。
「わたくしはぼっちじゃない!!! いらない子じゃない!!!!! ちゃんとスキルを示して、『スクール』という居場所を掴み取ったんです!!!!!」
その絶叫に対する返答は『スクール』ではなく、金髪の少女からあった。
座席の手すりを掴みふらつく体重を支えながらも、引きつった笑みを浮かべて。
フレンダ=セイヴェルンは悪党だ。使えるものは何でも使う。
例えそれが、相手のトラウマらしきものであろうと自らが生き残る為なら何だって振りかざす。
「じゃあ、なんで今誰も助けに来ない訳? 五分の勝負を十割の勝利にしない理由は? 前回アンタの命を助けたヤツがいたところを考えると、単独の仕事でも後方待機くらいはさせてるんじゃないの?」
「そう! その筈なんです! わたくしは、ぼっちなんかじゃない!!!」
「でも結局、お仲間は来なかった」
もはや照準向けることすらままならない弓箭に、金髪の少女は酷薄に告げた。
或いは、単なる弾丸や爆薬以上に、彼女を致命的なまでに抉る一言を。
「それじゃアンタ、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫する弓箭は、なりふり構わず左袖の狙撃銃をフレンダへと向ける。
対するフレンダは弓箭へと『何か』を山なりに投擲した。
極限状態であろうと、いいや極限状態だからこそ、黒髪の狙撃手は血走った目で金髪の少女を観察する。
(あの形状! 焙烙火矢に似た破片効果系の陶器爆弾ですか!!! ならば至近距離で炸裂する前にこちらから打ち抜けば!!!!)
右袖の短距離用狙撃銃が、フレンダの投擲した陶器を正確に射抜く。
弓箭の頭よりも上方で『それ』は破壊され、内容物が空中にばら撒かれる。
だが、起こるばすの爆発がない。
「読み違えっ!?」
陶器の内容物である透明な液体が、弓箭猟虎の顔面に降りかかる。
それは、『鼻』が使えた頃の彼女であれば確実に嗅ぎ分けられたであろう物。
フレンダの投擲物の正体は爆弾ですならない。単なる化学物質。
フレンダが原材料のアンモニアから精製した、お手製の気付け薬だ。
「〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッッッッ!!!!!!!」
大量の刺激物が顔にかかり、反射的に目を閉じる弓箭。
そこにフレンダが迫る。
弓箭は暗闇の視界の中で、次の彼女の行動を予測した。
(腹部を狙った飛び蹴り!!!!!)
フレンダの行動をことごとく読み切った弓箭猟虎には、しかし全く読むことのできなかった行動がいくつか存在する。
例えば最初。加納を狙った三度の狙撃から少年を庇ったのは全てフレンダだ。弓箭猟虎がフレンダの全行動を先読みできるのなら、『フレンダ=セイヴェルンの加納神華の庇い方』を読むことで、確実に加納を殺害できていなくてはおかしい。
例えば加納神華を逃がすための水道管の爆破。フレンダ=セイヴェルンの行動を読み切り、ダイヤノイドに訪れることすら予期していた彼女が、この建物の構造を理解していないはずがない。
なのに読めなかった。
つまりは。
暗部の爆弾魔、『アイテム』のフレンダ=セイヴェルンについては完璧といっていい精度の『読み』を持つ彼女が予測してなかった行動の共通点。
暗部の始末屋としてしかフレンダ=セイヴェルンを見ていない弓箭では、友人のために行動するフレンダ=セイヴェルンを理解できないのだ。
だから彼女は加納を殺せなかった。
だから彼女は加納が来ることを予測できなかった。
だから彼女は、友人のために立ち上がるフレンダの思考回路を信じられない。
だから弓箭猟虎は、この期に及んで
ドロップキックを予測した防御姿勢をとる弓箭の無防備な顔面に、金髪の少女の石のように握りしめられた右拳が突き刺る。
脳を強く揺さぶられた少女はその場で両膝から崩れ落ちた。マスクの停止による酸欠状態も相まって、弓箭猟虎の意識は暗い闇の底に沈んでいく。
うつ伏せに倒れた黒髪の襲撃者に、フレンダ=セイヴェルンは吐き捨てた。
「そんなに私の知り合いになりたいんだら、結局、街中で普通に話しかけてよね。『こう』なる前の、もっと純粋に友人を求めた頃のアンタに出会ってたら、別に考えてやってもよかった訳よ」
金髪の少女にとって、相手と交流するしない基準は、彼女が己の友人に相応しいと感じたか否かだ。
その広い交友関係に、表や裏、善人や悪人といった境界は存在しないのである。
大量のぬいぐるみ型爆弾による爆炎の消化が完了し、天井のスプリンクラーが停止した。タンクの水を使い切ったのか、座席の演出用噴水パイプによる放水もピタリ止む。
こうして、ダイヤノイドで発生した『スクール』の狙撃手による『アイテム』の爆弾魔を狙った襲撃事件は、幕を下ろすこととなった。
これにて弓箭戦決着です。
次回で一章は終了予定です。
評価やお気に入り登録等大変励みになっています。相変わらずの不定期投稿ですが、なるべく更新ペースを上げていきたいです。