その『視点』の主は、学園都市の路上ならばどこであろうと巡回している、ドラム缶型の清掃用ロボットのレンズだった。
その『視点』に映し出された陸橋は黄昏に染まっていた。
無機質なカメラの視界に映るのは、向かい合う二人の男女。
茶色がかった金髪の男の方にはどこか見覚えがあった。
ウェーブのかかった茶髪の女の方にはには見覚えがなかったが、彼女が引きずっている『モノ』のシルエットには覚えがある。
あってしまった。
なにしろ。
それは。
その女が片手に引きずっていた『モノ』の正体は。
『ヒト』ではなく『モノ』だと感じてしまうほどに魂の欠損したそれは。
金髪碧眼の少女の形をしていた。
その少女には色彩が致命的に不足していた。
その白い肌からは生気が失われとモノクロ写真のように不気味なまでに青白く、瞳孔の開ききった碧眼はガラスでできた西洋人形の瞳よりも生気が感じられない。
では、失われた色彩は何処に行ったのか。
彼女の、胸から下。
少女の胴体があった筈の部位は、乱暴に引き千切られたようにして失われていた。
ぼろぼろと。
皮膚が、骨が、筋肉が、血液が、内臓が。
生命活動を正しく循環させるための組織、その色彩が。
グロテスクなマーブル模様を描きながら、その『断面』からぼろぼろと溢れ出ていた。ぐちょぐちょと糸を引く粘着質な『中身』が、吐瀉物のようにアスファルトをべっとりと汚していく。それが列なってできた赤黒い『線』は陸橋の上から、清掃用ロボットのレンズの視野では追いきれない先まで長く延びていた。
金髪碧眼の少女は、下半身を胴体ごと引き千切られ『中身』を撒き散らしながら、延々と引き摺られたのだ。
つまり。
それは。
かつて一つの命だったはずのそれは。
見紛うはずもなく。
フレンダ=セイヴェルンの死体だった。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!?????」
それを認識した瞬間、加納神華はベッドから飛び起きた。
何だ!?
今のは何だ!?!?!?
背中が寝汗でぐっしょりとして気持ち悪い。全身の鳥肌が収まらない。これは夢だど自分に言い聞かせたいのに、喉がカラカラに乾いてこひゅこひゅと空気の漏れる音しか出ない。目の焦点がいつまでも合わずぐるぐると視界が回り続ける。世界が回ったのか自分がおかしくなったのかを区別する機能すら上手く働かない。
先ほどの光景が何度もフラッシュバックする。
胴から下が丸ごと削り取られ、そこからグロテスクな塊を幾つも溢す友人の姿。そしてそんな凄惨な光景を見せびらかすように引き摺り回す謎の女。
抑えきれなかった。
加納は這いずるようにベッドから脇のゴミ箱に辿り着くと、頭を突っ込み胃の中身をすべて吐き出していく。
喉が焼けるように熱く、気持ちの悪い酸味が舌を焼き、鼻腔を抜ける。涙も、鼻水も、体液という体液が堰を切ったように溢れだす。
その後もゴミ箱に枝垂れかかりながら、数えきれないほど胃酸を吐き出し続けた。
何分経っただろう。もはや加納には普段の数時間との区別すらつけられない。時間の感覚なんてとっくに崩壊していた。
胃の内容物を吐き終え、ぐしゃぐしゃの顔をティッシュで拭った少年はようやっとある程度冷静な思考を取り戻す。
「そ、そうだ……! ぼくは『インディアンポーカー』を使ったんだ……!」
とある能力者の『インディアンポーカー』。その能力をまるごと封じ込めたカード。夢の『視点』がその能力者のものではなくドラム缶型の清掃ロボだったのもその影響か。カードの提供者が二度と能力が使えなくなったという理由が理解できた。こんな内容を見てしまったら誰だって正気じゃいられない。
当初の『能力を扱う感覚』を学習する目的なんて吹っ飛んでいた。
記憶した単語を暗唱することで試験前の緊張感をほぐすように、加納は思考をアウトプットすることで混乱する脳内を無理矢理にでも落ち着けようとする。
加納神華もまた学園都市の生徒。『
但しそれは、この『インディアンポーカー』の映像は、ただの悪夢では終わらないことを理解してしまうということでもある。
「この夢って予知、なんだよね、じゃ、じゃあ、『これ』は、いつか現実に起こる事象だっていうの……!?」
しかしその研究は学園都市内でも進んでおらず、
その一つが『予知』された事象は必ず発生し、そしてその『運命』を変えることはできないという事だ。
今回の件における『運命』として真っ先に浮かんでしまう候補は一つ。
フレンダ=セイヴェルンの死。
「そんなの……! そんなことって………………!!!!!!!!?」
今回の『インディアンポーカー』の提供者は、念写系との複合タイプだったのだろう。それで普段通り能力を発動したまま『インディアンポーカー』を使用し、この清掃ロボットのレンズ越しに『予知』を見てしまった。そうして産まれたカードが巡り巡って、何の因果かフレンダ=セイヴェルンの友人である少年の手に渡ってしまった。
金髪の少女は、確かに真っ当な人生を歩んでいなかったかもしれない。陰日向を行き来する生活の裏側で、加納には想像すらできないような残酷な行為をこれまでずっとしていたのかもしれない。
誰もがいつかは別れを経験する。
人生には必ず終わりが存在する。
金髪の少女はそうした結末が一般の人間よりも近い世界で生きているのだろうし、彼女なりの覚悟だってある筈だ。
だとしても。
あっていいのか!?
こんな、人間の尊厳もこれまでの人生も全てを侮辱されて、その原型がなくなるまで何度も何度も執拗に踏み躙られるような結末が!!!!!!
これは予知だ。
この光景が現実となるのは、何日後が、何週間後か、何年後か。能力者本人ですらない加納には知る術はない。
ただ、この最悪の未来は必ず訪れる。確かな事実はこれだけだ。
それでも。
加納の脳裏に、金髪の少女との日常と、『インディアンポーカー』の悪夢が交互に点滅する。
気がつけば、少年の喉は震えていた。
先程までの蠕動のような痙攣ではない。腹の底から込み上げてくるのは吐き気ではなく、火山ように噴き上がる怒りだった。
「認めるもんか……! その『瞬間』だけを見せられて、結末までの過程も理由も何も分からないまま、ただいつか来る終わりに怯え続けるなんて嫌だ!! ぼくはこんな理不尽な別れなんか絶対に認めない!」
ただの我儘だった。金髪の少女がどんな世界を生きているかなんて知らない。ダイヤノイドで垣間見たその世界は、ちっぽけな少年一人では一秒だって生き残ることすらできないほど過酷だった。そんな世界で、少年よりも圧倒的に『強い』彼女でさえどうすることもできない存在を相手に友人を救い出すなんて、予知を使わずとも不可能だと身に染みている。
泣き虫な少年を、そのままで良いとありのまま認めてくれたのも、そう。
少年を信じて、最愛の妹の面倒を見てくれと信頼してくれたのも、そう。
苛烈を極めたダイヤノイドでの戦いの中で命懸けで少年を助けたのも、そう。
これまで加納は、いつだって金髪の少女に救われてきた。
だから。
いいや、本当は深い理由なんて無いかもしれない。
ただ大切な友人に悲惨な目に遭ってほしくない。
実際の所、胸中を埋める本音はそれだけだ。
そしてそれだけで十分だった。
少年は、寝間着の袖口ごと巻き込むようにして、硬く強く拳を握りしめる。
見上げると、壁掛けの時計の針は十月七日の午前0時を指していた。
『インディアンポーカー』で垣間見たあの陸橋は黄昏時だった。金髪の少女が『いつ』ああなるかは分からない。それでもまだ時間はあるはずだ。
不恰好でも、力が足りなくても、最後まで足掻くことだけはできる。
見て見ぬ振りをして全てを無かった事にするなんて、できやしなかった。
「予知能力はまだ未解明な部分も多いんだ。それなら、まだ見つかっていないだけで予知を覆す方法だって存在しているかもしれない!」
かつて人類は不可能といわれた有人飛行を成し遂げた。数百万人の死者を出した天然痘すら根絶させた。今やこの学園都市では科学的な超能力開発すら行われている。
予知の結果が変えられないなど誰が決めた。
少年は、決意する。
目尻から涙を流しながらも、それを認めてくれた少女の為にふらつく脚に力を入れて立ち上がる。
許せるか。昨日まで笑っていた友人が、少年の預かり知らぬ所で血と臓物に塗れて終わりを迎えるなんて、間違った未来を。
「フレンダは、ぼくが助ける。例え世界の全てを敵に回したって!!!!! 学園都市の裏側と戦う事になったって!!!!! これだけは絶対に果たしてやる!!!!!!!!!!」
これは決意表明ではない。
この世界を冷たく支配する『運命』とやらへの宣戦布告だ。